一章 一話 したかったこと
もう駄目なんだと思っていた。何もかも遅くて、手遅れで、このままおしまいなんだと。
それでもまあ、これでよかったんじゃないかなって、そう思っていたんだ。
それなのに、目が覚めて私は、息をしていた。
全身を包み込む布団の温かみを感じながら、視界が徐々にはっきりとしていく。
ベッドや布団、天井もあるからどこかの室内なんだろうけど、薄暗い。それに変わった匂いがする。医療品とか化学薬品みたいな。多分ここは、病院とかなんだろう。
あれだけの大怪我をしていれば当然なんだろうけど、それにしては不自然なくらい痛みがない。身体を起こすことも簡単にできて、月明かりに誘われるまま、窓の外に視線が向いた。
どうやらまだ、街灯が灯る時間帯のようだ。空には星が見える。
小鳥ちゃんは、無事に過ごせているのだろうか。
「———よかった。目が覚めたんだ」
窓とは反対側からした声にゆっくり振り返ると、パイプ椅子に知っている人が座っていた。
「おはよう」
なんで彼女が? なんて疑問は、浮かんで数秒で掻き消えてしまった。
「あと一時間は陽が昇らないけど、もう起きる?」
「───しゃ、喋ってる……!」
驚きのあまり、つい言葉として口から溢れていた。私の知る彼女、紫雲真夜が五文字以上言葉を発したことなんて、今までなかったから。
「どういう意味?」
顰めた眉は角度にして二度くらいで、声に溶けた訝しさは小さじにして三分の一程度。ほとんど誤差とさえ思えるほど些細な変化だったんだけど、それでも普段の彼女を思えば、全然機微なんかじゃない。むしろ見間違えるほどに、豊かな表情だったんだ。
「あ、いや、なんていうか。その……ごめん」
「……驚いてる? 学校だと、あんまり話したりしないから」
前髪を耳に掛け直した。
肯定するのも失礼かなって思ったんだけど、言い回しからして意図的にそうしてるみたいだったから、「うん」って返してみた。
「そっか。やっぱりそう思われてるんだ」
なんていうか、ぽんと言葉が置かれたみたいだった。どことなくしゅんとした気がする。
「気に障ったなら、ごめん」
「いいの。気にしてないし、事実だから」
言い切った口調はどこまでも自然体だった。見栄とか強がりとか、ちょっともない。
「それより飾。体調はどう? まだどこか痛む?」
飾って……まともに話したの、今が初めてのはずなんだけど。まぁでも、こっちも気兼ねなく話せるし、悪い気はしないか。
「それが全然。どこも痛まないから不思議なくらいだよ」
首を振ると、髪が頬に触れた。
「よかった」
抑揚のない声。本当にそう思ってる?
けど、そうじゃなきゃそう訊くことすらしないか。
部屋には私たち以外誰もいない。窓の外から柔らかい月の光だけが部屋を照らしていた。
薄暗いままなのは、私に気を遣ってくれてたのかな。
「……えーっと」
指先が頬を掻く。
体調気にしてくれたのは嬉しいけど、聞いておいてそれだけ? 他になんの説明もないの?
微かに響く、空調の稼働音だけが間を埋めてくれていた。
待っても埒があかなさそうだし、私から切り出すか。
「ここってどこなの?」
「なんだろう。私の……家、みたいなところ」
煮え切らないな。真夜でも言い淀むことがあるのか。
少し視線を振れば棚があって、おそらく薬品が入っているのであろう瓶が、所狭しと並べられている。そしてその反対側の壁には、点滴スタンドのようなものもあるから、ここを家というのなら、医者の家系か何かなのだろうか。
「家? 病室だよね? ここ」
「そう。だけどここは医務局の診察室で、居住区画は反対側」
医務局? 居住区画?
え、なに? 家の中が区分けされてるの?
いや、家っていうか病院か。なら居住区画っていうのは入院患者たちがいるところなのかも。でも反対ってなんの?
考えれば考える程謎が深まるばかりで、何から聞くべきかすらわかんないや。
「……言葉じゃ、わからないよね」
「う、うん」
頷いて返したら、真夜はこちらを見つめたまま、また固まってしまった。ほんと、何を考えているのか読み取れないな。
「……」
一言もないまま、ただ時間が過ぎていた。数秒かもしれないしもっと長かったかもしれない。
でもそれが全然苦じゃなくって、思わず息を吐いていた。
綺麗だったんだ。
座っていた、それだけなのに。
月明かりに淡く照らされた紫色の髪も、白く透き通っていてきめ細かな肌も。
静まりかえった朝方の風景すべてが、彼女のためにあるかのようで。
やがてその口が開かれる前に、入口の扉から軽い音が鳴って、夢現だった私を現実に引き戻した。
「真夜、入るぞ?」
真夜と顔を見合わせる。何か言う前に、扉は開かれた。
現れたのは背の高い男の人。一目で鍛えていることがわかる成りだった。
「うお……悪い。もう起きていたのか」
私と目が合って、手が頭の後ろに回った。
えっと……どなた?
