追放者オルム
追放者オルムはリーベス神とティスの末の子と言われている。
司る力は破壊と呪術であった。
オルムはリーベスの子の中でも最も力が強く、また美しい容姿をしていたとされる。
乳白のような白い肌に母のティスに似た湖面に輝く真っ青な髪、そして父のリーベスと同じ金の瞳で、半神半人であるオルムは肉の体を持っていたためその体は程よく引き締まった筋肉質な均整のとれた美しい体であった。常に柔和な微笑を絶やさず、気性の激しい兄姉たちを窘め、両親を敬い、人の子を愛した。
その神力の強さからか彼が大地を踏めば草木の命が芽吹き、彼が歌えば大気は清められ、彼が触れればあらゆる怪我や病が治った。当時のオルムの神力は極めて透明で色を持っていなかった。そのためか、オルムの兄姉たちの権能である力も難なく使いこなしていた。
年若く半分は人の体のためか神の力に振り回されることもあったが、次代の主たる神はオルムだろうと父と母、そして兄姉たちは思っていた。この弟ならば次代の主神として支えようと、リーベスが宣言したわけではなかったが漠然とそう思っていたし、祝福するつもりだった。
リーベスの第一の妻であるユニを除いて。
自分が産んだ子供たちではなく、自分の夫を奪った(事実としてはリーベスによって浚われた被害者なのだが)憎らしいティスの子がそのような地位に就くことなどユニは決して認めなかった。ユニはリーベスに怒り狂わんばかりに、オルムが次代の主神になることは認めないと宣言した。さらにはオルムがまだ若くリーベスから力の譲渡が行われていないことをよいことに、ユニは勝手にオルムの司る力の権限を定めた。
それが「破壊」と「呪術」である。
破壊はまだしも、呪術は現在の人が日常的に使うような魔術とは違い、人を呪うものだ。
その力ともなれば人の世からオルムの力として戻ってきた「力」は穢れの塊のようなもので、人の体で言えばわざわざ毒をあおるようなものであった。
リーベスから力の譲渡がされていない時であれば、まだリーベスの庇護のもとにいる為あらゆる災難から守られていたが、権限が与えられた以上はその限りではない。一人の神として与えられた権限を使用して生きていかなければならない。
当然、リーベスはユニを怒ったがその身に罰を与えようとする前にユニの手管によって曖昧になってしまった。オルムの母であるティスは突然の己の子の不遇に嘆き、その瞳から涙がこぼれない日はなかった。我が子であるオルムが刻々と人の世から返される怨嗟に満ちた力を自身の体に溶かせる度に弱まる姿に悲嘆するしかなかった。ティスの実子である兄や姉たちも何とかしようとは思ったのだが、彼らに与えられた権限はユニ神の子と比べれば限定されたものであり、神力も彼らの異母兄姉である神々よりも低く、苦しむ弟の助けになるようなことはできなかった。ユニの子である5柱の兄姉たちも腹違いではあるが可愛い弟である。何もしなかったわけではないが、母であるユニに「自分よりあの女の息子の方が大事か」と激昂されれば、これ以上何か仕出かさないよう大人しくするしかなかった。
オルムの容体が悪化しつつあり、美しかった容貌も肌は怨嗟により濁り、流れるような青髪は色が抜け落ち、精悍な体はやせ細り病人のようであった。
ティスはリーベスに訴えた。
自分が神の世を去り、人の世に戻り、二度とリーベスとは会わないことを誓うと。
その代わりにオルムを助けてほしいと。
リーベスはティスの覚悟と自分の神力の半分をユニに渡すことを条件に、オルムを救うことを許すよう頼んだ。ユニはその条件を飲んだが、そこに一つ、条件を足した。
オルムも神の世界を去るようにと。
ティスがオルムから条件の承諾を受けると、リーベスは権限による呪術からの力を浄化してからその身に還元するような処置をオルムにした。ティスはオルムの体がこれ以上悪化しないことを確認して、オルムと共に神の世界を去った。
しかし、ユニの嫉妬と傲慢はこれだけで終わらなかった。
彼ら2人が神の世界から去る時、ユニはオルムに一つの権限と呪いを与えた。
呪いはもしオルムが神の世界にリーベスの許可なく戻ることがあれば、その体が腐り果てる呪いだった。
そして与えられた権限が「絶望」である。
さすがのリーベスもユニの悪辣極まりない所業には我慢できぬと、ユニに与えるはずだった神力をむしろユニから取り上げた。これは人の世に戻った妻と子にこれ以上ユニが追い打ちをかけないようにするためとも言われているが、妻と子を奪ったことへの罰とも言われている。
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人の世に戻されたティスの記録は僅かであるが残っている。
しかし、神の世界を追放されたオルムの記述はない。
そもそも、一般の信者へ向けた教典にはオルムの記述はないのだ。
一般的に知られている神々は、主神たるリーベス、母神ユニ、その子であるヴェレ、テト、ジン、タール、イシス、ティスの子であるシフ、クローフ、エイクの10柱である。
そこにオルムの記載などない。
