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復讐は神に所属する  作者: 葛霧
始動期編
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彼らの仕事5(イヴァン視点)


イヴァンは馬が耐えられる最大限の速さで馬車を走らせていた。

馬車に乗る人間の負担など一切考慮しないその速度とさほど整備されていないあぜ道のようなトフェトの森唯一の歪んだ道を、全力で。

おそらくもう1刻もしないうちに森とラル湖の中間の村に着くだろう。そのころには馬車に詰め込まれた騎士らも目を覚ますはずだ。隠しナイフも取り上げ損ねたとしても鉄鎖で縛られている以上、そう簡単に体を自由にすることはできない。

とはいえ騒がれると面倒だと、イヴァンは懐の魔石を握り、再度馬車内に煙を充満させて走り続けた。

彼らをメリッサと森からできるだけ離し、そして自分が彼らより早く何よりも大切なあの子の下へ行くために。



****




覚悟はしていたのだ。

メリッサと名乗った作り物以上に美しい少女を殺さなければ、自分も、何をおいても守りたいものも道が閉ざされると言われて、相手の望むがままにこの身を差し出したのだから。

たかが少女一人、しかも巫女見習いである。容易い仕事だと思った。

だがどうだろう?実際のメリッサといえば、詠唱なしで食人鬼の群れを焼き払い、神鳥である白のピリカに慕われ、ピリカによってラティから下げ渡された悪意のある呪法が退けられ、ラル湖では干ばつを受けて雨を降らし、野獣はメリッサが街を囲む柵に結界を施すことで被害を抑え、さらには野獣が近隣に寄りつかないようにした。

以上のことを苦労もなくやってのける少女である。これほどまでに神に愛される少女を自分の手で殺すなど、到底できるわけないと思った。仮に手をかけたとしても、自分も、あの子もきっとただでは済まない。命がなくなるだけましだろう神からの呪いを受けることすらありうる。

そこまで認識した時、イヴァンは立ちすくんだ。前も後ろも打つ手なんてなかった。メリッサを見逃したとしてもラティによって処分される、メリッサを殺せば神より直接裁かれる。この時イヴァンは確かに絶望したのだ。


しかし、メリッサという少女はイヴァンの絶望を知ってか知らずか、何の抵抗も反抗もなく自分が置かれた決して優しくはない立場を理解しているようであった。何をされても、何を乞われても、無感動に飲み込んでしまうようであった。

12歳の少女が。これだけ美しく優れた少女であれば、何を打っても助けたいと思う者も多いはずだ。ましてや、ムナ教皇が目をかけていることははっきりとわかる。これだけ恵まれているのに、なぜこの少女はこうも人形のように感情を表に出さないのか、もしくは何も感じないのか、イヴァンにはわからなかった。常に葛藤し続けるばかりイヴァンにはメリッサの気持ちなどさっぱりわからない。

メリッサの感情や思考がわかったところでイヴァンのすることはかわらない。チャンスに恵まれればメリッサの命を神に返すし、それが無理であればあのこもろとも死ぬだけだ。

そう決めたのに。


「では、メリッサ殿に供物として囮になってもらうことで進めましょう」


ダメもとで進めた案は、なぜか深く反対されることも追及されることもなく通ってしまった。腕に力のあるリーベス神殿の騎士が2名もいるということがその余裕なのか油断したのかわからないが、通常であれば有り得ない判断である。

おかしいと思いつつも、イヴァンはこの偶然に感謝した。

自らの手を汚さずにメリッサの命を絶つことができると。

だが、当の本人が嫌がればその説得はしなければならないだろう。人形のように主張もしない少女ではあるが、さすがに自分の身の安全がここまで著しく脅かされるようでは反対するだろうから。それは全うな反応であるのだから仕方がない。

そう思ったのに。


「承知しました。私はかの神獣を待ちましょう」


メリッサは無表情のまま、淡々とこの愚策としか言えないような案を受け入れた。自殺願望でもあるのかと疑ってしまいそうになるぐらいに、あっさりと。

ほっとする反面、不安で仕方がなかった。食人鬼の群れですら焼き払える少女である。いざ魔獣が現れたとしても、彼女ならば身を守ることも難しいどころか容易いことなのではないかと。四肢の自由を奪われたとしても、神託の巫女を見習いとはいえ内定が済まされているような少女である。その身に宿る神力は一般の神殿術師と比べることもバカバカしいほどに巨大だ。ここには神力を使用できなくするための拘束具などはない。

イヴァンは懐にしまった薄紅色の魔石を制服越しに握りしめながら、唇を噛んだ。



だが、ここにきてメリッサから囮ではなく、正しく“供物”になると取引を持ちかけてきた。取引内容は同行した神殿の騎士の身の安全。自分の命一つで補充可能な騎士を助けるというのだ。

