一章二話 彼女の腹の、奥の底
そうして私の底を探る旅は始まった。いざ、自分さえも知らない未知の自分へ。
病室の扉を開けて、真っ白な廊下へ出て────
「盛り上がってるとこ悪いが、お前ら、今何時かわかってるのか?」
「あ」
正論に敗れ、物語の幕は降ろされた。
病室から放たれた、アラン隊長のたった一言で。
「……九時からなら───」
「お前は総合演習だろ? さっき話してたこと、もう忘れたのかよ」
おでこを覆った指の隙間から、黄色い髪がチクチク尖る。
「一応真夜の補佐候補とはいえ、まだ部外者なわけだしな。さすがに一人で歩き回らせるわけにもいかんだろう」
あれ? これしばらく見に行けないんじゃない?
「訓練を見せるのも気が引けるが、他にどうしようもないだろうから、終わるまで見学でもしててくれ」
現実を突きつけるだけ突きつけてから、「じゃあ俺は戻るぞ」っと病室から去っていった。
流石だよ、どこまでも抜かりない。
廊下にはぽつんと立ち尽くす人影二つ。早朝の静けさだけが漂っていた。
「えっと……どうしよっか?」
「……」
真夜は少し固まったあと、僅かに口を動かした。
「飾、お腹、空いてない?」
「言われてみれば空いてるかも」
そういえば、昨日は晩御飯も食べずに寝ていたしね。
「じゃあ居住区画へ行こう。ちょうど開くころに着く」
「う、うん」
ほんとのところ、今すぐにでも記録の確認をしたい気分だったんだけど、できないものは仕方がない。
知りたい気持ちと違和感を引きずったまま歩く廊下には、カンカンと足音が鳴り響く。
どうにもまだ、頭を切り替えられずにいた。
「ねぇ、真夜」
目的地へ向かう道すがら、今更なことが思い浮かんだのもきっと、それが原因。
「私を助けてくれたのって、もしかして真夜だったりする?」
「うん」
「ありがとね、助けてくれて」
「うん」
返事はたったそれだけだった。
勝手にアテレコするけどさ、さも「それが何?」みたいな。感謝されることにさえ無関心みたいだ。
真夜にとってそれが普通なのだろうか。分け隔てなく、そうなのだろうか。
ふと、真夜がどんな顔をしているのか気になってしまった。
「……どうかした?」
「あ、いや、別に」
目を合わせていられなかった。
訊いたら多分、平気で「うん」とか答えそう。
「……ただ、真夜はなんで、あの時私を助けてくれたの?」
意趣返しのつもりだったのに、
「後悔したくないから」
真夜は、少しの迷いもなかった。
それが真夜の、原動力……?
それだけのために、毎日昼休みに走ってるっていうつもり?
見返りさえ求めずに?
そんな……そんな聖人みたいな人間、実在するのか?
……いや、きっとまだ見えてないだけでしょ。
彼女の腹の、奥の底。
私と真夜は、おそらくそこが違っているのだろう。
「……飾?」
二歩も先、深い紫の虹彩が、静かに私を見つめていた。
知りたいと思ったんだ、その違いを。
「……いや、何でもないよ」
確かこのあと、総合演習だったよね。
ならそこで見れるかな。真夜を後悔させられるもの。
「っていうかさ、」
逸らした視線は、等間隔に配置された窓に向いた。
さっき宇宙って言ってたけど、窓の外は庭。それを囲む柵の向こうには建物が立ち並んでいて、街みたいだ。
「外、普通に街じゃない?」
「ここから見えるのは区画内。宇宙はその外側」
「へぇー。でもさ、こんなに大きな区画が必要なら、最初から地球に作ればよかったのにね」
「地球外も、多いから」
ん? 地球外に人なんているのだろうか?
