第27話 その箱には、触らないでください
がしゃん、がしゃん、がしゃん。
宮殿の東の廊下を、鎧が二十、一列になって進んでいく。
先頭は、私だ。
侍女の方たちは壁にぴたりと貼りつき、盆を胸に抱えて、私たちが通り過ぎるのを待っている。侍従の方は柱の陰。……みんな、息まで止めてない?
(……騒がしい行列ですこと)
先輩、それ、先頭が私なんです。
これ、巡回じゃない。パレードだ。
事の起こりは、けさだ。物置の前に騎士が二十人並んで、こう言った。
「団長の言いつけで、巡回を習いにまいりました!」
その端に、オットーさんとヨナスさん。ヨナスさんは、詰所でおろしたばかりの巡回の帳面を抱えていた。
で、いま、こうなっている。
きのうの樽屋さんの「毎晩」は、まだ頭の隅に引っかかっているけれど、今日の持ち場は宮殿の中だ。
「止まってください」
二十人ぶんの鎧が、がしゃん、といっせいに止まった。止まるのは、上手いんだよね。
「二人ずつに分かれて、別々の道を歩きます」
「二人では、竜に勝てませぬ」
いちばん前の騎士が、真顔で言った。……竜が相手なら、二十人でも足りないけど。
「巡回は、竜と戦いに行くんじゃありません。いつもと違うところを、見つけに行くんです」
開いているはずのない扉、消えているはずの火、いるはずのない人。
「一人が見ていて、一人が知らせに走れるように、二人です。見る所は、毎回ぜんぶ。回る順番を、毎回変えます」
「……竜の裏をかく兵法か」
後ろのほうで、誰かが感心した。
「泥棒の裏をかく、です」
「人に会ったら、まず、あいさつ。困っていそうな方と、いつもと違う所にいる方には、『どうされましたか?』」
「……どう、されましたか」
二十人ぶんの低い声が、廊下にこだまする。
向こうの角で、書類を抱えた侍従の方が一人、固まった。……ごめんなさい、いまのは練習です。
組を分けていると、横の廊下から、顎に古い傷のある背の高い人が出てきた。
「……偶然、通りかかった」
ブラント副団長だ。
「副団長も、巡回ですか?」
「……そのようなものだ」
さすが副団長、習う前から、もう歩いている。
ほかの十八人は九組に分かれ、私は、オットーさんとヨナスさんと三人で回ることにした。
◇
「止まって。耳を、澄ましてください」
オットーさんとヨナスさんが、ぴたりと止まる。
止まったのに、ぎし、きし、と鳴っている。……息をするだけで、鎧って鳴るんだ。
これじゃあ、何も聞こえない。
私は、かかとを浮かせた。つま先から、床に重さを溶かすように置いて、五歩、先へ出る。
「……足音が、しない」
「いつの間に、あそこに」
後ろで、二人がささやき合った。……聞こえてます。足音を消すと、ささやきまでよく聞こえる。
淑女のたしなみ、廊下の歩き方。「淑女は、廊下で足音を立てません」と、お母様は言う。
眠っている竜の寝床まで忍び寄れる足を、廊下の作法って呼ぶ家なんだよね、うち。
廊下の角の手前に、また、背の高い人が立っていた。
「……偶然だ」
「物置は、この先の突き当たりですけど」
「……偶然だ」
二回目で、言いわけが、なくなった。
そのとき、聞こえた。
かち、かち、かち。
角の先からだ。のぞくと、十歩向こうの突き当たりで、物置の扉の前に、赤いリボンをかけた大きな箱が置いてある。名札は、ない。
けさ物置を出たときには、なかった。
「開けて、確かめます」
オットーさんが、角から一歩踏み出した。
「その箱には、触らないでください」
「では、外へ運び出して——」
「動かさないで」
副団長が、何も言わずに、二人の肩をつかんで角の陰へ引いた。
「話は、ここで。箱には、近づきません」
壁の陰で、私は声を落とした。
