2
カーテンから差し込む光の眩しさに目を開けた。
明るくなってから起きるのは何年ぶりだろうとぼんやり思ったところで、昨晩の記憶が蘇る。
性悪少年に捕まり、まったり怖いアライグマ家政婦に脅かされた後、人生最大の羞恥にさらされ――。
はっきりと目が覚めた。
シンプルながらも、普段自分が寝ているそれとは比べるのも失礼なほどの上質なベッドと寝具だ。どれだけ寝ていたのか分からないが、寝心地が良すぎたのだろう。名残惜しくさらさらの肌触りを堪能していると、伸ばした足にふわふわとした温かいものが触れた。
「うひゃっ?!」
飛び起きて見ると、黒い毛玉。黒い毛玉だった。
「む〜」
もぞもぞと動く毛玉からひょっこり長い耳が生えてきた。
「・・・あのー」
毛玉をつついてみようとした時、突然ドアが勢いよく開けられる。
「こらあ!起こすのにいつまでかかって・・・ってアンタまで寝てちゃだめでしょーがあ!!」
賑やかにベッドに飛び乗ってきたのはこれまた黒い毛玉。しかしこちらのは頭に白いキャップとお腹丈の黒いシャツを身に着けていた。
「しかも制服も着ないでー!!もー!アンタに頼むんじゃなかった!!」
ベッドで跳ね続けながら、リドリーの方に寄って来る。
「あなた、リドリーね!聞いているわ!よく寝ていたわね!もう昼よ?お腹すいたでしょう?お腹!そこのクローゼットにね!服!あるから!着替えてから1階の食堂まで来ること!!いいわね!!」
怒涛の勢いで言いたいことだけ言った後、寝ている方の黒兎の両耳をまとめて掴んでベッドから飛び降りる。
「ぎゃふっ」
引きずりながら部屋を出て行ってしまった。
呆気に取られたまま固まったリドリーがのろのろと動き出したのは、それからもう少し後だった。
恐る恐る階段を降りると、再び遭遇黒兎。
「あら。あなたは、リドリー様ですわね?初めまして」
開けた穴から長い耳を出した白いキャップに黒いシャツ。全く同じ格好の黒兎、のはずだ。
「どうぞ、こちらに」
「うおっ」
促されるまま部屋に入ったリドリーは思わず後ずさる。
広い部屋の中央に置かれた長い机の反対側に並んで座っているのは黒兎。その数4人。
「五つ子ですわ。多産の兎族の中では少ない方でしてよ?」
「そう、なんですね・・・」
「さあお座りになって」
優雅な話し方をする黒兎は反対側の空いていた一番端の席にぴょんと座った。
「私から順番にスフ、ビル、イキ、ユチ、ドルですわ。見分けられないでしょうから、皆まとめて家名のカラタスで呼んでくださいな」
スフという名の黒兎はそう言って左の耳をぺこんと倒したのだった。
食堂の奥は厨房と繋がっていた。
コックコートを着た壮年の男性がリドリーの食事を運んできてくれた時には、人族もいたのかと少しほっとしてしまった。
厳つめな男性の禿頭に、鼻頭まで続く大きく抉れたような傷があることも全く気にならないほどには昨晩からの出来事で精神が疲弊していたのかもしれない。
「王都ではまだまだ獣人は珍しいのですわ。この屋敷でも私達とファトマ様方だけですわよ?」
ナイフで切り分けた人参をお上品に口元に運ぶスフが、そう言った。
「リドリー様は」
「あの、『様』はやめてもらえるとー」
「口癖ですからお気になさらず。リドリー様は、王都の外に出られたことはないのでは?」
「ない、です」
「外だと獣人ちょっとずつ増えてるよ!知ってた?半獣だって増えていくよ!きっと!」
「イキ!食べながら喋るのはおやめなさいったら!」
3番目に座っている黒兎が口から飛び出した草を拾い、また押し込んでいる。今朝会った賑やかな方だろうな、とリドリーは美味しすぎるコーンのスープに感動しながら思った。
「騒音です。迷惑です」
4番目の兎が水を飲みながらぼそりと呟いた。よく見ると黒いシャツに鎖のついた片眼鏡が留められている。