「それっ──」
「ちょっと、真夜ちゃん!」
背後からかかった声で、私たちの足が止まった。遅れて扉が閉まる音がする。
振り返った先では、赤い長髪の女の人が、ちょっと顔を顰めながら立っていた。
「患者を連れてどこ行く気よ?」
「あ、カーティア。おはよう」
隊長もそうだったけど、カーティアっていうのも明らかに日本人じゃない名前。顔立ちもそんな感じだ。
「おはようじゃないわよ。怪我は完治してるとはいえ、退院はまだよ? 患者をどこに連れて行く気?」
「食堂。とか」
「食堂ってまさか、居住区画の? その格好で? はぁ……ちょっとこっちへ来なさい。身につけてたもの、預かってあるから」
出てきたドアへと引っ込んでいった。
言われて気がついたんだけど、いつの間にか制服から病人らしい服装になってたし、携帯とか諸々持ってなかったや。
偶然にもカーティアさんと出くわせた幸運に感謝しつつ、真夜と一緒に彼女の後へと続いた。
「貴方確か、川上飾ちゃんだったわね?」
部屋の中は事務所チック。机の上は書類で埋め尽くされていて、パソコンはこんな時間でも眠っていない。
「いきなりで驚かせちゃったわよね、ごめんなさい」
「い、いいえ」
口調がちょっと、お母さんみたい。
「これ、ここへ来た時に身につけてたものよ。汚れとか酷かったから、勝手に洗わせてもらったわ」
「あ、ありがとうございます」
制服や鞄、靴なんかを一式返してもらったのはいいんだけど、なんか怪我する前よりも新品に近い状態じゃない?
鞄の口を開けて覗き込んでみたけど、中も問題ないみたい。財布に携帯、パスケース。それと、執筆ノートも……
「どうかしたかしら?」
もしかしてさ、ノートの中身、見られていたりしないよね?
小鳥ちゃんとのやり取りはしょうがないにしても、これを見られていたら本当に立ち直れる気がしないんだけど。
「い、いいえ。なんでもないです」
本人に確認できるわけない。ただカーティアさんの様子を見るに、多分見られてないだろう。
ありがたいんだけど、一体一晩で何が。
「真夜ちゃん、こう見えて抜けてるところも多いから、何かあったら遠慮せず伝えた方がいいわよ」
「は、はぁ」
服とか諸々に関しては私も忘れてたから、あんまり真夜のことは言えないけどね。
「カーティアは医務局の救護班班長。頼りになる」
「そ、そうなんだ」
班長って、偉い人だよね? そういえば隊長も。真夜って、敬語とかまったく使わないのね。
「昨日の時点で怪我は完治してるはずだから、出歩いても問題ないけど、違和感を覚えるようなことがあれば、すぐに言ってちょうだいね」
「ありがとうございます、何から何まで」
でもあれだけの怪我が治ってるってことは、魔法か何かってことだよね。今更だけど治療費とか大丈夫だろうか。
特に言われないなら、こちらも黙っておくけど。
「いいえ、気にしないで。元々貴方は巻き込まれたようなものだもの」
……巻き込まれた? 私はあの場に自分で向かったはずなのに。
「それって、どういう意味ですか?」
「あー」
カーティアさんの視線が泳いだ。それが真夜へ向けられるまで、長かった。
「ねぇ、真夜ちゃん。後々研究所には顔を出すのよね?」
「うん」
「そ。ならそっちで聞くといいわ。私も詳しくは知らないし」
そう告げると、机に散らばっていた書類の整理を始めてしまった。
「そう、ですか」
何か、気を遣われているような気もしたけれど、話す気がないなら聞くこともできない。
とりあえずは流したけれどそれよりも、研究所? 調査班があるところっぽいけど、なんでそれをカーティアさんが知ってるんだろう。
聞いても答えが返って来ない気がしたから、一旦保留しつつ、患者衣から制服に着替えた。
カーティアさんにお礼を告げたあと、廊下の窓から改めて見上げた空は、まだ青紫色の、日の出前。
目的地は変わらず、私たちは居住区画の食堂を目指した。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「ここで待ってて。終わったら迎えに来る」
そう告げて、真夜が自動ドアの向こうに消えたのは、もう二時間も前のことだ。
居住区画の食堂で朝食を食べ、演習区画へ移動してきたまではよかった。のだが、
「真夜、全然魔法使わないじゃん……」
テーブルにおいたスマホが、大げさにゴンっと音を立てた。
一人取り残された空間は、展望デッキ。窓際にカウンター席が設けられただけの簡素な作りだった。
「何の指示出してるのやら……」
声は聞こえないけれど、目下に広がる演習場からはちょくちょく、普段聞かないような音や光が放たれた。火柱とか水球とか、なんなら人が空を飛んでたり。
最初こそテンションも上がったさ。魔法なんて初めて見るから、色々メモして小説に取り入れようともしてたんだけど、肝心なところだけが見れてない。
それが副統轄って立場なんだろうけど。
「副統轄かぁ……」
何気なく、目の前のノートに手が伸びた。私が小説に落とし込む設定よりずっと突飛だ。
女子高生にして軍人、口数が少なく無表情で才色兼備。一見とっつきにくそうなのに、意外と人間味もあって優しいときた。
「……設定盛り過ぎじゃない?」
おそらく本人にそのつもりがない。それが一番腑に落ちないけど。
その点、小鳥ちゃんは控え目だ。
名前の通り、小っちゃくて純粋に優しいけれど、自分を追い込み過ぎちゃうところもあって、ちょっと不憫。
誰にでも手を差し伸べるのに見返りすら求めない。って、それは真夜も一緒か。
「ていうかさ、二人とも優しいって物語としてダメなのでは?」
頬杖をついた逆の手で、紙を一枚寄せ上げた。
実話をもとにするとしても、多少キャラを変えないとか。
あれ? ていうかそもそも、優しいってなんだ?