「この嬢ちゃんが例のねぇ……」
「おはよう、隊長」
「ああ」
隊長……言われて見れば確かに、服装が軍服っぽい。
でも背中から何か、ぴょこんと飛び出てる。このご時世に柄……だろうか。
「ってかそうじゃなくてよ、真夜。総務から聞いたぞ? お前、寝てないだろ?」
「……」
真夜の両肩がわずかに跳ね上がった。それとなく顔を背けてる。
「休むことも重要な規則だ、いつも言ってるだろ?」
「……休んだ」
「ほぉ? なら訊くが、さっきの今で、どのくらい休んだんだ?」
「い……三時間」
最初のい、絶対一って言おうとしてたよね。
「平時は七時間程度の休息が課されているはずだが?」
いや、サバ読んでおきながら全然足りてないじゃん。
てかなに、私が起きるまでずっと待ってたわけ?
「……程度なら、反してない」
さすがに無理がないか、それ。相変わらず隊長さんの方を見れてないし。
ていうか、そもそも二人はどういう関係?
「はぁ……副統轄のお前がそれじゃあ、下に示しがつかんだろ」
ん? 副統轄?
この人は一体、何の話をしてるんだろう。
「それに明日──いや、もう今日か。第三大隊は総合演習なんだろ? 指揮官の能力不振は隊全体の不振に関わる。わかってるだろ?」
第三大隊に総合演習? 指揮官……それじゃあまるで———
いや、いやいやいやいや。そんなことありえるの?
片田舎の学校に通うただのJKが?
大隊を任される指揮官?
あれ? ていうか、医者の家系じゃなかったの??
もはや真夜に、「休んだ方がいいよ」より、言いたいことが募っていた。
「……」
ふと覗き込んだ顔は、心なしかしゅんとして見える。
「……問題ない」
「お前ならそう言うと思ったよ。上官が言ってもこれだ」
隊長さんが右手を振って投げた匙は、あろうことか私に向かって飛んできた。
「なぁ、嬢ちゃん。病み上がりのとこ悪いが、アンタからも言ってやってくれ」
「え? えーっと……」
それ以上に言ってやりたいことが数えきれない程あるんだけど。
「まずどういう状況なんですかね……今」
「あ? ああ、悪い。そういや自己紹介がまだだったな。俺はここで実働部隊の統轄を任されてる、アランだ」
真夜の頭を大きな掌が覆った。
「一応コイツの上官ってことになってる」
髪の毛がくしゃくしゃとされても、真夜の表情は変わらない。
「……ここって、病院じゃないんですか?」
「あん? なんだ真夜、まだ説明してなかったのかよ」
なんていうか、真夜は普段、こんな横柄な人と絡んでるの?
「……した」
「されてないって」
「うぅー……」
あの真夜が唸ってる。さっきから、学校で見る真夜と全然違うな。
「……飾には、あとでちゃんと話すつもりだったんだけど、要はそういうこと」
「───そういうことって、何?」
こいつまさか、この内容を「そういうこと」で済ませるつもりか。
「ここ、家なんじゃないの?」
「……そう。だけど私達みんなは、『コロネリア』って呼んでる」
それが何?
そう思った私の前髪を、微風がさらった。
「宇宙……スペースコロニーなの」
「は?」
こう言ってはなんだが、私は割と馬鹿ではない……はずだ。
なのに……スペースコロニー? 宇宙?
え? 何、宇宙なの? ここ。
そんなことある?
「まぁなんだ、立場上ここのことも、肩書のことも話せねぇーのはわかるだろ? こんなんでも、悪気はねぇーんだ。そう悪く思わないでやってくれ」
「いえ、別に悪く思うっていうか……」
目のやり場に困って、逸れた視線は真下に落ちた。いまだに信じられない。
私、地元を出たのも一度や二度だよ?
それが、知らぬ間に国外どころか宇宙?
