第31話 救命の、聖歌ですわ
聖堂の祈りの間の床に、藁の人形が十体、ぜんぶ同じ顔で仰向けに寝て、天井を見ていた。
……多くない?
「アンナ。頼んだのは、一体だよね?」
「はい、お嬢様」
アンナは針山を胸に抱いたまま、きりっと答えた。
「治癒術士の皆さまが九人と、聖女様で、十人。お一人に一体でございます」
私の数えるくせが、うつってる。
ひと晩で十体なので、目の下が、ちょっと青い。
「では、オディール様のお隣の一体は、わたくしが使いますわ」
ミレイユさんが、私のすぐ横の人形の前に膝をつく。
「お隣は、わたしの持ち場です」
アンナが、針山を構え直した。
朝の聖堂で、張り合わないでほしい。
手当てのやり方を聖堂の皆さんにも、とミレイユさんに頼まれて、今日はここにいる。
きのう塔で見た石の中の影のことは、イグナーツさんが帳面を抱えこんで、てっぺんの部屋にこもって調べている。気にはなるけれど、今朝の私は、聖堂にいる。
祈りの間はろうそくの明かりだけで、首の後ろも静かだ。
奥から、白い眉の年配の治癒術士長を先頭に、九人の治癒術士の方たちが進み出た。
「胸を押す術のことは、聞いております。祝福式の広場で、死者を蘇らせた秘術だと」
……あ。その噂、まだ生きてるんだ。
「生き返らせてません。つないだだけです」
九人の顔が、そろって少し曇った。
「心臓が止まったら、胸を押して、心臓のかわりに血を送り続けます。止まってから数分で、皆さんの光でも戻せなくなるので、そのあいだを、つなぐんです」
押していれば見込みは残るけれど、長くはもたない。
「気づいて、呼ぶ。押して、つなぐ。癒やして、戻す。……私がつないで、皆さんが戻す」
九人が、同じ顔をした。
間に合わなかった誰かを、一人ずつ思い出している顔だった。
私は、藁の人形の前に膝をついた。
「次に竜が王都へ降りたら、けが人は、ここへ運ばれてきます」
竜が来たときに民を守れるのは、騎士か狂犬か。騎士団長との広場の勝負は、引き分けだった。
「本番は、まだです」
◇
「教える資格は、ないんです。習ったとおりに、やりますね」
前置きしてから、人形の胸の真ん中に手のひらの付け根を置き、もう片方の手を重ねて指を組む。
肘を伸ばして、肩を手の真上へ。
「押したら、胸が戻るまで力を抜きます。手は、離さない」
ぐっと押す。
ぴっ。
人形の胸の板の下で、小さな笛が鳴った。
(……藁に、わたくしの力を使いますの?)
全部出したら人形が床ごと抜けるので、ちょうどの深さだけです。
「アンナの仕掛けです。胸が五センチくらい沈むと、板が下の笛を踏んで、鳴ります」
前の職場の訓練人形の話をしたら、アンナはゆうべのうちに、革のふいごの笛を板の下へ縫いこんでくれた。
藁だけだと胸が戻らないからと、しなる板まで一枚入っている。
侍女の工作力、高すぎない?
治癒術士の方たちが、一人一体ずつ、人形の前に膝をつく。
そっと手を置いて、そっと押す。
鳴らない。
「それ、撫でてます」
ふだんは手を当てて癒やす仕事なので、押すのが怖いらしい。
「もっと強く。人形なので、大丈夫です」
ぴっ。……ぴっ。
今度は、遅い。
「ひと、つ……ふた、つ……」
祈りを数える速さだ。
「一分に、百から百二十です」
懐中時計はここにはないし、あっても見ながらは押せない。
前の講習では、歌で拍子をとった。でも、ちょうどいい速さのこの国の歌を、私は一つも知らない。
……どうしよう。
「それなら、聖歌がございます」
治癒術士長が、すっと背すじを伸ばした。
「朝の聖歌。明けの鐘のあとに歌う、速いほうの歌です」
口ずさんでくれた歌は、速くて明るくて、ちょうど押す速さだった。
「それです!」
治癒術士の方たちが、聖歌を口ずさみながら押しはじめた。
ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴっ。
朝の聖歌に、ぴっ、が混ざる。
荘厳さが、ちょっと減った。
一分ほどたつと、ぴっの間が遠くなって、ときどき鳴らなくなってきた。
押している本人たちは、気づいていない。
「交代です。疲れてなくても」
二人で一体の人形を受け持ってもらって、押す人は押すだけ、待つ人が歌う。九人なので、あまった一人がミレイユさんと組んだ。
