10.浄化スライム
ゼゼに頼んだ道具が完成すると、その出来栄えは見事なものだった。リディアも睡眠薬を作り終え、何度か試しに使い、いくつかの改良も施すことができた。そしてシオンは、再び西の鉱山の街――ベルデに向かうことになった。
「それじゃ、シオン。新しい道具も上手く使って、怪我をしないようにするのよ」
「はい、十分に気を付けます。前回と変わりが無ければ、そのまま全滅させてきます」
「ふふっ、期待しているわよ」
そう言うとリディアは、シオンの額に人差し指を当てて……短く詠唱を行った。シオンがオルトゥスから出るときのルーティンであり、無事の帰還を願っているのだ。
丸太小屋の外でシオンを送り出したあと、その背中が見えなくなってから、リディアはようやく動き出す。しかし、そんなときに――
「……はぁ」
ヘルミナが、溜息をつきながら戻ってきた。
「あら、ヘルミナ。元気が無いけど、どうしたの?」
「あ……リディアさん。あのー……、何だか、臭くないですか……?」
「お風呂なら沸かして入って良いわよ?」
「あ、あたしじゃなくて!」
その言葉に、リディアの眉がぴくりと動く。しかしヘルミナはそれを見逃さなかった。
「ああああ、違います、違います!! リディアさんでもなくて!!」
「……あら、そう? それは良かったわ」
そう言ってから、リディアは四方八方を見まわす。確かに、以前よりも空気が濁っているような……。
「最近、ドワーフの家の方に行きました?」
「ここ1週間は行ってないわね。最近はジジさんたちも、自炊をするようになったし……。道具の件でゼゼさんとはやり取りしていたけど、彼の方から来てくれていたし」
「ああ……。それなら一緒に、様子を見に行ってもらえますか……?」
ヘルミナは力なく項垂れ、リディアの裾を軽く引っ張った。リディアは疑問を感じながら、ドワーフの家の方に連れていかれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ドワーフの家の近くまで行くと、強い異臭が漂ってきた。どんな臭いかといえば、つまりは下水の臭いである。
「……確かにきついわね。えぇっと――……ああ、ズズさん。こんにちは」
「お、リディア姐さん! こんにちは!!」
リディアの声に、ズズは土木作業の手を止めて近付いてくる。
「今日はどうしたんですか?」
「ヘルミナから話を聞いてきたんです。その……臭いが強くありませんか?」
「ああ。まぁ、生きているんだから仕方ないですね!」
「えぇーっ!? それで終わらせるんですか!?」
「ふ、普通はこんなもんじゃないか?」
「違いますよーっ!!」
ズズは何ともないように言うが、ヘルミナはそれを拒絶した。リディアとしては、今回ばかりはヘルミナの肩を持ちたかった。
「今は何とかなるにしても、これから人が増えていくから……。衛生的に管理しないと、疫病が流行ったりするでしょうし」
「ああ……。ドワーフには耐性がありますが、他の種族も住んでいますからね。なるほど、何とかしましょう!」
「何とかする方法はあるんですか?」
「ワシらの故郷では、土に埋めちまいましたからね。ただ、それはそもそも集落の人数が少なかったからで……。あと、便所は外に作っていましたし」
オルトゥスはこれから人数を増やしていく予定で、そしてトイレは屋内に作っていくつもりだった。……つまり、ドワーフの集落とは真逆の話になるのだ。
「うーん……。ちなみに、今の作りはどうなっているんですか?」
「便所の先に、出来るだけ大きな空間を掘っているんですよ。……よくよく考えれば、そのうちに埋まっちまいますわな。がっはっはっ!」
「がっはっはっ……じゃ、ないですよね……」
ズズの大きな笑いに、ヘルミナが辟易する。
「そういうリディア姐さんのところは、一体どうしているんですか? 以前に使わせてもらったことはありますが、綺麗にしていたじゃないですか」
「ああ、うちは浄化スライムがいるんですよ」
「へぇ……! そいつは貴重なものを!!」
「リディアさんのところって、そうなってたんですね。なるほど、嫌な臭いが無いはずだぁ」
そう言うヘルミナに、リディアが質問する。
「ちなみに、ヘルミナの故郷はどうだったの?」
「えーっと、あたしの集落では……川に流してましたね。ああ、もちろん飲み水は別の川ですよ!?」
「……まぁ、森に暮らす種族だもんね。街づくりの参考にはならないか……」
「うぐ……。でも、旅をして見てきた限りでは……基本的には、川に流すか、土に埋めるか、ですね」
「だからこそ、リディア姐さんのようなところは珍しいんだよな。人間の国でも浄化スライムを使っているのか?」
「資産家や貴族はそうですね。人口が多ければ下水もありますが、他は……川か土、だったと思います」
文化や種族によって対応は異なるが、それでも対処方法は絞られてくる。オルトゥスは森に囲まれた場所だけに、できるだけ綺麗に処理をしたかった。
「そうなると、やっぱり浄化スライムがいいですね。リディアさんはどうやって手に入れたんですか?」
「私は、錬金術で作ったのよ」
「へぇ……! それじゃリディア姐さん、ワシらのところにも作ってくれませんか?」
「うーん……。それなりに手間が掛かるから、最初のうちはいいんですけど……いずれ、手が回らなくなりそうですね」
「まぁまぁ! 将来のことはいいじゃないですか。今は今の話、ですよ!」
ヘルミナの言葉に、リディアは溜息をついた。短絡な考えではあるが、その方が良い局面もある。