確かに、イヴァンは元々メリッサを手に掛けた後、目撃者になるであろう神殿騎士をすべて殺すつもりだった。ランジェスト王国の、しかもトフェトの森は人里から離れている。旅が遅れることなど予想の範囲内であるし、ましてやメリッサのいたリーベス主神殿は早馬でも2週間の距離である。2週間もあれば、イヴァンはユニ神殿にいるあの子の下へ行き、姿を眩ませることは可能だ。時間としては一番余裕があるし、確実にあの子を助けることができる。

だが、メリッサはそれを良しとしなかった。箱入りだろうと思っていた少女が望んだものは、ただ彼らの命のみであった。多少の怪我やどうにもならないことは配慮するとまで言ったのだ。現実的に、傷一つなく済ませることができる話ではないと理解して。

どこで聞いたのか、イヴァンの事情すらわかっていると忠告までして。




イヴァンがユニ神よりの魔石を持っているのは、今更ながらラティから渡されたものだ。

巫女長という位のラティが持つだけあってか、その魔石は普段見ることのない大きさで、十分な質と量に満たされた石であった。

イヴァンは人を傷つける術はあまり得意ではない。彼がいるヴェレ神殿は法と司法の神の家である。無用な殺生を好まない彼の神の神殿騎士が主に使う術は基本的に罪人を連行するための拘束術と気が高ぶり危害を加えるほど暴れる容疑者への精神感応術である。わかりやすく言えば、神力を使用して体の自由を奪う術と、興奮状態の人間でも深い眠りに落したり、活力を奪う術である。まだ何も術の刻まれていない魔石にイヴァンは眠りの術を刻んだ。せめて彼らの命を絶つときは、自分の手でするべきだと思ったから。

結果的に、それは正しかっただろう。イザヤという騎士は煙もわずかにしか吸わなかったため効きも若干弱かったようだが、それも補助用として持ってきた薬品によって対処できた。最小限のダメージで済んでよかったと素直に思った。




メリッサと最後の会話になるだろうと思った会話は思わぬ方向に行くことになった。

イヴァンはメリッサから罵られても仕方がないと思っていた。どれほど彼女が達観したとはいえ、自分の命を無下に散らされることには変わりないのだ。

しかし、メリッサは自分の望みを叶えたお礼をするなどという。


「あんたを言い訳にして生贄にする俺にお礼なんて嬉しくて涙が出そうだ」


そんな皮肉なことしか言えない自分にメリッサは微笑んでいた。

無表情か物憂げな顔しかできないと思っていた少女の微笑みは貴重な美しい花が綻ぶ瞬間を見たような緊張が走ったが、それを何とか誤魔化してメリッサの言うがままメリッサの指先を握った。握ってから、こんな理不尽な目に合っている少女の最後のお願いくらい素直に聞くこともできない自分が情けないと思った。


そんなことをぐだぐだ考えていると、メリッサの指先を握る手のひらが妙に熱いと感じると思ったと同時に、その感覚はユニ神殿の手の者に『呪いをなすりつけられた』時と同じような熱さで、イヴァンは反射的にその手を払いのけるように離した。

まだジリジリと火傷のように痛み手のひらを反対の手でもみほぐしながらメリッサを睨むと、先ほどまでの微笑などどこかに消え去ったのか、既に無表情に戻っていた。


「イリス神は再生の力を司っているのはご存じ?」

「あなたの大切な人に、その手で触れてあげて」


そっと手のひらをみれば、イシス神の象徴色である紫紺で描かれた月が刻まれていた。

イヴァンは目の奥から熱い何かが吹きこぼれそうになった。

こみ上げる何かが体の奥からせり上がってくるのに、喉からは言葉の一つも絞り出すことができない。

何も言えない自分の唯一の最大の感謝の意を示すことしかできなかった。





イヴァンはラル湖を超え、テト神殿とゼネ砂漠の中間まで来て、ようやく5人の騎士を解放した。開放するに当たり、最後の魔石の力を絞りきるように、丸1日眠らせるほど強く使った。確実に意識のない5人を確認して、イヴァンは彼らを拘束していた鎖を取り払った。

眠る彼らに何か言おうとして、何も言えることなどないし、権利もないと思い直して自分の馬に乗り、その場を速やかに去った。



彼はユニ神殿に保護という名目で軟禁されている妹の下へ走った。

自分を含め、複数の呪いを形代として擦り付けられ、体の一部が腐り堕ち、余命も幾ばくもない妹を助ける為に。

自分の苦しみを肩代わりさせた妹を救うために、何の罪もないもう一人の少女を犠牲にして、イヴァンは自分のたった一人の家族を助ける為だけに走り続けた。





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