強盗事件
差し出した絵を見た母は、顔をほころばせた。
――貴希、よく描けてるわ。とっても上手よ。
ぎゅっと抱きしめられ、身体も心もふんわりと温かくなった。
――ごめんね、お母さんお仕事なの。ひとりでお家に帰れる?
うなずいて身を離し、手を振ったとき、母の後ろにいた少年が、ポケットから何かを取り出して、こちらへ走ってきた。
――貴希!
覆いかぶさってきた母が、数秒後、ずるっと地面に寝そべった。その後ろで、少年が頭を抱えて泣き叫んでいた。
うつ伏せの母の背中から流れ出したもので足下が濡れていた。近くに転がった赤いナイフ。
――俺のこと、ただの仕事……俺は、母親みたいって、思ってたのに……! なんでっ、ずるい! 俺は褒められなかったのに! 抱きしめられなかったのに……!
ひどく混乱した。
なぜあの少年は、自分が殺したくせに泣いているのか。
なぜ母は、人のために涙するほどやさしい正義の味方なのに、殺されるのか。
わからない。
この感情は、なんだろう。
わからない。
灰々津は、目を開けた。
腕時計を見ると、十四時四十五分。一時間は仮眠が取れた。
むくりと起き上がる。
仮眠室が埋まっていたため、刑事課の部屋の隅にパイプ椅子を並べ、その上に横になっていた。そのせいで身体がパイプ椅子同様にぎしぎしと軋む。
暖房はついているが二十℃設定なので、尾堂署の古い建物内では体感温度が十五℃ほどになる。コートを着ないと寒くて眠れなかった。
乱れた髪を手ぐしで直し、パイプ椅子を片付けようとしたら、盗犯係の年かさの刑事が「使わせてもらっていいかい」と声をかけてきた。
どうぞと答えると、刑事は軽く会釈して横になり、すぐに寝息を立て始めた。
東京に比べると犯罪数が圧倒的に少ない熊堂県だが、やはり年末年始には飲酒絡みの事案が複数起きる。それにかかりきりになり、ろくに休めないまま半月が経っては、タフ揃いの警察官たちにもさすがに疲労の色がうかがえる。
灰々津も、幼いころの夢を見てしまうあたり、やはり疲れてはいるらしい。
しかし送検準備はすでに終えている。身柄引き渡しは尾堂署の刑事が行ってくれるそうなので、あとは書類の最終確認を済ませて本部に戻るだけだ。今夜は久々にマンションへ帰れるだろう。
「緊急! 緊急!」
響いてきた通信指令室からの放送に、灰々津は耳を澄ます。
後ろの寝息がぴたりと止んだ。
「熊堂銀行尾堂支店、強盗事件発生! 音センサー作動、威嚇発砲の可能性! 管轄署、盗犯係は直ちに現場へ急行せよ! 繰り返す、熊堂銀行尾堂支店、強盗事件発生!」
放送が終わるや否や、年かさの刑事が飛び起きた。彼を先頭に、拳銃と防弾ベストを装備した盗犯係の刑事たちがすぐさま飛び出していった。
灰々津は、室内のモニターに表示されている情報を確認する。
現状は警備会社からの通報のみで、詳細不明。犯人の人数、武器の有無も不明、か。
そこでまた放送が流れた。
「追加情報! 熊堂銀行尾堂支店、犯人三名、マスク、ニット帽、銃所持、白い車で西方向へ逃走!」
灰々津は刑事部屋を出た。
じきに捜査本部が設置される。場所は四階の講堂だろう。
歩きながらスマホを取り出し、捜査一課長の私用スマホへ電話をかける。
「なんだ、灰々津」
「強盗致傷の送検手配済みです。このまま熊堂銀行尾堂支店の強盗の捜査本部に入ります」
「まだ署長からの応援要請は来ていないぞ」
「数分以内に入るはずです」
「……わかった、任せる」
疲労がにじんだ声とともに通話が切れた。
他県で起きた連続殺人事件の特捜本部へ、熊堂県警は多くの人員を送っている。その空いた穴を埋める調整で四苦八苦しているのだろう。
とはいえ銃を所持した銀行強盗犯が逃走しているのだ。課長もすぐにこちらへ駆けつけなくてはならない。
しかし彼の到着を待つ気はない。
スマホをポケットに戻し、講堂に入る。ばたばたと机や機材が運び込まれているが、まだ署長どころか刑事課長すら来ていない。
時計を見る。十五時三分。
上層部を待ってはいられない。灰々津は置かれたばかりの無線機のリモコンへ手を伸ばした。
「こちら本部捜査一課、灰々津。尾堂支店強盗事件、仮本部から指示する。盗犯係は現着後、防犯カメラ映像の確保を最優先。逃走車両ナンバーを把握次第、仮本部へ報告せよ」
繰り返したのち、二分後に無線が鳴った。
盗犯係が伝えてきたナンバーに、灰々津は引っ掛かりを感じつつも、交通課へナンバー照会を指示する無線を飛ばす。
一分後、返信があった。福岡県で昨年十一月に盗難届が出ている。
すぐさま尾堂署長に内線をかけて検問を直訴し、許可を得た。
続けて指令課に内線をかけ、全周波で流すよう指示して、無線で告げる。
「こちら灰々津。尾堂署長承認のもと市内主要交差点と高速インター、計十カ所に緊急検問を実施する。対象車両、白の軽ワゴン、福岡県ナンバー△△△△、盗難車確定。機捜、警ら全車、交通応援車両、ただちに検問地点へ急行せよ。車両発見時は無理に停止させず追尾」
配備の詳細を指示したところで、灰々津ははっとした。




