↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
34/34

第34話 今夜は、吠えていいです

「……今夜、ですね」


 朝いちばん、寝台の中で、私が先に言った。


(……わたくしの台詞ですわ)


 秒読みは、今日でおしまい。


 この七日で、やれることは、やったはず。……たぶん?


 副団長と騎士団長には、倉の棚のことも、祝福式のことも、竜晶灯が入った年から、竜を見た話が増えたことも、事実として話した。


 石の中の影のことは「殿下とイグナーツさんのお調べです」と、持ち主に預けた。


「ここからは、推測です。一度に外すと、竜が来るかもしれません」

「推測で、かまわん」


 騎士団長は、白い髭の下で言った。


「祭りの夜だ。人が多い。騎士が立つ理由は、それで足りる」


 下町の十二の角には、騎士が二人ずつ。


 巡回を習った騎士たちに騎士団長が足してくれて、二十四人だ。手には、呼び子の笛。


 大通りと広場の竜晶灯には、騎士団の名で布をかけてもらった。


 番の家々には、歩けない人とお年寄りと小さな子のいる家を、誰が手を引くか、角ごとに決めてもらってある。


 それから、「合図は、私の声です。どんな声でも」と伝えた。


 騎士団長には、聞かれた。


「合図は、誰が出す」

「私が出します。……たぶん、すごく大きな声です」


  ◇


 宮殿の露台からは、下町の屋根が川まで見下ろせて、夏の夕方の空は、まだ明るい。


 露台には、陛下と殿下と、宮廷の方々。それから、灯火卿のオーベルト侯爵。


 侯爵がそばを通ると、首の後ろがちりっとした。


 殿下が陛下に申し上げたのは、一度に覆いを外すと竜が来るかもしれない、というところまでだ。


 陛下は、何もおっしゃらなかったそうだ。


「アイゼンハルト」


 陛下が、椅子から立った。


「そなたを、王都警備指南役に任ずる」


 ちょうどそのとき、六時の鐘が鳴った。


「……ところで、定時は」


 口が、勝手に動いた。


 陛下が、片方の眉を上げる。


「いま、鳴ったな」


 宮廷の方々が、そろって吹き出した。


 定時、あるよね? 鳴ったよね、いま?


「はい。ですので、ここからは定時のあとです。定時のあとの持ち場は、私に選ばせてください。……下町です」


 陛下の眉が、もう少し上がった。


「露台の席には、交代を置きます」

「交代は、僕がしよう」


 殿下が、軽く手を挙げた。


「父上の隣に座っているのは、得意だ。……今夜は、行き先も置いていく。露台だ」

「では、申し送りを。北の空を見ていてください。塔の早鐘が鳴ったら、陛下を、窓も石の灯りもない部屋へ」

「承った」


 陛下が、オーベルト侯爵のほうを見た。


 侯爵の口の端が一度だけ下がって、すぐに、いつもの微笑みに戻る。


 何の顔かは、分からない。


「下町は、暗うございますよ、指南役殿」

「存じております。だから、行きます」


 陛下が、短く言った。


「行け」


 西の門の外では、いつものように、アンナの馬車が待っていた。定時のお迎えだ。


「お嬢様。お帰りは」

「今夜は、下町まで。アンナは、広場の救護所をお願い」

「かしこまりました。……救護所の、持ち場でございますね」


 アンナの目が、やる気で、ちょっと光った。


  ◇


 日が沈んで空の明るさが消えたころ、下町じゅうのろうそくが消された。


 真っ暗になった。


 灯っているのは、十二の角の緑の灯籠と、祠の火だけだ。


 聖人様の火は、ちゃんと残った。


 通りには、空を見上げる人、人、人。


 私は、いちばん奥の鍛冶屋の角に、フリッツくんといた。


 灯籠の下には、くじに当たった番の家のおかみさんがいて、角の両側に騎士が二人。


 九時の鐘で、覆いが外れる。


「片目、つぶって。灯りがついても、片目は、手でふさいだまま。お子さんの手を引く方は、つぶるだけで」


 角ごとに、番の人と騎士が、同じことを言っている。


 前の職場の、夜の巡回のくせだ。


 暗い駐車場を回っている途中で、明るい防災センターに戻るときは、片目をつぶったまま扉を開けた。また外へ出たら、その目で暗がりを見る。


 九時の鐘が鳴って、下町じゅうが、片目をつぶった。


 ……海賊の町かな、ここ?


