↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/34

第28話 全部そろうと、燃えます

「帰れ」


 扉を叩いたら、扉の向こうから、そう返ってきた。


 まだ、名乗ってもいないのに。


 魔術塔の扉には、古い札が打ちつけてある。〔許しなき者、立ち入るべからず〕。


 ……立入禁止の札を、貼られる側になった。


 うしろでは、オットーさんとヨナスさんが、入口の外で気をつけをしていた。騎士は入れない塔なので、二人はここまでだ。


 副団長も、塔の窓を見上げたまま、入口の外に残っている。


「王宮警備相談役の、アイゼンハルトです。防火の点検に、まいりました」


 扉が、顔一つぶんだけ開いた。


 煙と一緒に、咳きこむ男の人が顔を出した。


 ぼさぼさの髪に、丸い眼鏡。袖は焦げていて、指がインクで真っ黒だ。


 扉が開いたとたん、首の後ろが、ちりっとした。


「……狂犬か。帰れ」


 名乗ったら、悪口がひとつ増えた。


「さっきの『どん』は、何でしたか?」

「成功だ」


 成功。……爆ぜたのに?


「爆ぜ方が、予想どおりだった。だから、成功だ」

 眼鏡の奥の目が、ちょっとだけ得意そうになる。


 ……学者さんの「成功」って、そういう意味なんだ。


「宮廷魔術師の、イグナーツだ。用は済んだな。帰れ」

「陛下に、宮殿の扉を見て回るよう、言われています」

「ここは扉ではない。塔だ」

「塔にも、扉があります」


 私は、彼の手もとを見た。


「いま、あなたが開けている、それです」


 イグナーツさんが、自分の手を見た。扉を見た。もう一度、手を見た。


「…………見るだけだ。触るな」


 勝った。扉の理屈で。


 うしろで、オットーさんが小さく拳を握るのが見えた。


 ……騎士の入れない塔に、相談役が、口だけで入る。


  ◇


 塔の中は、思ったより狭かった。


 石の階段が、壁ぞいに、ぐるぐると上へ伸びている。


 一本だけ。


 ……逃げ道が、一本。上で火が出たら、上の人は、どこへ逃げるの?


 しかも、段ごとに本が積んであって、階段の片側が、半分まるごと本の山だ。


「この本、端へ寄せてもいいですか?」

「触るな」


 踊り場ごとに部屋があって、扉は開けっぱなしだった。


 中には魔術師の方たちがいたけれど、誰も、顔を上げなかった。


 二階に二人。三階に三人。四階に二人。


 七人。人嫌いの塔の人数は、たぶん誰も知らないから、上りながら数えておいた。


 階段は、百段をこえたあたりで数えるのをやめた。


 この体は、息ひとつ乱れない。中身は二十五歳なので、気持ちだけは、ちょっと乱れている。


 上るほど、首の後ろが、ちりちりしてくる。


(……いやな匂いですわ)


 てっぺんの部屋は、実験室だった。


 長い卓に白いクロスが敷かれて、その上に、フラスコの林が立っていた。


 酒精のランプが、いくつも燃えている。理科室のアルコールランプの、もっと古いやつだ。


 その火のすぐ横に、紙の束が積んである。


 水桶は、ない。


 卓の奥、窓ぎわの台には、ガラスの覆いをかぶせた、握りこぶしほどの竜晶が三つ並んでいた。


 覆いのてっぺんは開いていて、一つは下からランプの火であぶられている。ほかの二つより、ずっと明るい。


 ぐる。


 喉が、鳴った。


「……今、喉が鳴ったか」

「気のせいです」


 先輩、それ、石だよ? 人じゃないよ?


 前にも、うちの門柱に置かれた竜晶の灯りで、先輩は鳴りかけた。ただの、山の石に。


 ……先輩、壊れてる?


