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第29話 原因は、あとで

「……火事?」


 三階の部屋から、魔術師の方たちが、そろって首だけ出していた。


 はい、火事です。たったいま、なりました。


 ぐるぐる回る階段の上から、灰色の煙が下りてくる。


 煙は、上へは人が走るより速い。


 天井で行き場をなくしたぶんが、上の階からたまって、下りてくる。


 ……ここ、まだ上に二つも階があるんだけど。


「下へ。出たら、芝の向こうまで。戻らないでください」


 手のひらをそろえて、下りの階段を示した。


 三人が、抱えかけた本をちゃんと置いて、階段の口へ来る。


 えらい。


 問題は、階段のほうの本だ。


 階段の壁の側は、段ごとに本の山。


 通れるのは吹き抜けの側の半分だけで、そっちには腰までの石の縁しかない。


 誰ですか、階段に図書館を作ったの。……知ってます。てっぺんの人です。


「本の山に、手を。それが、壁のかわりです。前の人と、間をあけずに」


 三人のうち、いちばん若い、前髪の長い魔術師の方の袖を、そっとつかむ。


「外の入口に、黒髪の騎士がいます。伝えてください」

「……私が?」

「はい。塔の中は、八人。上に、三人。相談役が、迎えに上へ。水と、治癒術士を。中へは、誰も入れないで」


 長い前髪の下で、唇が小さく動いた。


「塔の中は、八人。上に、三人。相談役が、迎えに上へ。水と、治癒術士。中へは、誰も、入れない」


 一語も落ちてない。伝言、満点じゃん。


「お願いします」


 若い背中が、本の山に手をつきながら下りていく。


 私は吹き抜けの下へ向かって、声を張った。


「二階の方! 火事です! 下へ!」


 二階の踊り場に、人影が二つ出てきた。


 よし、下はまだ見える。


「上へ?」


 数段下で、年かさの魔術師の方が振り返った。


「煙の、ほうへ?」

「上に、まだ三人います」


 煙は、上から来る。人も、上にいる。なら、行くのは上でしょ。


  ◇


 二段上がっただけで、煙の味がした。


 姿勢を低く、ドレスの袖で口と鼻を覆うと、床すれすれだけは、まだ見えた。


 本の山の背に指をそわせて、手と足で、階段を上っていく。


 喉が鳴る。ぐる。ぐるる。


 火にあぶられている、てっぺんの石のせいだ。


 四階の踊り場では、二人が、大きな木箱を運び出そうとしていた。


「箱は、置いてください!」

「……観測の、記録が」

「箱は、あとで。人が、先です」


 二人が顔を見合わせて、箱を下ろした。


「低く。袖で、口を。本の山に手をついて、踊り場を数えながら」


 二人の背中を、下りの階段の口へ向ける。


「走らないで。行って」


 咳が二つ、下へ遠ざかっていく。


 あと、一人。


 てっぺんの踊り場に着いたとたん、咳が聞こえた。


 実験室の扉のすぐ外、壁ぎわに、人影が座りこんでいる。


 紙の束を胸に抱えた、眼鏡のないイグナーツさんだ。


「イグナーツさん、立って!」


 腕をつかんで扉のそばから引きはがすと、焦げた袖の下で、前腕が赤くなっていた。


 開いたままの扉の奥で、卓の上の火が天井をなめかけている。


 天井に届きかけた火は、消さずに逃げるのが決まりだ。


 窓ぎわでは、竜晶が三つ、煙の向こうでにじんで光っている。


 ぐるるる、と喉の唸りが胸の奥まで響いて、さっきの「今日いちばん」より、ずっと強い。


 足が、部屋のほうへ半歩出かけた。


 先輩。いまは、石じゃない。人。


(……分かっておりますわ。人が、先、ですわね)


 ……うん。人が、先。


 部屋の中に、人影はない。


 熱い取っ手を袖ごしにつかんで、思いきり扉を閉めた。


 火の部屋は、閉じこめておく。


「……その声は、相談役か」


 イグナーツさんが、目を細めて、私のいるあたりを探す。


「頭は? 目は?」

「眼鏡が、ないだけだ」


 咳の合間に、続けた。


「炎は、半分にした。……なぜだ」

「原因は、あとで。まず、出ます」

「石が——預かり物の」

「あなたが、先です」

「見えん」

「見えなくていいです。紙は脇に。片手は私の肩、もう片手は本の山に」


 火から一番遠い棚は、扉のすぐ脇だった。さっき紙を移してもらっといて、よかった。


 肩に、イグナーツさんの手が乗った。


 一つ下の踊り場まで下りてから、吹き抜けの下へ向かって声を張った。


「下の扉! こちら、アイゼンハルト! てっぺんの一名、保護! 腕に、やけど。歩けます! これから、下ります!」


 それから、くせで。


「……どうぞ」


 閉めた扉の向こうで、火の鳴る音だけがした。


 ずっと下から、声が返ってきた。


「七人、出た!」


 副団長の声だ。


「残りは、二人だ!」


 二人。イグナーツさんと、……私。


 さっきの伝言で、私は「塔の中は、八人」と言った。


 前の職場の最後の夜、無線で言った「避難、完了しました」にも、私は入っていなかった。


(……当たり前ですわ)


 先輩が、言った。


(わたくしの体も、数のうちですもの)