「持ち主の分からない荷物を、不審物っていいます。中身が分かるまで、誰も手を出しません」
相談役の部屋の前に、名前のない、鳴る箱。夜会の夜、盆の裏に刃を隠していたあの給仕を、誰が雇ったのかは、まだ分かっていない。
「……承知した」
副団長の声が、いつもより硬い。
(……退屈な箱ですわね)
先輩の喉は、ぴくりとも鳴らない。
ありがたい。でも、「先輩が鳴らないので大丈夫です」とは、報告に書けない。
前の職場でも、ベンチに置き去りの紙袋で、フロアを一つ止めたことがある。中身は誕生日のケーキで、取りに来た持ち主さんと、フロアの真ん中で頭を下げ合った。
「アイゼンハルト嬢なら、箱ごと握りつぶせるのでは?」
オットーさんが、小声で言った。
「できます。だから、しません」
握りつぶして中から何か出たら、いちばん近くにいるのは、私と、この人たちだ。
◇
「副団長、騎士の方を、お借りします」
「……任せる」
「人を、離します。オットーさんは、この角に立って、誰も入れないでください」
「はっ!」
「ヨナスさんは、近くの組に知らせて、すぐ戻ってください。詰所へは、その組から」
「はい!」
一人が見ていて、一人が走る。けさ言ったばかりの二人一組が、もう役に立った。
角の外に、人が集まり始めた。
「この箱を置いた方を、見た方は、いらっしゃいますか?」
「箱を抱えた使いなら、朝から何人も通りましたが……行き先までは」
扉の前に立つ騎士の方が、すまなそうに言った。
扉の前の騎士は、自分の扉を見ている。物置の前は、誰の持ち場でもない。
「狂犬様が、触らない箱ですって」
「握りつぶせるのに?」
「よほどの物よ」
……筋は、通ってる。通ってるのが、困るじゃん。
私が頼むより先に、知らせを聞いた三組が駆けつけてきた。
「皆さま、もう一つ向こうの角まで、お下がりください」
「中の方、いったん廊下の外へ!」
扉を叩いて回る騎士がいる。
「中庭の見張りにも伝えろ。物置の窓の下に、誰も入れるな!」
……誰も、言ってないのに。
かち、かち、かち。
これは、時計の音だ。時計の入った箱は、決まった時に何かをする。
「副団長、いま、何時ですか?」
副団長が、懐中時計のふたを開けた。
「……正午の鐘まで、あと三分」
「オットーさんも、ヨナスさんも、一つ向こうの角へ。ここは、私が」
角に残ったのは、私と、動かない副団長だけになった。
私は、角の陰で壁に背をつけ、人のほうを向いて立った。人と箱のあいだに置くなら、この体が、たぶんいちばん丈夫だ。
「……狂犬が、箱に、背を向けておられる」
向こうの角で、誰かがささやいた。
背中で、聞いてるだけです。
「あと、十」
副団長の声と同時に、箱の中で、じいいい、と何かが回りだした。
「伏せますか!」
向こうの角から、オットーさんの声。
「頭を、低く」
騎士の皆さんが、角の陰で鎧ごとしゃがむ。がしゃん、と廊下じゅうが一段低くなった。
◇
ごーん。
正午の鐘が、宮殿じゅうに鳴りわたった。
ぱかん。
角の向こうで、箱のふたが開く音がした。
ぴろろろ、ぴろろろ。
……歌ってる?
音が歌に変わってから、私は角の陰から片目だけ出した。
箱の中で、金色の小鳥が、ばね仕掛けで跳ね上がっている。首をかしげ、羽をぱたぱたさせて、甘い節回しをさえずっている。
ぜんまい仕掛けの、歌う目覚まし時計だ。
小鳥のくちばしから、巻き紙が、するすると下りてきた。
〔親愛なるオディールへ。君の新しい部屋に、愛の歌を〕
十歩先からでも読める字だった。巻き紙からはみ出していて、最後が、くるん。
……この巻き方、うちの来訪者名簿で、何度も見た。
「……愛の、歌」
副団長が、真顔で読み上げた。
(……どうでもいい鳥ですわ)
先輩、持ち主が分かったとたんに、それ?