 ぱっと、白い光が通りを埋めた。


 角という角で、覆いの外れた竜晶灯が、いっせいに光っている。


 歓声が上がり、開けていたほうの目が真っ白にくらんだ。


 角の緑が、隣の白に負けて、ほとんど見えない。


 喉の奥で鳴りはじめた低い音が、止まらない。


 倉の前と、同じ強さだ。


 そのとき、通りの竜晶灯が一つ残らず明るさを増して、白い光が、どくん、と脈を打った。


 また、どくん。


「見て、灯りが動いてる!」


 子どもたちが、脈を打つ白い灯りの真下へ、明るいほうへ、吸い寄せられていく。


 喉の音が、胸の奥まで響いた。今まで聞いた中で、いちばん強い。


 北の空は真っ暗なままで、何も見えない。


 でも、先輩には分かっている。


 来る。


 これを下町じゅうに聞かせたら、聖人様の火を一緒に守ってくれた人たちにも、私はまた、狂犬に見える。


 ……かまわない。


「先輩」


 私は、喉に手を当てた。


「今夜は、吠えていいです」


(……よろしいの?)


「はい」


 体は私のままで、喉だけを貸す。


 淑女のたしなみ、詩の朗読と声楽。


 お母様に習った、遠くまで声を飛ばす息の吸い方で、深く吸う。


 遠吠えが、出た。


 喉の奥が、私の声じゃない形に開いていく。胸の奥が震えて、それでも足は一歩も出ない。


 長い、長い声が、白い光の通りを渡り、角を曲がって、下町の端まで届いていく。


 歓声が、止まった。


「合図だ!」


 角の騎士が、呼び子の笛を吹いた。


 隣の角で、また笛が鳴り、その先でも鳴って、音が大通りのほうへ順に渡っていく。


 灯籠の真下で、番のおかみさんが、矢印の向きへ腕をまっすぐ伸ばした。


「灯りから、離れて! 矢印のほうへ! 走らないで!」


 私の言い方、うつってるね。


 緑が見えなくても、灯籠の下には、人が立っている。角に人を立てたのは、このためだ。


「落ち着いて、こちらへ。走らないでください」


 白い灯りの下の子どもたちの肩に手を置いて、私はおかみさんの腕の向きへ押し出した。


 下町の人の流れが、伸ばした腕のほうへ動きだした。


 隣の番の家のおかみさんがお年寄りの手を引き、子どもを背負ったお父さんが続く。


 灯籠の下では、騎士が同じ向きを指したまま。


 家に戻りかけた一家の前に、騎士が回って、低い声で言った。


「竜は、灯りのそばの屋根に降ります。家の中は、灯りのそばです。外へ」


 布をかけた大通りには、騎士の手提げの灯籠が点々と立っている。そこへ入ったところで、人の流れは、いっせいに手を外したそうだ。


 ふさいでおいた目で、暗がりを見る。


 海賊が、いっせいに目を取りかえた。


 フリッツくんは、家族と先に出した。


 宮殿の塔の早鐘が鳴りはじめたのは、それから、ずっとあとだった。


  ◇


 角から、人の流れが消えた。


 私は、鍛冶屋の角から、出口のほうへ歩きはじめた。最後の見回りは、いちばん奥から出口へ。


 角の騎士が、灯籠と祠の火を消してから、私に言った。


「この角、異常なし。火、なし」


 それから、二人が私のうしろについた。


 ほかの角の騎士たちも、火を消して呼び子で返してから、大通りへ出ていく。


 明るい通りから暗い行き止まりをのぞくときは、ふさいでおいた目を開けた。


 誰も、いない。


 灯火商会の職人さんたちも、倉の見張りも、騎士が大通りへ連れていった。


 出口にいちばん近い、おじいさんの角で、私は足を止めた。


 祠の前に、おじいさんが、ほうきを持って立っている。


 両脇で、角の騎士が二人、困った顔をしていた。


「火の番が、火を離れちゃならねえ」


 そのとき、翼の音がした。


 北の空から、黒い影が、広場の上を越えてくる。


「火は、消していいんです。番の方が、先です」


 おじいさんが、灯籠を見上げた。


「……聖人様は、走ってらっしゃる」


 おじいさんが祠の火を吹き消した、そのとき、頭の上の屋根が、みしりと鳴った。


