一章三話 困っている人のため
みんな我先にと真夜を取り囲む傍ら、私は近くのベンチに腰をおろす。
辺りを見渡せばそれなりに人がいた。走ったり高く飛んだり、他に組み手をしていたり。そのわりに静かで、物音ばかりが耳に届いた。
「胸、お借りします!」
どうやら無事、順番が決まったみたい。
最初の相手は長い槍を持った男の人。真夜よりずっと背が高く体格もいい。片や、真夜には得物の類はない。
「おぉーやってるねー」
声は私のすぐ後ろからして、ちょっとびっくりしながら振り返った。
「隣、いっ?」
クリーム色の髪の毛を緩く二本にまとめた女の子が、にこっと微笑んでいた。多分年は上。不思議な親しみやすさがあった。
「ど、どうぞ」
「ありがと」
ふわっと甘い、お菓子みたいな香り。
「ねぇねぇ君、真夜ちゃんの友達、なんでしょ?」
なんだこの人、すごくグイグイくる。
「まぁ……そうなんだと思います」
「うんうん、そっかぁ。って、あ。いきなりごめんね、私、シャスティー。所属は第三大隊で、医療班の班長。よろしくねー」
「川上飾です。よろしくお願い───」
「ぐはっ!」
鈍い音。呻き声。振り返ったときにはもう、彼が地面に伸びていた。
つい見逃してしまったけれど、一体何があったのだろう。
「うわー、さっすがだねぇ、真夜ちゃん。ほとんど帰ってこないけど、全然腕落ちてないよ。学校でもそうなの?」
「い、いやー……」
「え? そうなの?」
どんな学校をイメージしてるのか知らないけど、私と真夜が通う学校は至って普通で、急に模擬戦挑まれたりなんてしないから。
「非魔法地域にある、普通科の高校ですから」
「あー、そういえばそうだったね」
「次私、お願いします!」
長槍の男の人が、顎をさすりながら「痛ってぇ」と退場していく傍ら、綺麗な黒髪女子が名乗りを上げた。両手には逆手に握ったナイフ。
「そういえば聞いたよ? ウチの隊に入りたいんだってね、真夜ちゃんの補佐でしょ?」
「い、いえ、まだ入るとまでは……」
「あれ? そうなの? あんなに張り切って準備してる真夜ちゃん、初めてみたのに」
おかしい。私の記憶では、まだ一度も入隊したいなんて言ってないのだが。
「まだ強めに勧誘を受けただけですよ。そもそもなんの目的で、どこに所属している軍なのかも知らされてないですし」
「あひゃー、それはそうなるわけだ」
今まで聞いたことがないタイプの相槌だった。
目の前では真夜が、切りつけられるナイフを涼しい顔のままいなしてる。これまたかつてない。
「ウチはね、ちょっと特殊で、どこかの国とかに所属してるわけじゃないんだ」
「え? それじゃあ、なんのための軍隊なんですか?」
「強いていえば、困っている人のため。かな」
いまいち要領を得ないな。
「飾ちゃんは魔物って、見たことある?」
言葉を続けてくれたのはきっと、私の首が傾いたから。ナイフを避けるわけでもないのに。
「……あると思います」
その定義を、正確には知らないけれど。
でも昨日見た不吉な何か。もしもアレがそうじゃないというのなら、一体何が該当するのかわからないくらいだ。
「ここはね、対魔物を想定して組織された私有軍。格好よく言えば、国境なき軍隊、ってやつなんだ」
「国境なき軍隊……」
なんとなく、明るい気分になれなさそうな話題で俯くと、視界に綺麗な黒髪が映りこんできた。
ぼふんと軽く、砂が舞う。
両手にナイフが握られたまま、ものの見事に投げられたようだ。
また、見逃してしまった。
「次、俺でいいっすか?」
「うん」
背後からかかった声に振り返る真夜は、息の一つも乱れていない。
「少し暗い話になるけど、もし本当に入隊するつもりなら伝えておいた方がいいと思うから、敢えて言うね」
シャスティーさんがこっちを向いた。声に少しだけ重みが増したんだ。
「ここにはね、魔物による災害で故郷や大切な人を失った人が大勢いるの。かくいう私も、そうなんだ」
言葉と一緒に揺れる微笑みが、なんていうか、どこまでも柔らかかったんだ。
私は何を、期待していたんだろうか。
「非魔法地域だとあんまり見かけないと思うけど、世界ではごくごく普通に魔物が生息してるんだよ?」
やっぱりだ。
嫌なことを聞いてしまった。
「すみません……私」
「ん? どうかしたの?」
「……ここにいるのが、場違いな気がして」
今こうして真夜に立ち向かっている彼らにだって、それなりの理由があるのだろう。
それに比べて私は、今もただ迷っている。立ち止まったまま、進めないでいる。
目の前の風景から、何かが少しだけ変わったように見えた。
「別に、気にしなくていいと思うよ?」
クリーム色の髪の毛が、視界の隅を掠めた。
私にはそう、思えそうになかった。
みんな、大切なもののために頑張ってるのだから。
それはきっと、真夜も小鳥ちゃんも。
もし、あの時の私も頑張ったと言えるのなら、私にとっての大切が、あの場にあったのだろう。
失いたくない何かが。
「大丈夫? あんまり思いつめなくていいと思うよ?」
「は、はい。ちょっと気になった事があっただけで……」
……小鳥ちゃんを、失いたくない?
