私的捜査の限界
その話を、灰々津へ伝えた。
「カオリさんに付き合っていた男がいたってことか」
「はい」
保田は騒音が入らないようにスマホの送話口を片手で囲って話す。
「周囲が騒がしいようだが、……守男、おまえ、カオリさんのマンションの前にいるのか」
「はい」
今週から尾堂駅前の再開発が始まった。カオリのマンションは全面改装中のバスターミナル付近に建っているため工事の音が響いてくる。
「マンションの中には入れないぞ」
「わかってます」
カオリの死は自殺として処理されており捜査権は消滅している。たとえ遺族の許可があったとしても、現場に立ち入ることは立場的に避けたほうがいい。
「灰々津さん、昨日の警ら中にカオリさんのご両親に会いました。いろいろと話をして、カオリさんについて調べることに同意を得ました。そのときに聞いた話ですが、やはり遺品には診察券も薬もなかったそうです」
「松永さんの病院以外の既往歴は不明ということだな」
「はい。松永さんの病院についても確かな情報というわけではありませんが」
正式な手続きでなければ通院記録やカルテなどは開示されない。カオリの両親に返却されたスマホを復元して調べることもできない。
やはり私的捜査でできることには限りがある。
同じことを考えていたらしい灰々津が淡々と言う。
「正式に再捜査ができればいいんだが。上を動かすには決め手になる証拠が必要だ」
「そうですよね」
「俺も他のやり方を考える。また連絡する」
「はい、あの……あんまり無理しないでくださいね」
「……ああ」
通話が切れたスマホをポケットに入れて、保田はカオリのマンションを見上げる。薄闇の中でもレトロな造りだとわかる。
「ねぇ、あんた、もしかして警察の人?」
横からの声に振り向くと、眼鏡を掛けた男性が立っていた。
「い、いえ、ここが先日亡くなった知り合いのお宅で、つい気になって……」
あいまいに返すと、男性は「ふ~ん」と言ってこちらをじろじろ見てきた。
「それって香里さんのことでしょ。僕、彼の向かいの部屋に住んでるんだけど、気になることがあるんだよね」
「気になること?」
「僕の部屋、玄関ドアに小さい防犯カメラを取り付けてるんだけど、あ、オーナーには許可もらってるから」
保田は思わず前のめりになった。
「防犯カメラ!?」
「ははっ、やっぱりあんた刑事さんでしょ。さっき調べるとか聞こえたし」
「い、いやぁ……えっと……」
「まぁいいや、それで、その映像を見てみたんだよ。香里さんは自殺だって聞いたし、関係ないとは思ったんだけど、なんとなく。そしたら、香里さんが発見された日の三日前、十六時くらいに、彼の部屋から出てくるタマちゃんが映ってたんだ」
まさに死亡推定時刻だ。保田ははやる気持ちを抑えて訊ねる。
「タマちゃん? それは誰のことですか?」
「わかんない。香里さんがその男にそう呼びかけたのを廊下ですれ違ったときに聞いただけだし」
「呼びかけてた? 以前にもタマちゃんは香里さんの部屋に来ていたんですか?」
「うん、何度か見かけたし、カメラにも映ってた」
「カメラの映像、見せてもらうことってできますか?」
「いいよ」
男性はスマホをタップした。防犯カメラの映像はクラウド上に自動保存されるそうだ。
「ほら、これ」
見せられた映像は、想像していたよりも鮮明だった。ドアから外をうかがうように出てきた男は、キャップのつばを深く下げ、うつむいて足早に去って行った。
保田はすっと背筋を伸ばして、改まった口調で言う。
「これは重要な証拠です。警察に届けていただけますか?」
男性は露骨に顔をしかめた。
「ええ~……面倒だよ。あんた刑事さんでしょ。今話したことで届出したことにしてよ。あと事情聴取とかも勘弁して」
人が亡くなってるんだぞ! 怒鳴りたいのを我慢して、保田は丁重に頼み込む。
「わかります、面倒ですよね。でもその映像は本当に大事な証拠なんです。お願いします」
「う~ん」
「では、警察へ行かれなくても結構です。代わりに、その映像のコピーをいただけませんか。後日、警察から連絡があると思いますが、それにはご対応ください。香里さんのために、どうかお願いします」
「まぁ、それなら……僕も気になってたし、」
うなずいた男性は、映像ファイルをBluetoothで保田のスマホへ転送してくれた。
「ありがとうございます」
一礼して踵を返し、灰々津の番号を押した。




