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「そう、そーうなんですよぅ!飲み薬じゃなくて座薬だったんです!こーんな、イモムシみたいに大ッきいヤツ!お尻から入れるはずのアレを、口から飲んでたんです!」
赤ら顔の南心が勢いよく言うと、同じように顔を赤くした八神七斗の母が、腹を抱えて笑う。アルコールを摂取した影響だろう、酩酊した二人は、既に箸が転がっても笑うような状態になっていた。二人と共に食卓を囲んでいた八神七斗は、その様子を傍目に見て失笑している。
ふと、その時居間のドアが開き、帰宅した彼の父が、顔を覗かせた。
「せーんせい!お勤めごくろうさまです!」
ビシッと敬礼をしながら、南心が怪しい呂律で口にする。父は、戸惑いながらも八神七斗の方に視線を向けて、現在の状況を目で尋ねた。八神七斗が苦笑気味に経緯をかいつまんで説明すると、全てを察した父は、ため息を吐き出す。
「南心ちゃんに、あーんな事やこーんな事まで聞いちゃったんだから。ねー?」
「ええ。そりゃもう、先生が聞いたら恥ずかしさのあまり失神しちゃうような事、たくさん話しちゃいましたもん。ねー」
顔を見合わせて、二人は何故か大笑いする。酔っ払いどもの勢いについていけず、八神七斗はどうしたものかと後頭を掻いていた。
「ホント、南心ちゃんいい子だわー。どう?このままうちの娘にならない?」
「あ、それに関しては父も完全同意です。七斗とくっついてくれれば、『お義父さん』って呼んでもらえるし」
ついには父まで調子に乗り始め、父母そろってそんな事を言い出すと、いよいよ八神七斗は顔をしかめた。
「そのくらいにしとけって。父さんまで悪ノリしたら、どうやってこの場を収めるんだよ。大体……」
南心の方に視線を向けた瞬間、八神七斗は言葉を切る。それまで紅潮した顔で機嫌よくアルコールを飲んでいたはずの南心が、唐突に目を見開いて、放心したように宙を見ていたのだ。
「……南心さん?」
「え!?あ、うん、何かな?」
名前を呼ばれると、我に返った彼女は、動揺を誤魔化すようにグラスへと手を伸ばす。しかし、その左手はグラスを掴み損ねて、中身をテーブルの上にぶちまけてしまった。
「わっ、とっ、ごめんなさい!」
「あらあら、大変。布巾取ってくるわ」
母が席を立ち、台所へと向かう。その間、南心は何度も頭を下げていた。
「すみません。調子に乗って、酔ったみたいです。これ以上迷惑をおかけする訳にもいきませんし、時間も時間だから、そろそろ失礼します」
「別に、うちは気にしないけど……まあ、女の子を長く引き留めるのもよくないね。じゃあ、本部の方に、車を回してくれるように連絡しとくよ」
父親は携帯電話を片手に、部屋を後にする。残された南心が、いつになく気の抜けた顔をしているのを見て、八神七斗は彼女らしからぬ表情に、内心で首を傾げていた。
その後、八神七斗は玄関先まで南心の事を見送る。アルコールで火照った頬を外気にさらすと、彼女はため息を吐いた後で苦笑した。
「やっちまった……アルコールの失敗っていうのは、恥ずかしいし迷惑だし、いい事ないよ。本当、申し訳ない。挙げ句には、見送るはずだった相手に見送られてるんだから、立つ瀬がないね」
「いえ、別に気にするほどじゃ……あの、何があったのか、聞いたら迷惑ですか?南心さん、突然調子が悪くなったみたいだったから」
そう尋ねると、南心は再び、遠い場所を眺めるような目をする。そのまま閉口する彼女を見て、八神七斗は自らが、踏み込んではいけない領域を侵してしまったのではないかと、慌てて弁明の言葉を探す。数秒間、何かに迷うように黙り込んだ後で、彼女は意を決したように口を開いた。
「私さ、親がいないんだよね」
困ったような、どうしようもなさそうな苦笑が、浮かべられていた。思いもよらない告白に、八神七斗は絶句する。彼が言葉を失っているのを横目で見ながら、南心は続けた。
「交通事故でね。お父さん、お母さんと私で家族旅行に行った帰り、乗ってた車にトラックが突っ込んだんだ。後部座席に乗っていた私だけが、運よく助かった」
初めて聞くような、沈んだ声だった。彼女はどういうわけか左の手首を擦る仕草をしながら、その掌を眺めていた。
「それ以来、ずっと施設暮らしだからさ。だから……七斗くんの家みたいに、お母さんがご飯を作って待っていて、お父さんが仕事から帰ってきて……そういうの見てたら、気持ちの整理がつけられなくなっちゃって。極めつけが、うちの娘にしたい、だもん。もう、すっごいパニックだったよ」
