彼女の供述
根岸の逮捕を聞いた桜は、机に突っ伏して泣きながら話した。
小学生のころ、近所に住む二つ年上の昌斗に憧れていた。
彼は放課後いつもひとりで尾堂公園にいた。中学一年生にしては華奢で顔もきれいで、同級生の男子たちとは違って優しくて、王子様みたいだと思った。
彼につきまとって、毎日のように一緒に過ごした。
けれど小学校の卒業間近になって、父親から転勤で引っ越すことになったと言われた。
昌斗と離れ離れになる。ショックだった。そして焦った。このまま別れるのは嫌だ。せめて告白したい。
でも、なかなか言い出せないまま、引っ越しが三日後に迫った。
門限だからと言って帰っていく昌斗を、足が勝手に追いかけていた。いけないとわかっているのに、彼の家の敷地内まで入ってしまった。彼のことをもっと知りたかった。
庭の木の陰に隠れて、昌斗の部屋かもしれないと思いながら、二階の窓を見上げた。
しばらくすると昌斗の父親が帰宅してきた。車を車庫に入れて、玄関の中へ入っていく。
辺りはすっかり暗くなっていた。カーテンの隙間から漏れる明かりに誘われるように、掃き出し窓へそっと近づいた。
カーテンの隙間から中をのぞいたとき、身体中が冷たくなった。自分が何を見ているのか、わからなかった。ただ、とてもいけないものを見ていることはわかった。
昌斗と目が合った。瞬間、逃げた。
翌日からは尾堂公園に行かず、そのまま引っ越した。
自分が見た光景は、誰にも話せなかった。
成長して意味がわかってからはなおさら怖くなった。
あのとき、昌斗の目は、自分を見ていた。助けを求めていた。でも、自分は逃げた。彼を見捨てた。罪悪感が重くのしかかり、考えること自体を避けるようになった。
美容師として働き始めてからは忙しく、思い出すこともなくなっていた。
けれど祖母のために尾堂市へ戻ることを決めたとき、記憶がよみがえった。
気にはなったけれど、十六年も前のことだ。昌斗だってとっくに独立して家を出ているはず。
そう考えていたが、シロの散歩で久しぶりに尾堂公園へ行くと、記憶の中の面影そのままの昌斗がいた。
衝撃を受けながらも思わず話しかけると、彼は再会を喜んでくれた。そしてしばらく二人で話した。
昌斗が小学校の先生になったと聞いて安心した。彼は立派な大人になってしっかりとした経済的基盤を築いている。
しかし直後に、まだあの家で父親と暮らしていると聞いて、頭の中が真っ白になった。
あんなことをされていたのに、なんで、まだ一緒にいるの?
たまらずそう問いかけると、昌斗は「やっぱりあのとき見てたんだね」と言って微笑んだ。
彼は知っていた。自分が彼を見捨てたことを。逃げたことを。以前よりも強い罪悪感に襲われた。
昌斗は「気にしないで」と言った。「お父さんは立派なひとだから」「お父さんは僕を愛してくれるから」と繰り返した。
ああ、彼はまだ虐待の最中にある。
それを知って、もう見て見ぬふりはできないと思った。
けれど告発をすれば昌斗の社会的立場にも傷がつく。だから昌斗を説得し、彼自身の意志で離れさせようと決めた。今度こそ、彼を救うのだ。
仕事終わりにシロの散歩をしたいけど夜に女性一人だと物騒だから付き合ってほしいと頼んだのも、説得のためだった。
あなたのお父さんの愛情は、愛情じゃない。間違っている。あなたは虐待の被害者なの。目を覚まして。あの家を出て。
昌斗は微笑んで聞いていた。
ある日、彼はいつもより少し遅れて待ち合わせ場所に来た。「僕は今日、いつもの時間に来たことにして」と言われ、不思議に思ったけれどうなずいた。
その一週間後、また遅れてきた昌斗は同じことを言った。シロがなぜか彼から距離を取りたがるのを怪訝に思いつつも了承した。
翌々日、美容室に警察が来た。昌斗の家で二度も小火が起きたこと、それが放火である可能性が高いと聞いて、身体が強張った。
昌斗に電話すると、彼は言った。
「僕をあの家から解放したいなら協力して。今度は見捨てないで」