んー。いや、なにかピントがズレてる気がする。
もちろん、なくなっていいものじゃない。だから私は動いたはずなんだ。けれど、それほどまでに強い動機を、小鳥ちゃんに?
なんで? いや多分、そこだからだ。私がずっと感じていた違和感の正体は。
「思いつめるってほどではないので、大丈夫です」
「そーお? ならよかったけど」
私が失いたくなかったもの。
それはきっと、小鳥ちゃんであって小鳥ちゃんじゃないのかもしれない。
さらに言えば、彼女自身の存在よりも、もっとずっと、根本的な何かなんじゃなかろうか。
「───嘘だろ!?」
唐突に耳を刺した声と湧き上がる歓声。思考のすべてが吹き飛ばされた。
つられて上がった視線。陽の光に目を眩ませたのも一瞬、真夜がちょうど翻って、影を落とす姿に見惚れてしまった。
何十秒にも凝縮された二秒が、流れ出す。
大斧をいとも容易く、片手で振りぬいた男の子。真夜はその頭上。驚いたまま見上げる彼も、仰け反って笑ってるシャスティーさんも、いつの間にか集まっていたギャラリーも、私の視界は鮮明に捉えて、焼き付いた。
───その中心を、真夜として。
気が付くと、真夜は彼の背後に着地していて、何も握っていない拳を、彼の首元に突き立てた。
「……参りました」
「おぉー!」
「真夜ちゃん、すごーい!」
観客を沸かせつつ、これで三人目。
普段走っている成果が、これなんだろう。
「紫雲副統轄! 今日こそ一本、頂戴する!」
威勢よく放たれた言葉と一緒に、真夜に向けられているのは刀。
「おっ、お次はレン君だね。がんばれー」
どうにも気にかかる。これまでの全員に、共通していた。
「あの、シャスティーさん」
「ん?」
「さっきからなんで、誰も魔法を使わないんですか?」
真夜の魔法が見たかったのに、いまだ近接戦闘しかしていない。そもそも魔法を使いそうな気配がない。
さっきの演習は、一体なんだったというのか。
「あ、それはねー、ここにいる子はみんな、第三大隊の中でも近接班だから、専門は魔法より武術なんだよ」
「……もしかして、真夜もなんですか?」
だからさっき、難しいって言ったのかな。
「真夜ちゃんは違うよ。むしろ誰よりも魔法使い。けど真夜ちゃんの魔法はあんまり強力過ぎるから、使用許可がないと使えないんだ。基本は武術や体術でどうにかしてるみたい」
基本物理でどうにかできる人間を、魔法使いとは呼ばないのよ。
「それもあって、真夜ちゃんがコロネリアに戻って来た時は、たいていあんな感じで、血の気の多い人たちに絡まれてるんだ。結局みんな、返り討ちにあってるけど」
「物理少女過ぎるでしょ……」
今回の帰省でも御多分にもれず、真夜はその物理少女っぷりをいかんなく発揮しているようだ。
数秒後には、切りかかってきた刀を素手でへし折りレン君を気まずくさせると、残り四人を同時に相手取り、見事完封。
「よしっ。それじゃっ、そろそろ行こっかな」
最後まで見届けたシャスティーさんは、「また忙しくなるねー」っと大きく伸びたあと、医療班としての役割をまっとうすべく、彼らのもとへはせ参じた。
「——また会えるといいね、飾ちゃん」
不意に振り返って、向けられた笑顔。
「ですね」
つい、口元が綻んだ。
一方真夜は、つい数分前となんら変わらない様子で「お待たせ」と告げる有様。ずっときょとんとしているのは、ここでも学校でも、そう変わらないみたいだった。
* * *
午前中は、訓練の熱気に当てられ溶け切った。
技術開発研究部へ向かうのも、もう間もなくだ。
とはいえ、今はお昼時。演習区画の食堂で休憩を挟み、お盆を返却口へ運び終えてから、私たちは研究所がある生産研究区画へと向かった。
研究区画というだけあってすれ違う人達は白衣。なんとなく真夜の後ろに隠れつつ入口をくぐると、そのまま奥の客室に通された。中には既に、人がいた。
「お疲れ様です、副統轄長様」
黒紫色のボブヘアで白衣を身にまとった人と───
「あ、カーティアさん」
「いらっしゃい、今朝ぶりね、二人とも」
ソファーに背中を預けたまま、優雅にティーカップを口へと運んだ。
でも、なんでカーティアさんが?
