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「……では、以上で集会を終わります。みなさん、お疲れ様でした」
教壇に立った、眼鏡の男子生徒の一言で、教室に集められた文化祭実行委員たちは各々席を立ち、労いの言葉をかけ合う。七月の半ば、文化祭を一週間前に終わらせた彼らは、収支に関する資料をまとめ上げ、ようやく業務を終えたところだったのである。そしてその面々の中には、八神七斗の姿が紛れ込んでいた。
「八神くん、お疲れ様」
話しかけてきたのは、この実行委員会の会長だった。教壇で締めの言葉を吐いた彼は、真っ直ぐに八神七斗の元に歩み寄ってくると、彼を労った。
「助かったよ。元々、人手が足りていなかったから」
「部活を辞めたら、他にやる事なくなっちゃって。モチベーションというか、やる気を持っていく場所に、ちょうどよかったんです。……それに、うちのクラスだけ実行委員が不在っていうのも、どうかと思って」
一瞬だけその表情に陰を落とした八神七斗を見て、会長はかけるべき言葉を探すように、視線を泳がせる。
「二人の事は残念……いや、違うか。ここは哀れむような場面じゃないな。二人に代わって、君に礼を言わせてくれ。きっと二人も、文化祭の成功を喜んでくれていると思うから」
憐憫の言葉を吐きかけた会長は、微笑みながら言葉を訂正する。それに、八神七斗が笑顔で応じるのを見ると、彼は「さて」と切り替えるように口に出し、座席の一つへと腰を下ろした。
「会長、まだ仕事が残ってるんですか?」
「まあね。この文化祭で出た収入、生活用品に変えて、近くの児童養護施設のいくつかに寄贈するって決めただろ?その手続きをね。なんせ、量が量だから」
困ったように、苦笑を浮かべる。すると、八神七斗はすかさず近くの席から椅子を引っ張ってきて、その向かい側へと腰を下ろす。
「手伝いますよ」
「いや、さすがにそれは……」
仮にも実行委員ですらない八神七斗に、そこまで付き合わせるわけにはいかないと思ったのだろう、会長は言葉を濁す。だが、ふと何かに気付いた表情で、彼は眼鏡のブリッジを上げた。
「そういえば君は、この件に関してやけに精力的だったね。この案を推していたように見えたけど……何か理由でもあるのかい?」
「……ええ、まあ、少し」
その理由に関しては、やはり諸星南心という存在が、多くの割合を占めていた。無論、そういう類いの施設がある事は知識として知っていたが、それでも彼は南心という人間に会い、その生い立ちを明かされるまで、何かしらの実感を抱く事は出来なかったのである。その旨を、ICSAや吸血鬼といった情報は隠したままで明かすと、会長は納得したように頷いた。
「なるほど。確かにそれは、一つの真理だと思うよ。何かしらのメディアを通して見ただけでは、気付かない、抱けない感情ってものは、やっぱりあると思う。百聞は一見に如かず、だ」
「はい。そういう子供がいるって実感が沸いたら、居てもたってもいられなくなって」
八神七斗が頷くと、それを見た会長は手を止めて、腕を組みながら何やら考え込む素振りを見せた。
「その人、この辺りの生まれなのかい?もしそうなら、寄贈先の施設のどれかが、出身って事もあるかもしれない」
「どうですかね。大分、この辺りの地理には明るいみたいですけど……」
幾分都合のいい妄想かもしれないが、もしそうであればと、思わずにはいられなかった。今の心境に至った要因、その大元である南心を知る機会があるのなら、是非ともそうしたいというのが、彼の心情ではあった。
「来月の頭には、寄贈をしに行く予定なんだけど……よかったら、手伝ってくれないかな」
どこか意味を含んだような表情での提案だった。言われずとも意図は分かったが、八神七斗はすぐに頷く事が出来ず、首を捻る。しかし、「人手が足りてないんだよなぁ」というだめ押しを受けて、渋々と彼は、首を縦に振った。
「ありがとう、助かるよ。別の誰かに頼んでもいいんだけど、やっぱり気が引けるしさ」