「それじゃ……そうしますか。ヘルミナが言ったんだから、素材はヘルミナが集めるのよ?」
「え、何でですか!? ドワーフたちの家なのに!!」
「自由に動けるのは、あなたの方じゃない。ドワーフのみなさんはいろいろ作ってくれているんだから」
「それじゃヘルミナ、よろしくお願いするぜ!」
「ああ、もう……! わかりましたよ、お任せくださいっ!!」
ヘルミナは怒りながら拗ねていたが、リディアとズズは楽しそうにそれを見ていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヘルミナは文句を言いながらも素材をどんどん集めていった。いつの間にか森に住みついた野生のスライムを捕まえ、多くの薬草や木、鉱石や土を採取して、その中から品質の高いものを選りすぐっていく。そうしてから、リディアは工房で――数日を掛けて、成分を抽出して、精製して、加工していく。
「……素材を集めるのも大変でしたけど、作るのも大変なんですね……」
「だから、最初にそう言ったじゃない。……最後に自然と分裂するから、そこで数と浄化力が決まるわよ」
「数が多ければ浄化力が低いし、数が少なければ浄化力が高い――って感じですよね? たくさん分裂すれば良い……ってわけでもなさそうだし、結局はまた作らないと……」
「私以外にも、錬金術師がいればいいんだけどね」
「あ……。それなら、あたしでもなれますか?」
ヘルミナの言葉に、リディアは彼女を見つめた。そして、優しい声で――
「無理ね」
「ええぇ、そんなぁ!?」
「人にはそれぞれ、得意なことも苦手なこともあるから。せめて、虫くらいつまめるようになりなさい」
「そ、それだけの理由ですか!?」
「列挙すると、ずっと続くわよ?」
「えー……」
不満そうに言うヘルミナの横で、リディアは床に魔法陣を描き、その中心には1匹のスライムを、そのまわりには今までに加工した素材を配置した。
「……物質的な加工も多いんだけど、魔法的な加工が必要なこともあるの。今回はそれね」
「魔法……ですかぁ。あたしは魔法を使えないから、中途半端になってしまうかも……ですね」
「趣味程度なら良いんだけどね。誰かの責任を負うには、少し心許ないのよ」
「なるほど……。リディアさんの求めるハードルが、高いことは分かりました」
「……そうなのかしら? まぁ、趣味程度でいいなら、いろいろ教えてあげるわ」
「それは嬉しいですが……。でも不思議と、雑用を押し付けられる未来しか見えません……」
「あら、よく分かったわね?」
「ですよねぇ……」
そんな会話をしたあと、リディアは魔法陣に向き直って、長い詠唱を始めた。辺りは不思議な圧で満たされ、次第にそれは強くなっていく。しばらくするとスライムが淡く光り、それに呼応するように周囲の素材も輝いていく。
「――浄化の力を満たし、そして膨れ上がれ。汝は新たなる名前を得て、導かれるままにその命を始めよ――」
――バチィッ!!
……と、そんな音の余韻が消える頃……魔法陣の中央には、巨大なスライムが現れていた。身体は乳白色の透明で、ぼよんぼよんとした身体は何とも愛おしい。身体の大きさは……高さにして2メートルほどもあった。
「あ……あら……?」
「あれ……? リディアさん、大きいのが1匹だけ……できましたね?」
ヘルミナも呆けているが、リディアもまた呆けている。理屈の上では、少なくとも3匹にはなるはずだったのだ。
「ぼよんっ、ぼよんっ」
「……うぅん? でも、以前作った浄化スライムと同じようではあるけど……」
「ぼよぼよぼよんっ」
「きゃぁ!? な、何だか怒っていませんか?」
「言葉が分かるのかしら? ……私はあなたを作ったリディアよ。私の言葉、意味は分かる?」
「ぼよんっ」
「つ、伝わってる……みたいですね?」
ヘルミナの言葉に、リディアも同じことを感じた。こちらからの言葉は通じる、向こうからの言葉は通じない……が、感情としては何となく分かる。
「むしろ、少なからず伝わっていることがおかしいんだけどね。浄化スライムは知性が低いから、本来は浄化だけを続ける存在のはずで……」
「ぼよんっぼよんっ」
浄化スライムは不満そうに身体を震わせると、その身体からふたつの玉を生み出した。それは地面に落ちると、小さなサイズの浄化スライムになっていく。
「わぁ、分裂した!?」
「あら……。もしかしてこの子、王種なのかしら」
「王種……、って何ですか?」
「普通の個体とは違う、特別な存在よ。スライムの王種なら、知性が高くて、普通の個体をある程度生み出すことができるの」
「ぼよん、ぼよんぼよんっ」
「こ……、この子も頷いてるみたいですね……」
リディアは王種の浄化スライムに近付き、そっと身体に手を触れた。ひんやりと冷たく、どこか威厳が伝わってくるような、そうでもないような……。
「……ふふっ。それならそれで、助かるわ。今後はずっと、浄化スライムを作らなくてもいいんだから……」
「あー……。リディアさん、作るのが本当に大変だったんですね……」
多くの手順を見てきたヘルミナにとって、リディアの気持ちは痛いほど理解することができた。今回だけならまだしも、あるいは2回3回くらいならまだしも――今後ずっとやらなければいけないとなれば、誰でも嫌になるだろう。そう考えると、ヘルミナはリディアをそっと抱きしめたくなってしまった。
ただ……一瞬手が動いたところで、愛情表現なのだろうが――浄化スライムがリディアに圧し掛かっていった。リディアは笑顔と汗を浮かべながら、それを押し返していた。




