1
気楽に気長に広い御心で、お付き合いいただければ幸い。
「くそっ」
屈辱だった。それなりに腕に覚えはあった。少なくとも騎士でもない、ましてや大の大人でもないこんな子どもに後れを取るとは思っていなかった。
貴族の邸宅にしては人が少ないことは事前に確認していた。警備も数人程度。たやすくはないだろうが、可能だと思っていたのに。
「さっさと答えろ」
頭を踏みつけている足の力が一層強まった。ぎしり、と聞こえたのは頭蓋が軋む音だろう。
顔を必死で傾け、リドリーはこちらに跨る生意気な少年を睨み上げる。
「・・・っじゃあっ!どけよ!!」
鳶色の前髪に隠れたその表情は読み取れないが、口元が酷薄に吊り上がっている。
「言えた立場か。お前の選択肢は2つだけだ。死ぬか、喋るか。――俺も暇じゃない、早く選べよコソドロネズミ」
剣先がリドリーの頭上にある丸い耳に触れた。
金属の冷たさに背筋が震える。
「っ、く、薬だ!ここに売られた薬が欲しかったんだ!」
「薬?」
「病弱だって言う、ここのお嬢様に売りつけに来た奴がいただろ!」
「確かに来たな。万能薬だのと胡散臭いことこの上なかったから早々に追い返したが」
「は?だってお嬢様病弱なんだろ?!」
「至って健康だが?」
「えっ・・・じゃ、じゃあ薬は?!」
「知らんな」
「えー・・・」
完全な無駄足に脱力し、突っ伏すリドリーの頭にある足に再度力がかかる。
「いっ」
「で?お前は万能薬なんぞという与太話を真に受けた訳か」
「与太話じゃない!・・・っっ万能かどうかは知らないっ!でも今まではそれで治っていたんだ!」
「誰が?」
「・・・世話になった人。・・・主治医は腕は良いが博打好きな奴で、借金のかたに薬を取られたって・・・聞いたから・・・」
「それでコソコソ忍び込んだ訳か。どこに薬があるとも知らず・・・あぁ、鼻がきくのか、半獣ネズミ。――いやイタチか?」
「・・・うるさい」
「それで?まさか話したから解放されるとか、お目出度いこと考えてないだろうな?」
「・・・考えていない」
リドリーは身体の力を抜いた。
「・・・騎士団に突き出したきゃそうしろよ。ただっ頼む!その前に薬を買いに行かせてくれ!」
「買いに?盗むのではなく?」
「薬を見つけたら少しだけもらって、そこに金を置いていくつもりだったんだ・・・足りなかったら・・・ぶ、分割払いでなんとか・・・っておい!」
リドリーのポケットに手を突っ込んだ少年は、金の入った袋を引っ張り出した。
「・・・全く足りないな」
「ぐ」
項垂れるリドリーを見下ろし、少年はブハッと吹き出した。
「あははははは!」
腹を抱えて笑い転げているが、リドリーは動けなかった。
この相手は笑いながら手にしたままのその剣でこちらを斬り捨ててもおかしくなさそうだ。
ひとしきり笑った後立ち上がった少年は、声の高さから年下だろうと思っていたが、案外リドリーと変わらないようにも見えた。
「足りない分はタダ働きだな。こき使ってやるから覚悟しろ」
「は?」
「鈍いやつだな。薬、買ってやるよ」
「・・・・・・代わりに何をしろと」
「だからタダ働きだって言っているだろうが。お前、今日から俺の下で働け。」
剣を収めながらさらりとそんなことを言ってくる。
うまい話だ。うますぎて背筋が寒くなる。
少なくともうまい話にすぐに飛びつけるほど素直に生きては、生きられてはいないのだ。
「貴族が半獣を雇うのか?」
「頭の固い連中は未だに多いな。国交が結ばれてもう百年以上になるというのに――この屋敷じゃ誰も気にしない。獣人も働いている」
「・・・・・・貴族じゃなくとも人間はイタチだのネズミだのは嫌がるものだろう」
「不当に扱われるのが嫌なら、そう扱われないような出で立ちと行動をすることだな」
事も無げに言われた言葉に、怒りを覚えた。
『胸を張りなさい、下を向くんじゃないよ』
獣人の母にはよく背中を叩かれた。
「簡単にっ言うなっ!」
耳と尾、リドリーのような一部だけ獣人の特徴を受け継いだ混血児は『半端者』として人間から、時には獣人からも不満の捌け口にされるのだ。
リドリーがかろうじて胸を張っていられたのは母が生きていたころまでだった。
母が亡くなり、家を追われた。僅かな金も取られた。
いつしか人目を避けて生きるようになった。
