↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
32/34

第32話 走りどおしで、いいんです

(……八日、ですわね)


 朝いちばん、寝台の中で、先輩が言った。


「先輩。その秒読み、毎朝やるんですか?」


 返事はない。


 下町の角で、私ははしごの脚を押さえている。


 上では、フリッツくんが緑の灯籠を、吊るす高さに当ててみている。


「師匠! ここで、ありますか!」

「はい、そこ。矢印が、大通りを向くように」


 灯籠の正面のガラスは、緑に塗ってある。塗り残した形は、矢印と、その向きに走る人。火を入れると、そこだけ白く光る。


 夜会の宮殿に掛けたのと同じ、誘導灯。前の世界で、出口の上や曲がり角に光っていたしるしだ。


 下町の角には、どこも壁を大きくえぐった、大人が三、四人立てるほどのくぼみがあって、奥に小さな石の祠(ほこら)が建っている。中に、古い聖人様の像と、ろうそくの火。


 灯籠を吊るすのは、そのくぼみの脇の壁の、人の頭より高い所。


 その祠の前で、おじいさんがほうきを止めた。


 きのう角の家に頼んで回ったとき、おじいさんの家だけ、留守だった。


「……新しい聖人様かね」

「いえ、聖人じゃなくて、走る人です。矢印のほうが、出口で」

「出口へ、走ってらっしゃる」


 おじいさんが、ゆっくり手を合わせた。


「人を逃がす、聖人様だ」


 ちがいます。


 そう言う前に、はしごの上でフリッツくんが胸を張った。


「師匠の、走る人であります!」


 向かいの二階で洗濯物を干していたおかみさんが、身を乗り出す。


「フリッツんとこの師匠の、走る聖人様だってよ!」


 声が、通りの向こうまで渡っていった。


 ……噂の足、私より速い。


「あの……この角に、掛けさせていただいても?」

「聖人様なら、いくらでも」


 許しは、もらえた。聖人様として。


 フリッツくんが、金具を壁に留めて、灯籠を吊るした。


 きのう一日歩いて回ったら、どの家でも、灯火の夜は下町じゅうが夜の通りに出て見物する、という話だった。


 しかも路地は細くて、曲がった先が行き止まりの所がやたらと多い。


 夜に迷いそうな分かれ道を数えたら、十二あった。


 だから、その十二の角に、出口のほうを指す灯りを掛ける。


 本番が、いつ来てもいいように。


 宮殿の巡回はオットーさんたちに頼んで、きのうから、騎士団長に借りた下町生まれのフリッツくんと、下町を回っている。


 ガラスは下町のガラス屋さんがひと晩で塗ってくれて、壁から離して吊るす金具は、フリッツくんのお父さんの鍛冶場の作。


 代金は、相談役のお給金の前借り。


 初めてのお給金が、手もとに来る前に、全部、緑のガラスになった。


 ……お給金って、こういうものだっけ。


 前の世界でも、わりとそうだったよね。


  ◇


 昼までに十二の角に掛け終えて、フリッツくんは余った金具を鍛冶場へ返しに行った。


 私は、一つ目の角から見て回る。


 最初の角のおじいさんが、ほうきを持ったまま、ずっとついてくる。


 そして角を回るたびに、灯籠の下のお供え物が増えている。


 一つ目の角は、花と、丸パン。


 推しの祭壇が、できはじめた。


 次の角では、灯籠の金具に、花輪が引っかけてあった。


「火のそばは、だめです!」


 花輪は、祠の屋根の上に、かけ直してもらった。


 祠の中の聖人様の頭の上が、ちょっと華やかになった。


 その次の角で、私は足を止めた。


 灯籠の下から、路地の入口へはみ出して、椅子が一脚、置いてある。


「聖人様、走りどおしで、お疲れだろうからね」


 前掛けのおかみさんが、にこにこしている。


 やさしい。とても、やさしい。でも。


「走りどおしで、いいんです!」


(……走りどおしなのは、どなたかしら)


 私は、ちゃんと休んでます。たぶん。


 おかみさんに断ってから、椅子を戸口の中へ入れた。


「暗いと、人は壁を伝って歩くので、壁ぎわの物につまずきます。お供え物は、祠の前へお願いします」

「……休ませてあげないのかい」


 非常口の走る人は、休まない。休んだら、困る。


 それから、ろうそくの火だから、番もいる。


 そう言いかけたら、おじいさんに先に言われた。


「祠の火の番は、角の家の持ち回りでね。百年、一度も火事を出してねえ」


 見れば、くぼみの隅には水を張った桶があって、角の家の窓は、どれも祠のほうを向いている。


 百年か。……前の職場の防火管理より、長くない?


