第24話 交代の方を、お待ちしております
「こちらが、相談役様のお部屋でございます」
侍従の方が開けた扉の向こうに、ほうきが三本、立てかけてある。
壊れた椅子が二脚と古い衣装箪笥が一つ、窓は小さいのが一つ。
どう見ても、物置だ。ゲームなら、最初の村の納屋から始まるやつだ。
肩書きなら最上階の角部屋なのに、実際はほうきと相部屋らしい。
「騎士団のほうで、ほかのお部屋は、ふさがっていると……」
侍従の方は、申し訳なさそうに目を伏せた。
騎士団の意地が、部屋割りにまで届いている。
出口は扉が一つきりだと、職業病でもう数えてしまった。
問題は、脚が一本折れて扉のほうへ傾いている衣装箪笥で、倒れたらたった一つの出口がふさがる。
「侍従の方、箪笥の前から、横へ。この箪笥、動かしてもよろしいですか」
「は、はい、のちほど人を……」
のちほどは、要らなかった。相談役の初仕事が、箪笥の救出?
片手で起こして、出口から遠い壁へ寄せる。
折れた脚の下に、壊れた椅子の脚を一本差しこんで、壁のほうへほんの少し傾けた。
ずしん、と床が鳴って、侍従の方がほうきと並んで固まっている。
(……軽すぎますわね、この箪笥)
先輩の基準で言わないでください。
机がわりに空の木箱を裏返して、夜会の日の記憶で、ゆうべ描いた宮殿の間取り図を広げる。
この物置が、今日から私の防災センター。前の職場でいう、警備員の本部だ。
六時の鐘には、アンナが馬車で迎えに来る。人生で初めての、定時上がりだ。
◇
「おはようございます」
扉の前に立つ騎士の方が、すっと顔をそむけた。
次の扉で「お疲れさまです」に変えても、その次で「本日もよろしくお願いいたします」まで伸ばしても、そむける角度は同じだ。
挨拶は、九回、空振りした。
背中のほうで、ひそひそ声がする。
「……団長の言いつけだぞ。狂犬と口をきくな」
聞こえてます。
道も聞けないので、間取り図だけを頼りに歩く。
巡回では、扉の向こうの階段まで見る。前の職場でも、いちばん何かあるのは階段だった。
廊下のいちばん奥に、手を離すとひとりでに閉まる、重たい木の扉があった。
開けると、洗濯場へ下りる古い石の階段が、暗いほうへ続いている。
いちばん下に、乾いたシーツが白く散らばっていた。
その真ん中で、小さな背中が丸まっている。
(……人ですわ)
分かってる。
駆け下りたいのを、手すりでこらえた。散らばったシーツは、踏めば滑る。
そばに膝をつくと、白い髪の、年配の侍女の方だった。
「どうされましたか? 聞こえますか」
「……朝に、洗い物を運んでいて……足を、踏み外して」
「頭は、打ちましたか?」
「いいえ……」
「首は、痛みませんか。足の指、動かせますか」
「首は、平気です。指も、動きます。でも、腰が、どうにも」
頭も首も大丈夫で、足の指は動くなら、守るのは腰だ。
腰か、脚の付け根。お年寄りは転んだだけでそこが折れることがあるから、起こさない。
「朝から、誰も、通らなくて……。この階段は、私しか使いませんので」
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
いまは、もう昼を過ぎている。
「動かなくて大丈夫です。このままで」
本当は、冷たい石とのあいだに敷きたい。でも、動かせないから、乾いたシーツを上から何枚も重ねていく。
いちばん上の段に戻って、重たい扉を背中で押さえた。
ここからなら、下の侍女の方と、二十歩先の騎士の方の持ち場が、両方見える。
この扉が閉まっていれば、廊下からは何も見えないし、声も届かない。
「騎士の方! 人が倒れています!」
騎士の方が、こちらを見たまま動かなくなった。
持ち場を離れてはいけない。狂犬と口をきいてもいけない。
治癒術士の方がどこにいるのか、私は知らない。なにしろ、道を聞けなかったので。
だから、持ち場のほうを私が引き受ける。
「あなたの扉は、私がここから見ています! 階段から落ちた侍女の方です。話はできますが、腰が痛くて立てません。治癒術士の方と、担架を!」
騎士の方は、ひと言も言わずに走りだした。
見張りはあっても、巡回がない。扉の前に立てば扉は守れるけれど、扉と扉のあいだは、誰の持ち場でもなくなる。
やがて、治癒術士の方と担架が駆けつけた。
「朝、階段で足を踏み外されたそうです。腰か脚の付け根が痛くて、立てません。頭は打っていない、とご本人が。動かしていません」
「……なぜ、ここに人がいると」
「巡回、なので」
治癒術士の方は、その言葉を、薬の名前でも覚えるみたいに手帳に書きつけた。
戻ってきた騎士の方に、持ち場を返す。
「持ち場、お返しします。どなたも、いらっしゃいませんでした」
「……朝に、何か落ちる音は、した」
低い声だった。言いつけを一つ破った声。
「でも、扉を離れるわけには」
「離れなかったのは、正しいです。離れていい仕組みが、なかっただけです」
◇
六時の鐘が鳴った。
定時だ。昨日、紅茶一杯ぶんの勝負で勝ち取った、定時のある初めての夕方になる。
……交代が、来ない。
門の外では、もうアンナの馬車が待っているはずだ。
侍従の方に、詰所へは「交代がまだです」と、西の門の外のアンナへは「少し遅れます」と、言づけを頼んだ。詰所の扉は、私には開かないので。
交代が来るまで持ち場を空けないのは、前の職場の当たり前だ。
着任二日目にして、残業。残業代って、この国にもあるんだろうか?