普段は明るく溌剌とした印象が強いだけに、消沈した南心の表情は、妙に痛々しかった。初めて見る彼女の弱い部分に、八神七斗はかけるべき言葉を必死に探す。だが、何を言うべきか迷っている間に、家の前に一台の軽自動車が停まった。
「さて、迎えも来たし、私は行くね。ありがとう、楽しかったよ」
そう言って彼女はヒラヒラと手を振ると、助手席のドアを開く。
「あの!」
乗り込む瞬間、八神七斗は彼女の事を呼び止めた。何事かと南心が振り返る中、彼は逡巡した後で口にする。
「……また、ご飯食べに来てください。いつでも、待ってますから」
思いがけない言葉をかけられて、南心は驚いたように目を見開き、真摯な表情をした少年へと視線を向けた。それから、八神七斗がどんな心情で言葉を絞り出したかを察すると、彼女は柔らかく微笑む。
「うん。ありがとう」
車に乗り込み、ドアを閉める。そのまま、彼女を乗せた軽自動車は走り出した。ふと、南心がミラーに目をやると、車が曲がり角を曲がって見えなくなるまで、こちらを見送る八神七斗の姿が見えた。
「なあ、モロボシちゃん。女の子に向こぉて、こがぁな事言うのも憚られるが……」
ふと、運転席から声をかけられる。見れば、ハンドルを握る鮫島が、チラチラと彼女の様子を横目で窺っていた。
「……吐くなよ?」
「私の都合で呼び出しておいて、車を汚したりはしないよ。ごめんね、迷惑かけて」
「気にすんな。元々この辺りで野暮用があったけぇ」
答えながら、鮫島はハンドルを切る。巨大な図体が狭い運転席へギュウギュウに押し込まれ、チマチマと最小限の動きで車を操作している様は、見ていて何となく可笑しかった。南心がニヤニヤとしているのを見ると、鮫島はその意図を問うように眉を上げる。
「いや、似合わないなぁ、って思って。サメさん、もっとゴツくて大きい車に乗ればいいのに。狭いでしょ?」
「そう思うなら、後部座席に座りゃぁええのに。なんぼか広いじゃろ」
いくらか皮肉と反論の意を込めていたのだろう、鮫島は口を尖らせる。しかしその瞬間、彼の思惑とは別のところで、南心は僅かに表情を曇らせた。
「苦手なんだよ、後ろの席って」
「……?ふーん、そうか」
その反応を見て、そういえば鮫島には事故の事を話していなかったと、今更ながらに気付く。にも関わらず、付き合いの短い八神七斗には自身のトラウマを打ち明けた事を、南心は妙な心境で思い返していた。
「それよりさ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?この間、局長に呼び出されたのって何なの?」
とりあえず、話題を変える。すると、鮫島はどうしたものかと眉をひそめた。しばらく迷うように唸っていたが、彼はやがて観念して口を開く。
「敵わんのぅ。モロボシちゃんじゃから話すが、内密に頼むわ。実はな、戦力増強の名目で、日本支局に何人か、海外支局の隊員が赴任するらしいんじゃ。それで、その内の一人が新しい部隊の隊長になるらしいんじゃが、そこの副隊長に、わしが候補として選ばれた」
「え?本当!?すごい!出世じゃん!お祝いしなきゃ!どこかでお酒でも飲んでく?」
「気が早いわ。来年の話じゃけぇ」
はしゃぐ南心を他所に、鮫島は苦笑いを返す。
「いやー、ついにサメさんも昇進かぁ……あ、でも日本語分かるのかな、新しい隊長さん」
「問題はそこじゃなぁ。わしもロシア語なんて分からんし」
困ったように眉をひそめ、鮫島が後頭を掻く。その様子を見ると、南心は彼の肩を叩いた。
「まあ、サメさんなら誰とでも仲良くやれるよ」
「モロボシちゃんにお墨付き貰えりゃあ、安心じゃ。……まあ、その……わしとのコンビが解消になっても、モロボシちゃんも元気にな」
途端に、妙に辛気くさい事を言い出すものだから、南心は思わず吹き出した。
「はは、何ソレ?今生の別れってわけじゃないのに。大体、来年の話なんでしょ?」
「そがな事言ぅてものぅ……」
柄にもなく肩を落としている鮫島を見て、南心は尚も笑い続ける。その笑顔に紛れて、「私なら大丈夫だから」と、彼女は小さく呟いた。
「うん、やっぱりこれからどこかでお祝いしに行こう。車なら代行頼めばいいしさ」
鮫島が何かを聞き返すより先に、南心は彼の肩をバシバシと叩く。その勢いに負けて、鮫島は「仕方ないなぁ」と苦笑した。
「よし、決まり!朝まで飲み明かすぜ!」
「ちょ、さすがにそれは勘弁。歳の事考えてくれんと」
慌てて首を振る鮫島を見て、南心は笑う。そんな、どこか馬鹿馬鹿しいやり取りを、彼らはいつまでも続けていた。