 走る人も、通りに誰もいない夜中だけは、番の人に消してもらう。番のいない火のほうが、ずっと困る。


 そうお願いしたら、角の家の人たちが、わっと集まってきた。


「聖人様の火の番は、うちが」

「いや、うちだ」

「うちは、パンを出したよ」


 取り合いになったので、番の順番は、角ごとにくじで決めてもらった。


 当たりの家から、歓声が上がる。


 動機はともかく、手順は完璧だ。


  ◇


 昼すぎ、最初の角に戻ると、大通りの向こうから拍手と歓声が近づいてきた。


「灯火卿さまだ!」


 穏やかな顔に、銀の混じった髪。


 竜晶灯を王都じゅうに広めた、灯火商会の主。オーベルト侯爵だ。


 灯火卿の指輪の小さな石で、首の後ろがちりっとする。


 うしろには、灰色の上着の職人たちが、布をかぶせた鉄の灯りの枠を担いでいる。


 角ごとに一つずつ、据えていくらしい。


 枠のほうからは、何も感じない。


「これは、相談役殿。宮殿のお方が、下町までお運びとは」

「オーベルト侯爵。……枠だけ、ですか」

「石は、当日に入れます。楽しみは、一度に開けるものですから」


 にこやかに言ってから、灯火卿は少しだけ声を落とした。


「聖女様のお返事が、まだでしてね。相談役殿から、ひと言いただけませんか」

「聖女様のお返事は、聖女様のものです」

「では、お待ちしましょう」


 微笑みが、ひとすじも動かない。


 灯火卿は、緑の灯籠を見上げた。


「ろうそくの灯籠ですね。……灯火の夜には、下町の灯りを、ろうそく一本残さず消していただきます。覆いを外す、その一瞬まで、真っ暗に」


 ……真っ暗?


「そのほうが、新しい灯りが、皆さんの目に美しく映りますから」


 下町じゅうの人が、真っ暗な細い路地に、ぎっしり。


 それ、いちばんやっちゃいけないやつでは?


「真っ暗な通りに大勢出るなら、出口のしるしは、消せません」

「暗いのは、覆いを外すまでの、ほんのひとときです。そのあとは、竜晶灯があります」

「消えたら?」

「竜晶灯は、消えません」


 まったく迷わずに、にこりと言う。


 この方は、本気で、そう信じている。


「誘導灯も、消しません」


 灯火卿が、職人のほうへ目をやった。


 職人の一人が、先の曲がった長い棒を、灯籠の金具へ伸ばす。


 私は、その職人の前へ、一歩出た。


「この灯籠は、角の家の皆さんに許していただいて、掛けたものです。外すかどうかは、皆さんが決めます」


 棒の先が、金具の手前で止まった。


 私の横に、おじいさんが、ほうきを持って並ぶ。


「そいつは、走る聖人様の火だ。よそ様に消させるもんかい」


 角の家々の戸が開いて、人が出てきた。


「消したら、罰が当たるよ」

「うちは、くじで番に当たったんだ!」


 聖人じゃない、とは、いまは言わない。


 訂正は、八日後。


 灯火卿は、集まった顔を一つずつ見た。


 それから灯籠を見上げて、帽子を取った。


 走る白い人に向かって、深々と、頭を下げる。


「これは、失礼を。聖人様の火は、残しましょう」

「さすが、灯火卿さまだ!」


 ……非常口の人、出世しすぎでは?