ではなぜ、メリッサがオルムの存在を知っていたのかというと、リーベス主神殿の神殿長であり教皇であるクーベルトが差し入れた本の一部には禁書が含まれており、そこにオルムの名が残されていたのだ。オルムの存在はリーベス教としては隠匿されており、その存在を知るのは教皇をはじめ一部の権力者のみである。当然、クーベルトはオルムの存在を知っていたが、それについて個別にメリッサに説明することもなかったので、メリッサとしても数ある蔵書のうちの一つという程度の認識しかなかった。最もこれは、大半の神々が何もしなくともメリッサの周りにいたため、書籍による知識の仕入れにそこまで重きを置いていなかったことにもよるだろうし、そもそも神に対しての興味がさほど強くなかったということもあるだろう。
書籍に書かれていたオルムの名であるが、その生い立ちと彼の持つ権限、そして追放されたという話以外はオルムの名が出たことはなかった。メリッサがオルムの存在を思い出すのに時間がかかったとしても仕方がないことだろう。
メリッサは禁書の書かれていた神話が事実であると、確かに彼は追放者である。
神であるオルムではあるが、その持つ権限の凄惨さと彼の存在が隠匿されていることから、彼のための神殿はなく、また神の身でありながら呪われた存在であるため、人と共に生きることができなかっただろうことは予測できた。
きっとこの洞窟も、ユニ神のいらぬ怒りを買わないようにするために人の世に置かれた神の家、神殿を持つこともしなかったのだろう。
彼の生い立ちとその権限の色のため、普通であれば忌避感を抱いてもおかしくないのだが、メリッサは不思議と自分の頬を包むひんやりとした手がどこか懐かしいような嬉しいような気がしてしまっていた。
供物として捧げられ、神獣によって運ばれた神前ともいうべき状況なのに、メリッサは何の危機感も持てなかった。なんとなくではあるが、目の前の神は自分を害することはないと思った。根拠など何もないのに。
オルムはメリッサの頬をするりと撫でるとその両手をゆっくり離した。それに少し心が物足りないような感覚になったが、それがどういうことかはわからなかった。
そんなメリッサの表情の変化をどう受け取ったのか、オルムはノックを一瞥して口を開いた。
「たまにではあるんだがな、あの森に供物といっていらぬ子女を置いていく輩がいるんだ。別に俺もノックも人なんて食べないんだが、伝える方法もないしかといってそのまま放っておくのも忍びない。仕方がないからあの場所に人が来たらノックに捨てられた子たちを別のいくらかマシな場所に運んでもらっている。元の場所に反しても無駄だからな」
そういってトフェトの森の祭壇について説明してくれた。
要は人が自己満足でしているに過ぎない、もしくは口減らしとして捨てられたか。
それだけのことだった。
彼らの思惑は別として、メリッサとしては自己満足として捨てられたという言葉に、自分がされた状況を思い起こして非常に納得してしまった。あの祭壇に幾人も載せられ縛り付けられ命を散らされそうになった子供たちと、自分は何一つ変わらない存在だった。
「では、私もその子供たちと同じように、どこかへ捨てに行きますか」
メリッサは極力感情のこもらない声でオルムに訊いた。
おそらく捨てられる場所は孤児院の併設してある神殿や教会だろう。
メリッサが一時的な避難場所として使うだけだとしても、きっとラティを始めとしたユニ神殿の関係者やクーベルトの息がかかったものにメリッサの存在が知られてしまうだろう。
イヴァンがメリッサの死を偽造したにも関わらずその存在が認知されてしまうことについては別段何か思うわけではないが、捕まればまた同じことを繰り返されるのかと思うと憂鬱になった。ある意味で真っ当な人間の生活をしたことのないメリッサは捨てられた先で神殿を頼ることなく一人で生きていくのは現実として厳しいのは事実だ。しかし、この状況で無為無策で戻ることをメリッサはしたくなかった。無駄死になどする気は最早なかった。
あの祭壇に捨てられた時、この胸の内に確かに湧き上がった暗い感情と膿んで血を流す心を隠すことも捨てることもできないと。
硬くなるメリッサに、オルムは柔らかな微笑を浮かべてメリッサの頭をそっと撫でた。
「私の家族だった者たちの愛し仔であるお前は特別だ。お前を傷つけも捨てもしない。お前が落ち着くまでここに居て構わない」
労わりと気遣いが込められた優しい手だった。
「こんな小さい体で今までたくさん頑張ったんだな。お前は何も悪くない。ここはユニの手もお前に危害を加えるものも寄ることができない。もう我慢することもない」
優しい慈しみに溢れた声だった。
ようやくここにきて、自分を憎むものも害する者も利用する者もいない、来られない場所にいることをぼんやりと頭が認識すると、視界がじわりと滲んだ。頬が濡れて熱い。
どうしてかオルムの顔が見たいと思ってしまって、歪む視界ではそれも叶わない。
そっと頬から目じりにかけて硬い指に触れられた。
ずっと零れる涙をぬぐってくれているのかと分かると、さらにそれは零れた。
気が付けばノックはメリッサの後ろに伏せた状態で座っており、蛇の尾が恐る恐るといった力具合で背中を撫でてくれていた。
メリッサは初めて声を上げて泣いた。
その姿は紛れもなく、ただの12歳の少女であった。




