第7話 巡回の灯りは、聖女様です
「裏門の錠には、触らないでください。まわりの地面も、踏まないで」
門番に頼みながら、口から「ここから先は」まで出かかって、飲みこんだ。
あぶない。狂犬にこれを言われたら、門番さんが倒れる。
「今日は、裏門の鍵も差さないでください。お父様にお話しするまで、出入りは表門で」
門番は、また青くなりかけて、途中で持ち直した。
「……かしこまりました」
おお。持ち直した。人は慣れる。狂犬にも。
異常ありのあとは、順番がある。現場を守ったら、次は、話を聞く。
廊下に戻ると、ミレイユさんとアンナが、椅子のそばにいた。一人が座って、一人が立っている。
交代してる……!
ゆうべ、朝まで一回も交代しなかった二人が。言われたとおりに。育成ゲームで、初めて指示を聞いてくれた日の気持ちだ。ちょっと泣きそう。
やればできる。
「アンナ。その音、どの鐘のころ?」
「短い鐘が、二つ鳴ったあとでした。夜は、時の数だけ短く鳴りますので、夜中の二時でございます」
「何回くらい?」
「かり、かり、が……五回くらいです。それから、静かになって」
「足音とか、明かりは」
「わ、分かりません。窓の外は、真っ暗で」
ミレイユさんは、首を横に振った。そのころには、もう眠っていたらしい。
先輩は、何も聞こえなかったの?
(……わたくしも、眠っておりましたわ)
先輩も、寝るんだ。
……いや、寝るか。同じ体だもんね。同じベッドで、同じ時間に。ルームシェアの相手が自分の体って、どういう物件?
鏡台の引き出しを開けると、ハンカチの中に、かけらはあった。喉の奥が、小さく鳴った。はいはい、嫌いなんですよね。知ってます。表門の錠も、窓の留め金も、無事だった。
傷があったのは、裏門だけだ。
朝食の部屋に、お父様とお母様がそろっていた。お父様は、私を見るなり、椅子ごと半歩さがった。朝から、きれいな後退だった。
気づいたら、二人の前で気をつけをしていた。三年ぶんのくせは、異世界に来ても抜けない。聞いたことと、見たことだけを、時間の順に話した。錠に触っていないことと、門番さんに頼んだことも。
お母様が、紅茶のカップを受け皿に置いた。かちん、と鳴った。おとといは、これが飛んできた。今朝は、身構えなかった。成長だ。
「ほかに、何か?」
先輩の言った「あの石の匂い」が、頭をよぎった。でも、あれは、私にしか聞こえない声だ。「頭の中の声が、匂いがするって言ってました」なんて報告したら、私が怪談になる。確かめようのないことは、報告に入れない。
「……いえ。見たことは、以上です」
お母様の微笑みが、一拍だけ、止まった。
……え、怒られる? 報告、短すぎた?
「と、届け出は」
声がしたのは、卓の端からだった。お父様だった。柱の陰じゃない。
「わ、わたしが書こう。騎士団宛てに。錠前の傷の位置と、門番の勤務の控えと、鍵を預かっている者の名前を、添えて。それから、裏門の錠を最後に確かめた刻限も」
途中から、急に早口になった。眼鏡の奥の目が、まだ書いていない紙の上を走っていた。
出た。好きな話になると急に早口になる人だ。同類だ。この人、やっぱり総務の人だ。
調べるのは、騎士団だ。私には、人を調べる権限がない。届けて、待つ。
かけらのことは、まだ言わなかった。
届けないつもりはない。モールなら、とっくに届けている。ただ、広場で、灯火商会の人たちが光るかけらを袋に拾っていくのを、騎士たちは止めなかった。騎士団に渡したら、あのかけらたちと同じところへ行くかもしれない。
届け先を、まだ決めかねている。
「お願いします、お父様」
頭を下げると、お父様の眼鏡が、またずれた。
でも、今度は、さがらなかった。
廊下に出ると、ミレイユさんが、壁に手をついていた。二晩、まともに寝ていない人の顔だった。アニメを一晩で全話見た次の朝の、私の顔と同じだ。
「まず、座ってください」
椅子に座らせてから、言った。
「今日は、お昼に寝てください。アンナも。業務命令です」
「ぎょうむめいれい」
ミレイユさんは、うれしそうにくり返した。