(……帰りませんの?)
交代が来るまでは。
(……わたくし、お腹が空きましたわ)
知ってます。私もです。
待つあいだに、間取り図の、誰の扉からも見えない場所を炭で一つずつ塗っていく。
宮殿の図が、みるみる黒くなる。
誰もいない廊下へ向かって、つい、受付の口が動いた。
「交代の方を、お待ちしております」
誰も答えない物置の中で、私の声だけが元気だった。もしかして、私ごと忘れられてる?
七時の鐘の少し前、廊下に鎧の音がした。一人じゃない。
「交代に、まいりました!」
大柄な若い騎士の方が、物置の入口いっぱいに立っていた。
その顔を、私は覚えている。祝福式の広場で、この人の心臓は止まっていた。騎士の方たちと交代しながら胸を押してつなぎ、聖女様が戻した。
「オットーです。あの日は、ありがとうございました」
後ろに四人いて、物置に入りきらず、鎧ごと廊下にはみ出している。
「騎士団長が、出たい者が出ろ、と。誰も、出ませんでした。なので、俺たちが」
オットーさんは、胸を張った。
「あの日、俺の胸は、交代で押していただいたと聞きました。だから、今度は俺が交代です」
それから、少し声を落とした。
「夜の門は、朝まで一人です。途中で替わりに来た者は、一人もいません。今夜の門の番を頼むのに、一時間かかりました。……初めて、頼みました」
意地悪だけじゃなかった。この騎士団には、交代を回す仕組みが、もともとないのだ。
「……お待ちしておりました」
声が、少し揺れた。
「では、申し送りをします。今日あったことを、次の番の方に渡します。明日の朝は、皆さんから私へ」
間取り図を入口まで持っていって広げると、五人がのぞきこんで、そろって青ざめた。
「……自分の門の裏も、真っ黒です」
いちばん眠そうな人が、ぼそりと言った。
黒いところを指でなぞって、今日の階段のことを渡していく。
「あの階段は、誰の持ち場でもありません。一時間に一度、どなたか歩いてください」
「はっ!」
五人の声が、物置の天井で跳ね返った。
オットーさんが、最後に一つ足した。
「それと、詰所の牢の番から、申し送りを預かってきました。あの男は、今日も何も話していません。ただ、『狂犬』と聞いて、一度だけ笑ったそうです」
先輩は、何も言わなかった。
言葉になるまで待つ、と決めたのは私だ。だから今夜は、聞かない。
◇
宮殿の西の門を出たのは、七時の鐘のあとだった。
門の前に、白い髭の大きな影が立っている。
騎士団長だ。今日は一日、ひと言も口をきいてもらえなかった。
「陛下は、相談役の交代を騎士団から出せと仰せだった。だから、手を挙げる者を待った」
騎士団長は、腕を組んだまま続けた。
「わしの騎士が、狂犬の交代に立った」
「はい。助かりました。叱るなら、私を。口をきかせたのは、申し送りをした私です」
「……誰も、叱らん」
白い髭が、もぞりと動く。
「……あの侍女はな。わしが見習いのころから、詰所のシーツを洗っておった」
……それで、門で待っていたの?
「礼は言わん」
「はい」
「勝負だ、狂犬。竜が来たときに民を守れるのは、騎士か狂犬か。広場で鐘を一つ鳴らす。民を先に一人残らず広場の外へ出したほうの勝ちだ」
……それ、避難訓練です。
ぐう。
騎士団長の手が、剣の柄に飛んだ。
「失礼しました。……お腹です」
(……わたくしでは、ございませんわ)
体は先輩のなので、連帯責任です。
「承知しました。ただ、定時を一時間過ぎておりますので、詳しいお話は、明日の朝、相談役室で伺います」
騎士団長が、目をむいた。
「……物置でか」
「物置でです」
騎士団長はくるりと背を向けて、詰所のほうへ歩きだした。
大きな背中の向こうで、ふん、と鼻が鳴った。笑った? まさか。……たぶん、まさか。
門の外の馬車から、アンナが日傘を抱えて飛び出してきた。
「お嬢様! 一時間、お待ちしておりました!」
「ごめん、アンナ。残業だった」
「存じております。待つのは、わたしの持ち場ですので」
……アンナの残業代も、要るのでは?
王宮警備相談役、着任二日目。
勝負のお申し込みは、物置で承ります。




