彼らの仕事4
メリッサは最後の晩餐として出された赤く熟した果実と水を味わうでもなくさっさと飲み込むと、馬車で供物の娘が着ていたとされるほぼ・布といっていいような白い簡素な服に身を包んだ。この一か月で日に当たることなく育ったメリッサの青白い肌は健康的な白さになっていたのだが、露出された肌は布地にも劣らない白さをさらけ出していた。
不安げにメリッサを見守る4名の騎士に背を向けて祭壇へ上るメリッサの後ろをイヴァンとロリスは黙ってついてきた。
「それでは、騎士イヴァン、ロリス。後を頼みます」
「承知しました」
「メリッサ殿、しばらくの辛抱です。どうか、耐えてください」
石壇に仰向けに身を横たわらせたメリッサに、イヴァンは淡々と、ロリスは憐れむような罪悪感をにじませながら応えた。
二人は灯篭のような石の穴に鎖を通らせ、メリッサの手足を鎖で拘束した。
念のためと言わんばかりに、メリッサの胴体まで祭壇に括りつけようとするイヴァンをロリスは目で制するが、気にすることなくイヴァンは二重に鎖で縛った。
メリッサは体が動かないことを少し身動ぎして確認すると、小さく頷いた。
「メリッサ殿。あとはお任せください」
一見、何の裏もないような口調で、その実この後の始末のことを匂わせてイヴァンは一礼した。ロリスもそれに合わせて丁寧に頭を下げる。
「ええ、貴方の仕事をしてください。何事もないよう、無事に帰って」
騎士らはそれぞれ違う意味で言葉を受け止め、力強く頷いた。
ロリスがメリッサに背を向け先に祭壇を下りる途中、イヴァンは音もなくメリッサに近寄り、そっと忍ばせたナイフでメリッサの髪を一房切り取った。
美しい艶のあるその髪をナイフと共に袖に隠し、何事もなかったかのようにロリスの隣に並ぶように祭壇を下りた。
イヴァンは同行者である5人の騎士を呼び寄せた。
「これより一度トフェトの森を出る。ただしく神獣であれば我々が森を出ない限り、供物に近寄ることはない。明朝、祭壇近辺を警護する」
「待ってください!それではメリッサ殿の身の安全を確保できるとは言えません」
慌てたようにロリスはイヴァンの通達を否定するが、イヴァンはそれを一蹴した。
「問題ない。メリッサ殿の神力による魔術は我々を凌駕する。件の魔獣以外であれば退けることなど容易い」
「しかし!正しく魔獣であった場合、メリッサ殿は」
「騎士ロリス。これは決定事項だ。貴殿の私的理由で変更することはできない」
「先日決まったばかりの、穴だらけの案ではないですか!我々はメリッサ殿の安全が確保されるという前提で受け入れたのです、こんなことムナ教皇が許されるはずありません」
「同じく。我がリーベス神殿において保護されたメリッサ殿はムナ教皇の管理下にある。そちらのみ森を出ればいい。我々だけでもこの場で待機するべきだ」
ロリスに同意するようにイザヤもイヴァンに否定の意思を告げる。当然だろう、イヴァンとてヴェレ神殿長からメリッサを必ず守るよう命じられている以上、本来であれば自分の命を捨てでもこの任務を果たさなければならない。しかし、イヴァンは神への信仰以上に守らなければならないものがあった。そのためであれば、リーベス教の支配圏外に追放されることすら覚悟していた。覚悟を決めた以上、イヴァンは曲げることはしない。彼らも教皇自らの命令である以上、メリッサを死守すべく足掻くだろう。騎士という職務に誇りを持つ者であれば当然である。
「そちらが納得できないことは理解できる。だが、これを見てもらいたい」
イヴァンは懐から薄紅色の直径2cmほどの魔石を取り出した。
魔石は神力を込められた宝石であり、巨大な公共物の運用には必ず使われているものである。力の強い者が込められた魔石であればそれだけ石に込められた力も強く、神力がないものでもそれを使えばある程度の術を使うこともできる。稀ではあるが、遺跡から発掘された魔石の一部は神が直接人に与えた魔石もあり、それは人の身では起こせない奇跡のような力が込められていると聞く。
魔石は込められた神力の量や質にもよるが、足の小指の爪ほどの大きさのものでも平均的な一家が1か月余裕を持って暮らせるだけの金額になる。イヴァンが提示しているほどの大きさともなれば庶民が1年は遊んで暮らせるぐらいのものになる。
思わずといった様子で5名の騎士が魔石を覗き込むほどに近くに寄った。
イザヤは何とも珍しいと感嘆の吐息を洩らすが、はっと、顔を魔石から離した。
「待て、この色の魔石ならばユニ神に関わるものでは」
ないのか
とイザヤが言い切る前に、イヴァンは魔石に神力を流し予め魔石に刻んでいた術を展開させた。魔石から同じ薄紅色の煙が瞬時に広がり5人の騎士を覆った。
すぐさま人の倒れる音が4回続いたところで、イヴァンは魔石を懐に戻した。すぐさま煙が収束するが、イヴァンはすぐさま剣を突き出すようにふるった。