また、言葉を一つ持って帰られた。この人の中に、私の発言だけを集めた辞書ができつつある。
……あと、命令する権限も、私には、ないんだけど。
◇
昼前、門番が呼びに来た。
門の前に、小柄な男の子が立っていた。寝ぐせみたいに立った茶色の髪。体に合っていない、大きすぎる騎士団の上着。
広場で、竜の尾から抱きとめた子だ。
「厩の掃除、三日目を、夜明け前に終わらせてまいりました!」
声で、門番の詰所の窓が鳴った。この子の音量のつまみは、たぶん最初から壊れている。
「師匠と、呼ばせてください!」
来た。弟子入りイベントだ。漫画で何十回も読んだやつ。まさか、される側になる日が来るとは。
「まず、お名前を、うかがえますか」
受付の口ぐせが、また出た。せっかくの空気を、職業病が台無しにしていく。
「フリッツです! 騎士団の見習いです!」
フリッツくん。広場では、名札がなくて聞けなかった名前だ。
「フリッツくん。私の仕事は、十八歳からなんです」
嘘じゃない。警備員は、十八歳にならないと、なれない。そもそも、弟子を取るような仕事でもない。
フリッツくんは、一秒だけ考えた。
「では、三年、待ちます!」
「……え」
「三年、毎日、来ます!」
「毎日は、来ないで」
フリッツくんの眉が、しゅんと下がった。
あ。だめだ、この顔。
家の棚にいた、柴犬のぬいぐるみと同じ顔だ。あの子だって、買うつもりなんてなかった。店の棚で目が合って、気づいたら、お迎えしていた。
あの子にも、私は弱かった。
それに、広場で「守るのは、こっちの仕事なので」と言ったのは、私だ。かっこつけたセリフには、責任がついてくる。守った子を、門の前で追い返すのは、筋が通らない。
門の内側の柱の陰に、眼鏡が見えた。お父様が、封をした分厚い紙を抱えていた。届け出を騎士団へ持っていく使いを、探していたところらしい。
「お父様。騎士団の見習いの方が、ちょうど門の前に」
柱の陰から、届け出だけが、すっと差し出された。
受け取って、フリッツくんに渡した。
「これを、騎士団に届けてください。受け取った人の名前を、聞いてきて」
誰が受け取ったかまで確かめて、やっと届けたことになる。
「はいっ! 師匠からの、初めての任務であります!」
「師匠じゃないです」
フリッツくんは、届け出を胸に抱えて、私に頭を下げた。
腰から、まっすぐ九十度。
分度器の目が、勝手に起動した。新人研修の教官が、私の頭に置いていった機能だ。私の習った礼に、九十度はない。いちばん深いお詫びでも、四十五度。九十度は、もう前屈だ。
「帽子をかぶっていないときは、お辞儀で十五度。……騎士団のやり方は、騎士団の人に聞いてください」
「十五度!」
フリッツくんは、門の前で、十五度を三回練習した。
「十五度、受け取った人の名前、十五度!」
覚え方が、ちょっと混ざっている。テストの範囲を全部ひとつの替え歌にして覚えるタイプだ、この子。
(……あの子、まだ邪魔ですわ)
守る対象です。……今は、伝令です。
フリッツくんは、届け出を抱えて、全力で走っていった。土ぼこりが、ちょっと立った。
走らないで、とは言わなかった。伝令は、走る仕事だ。
◇
夜、巡回を始めることにした。
ゆうべは、警備を知らない二人が、朝まで扉の前に立っていた。裏門には、誰かが来た。
立って待つより、回って見るほうがいい。
巡回。決まった順番で建物を見て回って、いつもと違うところを探すこと。地味だけど、警備員の本業だ。
問題は、灯りだった。
手燭は、火だ。カーテンだらけのこの屋敷を火を持って歩いたら、消防の講習の先生が泣く。懐中電灯がほしい。切実に。
「アンナ。この家に、あの光る石の灯りはないの?」
「竜晶灯でございますか」アンナは、首を横に振った。「ございません。よそのお屋敷は、どこもお入れになっているのですけど、奥様が、うちにはお入れにならないので」
竜の、晶。
広場の竜は、あの石をくわえて、持ち逃げしていった。
……名前に「竜」が入ってる石を、竜が持っていった。たまたまだろう。竜が出る国なら、強そうなものには竜ってつけたくなる。私だって、背中に龍の刺繍が入ったジャージ、持ってた。