 職人が、棒を下ろした。


 灯籠は、残った。


 でも、真っ暗は、残ったままだ。


 小さいほうを譲って、大きいほうは、一歩も譲っていない。


 帰りぎわ、灯火卿は二歩離れたところで足を止めて、私にだけ聞こえる声で言った。


「民は、明るいほうへ集まるものですよ、相談役殿」


 知ってる。


 暗いところで、人は、明るいほうへ逃げる。


 真っ暗な下町で、いっせいに覆いが外れたら、いちばん明るいのは、竜晶灯だ。


 そのとき何かあったら、人は、出口じゃなくて、石のほうへ走る。


 緑の灯籠は、見えなくなる。


 この方は、それを分かっていて、言っている。


  ◇


 日暮れ、私は、いちばん奥の、川港に近い鍛冶屋の角にいた。フリッツくんの家の角だ。


 番の家の人たちが、祠の火から灯籠へ、火を移していく。


 この角でも、緑の中を、白い人が走りだした。


「師匠。うちの角にも、灯りがつきました!」


 フリッツくんが、鼻の下をこすった。


 ちょっと、目にしみる。


 子どもたちが灯籠を見上げて、通りの真ん中に集まってきた。五人。


 明るいほうへ。……私の灯りにも、人は集まる。


 そのとき、首の後ろが、ちりっとした。昼の指輪より、強い。


 角の向こうから、車輪の音。


 樽を積んだ荷車が、川港の船着き場のほうから曲がってくる。


 子どもたちは、上を見ている。


 私は、子どもたちと荷車のあいだへ一歩出て、片手を上げる。


 馬の鼻先まで、二、三歩。


 喉が、低く鳴った。


 手が上がりきる前に、馬が首を跳ね上げた。


 耳をぴんとこちらへ向け、鼻を鳴らして、四本の脚を突っぱって止まる。


 ……止まったの、私の手より先だったよね?


 でも、次に驚いたら、走りだすかもしれない。


「御者(ぎょしゃ)さん、手綱を、そのまま」


 灰色の上着の御者が、舌打ちしながら手綱を押さえた。


「落ち着いて、こちらへ。走らないでください」

「灯籠の人は、走ってるよ?」

「あの人は、走るのがお仕事なので」


 答えながら、子どもたちを、荷車の入れない祠のくぼみへ寄せる。ろうそくからは、一歩離して。


 ここで走ったら、馬がまた驚く。


 一人、二人、三人、四人。


 子どもが荷車から離れるほど、喉の音が小さくなっていく。


 五人目がくぼみに入ったのを見てから、私も脇へ下がって、通りを手で示した。


「どうぞ」


 荷車が、ごとごと出ていった。


 樽は、六つ。


 いちばん小さい子が、私の顔を見上げた。


「おねえちゃん、いま、おなか鳴った?」

「……鳴りました」


 令嬢の名誉と引きかえに、先輩のことは守った。


 子どもたちは、もう灯籠を見上げている。


 小さな緑の灯りでも、これだ。……竜晶灯なら?


 灰色の上着に、首の後ろのちりっ。……北の路地の樽屋さんの「毎晩」の、あの樽だ。


「フリッツくん、一緒に来て。行き先を見たら、すぐ戻るから」

「は、はいっ!」


 角は今夜の番の家にお願いして、二人で荷車を追った。


 荷車は、川港のそばの、窓のない石の倉の前で止まった。


 私たちは、倉の向かいの軒下で足を止めた。扉まで、十歩ほど。


 扉が開いて、荷車が中へ入っていく。


 開いた扉から、灯りもないのに、白い光が通りへこぼれ出た。


 フリッツくんが、私の袖をつかんだ。


 首の後ろは、もう、ちりっどころじゃない。


 喉の奥で、低い音が鳴りはじめて、止まらなくなった。


 それでも、足は前へ出ない。


 吠える前に、まず私に知らせる。先輩とは、そう約束している。


 喉だけが、言うことを聞かない。


 扉の前の見張りが、こちらに気づいて、声を張った。


「商会の倉です。灯火の夜まで、どなたも入れるなと」


 私は一歩下がって、扇子を開き、口もとを隠した。


 倉の見張りとして、正しい。


 私には、ここを開けさせる権限がない。


 閉まりかけた扉の向こうに、棚が見えた。


 藁を敷いた棚に、丸い石が一つずつ、半分うずもれて並んでいる。


 大事な割れ物の、しまい方? ……というより。


 寝かしつけてある、みたいだった。


 目が、勝手に棚を数えはじめる。


 手前の棚だけで、四段。その奥にも、棚。その奥にも。


 数えきる前に、扉が閉まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。