「交代!」
声と同時に次の手が入って、ぴっが一つ抜けただけで、また鳴りだす。
いまの、すごくいい。
「お嬢様。わたしも、押してよろしいでしょうか」
アンナが、あいている人形の前に膝をついて、肩を手の真上に、肘を伸ばして、体ごと押した。
ぴっ。ぴっ。ぴっ。
一回目から、鳴った。
「縫ったので、深さを存じております」
ずるい。……いや、ずるくはない。正しい。
アンナは満足そうに針山を抱え直して、私のうしろへ戻った。戻る場所まで、きっちり持ち場だ。
◇
ミレイユさんの番になると、ぴっが鳴らない。
小さな手と細い腕で一生けんめい押しているけれど、肩が手よりうしろにあって、腕の力だけで押しているから、何度やっても鳴らない。
ミレイユさんの手が、止まった。
「十二の冬に、呼ばれて走った先で」
いつもの、穏やかな声だった。
「わたくしの光は、白いまま、何も起きませんでしたの」
それだけ言って、ミレイユさんは顔を上げた。
「わたくしにも、教えてくださいませ。胸の押し方を」
慰める言葉は、たぶん、いらない。
私は、ミレイユさんの横に膝をついた。
「腕じゃなくて、体の重さで押します。膝を、人形の胸の横に寄せて」
ミレイユさんの膝が、人形の胸の横にくっつく。
「肩を、手の真上に。肘は伸ばしたまま、腰から上ごと沈めてください」
ミレイユさんが息を吸って、体ごと前へ沈んだ。
ぴっ。
青い目が、まんまるになった。
もう一度押すと、また、ぴっ。
聖歌に乗って、ぴっ、ぴっ、ぴっ。
ミレイユさんの手のひらが、癒やす光じゃなくて、心が動いたときのあの光で、うっすら光りはじめた。
目のふちが、濡れている。
「オディール様と、同じ深さですわ」
その涙のぶんは、たぶん、十二の冬のぶんだ。
「そのかわり、小柄だと疲れるのが早いです。交代は、早めに」
「はいっ」
うしろから、アンナの声がした。
「わたしも、同じ深さでございます」
そこ、張り合う?
ちょうどそのとき、祈りの間の扉が、ぎい、と開いた。
金糸の縁どりの衣を着た、司祭長だった。
「……何の儀式です」
ミレイユさんが涙をふいて、すっと立ち上がる。
「救命の、聖歌ですわ」
朝の聖歌に、新しい名前がついた。……あとで、怒られるやつかもしれない。
司祭長は、ぴっ、を三回聞いた。
それから黙って、あいている人形の前に膝をついた。
え、押すの?
「あの、押す人は歌わない決まりで。……歌を、お願いできますか」
司祭長は一つうなずいて立ち上がり、朝の聖歌を歌いはじめた。
一つも、ずれない。さすが、毎朝の先導役。
祈りの間じゅうの「ぴっ」が、だんだん司祭長の歌にそろっていく。
この国の拍子の機械、見つけちゃった。
◇
歌い終わると、治癒術士長が司祭長に向き直った。
「竜の日には、この祈りの間を、救護所にいたしましょう。運ばれてきた方を、わたくしどもがつないで、聖女様と癒やします」
司祭長が、うなずく。
「気づいて、呼ぶ。押して、つなぐ。癒やして、戻す」
治癒術士長が、さっきの私の言葉を、ひとことずつ確かめるように繰り返した。
救護班が、できた。
本番の日、けが人をつなぐ手が、ここに十人ぶんある。
そのとき、首の後ろが、ちりっとした。
回廊のほうから、布をかけた灯りを提げた、上等な上着の男の人が入ってくる。
「聖女様。灯火卿より、お願いがございます」
男の人は、丁寧に頭を下げた。
「十日後の、灯火の夜。下町の通りすべてに新しい竜晶灯を据えて、いっせいに覆いを外します。その灯りに、聖女様の祝福を」
布を、少しだけめくる。
「こちらが、見本でございます」
ミレイユさんは見本に手を伸ばさずに、かわりに私を見た。
下町の、通り、すべて。
避難訓練の日、南の大通りへ歩いて出ていった人たちの、家のほうだ。
……樽屋さんの「このところ、毎晩」の、あの石の樽?
男の人が、見本を提げたまま、一歩こちらへ近づく。
「そこで、お止まりください」
男の人の足が、ぴたりと止まった。
喉が、小さく鳴る。ぐる。
(……十日、ですのね)
先輩が、それだけ言った。
本番は、まだ。でも、日にちがついた。
……先輩。その言い方、秒読みに聞こえるんですけど? 十、九、八、って。




