第13話 貴族の皆さまの剣、全部お預かりしました
「わしの剣を、どこの誰が取り上げると申すか!」
王妃様の園遊会の朝、宮殿の門で、髭の立派な伯爵が騎士に怒鳴っていた。
騎士団長の「門の者に、伝えておけ」が、門まで、まっすぐ届いた結果らしい。
三日前の下見のあと、殿下から使いが来た。夜会の前に、一度、門を試してみてほしい。ちょうど母上の園遊会があるから、と。
それで今日、私は招かれた客として、お母様とお父様と一緒に宮殿へ来た。アンナは、侍女として後ろに。ミレイユさんは、聖女として招かれていた。
門の前は、ひどかった。
騎士が「剣を出せ」「鞄を開けろ」と言い、貴族が「無礼者」と言い返す。そのあいだにも坂の下から馬車が上がってきて、降りた人と、歩いてきた人と、待っている馬車が、門の前でひとかたまりになっていた。
列が、ない。どこが最後かも、分からない。
門の騎士が、まず私の前に来た。顔が、こわばっていた。
「お、恐れ入りますが、その扇子と、日傘を」
「はい。お預けします」
両方、差し出した。決まりは、言い出した人も守ると、ぐっと強くなる。
お母様も、にこにこと扇子を差し出した。騎士の手が、震えだした。
後ろのほうで、ひそひそ声がした。
「狂犬様だ」
「竜の来るのが、お分かりになる方だそうだ」
分かりません。
門の騎士たちの隊長に、断ってから手を出した。門の決まりを決めるのは宮殿で、私は殿下に頼まれて手伝うだけだ。
門の脇に、卓が一つ出てきた。王妃様の侍従の人が、今日招かれたお客様の名簿を持ってきてくれた。その横に、来た方にご本人の字で名前を書いていただく帳面を一冊。
「ちょ、帳面なら……わ、わたしが」
お父様だった。帳面を見たとたん、眼鏡の奥の目の色が変わった。名簿に印をつけて、名前の横に番号札の番号を書く係を、お願いした。
「剣は、番号札を出してお預かりします。アンナ、札をお願い」
「はいっ。お嬢様の扇子と日傘は一番、奥様の扇子は二番にいたしました」
預かった物は、門の脇の台に並べた。
鞄は、ご本人に開けて見せていただく。騎士の方は、手を入れない。あとで「なくなった」と言われないためだ。
それから、門の前に立って、声を張った。
「皆さま、こちらから、一列でお並びください!」
ライブの物販の列に、三時間並んだことがある。列でもめるのは、どこが最後か分からないときと、誰かが横から入ったときだ。
最後尾には、騎士の方に一人、立っていただいた。物販なら、「最後尾」の札を掲げている係の人だ。
列の先頭は、さっきの伯爵だった。
「恐れ入ります。お名前を、こちらにご記入ください」
「名だと? わしの顔を知らんのか」
「申し訳ございません。存じ上げません」
お茶会で会った令嬢たちのほかは、本当に、知らない。この国に着任して、まだ二十日も経っていない。
伯爵の髭が、逆立った。
先輩。この人、誰?
(……全員、どうでもいい方々ですわ)
全員?
そのとき、肩の横に、ふわりといい匂いがした。
「バルツァー伯爵様。ようこそ」
お母様だった。
「先月は、お孫様のお誕生、おめでとうございました」
「お、おお。……覚えておいでか、伯爵夫人」
伯爵の髭が、ゆるんだ。ペンを取って、帳面に名前を書いた。
「剣は、お預かりします。お帰りの際に、この札と引き換えにお返しします」
「……わしの剣を、狂犬が預かると申すか」
「はい。私のも、お預けしています」
台の上を、手で示した。一番の札のついた、鉄の扇子と鉄の日傘。
伯爵の髭が、止まった。
「よろしくてよ」
伯爵のすぐ後ろで、よく通る声がした。
濃い赤の髪のヘルミーネ様が、扇子の先で帳面を指していた。
「次は、わたくしが書きますわ」
社交界の女王が名前を書くと、後ろの令嬢たちが書いた。令嬢たちが書くと、その父親たちも書いた。
伯爵も、黙って剣を外した。
「ご協力、ありがとうございました。どうぞ、お進みください」
騎士の腕が、剣でいっぱいになった。傘立てみたいだった。台をもう一つ出してもらって、並べた。
ミレイユさんが、台の上の一番の札を、じっと見ていた。
それからミレイユさんは、名簿にあるのに、用件の欄に「オディール様のおそば」と書いた。用件の欄は、名簿にない付き添いの方のためのものだ。それは、用件じゃない。
書き終えても、ミレイユさんは門の中へ進まず、卓の後ろに立った。
お母様は、お客様が卓に着く前に、私の耳もとで一人ずつ名前をささやいてくれた。私はそれを聞いてから、「ようこそ」と言った。
お父様は、字のきれいな方が書くたびに、小さくうなずいていた。
