捜査会議
灰々津は尾堂署三階の小会議室の前で足を止めた。
ドア越しに漏れ聞こえてくる雑談に、耳を傾ける。
「灰々津さん、近寄りがたいよな」
「ああ、表情とか口調とか冷たくて、人間と話してる気がしねぇよ」
またか、と思う。このような陰口は聞き飽きている。警視庁でも「ロボット」と呼ばれていた。同僚は多少の親しみも込めてくれていたようだが、上司が込めていたのは苛立ちだった。
――おまえは感情が乏しく意思疎通に問題がある。いくら捜査能力があっても、その協調性の欠如は組織を乱す。
一理あるが、納得はできなかった。
組織を乱しているのはどちらだ。確実性がある提案をしても許可せず、見当違いの読みで捜査員を振り回し疲労させている。そうして無駄に時間が過ぎて、目撃証言の新鮮さが薄れ、証拠が消され、解決が困難になっていく。だから独断で動き、被疑者を逮捕した。
事件の早期解決は、捜査員たちの負担を減らす。余裕ができれば見落としも減る。被害者や遺族への配慮もできるようになる。そのような組織こそ健全ではないか。
思ったままを口に出し、異動となったが、後悔はしていない。どこにいようが、警察官としてやるべきことは変わらない。
部下に敬遠されようが構わない、と思ったところで、なまり混じりの声が聞こえた。
「そげん言うなよ。あのひとも大変なんだよ」
「大変って?」
「本部にいるダチから聞いたんやけど、灰々津さん、殉職遺児なんだってさ。あのひとが六歳のときに、女警だった母親が目の前で刺されて亡くなったんだと。そげんことがあったら感情が乏しくなるのも仕方なかさ」
しんと静まったあと、「それで……」湿ったような声音がぽつぽつと出た。
「そうだな。それに怪我人もいない小火事件に、本部から一人で遣わされてきてるんだ。大変だよな」
灰々津はドアを開けた。
ぎくっとしたようにこちらを見てくる四人の刑事たちと、鑑識係と生活安全課それぞれ一名を一瞥して、
「小火だとしても放火は重罪だ。だから君たちは本部へ報告したんだろう」
「は、はい……」
ばつが悪そうな刑事たちと向かい合うように、ホワイトボードの前の席に着いて、ノートパソコンを開く。
「各班、進捗を聞かせてくれ」
主任捜査官である年配の刑事が立ち上がった。
「聞き込み班です。近隣には根岸さんとトラブルがあった人物はいないようです。向かいの住人が、一度目の火災時に根岸家から駆けていく男を目にした気がすると言っていましたが、街灯の死角になっていたため本当に見えたかは微妙とのことです」
年配の刑事が着席すると、代わって若い刑事が立ち、手帳を見ながら言う。
「張り込み班です。月曜から木曜にかけて夜間の監視を行いましたが異常なし。灯油の臭いもありませんでした」
続いて生活安全課の捜査員が報告する。
「付近のガソリンスタンドで、十月から十一月十日までの灯油購入のレシートを任意提出してもらいました。 本格的に寒くなる前ということもあり灯油購入者は少なく、八名だけでした。全員、店員と顔見知りの常連客だそうです。防犯カメラでその八名の購入時の様子を確認しましたが、不審な点はありませんでした」
鑑識係の捜査員が立ち上がる。
「外壁の焦げ部は、下部幅四十五センチ、高さ一・二メートル。アクリルシリコン樹脂塗膜がゴム状剥離し、セメント表面が黄褐色に変色していました。これは紙束と灯油を用いた放火の典型的な燃焼パターンです。延焼リスクは極めて低く、根岸さんの消火活動がなくとも五分以内に鎮火したものと思われます」
灰々津は本部鑑識から提出された分析データに目を通しつつ、質問する。
「外壁火災で使用された灯油量は推定二百ミリリットル、紙束はメーカー不明のコピー用紙約五十枚とあるが、着火方法はわかるか?」
「現場観察ではマッチの残骸は見つかりませんでしたので、ライターで着火された可能性が高いと思われます」
ひげ面の刑事が首をかしげてぼそっとつぶやく。
「灯油がかかった紙束にライターで着火したら指を火傷するんやない?」
「着火は火の先が触れるだけでいい。五センチほど距離があれば火傷はしない。それに、たとえば破った紙片に火をつけ、灯油がかかった紙束の上に投げれば済む話だ」
灰々津が言うと、ひげの刑事は「なるほど」とうなずいた。
灰々津はまた鑑識係を向く。
「ピーク時の火炎の高さと煙の量はわかるか?」
「推定ですが、火炎は高さ一メートル、煙は約三立方メートルほどだったと思われます」
灰々津はひげの刑事へ目をやる。
「野之瀬さん、初動捜査で根岸さんから聞いた話をしてくれ」