 ……うん。


「はい! 二人で、下ります!」


  ◇


「一段ずつ、私が先に下ります。低いまま。肩から、手を離さないで」

「離さん」


 踊り場ごとに、立ち止まって数を言う。


「三」

「……三」


 イグナーツさんが、うしろで繰り返す。記録するみたいに。


 三階を過ぎたところで、イグナーツさんの肘が当たって、壁ぎわの本の山が崩れた。


 崩れた本に、うしろの足がずるっと滑る。


 振り向くより先に、私の片手がイグナーツさんの手首をつかんでいた。


 この体、こういうとき本当に迷わないよね。


「踏んだ」


 イグナーツさんが、かすれた声で言った。


「私の、本だ」

「あとで、一緒に寄せましょう」

「……ああ」


 少しして、うしろから聞こえた。


「一緒に、だ」


「二」

「……二」


 煙が、薄くなっていく。


「一」


 扉が、四角く光っていた。


 その向こうに、緑。


 いちばん下に、緑が一つ——じゃない。芝の、一面の緑だった。


 扉の手前で脇へよけて、イグナーツさんを先に通す。


 扉の脇に、副団長が立っていた。人差し指を立てて、出てくる人を数えている。


「……八」


 私がくぐると、指が、私で止まった。


「……九」


 それから副団長は、その指を、すっと振り下ろした。


「……よし」


 待って。それ、私の。


「全員だ」


 私も、声に出して報告する。


「九人、全員、外です」


 息を、吸った。


「避難、完了しました」

「……承知した」


 返事を、聞いた。


  ◇


 副団長の背中で、何かが光っていた。


 白くてやわらかい光が、手のひらの形に、二つ。


「ミレイユさん?」


 ミレイユさんが副団長の背中に両手を押し当てて全力で押しているのに、副団長は一歩も動いていない。


 オットーさんが、水桶を抱えたまま、小声で教えてくれた。


「治癒術士を呼びに走ったら、今日は宮殿でお務めだった聖女様が、治癒術士より先に走ってこられまして。中へ入ろうとなさったのを、副団長が『聖女も、誰も、のうちだ』と」


 ……言いそう。


「回りこもうとなさるたびに、副団長が半歩ずれて前に。それから、ずっと押しておられまして」


 副団長が、片方の肩をぐるりと回した。


「……肩が、軽い」


 通せんぼの相手まで治してたら、そりゃ、いつまでたっても通れないよね。


「オディール様!」


 やっと通れた道を一直線に、ミレイユさんが私の前まで来た。


「ミレイユさん、手当ては芝の向こうで。こちらの方が先です」


 塔から離れた芝の上に座らせたイグナーツさんは、鼻の下に煤がついて、声もかすれていた。


「のどを、いま診てください。腕は、冷やしてからです」


 水桶を運んできたオットーさんに、桶のひしゃくを渡した。


「服の上から、水をかけ続けてください。はがさないで。ぬるくなったら、替えて」


 ミレイユさんの手が、イグナーツさんの喉もとで光りながら、ちらっと腕を見た。


「腕も、いますぐ癒やせますのに」

「熱が、まだ奥へ進んでます。二十分、冷やします」

「……アイゼンハルト嬢」


 副団長が、塔を見上げたまま言った。


「爆発の、原因は」


 芝に座りこんだ魔術師の方たちが、いっせいにイグナーツさんを見た。


 イグナーツさんが、眼鏡のない目を伏せる。


「あとでです。まず、安全確保です」


 閉めてきたてっぺんの扉をいま開けたら、空気が入って、一気に燃え上がる。


「扉が冷えるまで、誰も開けないでください」


 それから、イグナーツさんに向き直る。


「上に、まだ爆ぜる物は?」

「酒精の瓶が、棚に、四本」


 四本。……よく燃えるお酒が、まだ四本。


「塔のまわりから、人を離してください」


 副団長は、もう振り向いていた。


「ヨナス。塔のまわりから、人を離せ」


 イグナーツさんが、腕を水に打たれたまま、顔を上げた。


「……責めないのか」

「責めるのは、私の仕事じゃないので」


 それに。


「まだ分からないことで、人は責められません」


 イグナーツさんは、それきり黙った。


「この方、今夜は、どなたかと一緒に。夜になってのどが腫れても、すぐ気づけるように」


 芝の上の魔術師の方たちが、咳をしながら、初めておたがいの顔を見た。


「君、三階だったのか」

「十年、君の真上だ」


 十年目の、はじめまして。……そこから?


「では、てっぺんの真下の私たちが」


 四階の二人が、そろって手を挙げた。


「四階のお二人と、私も、あとで診てください」

「オディール様は、いちばん最初に」

「いちばん最後で」


 二十分たって、ミレイユさんが、冷やした腕に手を当てると、光がゆっくりしみこんでいった。


「……跡が、残りませんわ」


 ミレイユさんが、目を丸くした。


「いつもより、ずっと、きれいに。冷やしてから癒やすと、こんなに……」


 え、そうなの? それは、知らなかったな。


「オディール様が冷やして、わたくしが癒やす。ふたりで、ひとつの手当てですわね」


 分担です。救護の、分担。


 イグナーツさんは、治った腕を目の前まで持ってきて眺めてから、私のほうへ目を細めた。


「二十分、たった」

「はい」

「『あとで』に、なった」


 ……あ。さっきの「原因は、あとで」の、あとで? 律儀か。


「爆発の、直前だ」


 イグナーツさんの声が、低くなった。


「石が、脈を打った」


 ……脈?


「石って、脈、打つんですか?」

「打たん」


 即答だった。


「だから、未知だ」


 眼鏡のない目が、ちょっと光る。


 未知って言いながら、うれしそうにしないでください。


「打ったのは、一つだけだ。いちばん長く、火であぶっていた石だ」


 点検のとき、先輩がいちばん強く鳴ったのも、あの石の前だった。


 喉はまだ、塔のてっぺんへ向かって、低く鳴っている。


 ねえ、先輩。……あの石、何なの?

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