地蔵
「遺体の発見場所にあった血痕の量は少なすぎる。抵抗して暴れたような場の乱れもない。殺害現場は別の場所だ」
灰々津はシロの尻尾を指す。
「シロの尻尾に付いている黒い汚れを見て、血痕である可能性が浮かび、犬の行動範囲、とりわけ棲み処になにかあると考えた」
保田はシロの尻尾をのぞき込む。言われてみればたしかに、黒いものがこびりついている。
灰々津は「俺の読みが正しければ……」とつぶやいて、小屋を出た。保田は訝しみつつ彼を追う。木々と小屋の間に張られている大きな蜘蛛の巣の下をくぐり抜けて、裏手へ回る。
「足下、気をつけろ。踏むなよ」
そう言って灰々津がまたいだ茂みの中を、何だろうとのぞき込むと、黒ずんだナイフが落ちていた。
「えっ、これ凶器ですか?」
「だろうな」
こともなげに言って先へ進む灰々津に、ナイフを大股でまたいで保田も続く。
大きな背中が急に止まった。
「ここか」
スマホを取り出して鑑識を呼んでいるらしい灰々津の横から、保田は首を伸ばして前方を見る。
小屋と雑木林の間の茂み、緑と茶の自然の色味の中に、不穏な赤黒いものが散らばっていた。
保田は息を呑む。
通話を終えた灰々津が、淡々とした口調で言う。
「ナイフなど鍔が付いていない刃物を突き立てるとき、勢い余って手が前方に滑り、傷つくことは多い。あのナイフに付着している血液から被害者のものではないDNAが出れば、被疑者を絞り込む有力な手がかりになる」
それを聞いて、保田は、先ほど会った青年の親指の傷を思い出す。すぐにまさか、と打ち消そうとするが、灰々津が続ける。
「犯罪心理として、自宅付近に遺体を放置することは避けるものだ。かといってまったく土地勘のない場所にも棄てられない。自宅から離れていて土地勘があり人目も少ないこの土地は、心理的に選択されやすい条件が揃っている」
その言葉が示すところを読み取って、保田は眉をひそめる。
「……それは、かるがもスーパーの店主が被疑者だと言っているんですか?」
灰々津は答えず、雑木林の前、茂みの隙間からのぞいている赤黒く汚れた岩を指す。
「少々朽ちているようだが、形状からしてあれは地蔵だ」
「地蔵? こんなとこに……あっ、」
もしかしてあれが生け贄信仰の赤い地蔵ではないかと考えて、保田は背筋に寒いものを感じた。迷信、迷信と自分に言い聞かせて、辺りを観察し、首をかしげる。
「ここに遺体を放置したほうが見つかりにくかっただろうに、どうしてわざわざ移動させたんでしょう」
シロを世話しにくる人間を警戒していたとしても、小屋の裏手であれば気づかれないだろう。少なくともあの空き地よりは人目につかないはずだ。
灰々津はスマホをいじりながら言う。
「被疑者は、信心深いのかもな」
「……信心深いなら、地蔵の前で殺しなんてしないでしょう」
「するつもりはなかったか、願いを叶えたかったか。おそらく前者だろう。ナイフも放置していることからして、計画性は感じられない」
ややして車の走行音とドアの開閉音がした。振り向くと、尾堂署の刑事二人がこちらへ小走りで近づいてくる。
「そこは踏むな。凶器がある」
灰々津が指した場所の手前で、刑事たちは足を止めた。
「鑑識が到着するまで保全を頼む」
そう言って、灰々津は彼らの横を通り過ぎていく。
保田はその言葉が自分に言われたものだと思い、立ち尽くしていたが、
「守男、何してる。早く来い」
呼ばれて、慌てて灰々津を追いかける。刑事たちの訝しげな視線が背中に刺さる。
「遅いぞ」
待避所に駐めていた車の運転席に乗り込むと、すでに助手席に乗っていた灰々津が無表情でそう言った。
保田は「すみません」と謝ってから、力なく抗議する。
「あの、やはり下の名前で呼ぶのはやめていただけませんか? どう考えてもおかしいですし、他の人から変な目で見られますし」
「俺は気にしないと言ったはずだが」
そこで灰々津のスマホが鳴った。応答してなにやら指示を出しながらカーナビを指す。設定した目的地へ行けということだろう。
保田は顔を曇らせてアクセルを踏む。横から聞こえてくる断片的な話を頭の中で組み立てて、より重苦しい気持ちになっていく。
山から国道に下りて、市街地方面へ進み、全国チェーンの飲食店やドラッグストアがちらほらと現れ出したころ、ようやく灰々津がスマホを耳から離した。
「比野さんが目撃したという黒い車についてだが、」
「え?」
「先ほどソフトクリームを買ったコンビニの店員が、今朝それらしい車から出てきた男性二人がサンドイッチやコーヒーを買って車内で食べていたと話していた。映像斑に確認させたところ、防犯カメラにもその様子が映っていたそうだ。人を殺した人間が、山に遺体を遺棄したあとでわざわざ防犯カメラがある場所へ行き、悠々と食事するとは考えにくい」