「国境に近いほど多いの!当然よね!みんなアレから逃げたいに決まって」
「イキ!!やめなさい!」
スフの叱責に、食堂がしんと静まり返った。
パリパリパリ・・・
広い食堂に葉っぱの咀嚼音が響く。
「ごめんなさ」
「おかわりなの!」
5番目の兎が元気よく皿を持ち上げる。
「あ!人参がいーの!2ほ・・・3本!」
小さな手首につけている2連のブレスレットがシャラリと鳴った。
「騒音です」
スフがふうと息を吐く。
「とんだ失礼を。どうぞお食事を続けてくださいませ。終わりましたらアレク様がお会いになるとのことですからね。――ビル、寝てないで食べなさい」
「ふがっ?!」
終始舟を漕いでいた2番目は、スフからどすんと殴ら、小突かれてようやく草をもそもそと食べ始めた。
案外見分けやすいなこの5人、とリドリーは思ったとか、思わなかったとか。
ペタン、ペタン、ペタン
本棟と使用人の住居である棟は2階の渡り廊下で繋がっていた。
昨夜忍び込もうとし、失敗した場所を若干苦々しく思いながら見回している。
横で跳ねながら進むスフが色々案内してくれる。
これからここで働くことになるのだと分かっていても実感がわかず、なかなか頭に入ってこなかった。
ブレスウェイド伯爵家は建国間もない頃からある歴史のある大家だという。しかし昨今は後継者に恵まれず、度々優秀な者を養子に迎えているとも聞いたことがあった。当代の伯爵様も元は武功を立てて成り上がった平民なのだと。
だからなのだろうか、目につく屋敷の調度品など質の良さは伺えても、貴族らしい華やかさは見られない。
使用人が少ないというのも、そのあたりが理由でもあるのだろうか。
「そう言えばファトマさんは・・・」
「ご夫婦は夜型ですの。今はお休みの時間ですわ」
「なるほど・・・」
「大して変わってないな」
無遠慮にリドリーの下から上まで視線を動かしてそう言ったアレクは心の中だけで罵倒しておく。
執務室のような、天井まである本棚が2辺を囲んでいる5角形の部屋だ。書類やら本やらが散乱した大きな机に座り、組んだ足に頬杖付きながら、前よりはましかー、などとぼやいているのがリドリーの雇い主である。無情な現実に悲しくなってきた。
ましどころか、ほぼ別人だとリドリーは主張したかった。
ボサボサだった赤みのある褐色の髪は毛先まで整えられて肩までさらりと流れている。
採寸した覚えもないのにピッタリな、白いシャツと茶色のベスト。黒いズボンに尻尾用の穴まで空いているのを見たときは感謝よりも恐怖が勝った。
それでも鏡に全身をうつした時には流石に感動したのだ。ちゃんと下働きの従僕に見えるのだから。
ただ常とは違い、耳と尾が出ているのが居心地悪い。
纏わりつくような奇妙な焦燥感を、頭を降って散らした。
「――それより、薬。買ってくれるん・・・でしょうね」
あの老婆はすぐにどうこうなりはしないだろうが、前に飲んでからそれなりに時間がたっている。早く手に入れておきたかった。
「あぁ。これから出かけるからついてこい」
胸を撫で下ろしたリドリーに、アレクは机の上に置いていた小さな箱を突き出してくる。
「その前にこれをしておけ」
箱の中、ビロードを敷いた上にあるのは青い石の付いた紐だ。
「おつけいたしますわ。かがんでくださいませ」
石をきゅっと上げ、余りの紐をベストの中にしまったスフは、満足気にぽふぽふとリドリーの胸元を叩いた。ひんやりとした石を手に取ってみる。目の覚めるような青い石に白く彫られているのはリボンで飾られた甕、いや杯の絵だろうか。
スフは自分の頭、キャップの中心にある紺糸の刺繍を指した。
「ブレスウェイド家の紋章ですのよ。私達皆お揃いですわ」
ペタン、ペタンと跳ねる。
「そう、なんですね」
ここに来て初めて出た笑顔は、少々ぎこちないものになってしまった。




