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迷いと麦茶

 二週間後、灰々津が駐在所にやってきた。


「ここは涼しいな」


 そう言ってエアコンの設定温度を確かめる。


「同じ二十八℃設定でも、室内の人数によってこうも違うとは」


 保田は苦笑する。


「人数が多いと部屋に熱がこもりやすいですよね。でも刑事課は出払ってることが多いから他の課よりはマシなんじゃないですか」


「それはそうだが、汗だくの男たちが戻ってきて一斉に書類仕事を始めると他の課よりも暑苦しい」


「ははは、大変ですね。最近ほんとに暑いですもんね」


 ガラス戸の向こうの空は雲ひとつない快晴で、真夏を思わせる陽光が降り注いでいる。

 午後の警らでは熱中症の注意もしようと考えていると、スチール机の向かいに座った灰々津が当たり前のように催促してきた。


「守男、麦茶をくれ」


「あの、ここはお店じゃないんですが……」


 そう言いつつ、自分も喉が渇いていたので住居の冷蔵庫にある作り置きの麦茶を二つのグラスに注いで持ってくる。


「はい、どうぞ。それにしても、灰々津さん忙しいでしょうに、またここに来ていいんですか?」


「忙しいからこそ息抜きが必要だ」


 捜査一課の強行犯係なら係長の指揮下にいるはずなのに、なぜこの人はこんなにも自由に振舞えているのだろう。見放されているにしては十分過ぎる成果を出しているし、にもかかわらず表彰はされていないみたいだし、不思議だ。

 とはいえ彼の立場を詮索するのははばかられる。


「……そうですか」


 麦茶のグラスを傾けて喉仏を上下させてから、灰々津は息を吐いた。


「玉置が殺人罪で起訴された」


 保田はふと動きを止める。


 玉置は、動機や手口、スマホを初期化したことも含め、すべて供述したという。

 カオリから別れを告げられて口論になり、殺意を抱いた。

 オアシスピーチの十周年記念パーティーのために用意されていた風船と、ヘリウムガスの缶。それを見た玉置は、海外ドラマであったヘリウムガス自殺のシーンを思い出した。

 商品が梱包されていたビニール袋を、だいぶ酔いが回っていたカオリの頭に被せ、その隙間から缶を入れてガスを注入した。


 エアコンがついてたのは死亡時刻を遅らせるための隠ぺい工作ではなく、消すという考えがなかったそうだ。

 カオリの部屋の電気使用量を調べたところ、玉置がカオリの部屋を訪れた日だけ使用量が多かった。

 おそらくカオリは玉置のために部屋を快適な温度にして迎えていたのだろう。


 玉置が言うには、カオリが部屋のドアをオートロックにしたのは、スペアキーを断っていた彼がカオリの就寝中に帰ることでドアが無施錠になっていたからだそうだ。


「玉置に計画性があったとは言えず、自白して反省を見せていることから多少の減刑はあるだろう」


「そうですか……」


 保田はグラスの中の琥珀色を見下ろす。


 スマホのクラウドサービスから抽出された写真フォルダ。その中にあった写真は一枚だけ、カオリの部屋のソファでうたた寝をする玉置の写真だった。


 押収された玉置の手帳のポケットにも写真が入っていたそうだ。学ランを着た若い玉置とカオリが、肩を組んで笑っている写真が。


「しかめ面しているぞ、守男」


 顔をつついてくる灰々津の指から逃げて、保田はぼそっと問いかける。


「俺がしたことは、カオリさんのためになったんでしょうか」


 玉置の取り調べからずっと、やりきれない気持ちが続いている。


「カオリさんは、自分のことよりも玉置の幸せを望んでいた。なのに俺が、玉置の幸せを、彼の家庭を壊した」


「壊したのは玉置自身だ。おまえも俺も、警察官としてやるべきことをしただけだ」


 きっぱりと言い切った灰々津は、残りの麦茶を一気にあおると立ち上がった。


「また来る」


 ガラス戸が閉まり、車のエンジン音が聞こえた。

 空になったグラスを見下ろして、保田はやれやれと肩をすくめる。けれどその口角は、自然と上がっていた。

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