「本日はお時間をいただきありがとうございます。私は、技術開発研究部所属、研究員統轄のルノール・アシュレインと申します。改めまして、本日はよろしくお願いいたしますね」
挨拶を手短に済ませて、反対側のソファーへ向けた掌。袖から伸びる腕は、白く冷たそうだった。
「か、川上飾です。よろしくお願いします」
真夜と並んで腰を下ろした。
「そんなに肩ひじ張らなくても大丈夫よ、飲み物は紅茶でいいかしら?」
「は、はい」
ローテーブルへ伸びたカーティアさんの手が、置かれてたティーポットを拾い上げた。
「真夜ちゃんは?」
「うん」
「りょーかい、ちょっと待っててね」
手慣れた所作でティーカップに紅茶が注がれると、部屋の中にフルーティーな香りが広がった。どこか安心する香り。
「実はね、ルノールさんから、飾ちゃんと話がしたいから同席してほしいって頼まれてたの」
道理で今朝、真夜がここへ呼ばれていることを知っていたのか。でも差し出された紅茶を前に、引っかかる。なんでその理由で、カーティアさんが呼ばれるのだろう。
「本日お越しいただいたのは、川上さんにご確認いただきたいものがあったためです」
白衣のポケットから取り出されたのは、USBメモリより一回り大きいスティック状の機器。四隅に足が折りたたまれていて、ミニテーブルみたいな形だ。
「これは?」
「映像記録媒体です。昨日現場から回収した魔力痕跡をもとに、当時の出来事を再現した映像がここに入っています。川上さんには、これがどの程度事実と乖離しているのか、ご確認いただきたくお持ちしました」
あ、やばい……今更、すごく嫌なことを思い出してしまった。
「は、はぁ」
「失礼を申し上げていることは重々承知しているつもりです。川上さんにとって、嫌な記憶を思い出してもらうことになりますので……」
嫌な記憶……そうだけど、そうじゃない。
今朝の真夜を見るに、小鳥ちゃんとの会話内容も復元されてるんだよね?
アレを見るの? この場で? 新手の拷問じゃない?
「もちろん無理にお願いするような真似はいたしません。ですが、これだけはお伝えさせてください」
そこに、一拍の間が空いた。
自然が空を満たすように、私は視線ごと吸い寄せられて、合わさる瞳。目元は茶色。ちょっとだけ濃い、アイシャドウだった。
「世間では、魔物に襲われた被害者がある日忽然、姿を消すという事例が数えきれない程起こっています。どんな経緯で何によって害されたのかさえわからず、ただ存在が消えた事実だけが残っている状態です。もしこの映像の整合性が確かめられ多くの実績を残すことができれば、明るみに出ることなく過ぎ去ってしまった事案に、日の光を当てられるようになります。良くも悪くも、帰りを待つ被害者の遺族に、答えを提供することができるようになるんです」
事前に言葉が用意されているようだった。滞りなく粛々と。この熱を帯びない手触りには覚えがあったんだ。
「どうか、ご協力いただけないでしょうか?」
視線を隣へ泳がせる。
こちらを窺っていたんだ、無機質な顔が。
「───辛かったら、断っても大丈夫よ」
口からカップを浮かせて、カーティアさんが言った。




