彼女の選ぶ道2
メリッサの目が覚めた時に、真っ先に視界に飛び込んできたのは人とは思えないほどの絶対の美丈夫――ではなく、顔一つで自分の身長2つ分はある神獣様でした。
思わず夢かと思って再び意識が沈みそうになってところをオルムが気付き、ノットを蹴り飛ばしてメリッサから距離を取らせたことで無事、現実と理解して身を起こした。
こんな刺激的な起こし方は初めてだ。
「メリッサ、おはよう、だったか?よく眠れたか」
「お、おはようございますオルム様。お陰様でよく眠れまし…た」
目は覚めたものの頭はまだ若干働かない状態で、メリッサは「そういえば、魔獣と思われたノック様に拉致(連れ)られて、半神半人のオルム様の元に来た。それから…どうした?
なぜ自分は至極上等な寝台で寝ていて、神たるオルム様が起きていて、あまつさえその背後にはほかほかと湯気を立てている食事が置いてあるのだろうか。
「…オルム様、今更ですが直答をお許しいただけますか」
「俺はそういうのは全然気にしないから、好きに話せ」
「ありがとうございます。では、私はもしかして、オルム様の寝床を借りていたのでしょうか?」
「男の寝台を使わせるのはよくないと思ったんだが、生憎それしかなくってな。当面はそれで我慢してくれ」
「いえ、あの、神たるオルム様の寝台を奪うなど許されません。私は床でも構いませんから」
「俺は女子供を床で寝かせて自分が寝台で寝るような性格はしていない」
きっぱりとオルムはそう言い切ると、「今後もお前が気にしないならそのまま使うと良い」と告げた。そもそも、神である自分は人の肉体を持ってはいるが寝も食べもせずとも生命の維持には支障がないと説明したので、メリッサは少しばかり罪悪感を減らすことができた。
「まぁ、来たばかりで色々聞きたいこともあるだろうがまずは何か胃に入れてからにしよう。あんなところに居たんだ。碌に食べてないだろう」
オルムはそういってメリッサを自分の背後のダイニングテーブルまで抱き上げて運んだ。
これについてメリッサは固辞したのだが、オルムは聞く耳を持たなかった。
「出来立てだからな。温かいうちに食べたほうがいい」
オルムはメリッサの前にあるグラスに水を注ぎながら、メリッサの前に並べられている料理を説明した。パンとサラダ、ふわふわのオムレツ、黄金色のスープにデザートとしてザクロまであった。どれも見た目からして美味しそうで、しかも香りもまた食欲をそそる。
神殿で暮らしていた以上、神子とはいえ清貧極まる食生活を過ごしていたメリッサにはある意味定番料理ではあるのだが、ここまで美味しそうなものはなかった。
「あの、これはどこから…」
「作った」
「え?」
「俺が作った。別にちまちま焼いたりしているわけでなく、作り出した。料理なんてちまちましたことは苦手なんだよ」
昔、俺の母親が食べて問題なかったから大丈夫だろ。
オルムはそういうと、メリッサにフォークを差し出した。
メリッサはそれを恐る恐る受け取ると、メリッサの分一膳しかないその朝食を眺めた。
「あの、オルム様は食べられないのですか?」
「さっきも言ったろ。俺は神だから必要ない。嗜好品として食べるくらいだ」
オルムに気にせず食べるよう勧められ、メリッサはそっとスープを飲んだ。
やっぱり美味しかった。
オルムはメリッサが黙々と食べる姿を機嫌よく眺めていた。
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腹が満たされて少し落ち着いたものの、若干の混乱が治まらないメリッサである。
メリッサは神獣とは頭では理解していたものの、ノックの見た目は「いかにも」と言わんばかりの魔獣の姿に違和感を覚えていた。それについてはオルムから変質する以前にそもそもそういう”形”として創られた神獣であると教えてもらった。確かにノックは、その神力の性質とその主を見て魔獣になる気配もなく、見た目を除けば一般的な神獣であるとわかった。これで当初の目的は達成された。別に魔獣が出没されているかもしれないが、その程度であれば一般の神殿騎士や冒険者で事足りるので問題ないだろう。会ったところで知ったことではないが。
問題は、供物としてノックによってお持ち帰りされたメリッサの現状である。
人の世に住まう神である破壊と呪術、絶望を司る神であるオルム神とお目通りが適った。これもよい。建前ともいえる理由であったが、神獣の主である神との対話は望まれたところだ。一応、問題ない。肩書きからするとたぶん別の問題が起こりそうだが、それもまぁ今はいい。狂神ではなかったのはむしろ喜ばしいことだろう。
問題というか疑問なのは、供物として召し上げられた自分が、神の寝床でぐっすり眠って、しかも仕える神は違えども神に朝食を用意してもらったというのはどういうことなのか。我がことながらさっぱりである。
ちなみに今は食後のお茶をしているところで、なぜか相変わらず目の前のオルム神はご機嫌である。
「食事は口に合ったか?」
「はい、とても美味しかったです」
「そう、それならよかった」
オルムはそういうと、目の前で軽く手を払うような仕草をしてからになった食器の類を消した。いったいどこの系統によるものなのかとメリッサは考えたがわからず、神の御業ということで納得させた。