真夜と小鳥ちゃんは、どっちも優しい。きっと、誰にでも手を差し伸べるのに見返りすら求めないから。
私は違う。別に優しくない……はずだ。
じゃあ、私が小鳥ちゃんにしたあれは、優しさとは違うものなのだろうか。
いいや、傍から見ればアレは「小鳥ちゃんを助けた」と認識される。実際、真夜がそう思っていたし。
ただそれに対して見返りが欲しいかと問われれば、それは違う。
ならばと、優しさとしてあてがってみるけれど、やっぱりどうにも腑に落ちない。あくまでも私は、相手が小鳥ちゃんだったから動いた。はずなのだから。
なんなんだ、これは。同じ星座に見えるのに、結ばれている星がどこか違う。
もしかすると、私が持っているものと、二人がもっているものって、何か別のものだったりするんじゃなかろうか。
「あ」
唐突に高校野球で聞くようなサイレンが鳴った。訓練開始時にも鳴っていたので、もしかすると終わったのかもしれない。
本当に間が悪い。
手のひらに滲んだ汗と、鳴り止んだサイレン。
耳にはまだ、甲高い音が残っていた。
「お待たせ」
それから数分で、扉は自然と開かれた。
「ええ、待っていましたとも」
「……もしかして、つまらなかった?」
「ずっと一人だとさすがに飽きるって」
合計すると多分、スマホを見ていた時間の方が長かったかもしれない。
「そっか」
「せめて何の訓練なのかは知りたかったよ」
きょとんとした真夜に、今更言ってもしょうがない。
一歩踏み込み境界を超えると、扉はまた一人でに動き出す。
陽が差し込んだ廊下にすら、人の気配はしなかった。
「で、結局なんの訓練してたの? ずっと指示出ししかしてなかったけど」
「総合演習」
すごい、すでに知っていることしか教えてくれない。やはり真夜に何かの説明を求めるべきではないのかもしれない。
「そ、そうなんだ」
もしかしたらまだ、立場上伏せていることがあるのかな。
相変わらず真夜の表情は何も教えてはくれない。
いずれ突き当たった廊下。下から昇ってきた昇降機は、少し汗のこもった匂いがした。
「演習区画には他に、運動場とか、トレーニングルーム、射撃場なんかがある」
「へぇーなんかほんと、軍事施設って感じだね」
減っていく数字を眺める真夜から、返る言葉はない。
徐に始まった解説はこれまた唐突に終わりを迎えたので、もしかしたら今あげた中で見たいところを訊かれているのかな。
「どこかっていうより、真夜が魔法を使っているところを見てみたいな」
率直な感想を述べると、真夜が不自然にこちらを向いた。
「な、なに?」
「……ごめん。難しい」
「そうなの?」
「うん」
理由を尋ねたつもりだったんだけど、それ以上何も返ってこなかった。
「紫雲副統轄!」
ベルが鳴って扉が開くと、ホールに大所帯が出来上がっていた。多分真夜の指揮下、要は部下に当たる人たちだろう。
「この後、お時間ありますか?」
「自主訓練のお相手、お願いできませんでしょうか?」
「お、俺も!」
「私にもお願いします!」
年齢も装備もバラバラな男女は、みんなすごい活気だ。
真夜が何か言うよりも先にこちらを向いてきたから、私は彼らに掌を差し出した。
「うん、いいよ」
真夜はいつも通りの調子で頷いた。つい先ほど、総合演習とやらが終わったばかりだというのに。
ただ、訓練ってことなら真夜が魔法を使うこともあるかもしれない。私に彼らを止める理由がなかった。
実際に戦う真夜も見てみたいしね。
「ありがとうございます! よろしくお願いいたします!」
そういうことで話がまとまると、近くに適した運動場があるらしく、そちらへ移動することになった。