苦笑混じりで口にされた言葉に、八神七斗は意味を掴みかねて、疑問符を浮かべる。すると、「進路関係でね」と、彼は補足した。
「まだ、7月なのに、ですか?」
「AO入試は8月だよ。センター試験の出願だって、2ヶ月しかない。この時期になれば、大抵の3年生は余裕を無くしてる。……嫌な話だよね。今しか……この歳でしか出来ない事とか、やりたい事とか、皆たくさん持ってるはずなのにさ……悩んでいられる時間って、短いんだよ。高校受験だって、まだ2年前なのにさ。少しくらい、ゆっくりさせてくれてもいいのにね?」
痛々しさを含んだ、自嘲的な笑みが浮かべられていた。何に思いを馳せているのか、感傷的な表情を隠そうともしないまま、会長はどこか遠くを眺めている。対する八神七斗は同情的な言葉を返そうと試みるが、進路という話題が未だどこか自分から遠いもののように思えてしまい、現実味の無さから結局閉口したままだった。
「1年生だって、入学早々に面談があったろ?」
「ええ、まあ」
「何て答えた?」
「……とりあえず、進学する事だけ」
わずかな沈黙の後で、八神七斗は弱々しく答える。自らの返答に微かな気まずさを感じてしまい、それを誤魔化そうと、彼は「会長は?」と尋ね返した。
「医学部を目指してる。親が、小さな医院をやっててさ。いずれ、そこを継ぎたいと思ってるんだ。公文医院って知ってる?」
「ああ、はい。駅の近くの……そっか、そうだったんですね。会長と苗字が同じだな、って思ってはいましたけど」
少し照れ臭そうな表情で会長が打ち明けると、八神七斗は納得した様子で応じる。それと共に、同じく医者を親に持つ者として親近感を抱くと、八神七斗もその旨を明かした。
「へぇ、八神くんのところも?偶然だね」
「はい。でも、正直なところ、親と同じ職業になりたいとか、そういう事を考えてる訳ではないんですよね……」
八神七斗が、困ったような顔で苦笑する。窓の外へ視線をやると、そのままぼんやりと、どこか遠い場所を眺めた。
「やりたい事とか、なりたいモノとか、そういうのがまだ、見つからないんです。それこそ高校受験だって、いざ目標が決まった時困らないように、それなりに偏差値が高いところを受けたってだけで……甘え、ですよね。何となく日常を送っているだけ、っていうのは」
八神七斗は、机の下で密かに拳を握っていた。美原や村山の一件が大きかったのだろう、今の彼は、何となく平々凡々に日常を送る自分が、受け入れられずにいたのだ。
「平和ボケの一種なのかな。今の生活が満たされているから、自分の欲しいモノが分からないっていうのは。サルトルを知ってるかい?」
唐突な質問に、八神七斗は思考を巡らせ、それこそ高校受験の頃の参考書の知識を引っ張り出し、「哲学者でしたっけ?」と聞き返す。会長は頷きながら、「小説家や劇作家の一面もあるけどね」と補足した。
「彼の言葉で、こんなのがある。『人は自由という刑に処されている』」
「……ええっと……」
それこそ哲学的な命題をうまく飲み込めず、八神七斗は言葉を濁す。その反応に会長は少しばかり意地の悪そうな笑みを返していた。
「『何をやってもいい』、って事は、『何をするか自分で決めなければならない』って事なんだよ。自由ってのは、そういう事さ。結局最後に自分の人生の責任を負うのは、自分なんだ」
論じている内容にしては、茶化すような、少しわざとらしい口調だった。だが、その表情は真剣で、彼が本心からの言葉を紡いでいる事が感じ取れる。
「悩める内に悩んでおけ、って事だよ。高校生の今なら、それが許される。色んなものや人から、たくさん学べばいい。教えを乞えばいい。人一人の人生が、進むべき道が、自分一人の狭い見識で図れるわけないんだから。……って訳で」
ふと、その口がニヤリと歪む。
「まずは見識を広める為に、施設訪問の件、よろしく頼むよ」
「……そこで繋げてくるんですね……」
企み顔の会長に、苦笑を返す。それから彼らは、閉校時間のギリギリになるまで、寄贈に関する手続きを進める事になったのだった。