「フッ……驚いたかい、オディール。王都いちの時計職人に作らせた——」
向こうの角で、野次馬をかき分けて、金色の巻き髪が騎士の前まで出てきた。
元婚約者の、ヴェルナー様だ。
角という角の騎士の皆さんが、いっせいに振り向いた。
「どうされましたか?」
八人ぶんの、そろった声だった。
「ひっ」
ヴェルナー様が、半歩、跳んだ。
「しゅ、就任祝いだ! 王宮警備相談役の部屋に、ふさわしい物をと……」
「副団長。持ち主の方が名乗られました。中身は、時計と鳥です」
「……解除だ。扉の者にも伝えよ」
「解除!」
「解除ー!」
角から角へ、騎士の声が渡っていく。今度は、噂より速い。
騎士の方に付き添われて、ヴェルナー様が突き当たりまで歩いていく。その目が、扉で止まった。隙間から、ほうきが三本、こちらを見ている。
「……物置?」
「はい。相談役室です」
オットーさんが、胸を張って答えた。
「ヴェルナー様。お気持ちだけ、頂戴します」
私は、受付の顔で言った。
「物置には、鳥の置き場がありませんので」
ヴェルナー様が、歌いつづける箱を抱え上げる。
「お受け取りの、ご署名を」
ヨナスさんが、巡回の帳面と羽根ペンを差し出した。
枠から、上にも下にもはみ出して、最後が、くるん。
また、大きくなった。
ヴェルナー様は、ぴろろろと歌う箱を抱えて、野次馬のあいだを帰っていった。
「あの方の箱で、東の廊下が止まったのね」
「正午の鐘まで、ずっと」
ささやきと小鳥の歌が、巻き髪の後ろを、どこまでもついていった。
◇
「俺たち、誰も、触りませんでした!」
オットーさんが、胸を張った。
ほかの騎士の皆さんも張ったので、東の廊下が、急に胸板でいっぱいになる。
ヨナスさんが、巡回の帳面に書きこみながら、きれいな声で読み上げた。
「昼前、東の廊下、不審物一件。持ち主、ヴェルナー様。中身、鳥」
騎士団の巡回の、記念すべき最初の一件が、鳥。
あの巻き字が、騎士団の巡回の帳面の一行目に、永久に残った。
今日は、鳥でした。ケーキより、うるさいけど。
副団長は、報告書を書きに戻っていった。たぶん、長いのを。
午後の一回りは、三人で東の庭へ。道順は、もちろん、さっきと変えた。
生け垣の角を曲がると、花壇の前に、背の高い人が立っていた。
「……偶然だ」
報告書は? しかも、道順、変えたのに?
三回目で分かった。副団長、私たちの巡回を、巡回してる。抜き打ちの点検だ。気が抜けない。
〔巡回中、ブラント副団長と遭遇(三回目)〕
今日の日報は、この一行で決まり。
庭の奥に立つ細長い塔は、宮廷の魔術師たちの塔だ。近くで見るのは、初めて。
その窓が、ぴかっと光った。
どん。
煙が、ひと筋、のぼっていく。
私は跳び上がった。この体だと、ほんとに、ちょっと浮く。
騎士の皆さんは、振り向きもしない。
「いつものです」
「週に、二、三度は」
「あそこは、騎士は入れませんので」
副団長の顎の傷だけが、ぴくりと動いた。副団長だけは、塔の窓から目を離さない。
煙は細くなって、消えた。火の色は、見えない。焦げた匂いだけが、風に乗って、ここまで来た。
……いつもの、って。前の職場の事故の報告書、だいたいその一言から始まってたんですけど?
「オットーさん、ヨナスさん、塔の入口の外までお願いします。中は、私が見てきます」
「えっ」
「私は、騎士じゃないので」
騎士の皆さんの「えっ」が、今日いちばん、そろっていた。