そんな中でも手を差し伸べてくれた奇特な人がいる。その人のために自分のできることは、なんだってする。リドリーが譲れないのはもうそれだけなのだ。
「簡単だろう。与えられた機会を逃さなければいいだけだ」
変わらない偉そうな言葉に相手を睨み上げ、・・・呆けた。
恐ろしく整った顔の少年だ。
嘲笑も、憐れみもない。
琥珀の瞳はただ静かに見返してくる。
雲間から覗く月を背にした姿はまるで、絵画のようで。
「――で、どうするんだ?」
アレク、と名乗った少年に引き合わされたのは家政婦長だという小柄な女性だった。
「私はファトマなのねえ。よろしくねえ」
黒いロング丈のメイド服の裾をつまみ、丁寧に頭をさげてくれた。
灰色の滑らかな毛並みの手にカンテラを持ったファトマは、のんびりした口調とは真逆の機敏な動きでリドリーの周りをぐるぐる回りながら、ふんふんとあちこちの匂いを嗅いでいる。
「家政婦長といってもココそんなに人いないから気にしなくていいからねえ」
「は、はあ」
黒い隈取りのある目がくりんと動く。
縞模様の尾がリドリーの足に巻きついた。
「うひゃっ!」
「痩せすぎー、ねえ。ちゃんと食べないと大きくなれないんだからあ」
「――ファトマ。あとは頼んだぞ。ちょっとは見れるようにしてやれ」
「承りましたわー、アレク様」
背を向けかけたアレクだったが、振り返ってリドリーのところへ戻ってきた。
羽織っていた古い外套を裾からめくり上げる。
「ちょ!!!!」
外套の下に畳んでいたリドリーの細長い尾をぎゅっと掴む。
「んぎやーっ!!!!」
「あ、やっぱりイタチだったか」
「何しやがんだ!クソガキ!!!!」
渾身の後ろ回し蹴りはあっさりかわされた。
「いや、気になっただけだ」
「このっ・・・!!」
「アーレークーさーまー?獣人の尾に手を出すものじゃありませんよお?前にも言いましたよーねえ?」
「はいはい」
立ち去る背を睨むリドリーの視界が、カンテラをぶら下げた縞模様の尾に遮られた。
「まったくー、あの方にも困ったものねえ」
「そーですね」
「女の子の尾を掴むなんて失礼だわあ。ごめんなさいねえ」
「あー・・・」
リドリーはばつが悪くなって頭を掻く。
「やっぱり分かりますか」
「獣人だものお、当然にー。アレク様は気づいていないでしょうねえ。気づいていたら流石にあんなことはしないわねえ」
「そー、なんですかね」
あの性悪そうな少年はそんなこと気にしないんじゃなかろうか、とリドリーは思った。
「まあ私達からは言わないから安心してねえ」
「え?!いいんですか?」
「あなたー、リドリーさんだったかしらあ?」
「・・・リドリーでお願いします」
「リドリーはここで働くのでしょう?どちらでもいいことじゃあないかしらあ?連れてきたのはあの方だしねえ」
「はあ」
「でもおー」
ゆるすぎじゃなかろうかこの職場、と思いかけたリドリーの全身がぶわりと総毛だつ。
「これからは言葉と態度には気を付けましょうねえー」
覗いた鋭すぎる牙とクルクルと聞こえる威嚇音にただ頷くしかなかった。
部屋に案内するわあ、と言うファトマの後ろに続きながら気になっていたことを尋ねる。
「ここ・・・仮にも伯爵家の邸宅が何でこんなに人が少ないんですか?」
「旦那様ー伯爵様はずっとご領地におられるのよお。このタウンハウスに来られることは滅多にないからあ」
「でもお嬢様がいるんじゃ」
「主様は人が多いの、お好きじゃあないのよねえ。それにしてもー」
誰もいない暗い廊下にファトマの声が響く。
「忍び込んだあなたを真っ先に見つけたのがアレク様で本当に良かったわあ。うちの人に見つかっていたら大変だったわよお?」
「うちの人?」
「私の亭主よお。無口で愛想がないから、侵入者を見つけたら無言でガブーっ!ズっシャーっよ?」
私は爪切っているけどねえ、と腕をふりかざすファトマ。
とりあえずアライグマ族の夫婦には逆らわないようにしよう、とリドリーは心に誓った。
「結構です!!!」
誓いは速攻でふっとんだ。
「いいからいいからあ。私に任せなさいなあ」
「いやいやいやいやいや!自分でやりますから、ホント!」
「私のほうが上手いからねえ!?ほらほらあ!そんな襤褸切れ脱いじゃってえ!」
「襤褸で悪かったですね!?ちょっ!!いやっ、そこはほんとに!!!!だああああああ!!」
耳の先から尾の先まで磨かかれベッドに放り込まれたリドリーは、ほとんど気絶するように意識を手放した。