「リンデ子爵様。コルネリア様の、お父様ですわ」
リンデ子爵の、丸みのある字のときは、うなずきが少し長かった。
門の上の露台で、殿下が頬杖をついて、こちらを見ていた。
◇
列が坂の途中まで伸びたころ。坂の下では、騎士の方が馬車を止めて、お客様に降りていただいていた。そこから先は交通誘導で、専門外なので、お任せしている。
その坂の下から、見覚えのある金の飾りの馬車が上がってきた。
花で門が開かなかった日、うちの門の前に止まっていた馬車だ。日の高いうちなのに、灯りが内側から光っている。首の後ろが、ちりっとした。あの日と同じ石だ。よそのお屋敷には、どこにでもある。
金の馬車は、坂の下の騎士の前で止まらなかった。待っている馬車の列の横を、すり抜けてくる。
「ヴェルナー侯爵様ですわ」
お母様の声が、少しだけ低くなった。
「……あの方の、お父様」
あの方。元婚約者だ。
歩く人の列の中ほどに、巻いた金髪が見えた。馬車には、乗っていない。
ちゃんと、並んでいた。
金の馬車は、勢いをゆるめなかった。卓の前の、列の先頭に、鼻先を突っこもうとしている。
「我がヴェルナー家の馬車を、待たせる気か!」
窓の中から、声がした。御者が、鞭を鳴らした。
門の騎士が、両手を広げて前に出た。
馬が、人と鎧に驚いて、立ち上がった。
御者が、御者台から落ちた。
二頭の馬が、横へそれた。門の前の広い石畳を斜めに、坂を上りきったあたりの列へ。
そこに、小さな子の手を引いた婦人がいた。その後ろに、年寄りの夫婦。
「馬車が来ます! そこの方、列から離れて!」
声を張りながら、走っていた。
(馬車の乗り降りですわ)
走ってる馬車は、乗り降りするものじゃ——
体が、裾を押さえた。走る馬車の横に並んで、跳んだ。
御者台に、音もなく降りた。
手綱は、御者台の前の手すりに引っかかっていた。二本とも、つかんで引いた。
止まらない。馬が、口の金具を噛みしめて、前へ引く。この腕で引き続けたら、先に馬の口が裂ける。
すぐ横の灯りで、喉が鳴りかけた。今は、馬。
列が、近い。婦人が子どもを抱き上げるのが見えた。
(片方だけ。ゆっくり、ですわ)
列と反対の、左の手綱だけを、少しずつ引いた。
二頭の首が、そろって左へ曲がった。片側の車輪が、浮きかけた。体が勝手に、曲がる内側へ体重を預けた。
馬車が、門の前の石畳に、大きく輪を描いた。馬の足が、ゆるんだ。
止まった。
車輪の鉄が、石畳に白いすじを引いていた。すじは、列の三歩手前で曲がっていた。
祝福式の広場で、私のまわりにできた立入禁止区域と、同じ三歩だった。
扇子も日傘も、門の台の上だった。
婦人の腕の中で、子どもが言った。
「お馬さん、止まった」
門の上の露台で、殿下が頬杖をやめていた。
「騎士の方、手綱をお願いします。馬のことは、私より、ずっとご存じのはずなので。そちらの方は、馬の頭を」
駆けてきた騎士に手綱を渡して、御者台を降りた。
落ちた御者さんは、馬が立ち上がった場所に、倒れたままだった。輪は、そこまで届いていない。まわりに、人が集まりかけていた。
「その方を、動かさないで!」
走って、膝をついた。御者さんの頭を、両手で挟むように支えた。
「聞こえますか。首は動かさないで。声だけで、答えてください」
「う……は、はい」
「首は、痛みますか。手と足、しびれていませんか」
「い、いえ……」
指と、足の先を、動かしてもらった。動いた。頭は打っていないと言った。こぶも、血もない。
「ミレイユさん、こちらをお願いします!」
騎士の一人に頭を支えるのを代わってもらったところで、ミレイユさんが膝をついた。手のひらが、御者さんの首のうしろで、淡く光った。
列の人たちも、確かめた。子どもは、まだ目を丸くしていた。年寄りの夫婦は、お母様に手を引かれて、門の柱のところで息を整えていた。馬の前に出た門の騎士は、尻もちをついただけだった。けがは、ない。
最後に、左の馬の頭のところへ行った。騎士の方が、口の金具の横の革をしっかり持っていた。首は、汗で濡れていた。
「……どうされましたか」
馬は、長く鼻を鳴らした。
馬車の扉が、開いた。
髪の乱れた男の人が、転がるように出てきた。
「御者は、何をしておる! 狂犬が、我がヴェルナー家の馬車に乗りおって……」
「お怪我は、ありませんか。頭を、どこかにぶつけませんでしたか」
足もとも見た。ひねってはいない。
「御者の方は、いま、聖女様に診ていただいています」
侯爵が、口を閉じた。
