彼女の選ぶ道1
オルムは泣き疲れてノックに寄りかかるように眠るメリッサを抱きかかえ、居住空間の奥に置かれたベッドの上に寝かせた。
オルムは泣き腫らして赤くなった目元にそっと指を滑らせれば、赤くなった肌は元の白さに戻った。久しぶりに人のために使った力が正常に働いたことに安堵した。
初めて見た時から人にしては随分と飛び抜けた美貌だと思ったが、改めて見れば神々の寵愛から年々その輝きが増しているのだろうことはわかった。それを抜きにしても素材が素晴らしく良いのだから、やっぱり美しい少女なのだとオルムは思った。神は美しいものが好きだ。オルムとて例外ではない。しかし、メリッサの容貌がいかに美しいといえどもその魂と心は酷く傷んでいた。美しいならばすべて美しくある方が見ていて楽しいし嬉しいものだ。
ままならないものだと思うも、これだけの神の寵愛を受け力もあり賢い美しい少女が通りすがりの者に助けを呼ぶことさえ敵わないようなトフェトの森に捨てられているというのはどうにも理解しがたかった。いや、推察はできた。正しく彼女の置かれた状況は自分と似ているのだろう。今の人の世は別段大きな戦争が起きているわけでも大地に実りがもたらされないというわけでもない。オルムからすれば何の問題もないのにわざわざ辺鄙な森にある祭壇まで来て、勝手に来て勝手に逃げ出すことができ無いように罪のない子を拘束し、助けを期待することもできないような場所に捨てていくなど考えられることではなかった。しかもメリッサについては父たるリーベス神をはじめとした兄姉たち神々の愛し仔である。神々から寵愛を受ける者を虐げる、しかも命を奪おうとするなど神の怒りを買うにきまっているだろうに。あのゼネ砂漠が生まれた最もたるものだ。神話の時代から生きているオルムからすれば先日のことのようだが、人から見ても500年前の記録はまだ残っているだろう。聖女を殺害したかの神殿の神官は責めを一人負わされて今もまだゼネ砂漠を彷徨っているという。それほどのことだというのに、どうやら人は学習しない生き物らしい。
「今回もあの時と同じようにユニの手のものなのだろうな」
オルムはメリッサの頭を撫でながらつぶやいた。
指通りの良い金の髪は触れていて気持ちがいいが、触れてみれば手入れがされていないことがわかる。磨けば磨くだけ輝くような少女なのに、もったいないと思う。
美の女神たるユニが嫉妬でもしたのかと思うも、それがこの程度で済むわけないと自分の考えを否定した。あの女の性根の悪さはそんなものではない。父もどうしてあんな女を作ったのかと理解に苦しむ。
自分に負の力を押し付け呪いをかけ家から追い出すだけでは飽き足らず、父が目をかけた人間を嬲り殺すような女である。母のこともあってか滅多に特定の人間を贔屓することのなくなった父が珍しく目をかけた人間を、あの女は自分で直接手を下すことができないため、己の信者を使って殺めたのだ。さすがに二度目とも言えるその所業に対して父の怒りは酷く、彼女を殺した神官の仕えていたユニ神殿の土地一帯の土地を殺し、砂漠と化してしまった。またその人間が亡くなった土地を管轄していた兄のシフなどは二度とその地に己の権限である雨を降らせないと宣言したのだから、確実のその土地は死の土地というにふさわしい場所となった。
絶対神の父の意思をくみ取ることもなく、自分の感情を優先し、他者の大切なものを躊躇なく手に掛ける女なのだ。オルムはたまに思う。父の負の側面であの女を作ったのではないかと。そんなわけはないのだろうが、あの女の所業は仮に肯定されても納得できるものだ。
メリッサと言えば、今までに例がないほど神々の寵愛を受けている少女である。生まれた時点でユニの呪いがかかっていてもおかしくはないが、オルムがメリッサに触れた感じではそういうものはなさそうだ。恐らく、父たるリーベスに神力を取り上げられたこともあってか、自力でことを成すことができず、その代わりに周囲のいずれかにユニの代行者がいるのだろう。いかに神々の寵愛を受け、彼らの力を借り受けられる存在だとしてもまだ幼い少女では人の世で出来ることは限られている。あの女の間の手からよく12年逃れつづけたと褒めていいぐらいだ。
「我が神よ、愛し仔をどうするつもりで?」
ノックは部屋の隅からメリッサを起こさない程度の声量でオルムに問いかけた。
既に今日の仕事は終わったと言わんばかりのリラックスした体勢で伏せているノックに、オルムは顔を向けることなく答えた。
「メリッサ次第だろう。この娘が望まないことを進めるつもりはない」
私と同じ目に合わせたくはないし、利用するつもりもない。
それはメリッサがここにきてすぐに言葉にしたことだ。オルムは自分の言葉を違わない。呪術の権限を持つオルムはその口から吐く言葉に神力が乗りやすい。オルムの意思に反して呪いが成立してしまう可能性を考慮すれば、必然的に口数は少なくなる。
そんなオルムであるが、メリッサを、その姿と魂を見て決めたのだ。
「しかし我が神よ。この愛し仔が望めば我が神の望みが叶うのでは」
「この娘が俺の代わりに動いたところで、俺の望みが必ず達成されるとは限らない。それよりも先に、メリッサが危険にさらされる可能性の方がよほど高い。相手が悪すぎる」
「だが我が神と敵対する者は同じだ」
ノックは黒の瞳でオルムを見つめた。
オルムは唇を少し噛んで、首を振った。
「俺は、二度も失うなんて嫌だ」
「しかし、我が神、決めるのは愛し仔だ。あの様子だと、愛し仔も我が神の助力になることを厭わないだろう」
重ねるようにノックは続ける。
ノックの神はオルムただ一人だ。オルムの為だけにリーベス神の手によって創られた神獣である。以前のオルムの姿に相応しい姿の神獣を与えたがったリーベス神であるが、美しいものを好む神の性質上、ユニに取り上げられる、もしくは悪しき呪いを与えられる可能性があった。そうなるぐらいなら初めから興味の示さないような醜い姿で贈られることになった。
リーベスが神獣を作った目的はオルムを守る、その一点である。そのような存在理由を持つノックは己の神の願いを叶えたいと本能として動く生き物と言ってよい。常日頃であれば、オルムも洞窟から外に出ない自分の代わりに手足として使い、割と自由にさせている。だが、この件についてはノックの本能のままに動いてもらうわけにはいかない。
「ノック、俺は俺のためにすることで人の子を巻き込みたくない」
「我が神が言うのであれば。だが、これからのことを決めるのは愛し仔だ。我が神の意思とは別に、愛し仔がどのような道を選ぶのか、我は知らぬ」
まるで答えなど決まっていると言わんばかりの態度でノックはそういったきり、ふて寝のような体勢で横にごろりと寝ころんだ。
オルムはそれを何とも言えない顔で眺めて、規則正しい寝息を立てる少女の頭を再び撫でた。