その機嫌の良さに首をかしげていると、ノックが「久しぶりに人の子と話ができて我が神は喜んでいるのだ」と説明を受けた。司る力とは裏腹に極めて人を好む神だという。ほかの神々とは異なり、肉体を持っているため人と話ができるということも影響しているのだろうとメリッサは理解した。
「それで、メリッサ。俺に聞きたいことがあるようだが」
オルムはメリッサがいくらか落ち着いた頃合を見計らってそう切り出した。
メリッサも姿勢を正してオルムを見た。
「オルム様。私をここまで連れてきた経緯はわかりました。ですが、私をここに置いてもらえる理由は何でしょうか」
「メリッサが私の家族だった者たちの大切な子だから、ではだめか」
「オルム様にとって価値がなければ意味がないのではないかと思ったのです。私は、神力の強さと加護を除けばさして価値のある人間ではありません」
メリッサはそういいながら目を伏せた。
神は美しいものを好むことは知っているメリッサではあるが、それは肉体を持たない神の目線から見れば魂の美しさだと考えていた。そうである以上、メリッサの傷だらけで淀んだ魂は全く持って美しくなどないだろう。メリッサの想像上では神はその心根を愛する上位存在だとばかり思っていた。
「メリッサ、俺は人というだけで基本的には慈しむ生き物だと思っている。そしてメリッサ自身、その心は傷ついているし痛んでもいるが、その魂も心も美しいと俺は思う。
一応付加価値として兄姉たちが大切にしていることはわかっているが、粗雑な対応をする気はない。いろいろ言ったが、お前を放り出す気なんて元々ないけどな」
だから、神々については関係ない。ただの自分の意思だ。
オルムはそういって困ったように微笑んだ。
「そこにいるだけでいいんだ。メリッサ、お前がここに居たいと望む限りは、俺はここにいてもらいたいと思う程度にお前のことを気に入っている」
メリッサは正面から混じりけのない「好意」を向けられて、どこか落ち着かない心地になった。ララからはよく可愛いとは言われたけれども、なんだか少し違うような気がする。嬉しいのだろう。でもなんだろうか、なんと表現すればいいのかわからない。
「たが」
そんなメリッサを微笑ましげに見つめるもオルムは続けた。
「お前は人の子だ。俺たち神とは違って寿命がある。しかもメリッサ、お前はまだ子供と言える年齢だが、これから先、ここを出ていく必要もあるだろう。この先、お前は何かしたいことがあるのか。あれば、俺のできる範囲で助けることはできる」
「そんな、オルム様の手を煩わせるなんて」
「俺はお前が気に入っている。それだけだ。気に入っている奴を贔屓するなんて普通にあることだろう。あいつらみたいに力を押し付けるなんてことをするつもりはないから、まぁ、お前が望むのならするというだけだ」
オルムはくしゃりと戸惑うメリッサの髪を乱した。
この神は本当に自分の髪を触るのが好きだとメリッサは関係のない感想を持ちながらも、オルムの発言を受けて自分の今後について考えた。
考えようにもメリッサ自身、この先があるとは思っていなかったのだ。急に言われても望むことなど
先ほどまでの柔らかな感情が瞬時にぐちゃりと塗りつぶされたような気がした。
望んでいいことなど
ここから出て私がしたいことなんて
ノックはメリッサからにじみ出た「それ」に、ひっそりと笑んだ。
オルムはそれを睨みつけるも、メリッサの視線は何もない机の上を漂っていて気づかない。
メリッサは自分を振り返れば昏い暗い感情がぞわりと足元から這い上がり、メリッサの心に影を落とした。
そうだ。
私はとても恨んでいた。憎かった。悔しかった。そんな感情に埋もれたくなくって、かすかな明るさに縋ったけれど、結局私があの時最後に残った感情は感謝でも友情でも親愛でも寂しさでもなく、
ただの憎悪だった。
「メリッサ」
飲み込まれそうなその感情にメリッサが投げ込まれる直前に、オルムの手がメリッサの目を覆った。人の冷たい手だ。それに気づくと、メリッサの心を覆うようにしていた”それ”は影を潜めるように表面から身を隠した。
「メリッサ」
オルムはもう一度メリッサを呼んだ。
強い声だった。引き戻すように留めるように懇願さえ混じった声だった。
しかし、もうメリッサは自覚してしまっていた。
10年以上背け続けたその感情を、あの硬くて冷たい石の上で縛られ捨てられた時に、目の前を赤く燃えるような怒りを、すべてを飲み込むような黒い感情を認知してしまったのだ。
「ごめんなさい」
目が燃えるように熱かった。それは熱を持ってオルムの手を濡らした。
「ごめんなさい、オルム様」
私はこの憎しみを捨てられない。この衝動から逃げられない。
この感情を捨てることも逃げることも考えられない。したくない。きっと出来ない。
「私は復讐したい…ッ!」
私を呪う存在に
私を虐げたすべてに
決して許さない。
どうして許せようか。
「メリッサ・アストレア」という存在を隠し殺し続けた10年間に相応しい罰を
人として愛されなかった私に優しくなどしてもらえると思うな
私を害してきたものに復讐を 報復を
…涙を流すことさえできなかった私を救うにはそれしかできないのだから
オルムの手の隙間から零れるそれが黒く濁ったような気がして、オルムは唇を噛んだ。