「ご無事で、何よりです。では、列の最後尾へどうぞ。お名前は、受付で」
いつもの、受付の声で言った。
列のあちこちで、咳払いがした。いくつもの肩が、小さく揺れていた。
ヴェルナー侯爵は、口を開けて、閉じて、もう一度開けた。それから、列の横を、最後尾の騎士の方のところまで歩いていった。
途中で、並んでいる息子の横を通った。巻いた金髪は、父親のほうを見なかった。前を向いて、並んでいた。
侯爵が並んだのは、その息子の、ずっと後ろだった。
しばらくして、その金髪が卓の前に来た。ペンを取って、帳面に名前を書いた。枠から上にも下にもはみ出して、最後がくるんと巻いた。
「……ちゃんと、並んだよ」
褒めてほしそうな声だった。
「ありがとうございます。お並びいただいた皆さまに、そう申し上げています」
喉の奥で、ふん、と小さな音がした。
それから、剣を渡すのに文句を言う人は、一人もいなかった。
門の奥から、騎士団長が出てきた。札をつけて台に並んだ剣を見て、髭を一度なでた。何も言わずに、戻っていった。
◇
列が終わったのは、園遊会の始まりの鐘の少し前だった。
卓の横で、お母様が手袋の指をそろえた。
「お母様。ありがとうございました」
頭を下げた。十五度より、少し深く。
「お母様がいなかったら、ほとんど、お名前が分かりませんでした」
お母様は、目を細めた。
「お顔とお名前は、わたくしが覚えております」
それから、少しだけ声を小さくした。
「あなたは、あなたのやり方で」
この世界で目が覚めた朝、私は、引き継ぎなしで着任した。私の名前を最初に呼んでくれたのも、この人だった。
今日、初めて、引き継ぎをもらった。
「覚えておくと、よいことがありますのよ」
お母様は、門の外の、空になった坂を見た。
「どなたがいらして、どなたがいらしていないか。すぐに分かりますもの」
点呼だ。
この人は、ずっと前から、受付に立っていた人だ。
(……お母様には、敵いませんわ)
知ってる。
「アイゼンハルト嬢」
ブラント副団長が、紙の束を抱えて来た。
「例の給仕の名は、確かめた。宮殿に雇われて、十日ほどになる。推薦状もある」
扉を順番に見ていた、あの人だ。
紙の束は、厚かった。
「夜会に向けて新しく雇った給仕、三十人ぶんの推薦状だ。侍従から、全部借りてきた。どれも、形は整っている」
報告書の長い人は、調べものも長い。
副団長が、束ごと卓に置いた。
帳面の角をそろえていたお父様が、いちばん上の推薦状の、最後の署名を見て、手を止めた。
「リ、リンデ子爵のお名前……さ、さっき、ここに」
帳面を開いた。リンデ子爵の名前が、丸みのある字で書いてあった。推薦状の署名を、その横に並べた。
お父様の眼鏡が、二つの名前のあいだを、行ったり来たりした。
「ほ、本文は、書記が書くこともございます。でも、最後のお名前は、ご本人が書くものです」
声が、急に速くなった。
「お、同じ方でも、字は毎回、少しずつ違います。それでも」
指が、名前の頭の丸を指した。
「リンデ子爵様は、丸の上を少し開けたまま書かれます。こちらは、閉じております」
お父様は、副団長を見上げた。
「ほ、ほかのも、見せていただけますか」
副団長が、うなずいた。
推薦状を、一枚ずつめくっていく。書類の前だと、この人は別人みたいに速い。
「これと、これと、これ。それから、これ」
リンデ子爵の一通を入れて、五枚が、卓に並んだ。
「推薦した方のお名前は、五人とも違います。でも、この五通の署名は、丸の閉じ方も、線の傾きも、書き終わりの払い方も、同じに見えます。……わ、わたしは、鑑定の者ではございません。似ている、までです」
副団長に、言った。
「父の帳面は、私が見たかぎり、一つも間違っていません」
お父様は、いつもの癖で眼鏡を押し上げた。今日は、ずれていなかった。
五人の推薦人のうち四人が、今日この帳面に、自分の字で名前を書いていた。残りの一人は、今日のお客様ではなかった。
お母様が顔を確かめて、ご本人が書いた字だから、比べられた。
副団長が、私を見た。
「……最初から、これを見るために、名前をご本人に書かせたのか」
「いえ。来た方の名前は、ご本人に書いていただくものなので」
帳面は、推薦状と一緒に、副団長にお預けした。
副団長が、五通の給仕の名前を見た。顎の傷が、ぴくりと動いた。
「五人とも、夜会の夜は、大広間の給仕の係だ」
その五通の中に、十五度のお辞儀をした、あの給仕の推薦状があった。
夜会の夜、私は壁ぎわに立つ。広間がいちばんよく見える場所だ。
向こうから見ても、同じことだ。