簡単に受け入れられるわけがない。
「って、そもそも口外禁止なんですよね? 私が聞いていい話なんですか? それ」
「平気。飾には私の補佐になってもらうつもり」
「ん?」
思考が止まった。
少しでいい、そろそろ私でもわかる話をしてくれないだろうか。
「飾を私の———」
「わかった、わかったから、ちょっと待って」
両手で物理的に止めないと止まらないのか、この人は。
こっちはさっきからずっと驚かされっぱなしだっていうのに、真夜はずっときょとんとした表情のまま。なんか釈然としないな。
「……飾、魔法適性は?」
「また藪から棒に……わかんないよ、調べたことないし」
「じゃあちゃんと検査しよう。高い適性が出ると思う」
「待って待って、適性とかはわかんないけど、多分それ以前の話だって」
多分だけど、適性はあるのだろう。
小鳥ちゃんの一件で感じた違和感というか悪寒。方向性すら明確に感じ取れた時点で、多分そうなんだ。でもそこじゃない。
「クラス一緒だしわかるでしょ? 私運動とか苦手だし、戦うなんて無理だって」
「戦うだけが、適性じゃない」
きっぱりと、真夜は否定した。
何を言わんとしているのかは、おおよそわかる。けどこれって、そう簡単に決められる話じゃないでしょ。
それなのに、まっすぐ目を見つめられたまま、逸れない視線。
一体何が、真夜をそこまでさせるんだろう。
「……どうして、私なの?」
魔法地域に行けば、私より向いている人なんてそこら中にいるんじゃないの?
「昨日の飾が、格好良かったから」
優しかったんだ。表情以外のすべてが。
同時にうっすらと、嫌な予感が込み上げてきた。
もしかして真夜、私と小鳥ちゃんのやり取りを、知っている……?
「……見てたの?」
もし知られてるなら、恥ずかしすぎて普通に死ねるんだけど。
「調査班が現場の魔力痕跡から、当時のことを映像として復元してくれてる」
は? 終わった。
見られてるし、聞かれてるの? アレ。
それどころか、拡散までされてたんですけど。
「……」
「飾?」
「……地中海に吹く風になりたい」
「おしゃれだね」
「……探さないで下さい」
「どこかに出かける予定なの?」
やばい……顔がめっちゃ熱い。
そんな真顔でこっち見ないでよ……
思わず背中を向けてしまったあと、はっとした。
「……ていうか、もしかしてあれだけのことで、勧誘してるわけ?」
「うん。格好よかったから」
「茶化さないで」
さも、ふざけてないよ? と言いたげな無表情で、首だけをかくっと傾けた。
遅れて揺れる長い髪から、ラベンダーの香りがした。
「飾は誰かのために頑張れる。向いてると思う」
「いや、私は別に……」
ああ。もしかして、真夜もか。
「別に?」
「いや、だから……」
真夜も私のことを、勘違いしている。
私は別に、頑張ったわけじゃない。
「私は、真夜が思っているような人間じゃないんだって……」
「じゃあ、どうして助けたの?」
「どうしてって……」
そんなこと急に聞かれても……
大層な理由はない。小鳥ちゃんが認識を誤ったまま自分を犠牲にしようとしているのが、なんか違う気がしたんだ。それを言うなら多分、
「放っておけなかったんだと思う」
「うん」
なにその、ちょっと嬉しそうな顔。
「いや。でも、私は……」
なんだろう。
なにかこう、引っかかる。
「誰彼構わず、助けたいわけじゃないと思う……」
「……小鳥だから?」
「そう、なんだと思う……」
間違ってない。
「多分」
間違ってはいないんだ。でも、違和感がある。
何か釈然としないことは明確なのに、それが何かが見えてこない。
「多分?」
「……」
真夜の問いに、返す言葉が見つからなかった。
「……ねえ。飾」
呼びかけるっていうより、語りかけるみたいだった。
「動ける?」
「……急に何? まぁ動けるけど」
「じゃあ、技術開発研究部へ行こう」
「どこ? そこ」
意味が解らない私を置き去りにして、真夜は椅子から立ち上がった。
「結論は急がなくていい。調査班の映像、見てみればわかると思う」
振り返る。
長い髪が月明かりを反射して艶めいた。
「———あの時、飾がどうしたかったのか」
向けられた背中はどこか、学校で見るそれと違っていたんだ。
私があの時、したかった本当のこと。
そこにちゃんと理由があるのなら、私は確かに覗いてみたい。
でも、出口に向かって遠ざかる背中へ、喉から声が、出ていかなかった。
「飾……?」
私はきっと、真夜が思っているような人間じゃない。
誰彼構わず助けたいほど、優しい人間なんかじゃない。はずなんだ。
「行かないの?」
差し伸べられた手。真夜はただ待ってる。
今はまだ答えを出せないけど、多分それがはっきりしたときに、わかる気がする。
私が、小鳥ちゃんに、必死になれた理由。
「ごめん、何でもない」
体を預けた両手が、柔らかいベッドに沈み込んだ。病室に両足が着いて、ふと過る。
でももし、私が本当に優しい人間じゃなかったら?
きっと真夜も、がっかりするだろうな……
この、ちょっと特別な関係もそこで———
それでも。
「行こう」
探しに。
ここにいたって、きっと何も変わらない。向き合っておかないと、ダメな気がする。
病室を仕切る扉の向こうに、非日常がある気がした。
真夜の手を取った私の手は、ちょっと冷たかったかもしれない。




