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第33話 持ち逃げでは、ありませんでした

「やあ。君も、数えに来たのかい」


 私たちの軒下の、すぐ隣の暗い戸口から声がした。


 倉の白い光をのぞいたばかりの目には、戸口の暗がりが、ただの黒にしか見えない。


 その黒の中から、柔らかい栗色の髪の人が、いつもの半分だけの笑いで、一歩出てきた。


「殿下……!?」


 声を、口の中で押しつぶす。


 びっくりして、鳴りかけていた喉の音まで、一瞬、引っこんだ。


 隣でフリッツくんが、水たまりの中へ、ばしゃんと膝をついた。


 水たまりに、まっすぐ最敬礼。


「立って。いまは、立って」


 袖を引っぱって立たせる。


 こんな所で王族に礼なんかしたら、倉の見張りにだって一発でばれてしまう。


「近衛の方は?」

「撒(ま)いてきた。近衛を連れて川港を歩いたら、商会に一晩で知れるからね」

「撒かないでください!」


 声を落としたまま叫ぶの、思ったより難しい。


 王子様が、夜の川港に、近衛なしで。


 王子様の護衛は私の仕事の範囲の外だけど、範囲の外だからって、見なかったことにはできない。


「四晩、ここで樽を数えている。毎晩、戸口を変えてね」

「見張りの方から見たら、いちばん怪しい立ち方ですよ、それ」


 殿下のうしろで、頭巾をかぶった人影がぶつぶつ言っている。


「宮殿の門の外は、何年ぶりだ。下町は、初めてだ。天井がない」


 イグナーツさんだった。


「倉の石が、塔の三つの石と同じか、見に来た」

「僕のあとをついてくればいいのに、君の矢印で行くと言って聞かなくてね」

「矢印は外へ向いている。なら、逆へ行けば、いちばん奥に着く」

「着きました?」

「行き止まりに、三度着いた」


 殿下が、倉の扉を見たまま言った。


「北の鉱山へ使いを出したのは、季節が変わる前だ。使いは帰ってこないのに、石だけは、毎晩届く」


 うちの庭の小道で、殿下が「人を一人、待っている」と言った。あの一人だ。


「僕が商会の荷から抜いて、ずっと懐に入れていた石は、イグナーツに預けてある。灯火卿の石を任されているのは、イグナーツだけだからね」

「三晩で、塔の本を、全部ひっくり返した」


 そのとき、倉の扉の前で、油のランプが揺れた。


 見張りが、こちらへ歩いてくる。


「そこで、何をしている」


 私は殿下の前へ半歩出て、接客の声に切りかえた。


「申し訳ございません。連れが、道に迷いまして。大通りへは、矢印のほうでよろしいですか」


 見張りはランプを上げて、頭巾の学者、泥だらけの膝の見習い騎士、目立たない上着の若い男の人、それから私を、順番に照らした。


「……矢印のほうだ」

「ありがとうございます」


 四人そろって、緑の矢印のほうへ歩く。


 戻ってきた喉の音は、倉から離れるほど小さくなって、やがて消えた。


 首の後ろのちりっだけは、消えない。イグナーツさんが預かっている、あの石だ。


 角を一つ曲がってから、殿下が小さく言った。


「君は、嘘をつかないね」

「迷っていたのは、本当なので」


 イグナーツさんが、帳面を抱えたまま、前を向いて言った。


「三度だ」


 ほら、ね。


「日の光が要る。夜明けに、広場で見せる」


 イグナーツさんがそう言うと、殿下が付け足した。


「宮殿では、誰が見ているか分からないからね」


 フリッツくんには「今夜のことは、内緒で」と頼んで家の角へ帰し、番の方に「今夜は戻れません」と伝えてもらった。


 それから二人を宮殿の門まで送り届けると、門の近衛の方が、殿下の顔を見て膝から崩れかけた。


 気持ちは、すごく分かる。


「殿下。撒くなら、行き先は置いてきてください」

「……覚えておくよ」


  ◇


 夜明けの中央広場は、がらんとしている。


 石の台座のてっぺんは、空のままだ。


 祝福式の日にひと抱えの光る石が据えられていた所で、いまは鉄の枠を留めていた金具の跡しか残っていない。


 台座の前に、殿下とイグナーツさん。


 少し離れて、近衛の方が二人立っている。


 今朝は、ちゃんと撒かれなかったらしい。


 イグナーツさんが取り出した絹の包みの中身は、握りこぶしの半分ほどの石だ。


 包みを開けたとたん、首の後ろのちりっが一段上がって、喉が鳴りかけた。


 暗い石だ。


 塔で見た竜晶三つより、光がずっと弱い。


「塔の三つより、暗い。なぜかは、分からん」


 イグナーツさんが、先に言った。


 日がのぼっても、東の聖堂の屋根にさえぎられて、石畳はまだ影の中にある。


 先に日が当たるのは、背の高い台座のてっぺんだけ。


「あそこだ」


 イグナーツさんが、台座を見上げる。


 届かないよね、あれ。


「持ちます」


 先輩、ちょっとだけ我慢して。


 淑女のたしなみ、馬車の乗り降り。……の、乗るほう。