 先輩は答えず、喉だけが、低く鳴りつづけていた。


「火の横に、紙があります」

「紙は記録だ。記録は、火のそばで書く。目を離せんからな」

「火の下に、布があります」

「卓には、布を敷くものだ」

「水が、ありません」

「水は、実験の邪魔だ。こぼれる」

「なら、砂か、濡らした布を」

「……考えておく」


「一つずつなら、どれも理屈は通ってます。……全部そろうと、燃えます」

「燃えたことはない」

 イグナーツさんは、胸を張った。

「爆ぜたことは、ある」


 それを、燃えたことがある、って言うんです。


「熱を足すと、光が強くなる」

 イグナーツさんが、あぶられている石を、眼鏡ごしにのぞきこんだ。

「もっと明るい灯りを、頼まれている。なぜ強くなるのかは……分からん。分からんから、調べている」


 分からないことを、分からないと言った。……そこは、信用できる。


  ◇


「この石はな、温めるほどに——」

 イグナーツさんが、卓の手前へ戻りながら、両手を広げた。


 焦げた袖が、卓の手前の端のランプを、引っかけた。


 ことん。


 倒れたランプから酒精がこぼれて、クロスの、こちら側の縁のまんなかに、火が走った。


 昼の光の中だと、酒精の火はほとんど見えない。


 ゆらゆらした空気と、焦げていく布の色で、やっと分かった。


「……燃えた」

 イグナーツさんが、記録するみたいな声で言った。


 燃えたこと、いま、できましたね。


 火は布を伝って、フラスコの林のほうへ這っていく。


 フラスコの中身は、たぶん酒精と、よく分からない薬だ。クロスが燃えれば、上の全部が燃える。


「火です! 下がって。階段の口へ!」

 イグナーツさんの腕をつかんで、私のうしろへ回した。階段を背にすれば、逃げ道は残る。


 淑女のたしなみ、お茶会のクロスの替え方。


「お茶の途中でクロスを替えるときは、カップを一つも動かさないこと。上に何が乗っていても、同じですよ」


 酒精のしみていない、乾いた両はしの角を、つかむ。指は、火の上に出さない。


 手首だけで、一息に。こちらへ、下へ。


 しゅっ。


 燃えている端から先に、クロスが卓を離れた。残りの布が、フラスコの林の下から、すべるように抜けてくる。


 フラスコは一本も倒れずに、卓の上に、林のまま立っていた。


 クロスをドレスの裾から離して石の床に落とし、燃えていない側で、火を包みこむように畳む。


 ぎゅっと押さえると、布の中で、火が息をやめた。


 倒れたランプを起こして、ふたをかぶせた。


 卓の上に手の甲をかざして、熱の残りを確かめていく。もう、どこも燃えていない。


 フラスコの中で、液体が一度だけ揺れて、止まった。


 上に何が乗っていても、同じ。……竜が乗っていても、ってことだよね、たぶん。うちの作法は、だいたいそう。


 私は、畳んだクロスを指で差した。

「……よし」


「今のは、詠唱か?」

「いえ。確認です」


 イグナーツさんは、卓のフラスコを見て、床のクロスを見て、私の手首を見た。


「摩擦より、速く引いた」

 眼鏡を押し上げる指が、震えている。

「待て。記録する」


 焦げた袖のまま、ペンを探しはじめた。


「記録より先に、水です。布は、表が消えても、中でくすぶりますから」

「もう一度、やってくれ。今度は、引く速さを数えたい」

「火が出たときだけです」

「では、火を——」

「出さないでください」


  ◇


 イグナーツさんが、ペンを持ったまま、しばらく黙った。


「……分かっていた」

 ぼそっと言う。

「階段の本も、ランプの下の布も。分かっていて、片づけなかった」


 言いわけを、しなかった。


「水は、入口まで運んでもらって、私が上げます。階段の本は、あとで一緒に寄せましょう」

「…………一緒に、か」


「それと、いま、この塔に何人いますか?」

「知らん」

「下の階で見えたのは、七人です。あなたを入れて、八人」


 イグナーツさんの眼鏡が、ずれた。

「……七人も、いたのか」


 同じ塔で、何年いっしょに暮らしてるんですか。


「数えたのか。上りながら」

「はい。いつものことです」


 庭で騎士の皆さんが言った「いつものです」と同じ言葉でも、こっちのは、燃えないほう。


 窓ぎわでは、あぶられた竜晶が、さっきより明るくなっていた。


 せめて、火だけは離したい。


 私は、ランプのほうへ手を伸ばした。


「触るな」


 今度は、声が違った。


「その石は、灯火卿からの預かり物だ」


 竜晶灯の、あの侯爵。うちの門柱にも灯りを置かせて、お母様に断られている。


 ぐるるる。


 喉の唸りが、今日いちばん強くなった。石が三つ。近い。明るい。


(……あの石、嫌いですわ)


 私は、手を引っこめた。


 ここで勝手に触ったら、相談役じゃなくて、ただの狂犬だ。


「火だけ、離してください。……お願いします」

「あと一時間だ。一時間で、記録がそろう」


 ……一時間。火の横で。


「その一時間の記録、紙ごと燃えたら、一時間ぶん消えますよ」


 イグナーツさんが、紙の束を見た。ランプを見た。


 それから黙って、紙の束を、火から一番遠い棚へ移した。


「炎も、半分に」

「……半分だけだ」


 ランプの芯が、ほんの少し下がった。


 ……半分って言ったのに。学者さんの「半分」は、だいぶ少ない。


「床のクロスは、紙から離して、石の床のまんなかに。目を離さないでください。水を持って、すぐ戻ります」


 入口の副団長にも、この火のことを伝えないと。


 階段を下りながら、四階の二人に「上で、小さな火が出ました。消えています。水を取りに行きます」と声をかけた。顔は、上がらなかった。


 下りるほど、喉の唸りは低くなっていく。……それでも、やまない。


 さっき、いちばん強く鳴ったのは、火であぶられて明るくなった石の前だった。……石が、明るいほど?


 三階の踊り場で、足の裏が、震えた。


 どん。


 さっきの「どん」とは、比べものにならない音だった。


 塔が揺れて、上から、石の粉がぱらぱら降ってくる。


 見上げると、ぐるぐる回る階段の上から、煙が下りてくる。


 灰色の、重たい煙。


 前の職場の、最後の夜と、同じ色だった。


 三階の部屋の中で、魔術師の方たちが、やっと顔を上げた。


 私は下りの階段の口に立って、手のひらをそろえて、下へ向けた。


「火事です。落ち着いて、こちらへ。走らないでください」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。