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「見逃してくれっっ!頼む!!」
土下座を通り越して床に這いつくばる男の白衣を掴み、立たせた椅子に放り投げる。
「おっさん、本当に城仕えしてたのか・・・」
「リドリー!お、俺はお前の命の恩人だよなっ!?なっ?お前は恩人を見捨てるような奴じゃないよなっ?!」
「っ!臭い!放せっ!」
腰にしがみついてくるのを、容赦なく蹴飛ばした。
老婆とは違い、この医者だけはどうしても恩人と思いたくないリドリーだった。
確かに、ナイフで腹を裂かれるという重傷を負った際に治療してくれたのはこの男だったが、あれはこの男に博打で負かされた連中が、後からイカサマされたことに気づいて激昂し乗り込んできた際、運悪くここにいて巻き込まれたのだ。おまけに、その後激痛と高熱にうなされるリドリーに「ついてなかったな~!ま!治療代はまけといてやるから!」と大笑いしながら言ってのけたのである。
「正直、いい気味」
「ひどいなお前!!」
「エイビス博士」
「ひっ!」
アレクの冷ややかな声に慄き、椅子の背にしがみつく。
「『ドクター』という称号を与えられた人間は多くない。近年は特に。罷免された人間なんて尚の事だ。すぐにその名を思い出せた」
「う・・・」
「王宮から薬を持ち出したな?」
「・・・薬?」
「とぼけるなよ、先生」
「え?あー・・・薬」
「婆さんに処方している奴だよ!」
煮え切らない様子にリドリーが声を荒げると、気が抜けたように天井を仰ぎ、頭を抱えた。
「なんだよ~。そっちかよ~」
「そっちぃ?!」
「あ~いやいやいやいや、何でもない何でもない!」
両手を振って否定しているが、胡散臭いことこの上ない。これが博士とやらだというのだから世も末だな、とリドリーに僅かに残っていた評価が地を這いつつあった。
「他に何やらかしたんだよ!!」
「何もしてないよー!ほんと!」
「確か罷免の理由は、業務規程に違反した、だったか」
今の今まで震え上がっていたのをもう忘れたように、エイビス博士は平然と煙草に火を点けている。
「へっ!クビになってせいせいしたぐらいだ!言われなくても辞めてやったってのに!」
「何で?」
「・・・こんなんでも、俺は医者なんだよ」
煙を吐き出しながら苦々し気に言った。
「あの薬は王宮にあったもので、間違いないんだな」
「あーそうだ。もともとあったものだ。俺等は長年あの成分を調べさせられていたんだ。増やすために。――何一つ分かりゃしなかったが」
「お前が罷免されたのは――先王陛下が身罷られたころだったな?」
「はっ?せ、先王陛下?!」
貴族でも雲の上なのに、はるかに天井の御方が出てきた。
博士は煙草を回しながらふっと笑った。すぐに消えてしまったがそれは、この男らしからぬ、心からの笑顔だった。
「・・嫌いじゃなかったな、あの御方は。余裕があったし、冗談も通じた――怒ればおっかなかったが。人の上に立つ者はあ〜であって欲しいよな。その点、今の王はなってない。ずっとカリカリしていけねぇ」
「・・・」
「――使わなかったのか?薬を」
酒に濁った暗い目が、尋ねたアレクを睨みつける。
「小僧、お前――全部分かっていて聞いているだろ?」
「容易に想像はできるな。――だから薬を持ち出したのか?」
「そうさ!腹いせだよ!!ざまあみろだ!!」
「――よく罷免で済んだものだな」
「すり替えてやったんだよ!!連中が気づくのは果たして何年後だろうな!」
ぎゃはははという高笑いにアレクは頭を抱えて盛大にため息をついた。
「なんだよ?俺をしょっぴくか?何の罪で?万病に効く薬を城から持ち出した罪ってか?そん」
「そんなことはこちらにはどうでもいいことだ。ただ持っている薬は全部出せ」
「・・・もうねぇよ」
「お前のような奴が金になるものを安々と手放すものか」
言いながらわざとらしく腰の剣に触れてみせた。
「本当だよ!全部持っていかれたからな!・・・あの太っちょ、人の足元見やがって」
「・・・まあ、嘘だったら後でどうとでもできるか。叩けば出てくる埃は他にもあるようだからな」
博士の肩が跳ねる。
「っとに、おっかねー小僧だこと。・・・本当にねぇよ。――アレは確かに奇跡の薬だ。そりゃ国の宝にもなる。でも『万病を治す』、ただそれだけなんだよアレは」
リドリーは首を傾げた。それだけで過ぎるほどに十分ではないか。
「他の何もかもを無視してただ苦痛だけを『なかったことにする』」
そう言いながら、吐き出した煙を片手で払った。
「そんなんは治療じゃねえな」
博士は消えていく煙をしばらくの間、ただ眺めていた。
「リドリーちゃあん。随分見違えたじゃなあ〜い?いーとこに拾われたのね〜。いや〜やっぱり俺の目に狂いは無かったね!お前はデキるおぉ?!」
にやにやと肩を組もうとしてくる奴の胸ぐらを掴む。
「あんた言ったよなあ?!薬があれば、婆さんは治るって!」
「・・・良くなるって言ったんだ。治るとは言ってねえよ?」
「同じだろうが!」
「何の痛みもなく死ぬか、そうじゃないかの違いだ。あの婆さんはとっくに覚悟してるよ」
「っ!!それでもっ!」
「感謝しているんなら、気にしないでやることだな。そりゃ大抵の人間は誰かに惜しまれ、悼まれるのを喜ぶだろうが――あの婆さんはそうじゃないだろ」
「・・・っ」
「俺や、ましてやお前に看取られてみろ。怒りのあまり化けて出てくるぞ」
「・・・先生は・・・」
せっかく重い口を開いたのに、続く言葉は出てきそうにない。
「だからな〜感謝しているんなら代わりに俺にすべきじゃあなあ〜い?俺は喜ぶよ〜?何、これからのお前の給金の一部俺にくれぶふぉ!!」
再び肩を組もうとしてくる奴はとりあえず、急所を蹴り上げておいた。
「やっと、まともに息ができる」
そう言いながら首を回すアレクは疲労の色が濃いが、おそらく気疲れだろう。
中心街近くまで戻ってくると賑やかな道の両脇、梯子に上って店や建物の屋根から色鮮やかな布を吊るしているのをちらほら見かける。
少々気が早いが冬の風物詩であるそれに、吹く風が少し冷えてきたことに気づいた。
冬の大祭まで布は増えていき、本祭のパレードでは王宮騎士団と毎年選出される貴族の騎士団を華やかに迎えるのだ。大通りの大店は競うように、目立つ色の布を掲げようとする。
ふと、昔母に青い布を買ってもらったことを思い出した。他の子がやっていたように、紋章が刺繍されたものを首に巻いてみたかったのだ。
母は故郷ではしたことがない、と不思議がりながらも買ってくれた。お前の髪にははっきりした色が合うね、と笑っていた。
街の音が遠く聞こえる。
踏み出す足は重いのか、それともふわふわと軽いのか。
「遅い」
いつの間にか距離が空いていたらしく、不機嫌そうにアレクが言った。
「デンゼルを待たせている。戻るぞリドリー」
「あっ・・・はい」
駆け出すリドリーの胸元で、ループタイの青い石が小さく跳ねた。




