シロ
ユキばあちゃんは目を丸くしたあと、ひゃひゃひゃと笑った。
「刑事さん、変なこと訊くんだねぇ」
「長らくこの土地に住んでいる地元民にしかわからないことでしょうから」
ユキばあちゃんは「そうだねぇ」と言って茶を飲み、笑い混じりに語った。
「ここから山道をもっと登ったところに、小さなお地蔵さんがあってね。山越えをする旅人たちが安全に通れるようにって置かれたもんだったのが、江戸時代あたりで人の血を捧げることで願いをひとつ叶えることができるって言われるようになっちゃってねぇ。いつも赤いお地蔵さんがある土地だから、赤蔵になったそうだよ」
それはつまり生け贄ではないか。
保田はぎょっとした。三年間この土地を警らしていたが、そんな物騒なものがあるとは知らなかった。
「ゆ、ユキばあちゃん、その地蔵ってまだあるの?」
両腕を抱えて訊ねると、ユキばあちゃんは愉快そうに肩を揺らす。
「あるよぉ。でも、こんなのはただの言い伝え。迷信だよ。地元で信じてるもんはもういないから、ずっと放置されてて草藪の中だよ」
「そ、そうだよね、迷信だよね」
「おまわりさん、怖がりなんだねぇ。透ちゃんに話したときはおもしろい話ですねぇって笑ってたんだけどねぇ」
「いや、俺だって怖くないよ。そんなの怖がってちゃおまわりさんは務まりませんからね」
口を尖らせたとき、隣にいた灰々津が「犬だ」とつぶやいた。
彼の視線を追うと、掃き出し窓の向こうに雑種犬がいた。ぶんぶんと尻尾を振っている。薄茶色に汚れてはいるがその長めの毛が元々白いことはうかがえる。
「あ、シロだ」
「おや、シロ来たのかい。さっきバナナ買ったから一本あげようかねぇ」
ユキばあちゃんが台所から持ってきたバナナを、シロはきれいに食べた。いつもこのようにして近隣住民からエサをもらっているのだろう。
人懐っこく穏やかな表情をしているので元は飼い犬だったのかもしれない。ユキばあちゃんの手をぺろっと舐めて、撫でてくれと言うように頭をやや低くする。
けれど灰々津がずいっと窓際に寄ると、尻尾を下げて地面に擦るように小さく振り、くるりと背を向けて走り去ってしまう。
「貴希さん、怖がられてますね」
鼻の頭を指先でひと撫でした灰々津は、素早く玄関へ向かった。
「えっ、どちらへ行かれるんですか?」
「追ってくる」
靴を履くなり凄まじい速さで駆けていく灰々津に、保田は呆然とする。
ソフトクリームとクッキーを食べて地名の由来を訊いて犬を追いかけて……あのひと、どれだけ自由人なんだ。
ため息をついて、ユキばあちゃんに謝る。
「ごめんね、俺あのひとを追いかけないと。話を聞かせてくれてありがとね。お茶とお菓子もごちそうさまでした」
「いいよ、またきてね」
ユキばあちゃんに見送られ、保田は灰々津が向かった方へ車を走らせる。未舗装道を出て、右折して坂道を上っていく。そのかなり先に灰々津らしき人影が見えたからだ。
数分後ようやく追いつきそうになったところで、灰々津が横にある石垣の開口部へ入っていった。
保田は少し先の待避所に車を駐めて、駆け足で石垣の開口部まで戻る。そばに朽ちた柵が倒れているので、私有地への不法侵入ではないかと危ぶみつつ、中へ入っていく。
ひざ丈の草がびっしりと生えた狭い土地に、蔦に覆われた小屋が建っていた。開け放たれた戸の向こうに、灰々津の背中が見えた。
「灰々……貴希さん、なんでシロを追いかけたんですか?」
やや文句口調で問いかけながら彼のそばまで行くと、小屋の内部が見えた。高い場所にある穴のような小窓から差し込む午後の光が、土間から一段高くなった板間に置かれている脚の短い台と、その周りに散乱しているへたった座布団を照らしている。
何かの集会所だったのだろうか。だとしてもかなり長いこと使われていないようだ。埃っぽさに、保田は鼻を手で覆う。
よく見ると、隅に丸められた毛布があり、その下から上着らしきものがのぞいている。その横には、おにぎりの包装や牛乳の紙パックなどが詰め込まれたビニール袋。古い空間の中で、それらは妙に新しい。
くぅん、と鳴き声がして、犬がすねに擦り寄ってきた。
「あ、シロ。……あ、もしかしてここがおまえの寝ぐらだったのか」
頭を撫でてやると、シロの尻尾が嬉しげに振れた。
保田は納得する。あの毛布はシロの寝床で、ビニール袋の中のゴミは、エサの残骸なのだろう。付近には民家もまばらに建っているし、畑もある。シロを見つけた犬好きがここで世話していたのではないか。
灰々津がすっと奥の柱を指した。一部が粗く削られている。目を凝らすと、仏らしき輪郭が見えた。
「あれがどうしました?」
問いには答えず、灰々津はシロを見下ろした。その視線が怖いのか、シロの尻尾がしなっと下がった。