 大通りに近い、この角の屋根に、竜が降りた。


 長い首が、真下の白い灯りへ下りてくる。おじいさんの膝が、抜けた。


 淑女のたしなみ、紅茶の作法。


 カップの紅茶を一滴もこぼさない平衡で、おじいさんを、ほうきごと抱えあげる。


 走らない。竜に背中を見せない。一歩ずつ、灯りから離れる。


 喉は鳴りやまない。でも、竜のほうへは、半歩も出ない。


 金色の目が、私を見た。


 足は、止めない。かといって、速めもしない。


 五歩、六歩。


 白い灯りの届かない、布をかけた大通りの暗がりまで下がって、おじいさんを下ろした。


 騎士の四人が、口を開けたまま、うしろに並んでいる。


 これで、最後の一人。


 竜は、もう私たちを見ていなかった。


 真下の灯りに鼻を寄せ、枠の中の石を、そっとくわえて外す。


 首を伸ばして、隣の角の灯りに鼻を寄せただけで、通りすぎる。


 屋根を渡って、その先の角で、もう一つ。また渡って、もう一つ。


 三つくわえると、竜は顔を上げた。


 私の喉の奥で、小さな音がした。


 くう。


 先輩は、竜を見ていた。


 竜は北へ帰っていった。


 おじいさんの角の騎士が戻って、灯籠の火を消した。


「火、なし」


 持っていったのは、三つだけ。下町じゅうの角の白い灯りは、まだほとんど全部が光っている。


 ……なら、残りは、よその巣の子?


 その親たちは、まだ来ていない。


 布をかけ直すまでは、誰も下町へ戻せない。


  ◇


 中央広場の西の端では、かがり火の前で、番の家の人たちが、角ごとに名前を呼んでいた。


 騎士が数え、商会の人の数も数えた。


 竜が頭の上を越えていったときも、ここでは誰も走らなかったそうだ。


「見回り、終わりました。残っている方、なし」

「下町、一人残らず!」


 騎士団長の声に、歓声が上がった。


 けが人は、転んだすり傷が二人。


 石のある聖堂からかがり火の隣へ移した救護所では、灯火卿の祝福を断ったミレイユさんと、アンナが、もう手当てを終えている。


 壊れた屋根は、三軒。


「騎士団長。下町の白い灯りに、布を。それまでは、どなたも戻さないでください。入るのは二人一組、出口の側から」

「……承知した」


 騎士団長が、私の横に並んだ。


「竜が来たときに民を守れるのは、騎士か、狂犬か」


 騎士団長の口が、ゆっくり動いた。


「……騎士と、狂犬で、だな」

「番の家の皆さんも、です」


 宮殿から来た近衛の方の話では、陛下は早鐘と同時に、窓も石の灯りもないお部屋へ移られて、ご無事だそうだ。


 申し送りは、ちゃんと届いていた。


 フリッツくんも、駆けてきた。


「師匠! 師匠の声、北の門まで聞こえたそうであります!」


 それ、盛ってない? 近所迷惑って言葉、この国にもあるのかな。


 荷車の日の、いちばん小さい子が、足もとで私の裾を引いた。


「おねえちゃん。さっきのも、おなか?」

「……おなかより、ちょっと上です」


 ほうきを持ったおじいさんが、私を見ていた。


 訂正は、八日後。今夜が、その日だ。


「あの灯籠、聖人じゃなくて、出口のしるしで……」

「知ってるよ」


 おじいさんが、笑った。


「人を逃がす、しるしだろう。……だから、聖人様だ」


 訂正、失敗。


 そのとき、人ごみの端で、灰色の上着の、商会の職人さんの声が聞こえた。


「吠えたら、竜が来たんだ。ほんとに」


 見たとおりの言い方だし、順番も、本当だ。


 隣の男が、うなずいて言いかえた。


「狂犬令嬢様が、竜を呼んで、追い払ってくださったのさ」


 その言い方が、隣へ、また隣へ渡るうちに、短くなっていく。


「狂犬が吠えると、竜が来る」


(……わたくし、知らせただけですわ)


「知ってます。聞いてましたから」


 ……次に竜が来た夜、呼んだのは誰ってことになる?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。