蛇と犬
「はい」
「あれは見てくれましたか?」
「あれとは」
「リビングのDVDです」
「はい」
「そうですか」
そう言って背を向ける昌斗に、桜も一拍遅れて続こうとした。
保田は思わず彼女を呼び止める。
「鈴木さん!」
桜がびくっと肩を震わせて振り向いた。
頭や心より先に、口が自然と動いた。
「……ユキばあちゃんが悲しむようなこと、してませんよね?」
桜の眉間にしわが寄った。ぱくぱくと口を開閉して、何も言わずにうつむく。
灰々津が独り言のように言った。
「先ほど、シロが蛇のモニュメントを避けていました」
桜がばっと顔を上げた。
その反応で、保田は確信した。
灰々津はスマホを取り出し、
「野之瀬さん、あったか? ……ああ、これから戻る」
それだけ言って通話を切ると、昌斗たちの進行方向へ回り込んで立ち塞がる。
「お二人とも、一緒にモニュメントのところまで引き返してください」
その有無を言わせぬ圧に押されるように、桜はシロを連れてとぼとぼと歩き出す。その少し後ろを昌斗が静かに付いて行く。
保田は擦り寄ってきたシロの頭を撫でながら、彼らを先導する形で歩いた。
モニュメント前に着くと、二人の刑事が立っていた。そのうち一人はよく知った顔だった。
「あれ、野之瀬、なんでここにいるんだ?」
「その言葉そのままおまえに返すよ。駐在がよその管轄でなにやってんだ」
「きょ、今日は休みだから、管轄外にいても別にいいだろ」
言い返したところで、野之瀬が持っているビニール包みと軍手が目に入った。モニュメントを照らす電灯の光で、それらが泥で汚れていることが見て取れる。
野之瀬は泥がついた手袋で、モニュメントの裏側を指した。
「灰々津さん、そこに埋まっとりました。ビニールシートで二重に包まれてるのは、五百ミリのペットボトルです。中には透明な液体が入ってて、開けていなくとも灯油特有の刺激臭があります。軍手からも同じ臭いがします」
桜は口を押えて青ざめ、ぶるぶると震えだした。
昌斗は穏やかな笑顔で小首をかしげる。
「放火犯のものでしょうか?」
「おそらく。詳しくは鑑識で調べます」
野之瀬はペットボトルと軍手を証拠袋の中に入れた。
灰々津が桜に話しかける。
「シロはこの臭いを嫌っていたのでしょう」
「え……」
「犬は揮発性炭化水素に敏感なので、灯油臭を嫌います」
「……」
「二度目の火災発生時、この公園の防犯カメラに映っていたシロも、昌斗さんからやけに距離を取って歩いていました。今日とは大違いです」
昌斗はやさしい眼差しをシロへ向けた。
「あのときはまだ僕に慣れていなかったんです。あれから何度も一緒に散歩して、ようやく慣れてくれました」
「シロはほぼ人見知りをしない犬です。ほとんどの相手に初めからなつきます。そうですよね、桜さん」
桜は何も答えず、シロのリードをぎゅっと握りしめている。
灰々津は淡々と話す。
「昌斗さんの家で起こった二度目の火事で、灯油付着物が見つかった。家宅捜索で見つからなかった灯油が、昌斗さんの散歩ルートで発見された。これは偶然の一致で片付けられません」
「そう言われましても」昌斗は口角を上げて言う。「僕、そろそろ帰らないと。あまり遅くなると父に叱られてしまいますので」
「お二人をこのままお帰しすることはできません。署までご同行願います」
「逮捕ということですか?」
「いえ、ひとまずはお話をうかがうだけです」
「わかりました」
灰々津は野之瀬ともう一人の刑事に、昌斗を連れて行くよう指示した。
「鈴木さんは俺と来てください。守男も一緒に来てくれ」
保田はうなずき、桜を促して、灰々津の後に続いて駐車場へ向かった。車の後部座席にシロと桜を乗せて、隣に座る。
「桜さん、シロはいったん守男に預かってもらいます。よろしいですか?」
「……はい」
保田は、え、俺? と戸惑ったが、この場合、誰かが一時保護をしなくてはならない。事件関係なので、ひとり勤務の駐在所で預かるのは妥当だろう。シロはかわいいし。
駐在所でシロとともに降りた保田は、遠ざかっていく車を見送った。
「シロ、鈴木さん、早く帰ってくるといいな」
クゥン、と小さく鳴いて、シロが足下に擦り寄ってくる。以前とは見違えるようにきれいになったその身体を、保田はやさしく撫でた。