お母様がこの家に入れない理由は、聞かなかった。とりあえず、覚えておく。
「わたくしが、灯りになりますわ」
昼に眠って、顔色の戻ったミレイユさんが、手のひらを差し出した。淡い光が、にじんでいた。
「それ、どうやったら光るんですか」
「オディール様のことを、考えれば」
祈る相手の中に、私が入っているらしい。聖女様の祈りの事情は、私にはよく分からない。分からないけど、電源が私なのは分かった。
「じゃあ、巡回のあいだは、考えていてください」
光が、一段、強くなった。
それでも、照らせるのは、手を近づけたところだけだった。懐中電灯というより、ペンライトだ。
(……ずいぶん、頼りない灯りですわね)
でも、燃えない。
「灯りでしたら、わたしが手燭を」
アンナが言いかけた。
「火は、なし」
アンナは、少しむっとした顔で、鞄を抱え直した。ミレイユさんの手のひらが、心なしか明るくなった。
……この二人、同担拒否の空気がある。同じ推しを推す人どうしが、仲良くできないやつ。推しが誰かは、深く考えないことにする。
順路は、アンナが知っていた。この屋敷の廊下を、私はまだ半分も知らない。マップが、ぜんぜん埋まっていない。
「二人とも、私の後ろから離れないで。曲がり角と扉は、私が見る。何か見つけても、近づかないで、声で知らせて」
「はいっ」
隊員が、一人できた。ミレイユさんは、隊員じゃなくて、灯りだ。本人は、それでうれしそうだった。
白い寝間着に上着をはおった私と、手のひらを光らせた聖女様と、鞄を抱えた侍女。三人で、夜の廊下を歩いた。前衛と、回復役と、荷物持ち。
「次は、左でございます」
隊員に道を教わる巡回だった。
曲がり角は、奥まで見る。ミレイユさんに、手を近づけてもらう。空き部屋の扉は、声をかけてから開ける。
庭へ出て、裏門の手前で止まった。離れたところから、錠を指で差した。指差し確認は、触らなくても、近づかなくてもできる。
「裏門、施錠よし」
屋敷に戻って、使用人部屋の前を通ると、扉の向こうで、ひそひそ声がした。
「狂犬が、聖女様を連れて、夜歩きを……」
「生贄の行列だ……」
巡回です。
お父様の書庫の扉の下から、ろうそくの明かりがもれていた。
「失礼します。どなたか、いらっしゃいますか」
中は、静かだった。
開けると、お父様が、机に突っ伏していた。
寝息がある。眠っているだけだ。
机の上に、今朝の届け出の控えと、門番の勤務の控えが、角をそろえて重ねてある。壁は一面の棚で、背の高さのそろった帳面が、天井までびっしり並んでいた。たぶん、王都でいちばん整った棚だ。
ろうそくは、紙の束のすぐそばで、短くなっていた。燃え尽きる前のろうそくは、急に炎が大きくなることがある。
火の元。
机の上のろうそく消しをかぶせて、少し待ってから持ち上げた。芯の赤い火は、消えていた。紙の束を、机の奥へ寄せた。上着を脱いで、お父様の肩にかけた。
「……ありがとう」
寝言だった。
庭で眼鏡を受けたときは、「ありが」までだった。寝ているときは、最後まで言えるらしい。
一回りで、二人を部屋に帰した。ミレイユさんは、扉の前に立ちたそうな顔をした。今夜は、立たせない。
「外を、もう一回りしてくる。すぐ戻るから」
最後の一回りは、一人で回った。灯りがないほうが、外の明かりはよく見える。
裏門から離れた塀のそばで、首の後ろが、ちりっとした。
塀の向こうが、ぼうっと明るい。
裾を押さえて、塀の上に跳び上がった。
敷地の外には、出ていない。塀の上までは、うちだ。たぶん。
坂の下へ、明かりが一つ、遠ざかっていく。歩く拍子に、上下はしている。なのに、光そのものは、瞬かない。炎なら、ゆらめく。
(……あの石ですわ)
足が、塀の外へ出かかった。
そこで、止まった。止めたのは、私じゃなかった。
(……敷地の外は、追わないのでしたわね)
覚えてたんだ。
明かりは、坂の下の角で、止まった。
一度だけ、こちらへ持ち上がった。
それから、角を曲がって、消えた。
塀の上に立つ白い寝間着の令嬢は、向こうからも、よく見えたはずだ。
……見回る側が、見られてどうするの。