刃物が打ち合うような音が響き、重い何かが地面に突き刺さる。
そこには息も絶え絶えに片足をつくイザヤがいた。その周囲には4人の騎士が意識を手放した状態で地に伏せていた。
「イヴァン!貴様、どういうつもりだ!!」
「メリッサ殿からお願いされたものでな。貴殿らを無事に神殿まで返すように言われている」
「そんなわけあるか!」
「説明してほしければ、とりあえずさっさと寝てくれ。これからでかい男を5人も馬車に放り込む作業が待っているんだ。自主的に乗ってくれるなら助かるんだがな」
「ふざけるな!こんなことをして、お前はただで済むと思っているのか」
何とか抵抗しようとするイザヤを面倒くさそうにイヴァンは鞘で殴り飛ばし、蹲るイザヤの口元に薬品をしみこませた布を当てた。抵抗するまもなく、イザヤは崩れ落ちた。
イヴァンはやれやれと肩をすくませてから、馬車からメリッサを縛る鎖と同じものを引っ張り出して5人を縛り上げた。ついでにそれぞれ帯刀している剣と忍ばせているだろう隠しナイフのいくつかを取り上げ、荷台にまとめて置いた。
そこまでして、イヴァンは若干の疲労をわざとらしく見せながら、祭壇下に近寄った。
先ほどの一連の流れを見守っていたメリッサは、顔をわずかに持ち上げてイヴァンに目線を向けた。
「メリッサ殿。我々はこれで立ち去ります。もう二度とお会いすることはないでしょうが、何か伝言はありますか?」
「ないわ」
「一か月も一緒に過ごした仲なのに、冷たいですね」
イヴァンがつまらなそうにそういうが、メリッサとしては下手に情がわくことはできれば避けたいという気持ちが先に立つ。しかし、メリッサ一人でここまで来ることはできなかったので、それ相応の感謝の意ぐらいは示してもよいだろうと思った。
「短い間ですが、世話になりました。……手荒にするのはあまりよくないのですが、血を流さずに済ませたことは褒められることです」
「これからたんまり流しますよ。俺が」
「自業自得でしょう」
「そうですね」
淡々と返すメリッサにイヴァンは皮肉気に笑う。
もう戻れないところまで来てしまったという自覚はある。
今更神殿騎士らしく、高潔に生きることも許されない。裏切り者として追放されるだけなのだからと、人の悪い顔でメリッサに言う。
「メリッサ殿。あんたの神力ならここから抜け出すのも簡単だろうが、ちゃんと大人しく待っててくれよ」
「イヴァン。私は逃げたことなどないわ」
逃げられなかっただけかもしれないけれど。
そこまでは言おうとして、メリッサは口を少し閉じた。
その代わりにというように、メリッサは忠告ですが、とイヴァンに告げた。
「ラティ巫女長の言うことを真に受けると痛い目に遭いますよ。あなたの望みを叶えたいなら、貴方の大切なものを連れて逃げたほうがいいわ」
「そう簡単にいかないことぐらい、あんただってわかっているだろう」
メリッサは虚空を見るように目を少し虚ろにさせたかと思うと、そっと微笑んだ。
「イヴァン。私のお願いを聞いてくれたあなたに一つだけ、私からお礼をさせて」
「あんたを言い訳にして生贄にする俺にお礼なんて嬉しくて涙が出そうだ」
胡散臭そうに吐き捨てるイヴァンに近くに寄るように告げ、イヴァンは仕方なしにメリッサの横に立った。
「私は身動きが取れないから、貴方が私の手を握って」
「お別れの握手なら断る」
「じゃあ私の指先でもいいから触って」
しぶしぶと言った様子でイヴァンはメリッサの指先を握った。
何のことかと訝しげに眺めていると、手のひらの中心に熱が集まっていることに気が付いた。すぐさまメリッサの指先から神力が流されていることを感じ、イヴァンは反射的に手を離すが神力を感じた手のひらにはジリジリと火傷のような熱が残っている。
「俺に何をした」
「イリス神は再生の力を司っているのはご存じ?」
「神殿関係者で知らない奴なんていないだろ」
「あなたの大切な人に、その手で触れてあげて」
イヴァンはハッと目を見開いてメリッサを見た。メリッサはいつもの無表情に戻っていた。
「あんた…」
「一度しかチャンスはないわ。あとは好きになさい」
もう日が暮れるから、はやく発った方がいいわ。
メリッサはそこまでいうと、日が傾き赤く染まり始めた空を見た。
これ以上話すつもりはないと如実に態度で示され、イヴァンは震える手を握りこみ、跪いた。額を石壇に擦り付けんばかりにつけ、腹からせり上がりそうになる何かを必死に堪えた。
しばらくして強い風が一陣広場を通り、のろのろとイヴァンは起き上がり、顔を伏せたまま馬車の御者台に乗り込んだ。
全6頭の馬のうち4頭を馬車につけ、残りは馬車の後ろに繋ぎ終えると、馬を走らせた。
メリッサは黄金色から紫紺に移り変わる空をじっと見つめていた。