 石を握った手で裾を押さえ、石畳をひと蹴りして、私は台座のてっぺんに乗った。


 近衛の方が二人、そろって一歩さがった。


「……身軽だね」


 殿下の声が、下から聞こえる。


 朝の光に、石をかざす。


 白い光の奥で、小さくて薄い影が、背中を丸めていた。


 薄いのに、尻尾の先が頭のほうへ巻きついているのだけは、はっきり分かる。


 石に、尻尾は、ない。


「イグナーツさん。……これ、卵ですよね」


 台座の下で、イグナーツさんが、予備の眼鏡を押し上げた。


「脈を打つ。中に、丸まった影がある。そんな石は、ない。塔の竜晶三つにも、影は全部あった」


 それから、帳面を胸に抱えた。


「塔のいちばん古い竜の記録に、一行だけあった。『竜は、子の匂いを追って、山を下りる』。……ほかに、筋の通る読み方が、見つからん」


 卵。


 王都じゅうの灯りの中で、竜の子が、丸まっている。宮殿の天井にも、大通りの角にも、聖堂の入口にも。


 私は、台座の上から広場を見下ろす。


 祝福式の日、私が日傘で竜の顎を打ち上げた。竜が倒れた揺れで、光る石は台座から転がり落ちた。


 竜は首を起こして、目の前に転がった石を、そっとくわえた。


 そっと、に見えた。


 あのとき私は、頭の中で「被疑者、北へ逃走」と手配までかけた。


 ……持ち逃げ、じゃない。手配する相手を、まちがえた。あの竜は、被害者のほうだ。


  ◇


 台座から下りると、イグナーツさんが石を絹に包み直して、殿下に渡した。


 殿下は包みを懐に入れながら、低く言った。


「竜を見たという話が増えだしたのは、竜晶灯が王都に入った年からだ。見た場所は、北の街道ぞい。商会の荷の通る道だ」


「なら、竜晶灯を、全部布で覆えば——」

「覆っているあいだは、来ていません。危ないのは、外す日です」


 殿下が言い終わる前に、口が動いていた。


 倉は、窓のない石造りだった。


 灯りの枠には、石を当日に入れる。


 つまりいまは、全部が覆いの中にある。


 先輩の唸りは、覆うと弱くなって、外すと強くなる。竜も、同じなら?


 町の竜晶灯は、何年もかけて、一つずつ増えた。


 祝福式の日は、ひと抱えを、一度に。


 灯火の夜は、倉いっぱいを、一度に。


「祝福式の日も、布を外したその日に、竜が来ました」


 殿下とイグナーツさんが、そろってこちらを見た。


「オーベルト侯爵は、聖女様に祝福を頼んでいます。祝福して、覆いを外す。祝福式と、同じです。今度は、倉いっぱいの石を、真っ暗な下町の、角ごとに」


 前の職場のくせで、一つ区切る。


「事実は、ここまでです。ここからは、推測です」


「灯火の夜は、竜を、呼ぶ夜です」


 きのう、くじに当たって歓声を上げた番の家の人たちも、その夜は、真っ暗な通りに出て空を見上げている。


 殿下が、懐の上から、絹の包みを押さえた。


「父上に申し上げる」

「騎士団には、私から。副団長に、今日のうちに」


 イグナーツさんが、帳面を閉じた。


「証は、この影だけだ。影は、石の中の傷だと言われれば、それまでだ」


 殿下が、言い足した。


「それに、鉱山を、自分の目で見た者がいない。父上は、灯火卿を信じておられる。夜の王都から盗みを減らしたのは、灯火卿だからね」


 殿下は、懐から、封をした紙を一枚出した。


「もう一つ。ゆうべ、君と門で別れたあとで、父上の侍従に渡された。君宛てだ」


 開くと、きれいな字で書いてあった。


〔灯火の夜、宮殿の露台にて、王都警備指南役に任ず〕


 指南役? 王都じゅうの守り方を、教える役?


 よりによって、七日後の、その夜に?


「露台から、下町が明るくなる瞬間を、父上と新しい守り手で。……灯火卿の、勧めだそうだ」


 持ち場は、勝手に離れない。離れるなら、交代を置いてから。


 肩書きが、また一つ増えた。……お給金の前借り、まだ一枚も返してないのに。


  ◇


 殿下は宮殿へ、イグナーツさんは塔へ戻っていった。塔の三つの石の影を、帳面に写し取っておくそうだ。


 広場に、私ひとりが残る。


 東の聖堂の入口では、竜晶灯が、朝の光の中でも白く光っている。


「先輩。あの石、全部、卵だったんだ」


 婚約破棄の夜、この体はシャンデリアを落とした、らしい。


 よそのお屋敷の灯りは、どこも、あの石だ。


「あの夜も、あの石に吠えてたの?」


 言ってから、首を振った。


「……答えなくていい。言葉になるまで、待つって、言ったから」


 喉の奥で、小さな音がした。


 くう。


「先輩が石に唸るの、ずっと、疑ってた。……ごめん」


(……許して、さしあげますわ)


 なんで、上からなんですか。


 宮殿の露台からは、下町の角の緑の灯籠は、きっと一つも見えない。


 見えるのは、竜晶灯の白だけだ。


 ……私の持ち場は、どっちだ。

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