野菜のおすそわけ
なんだ、なにか、見覚えが……あっ!
写真の男が被っているキャップは、先日この店のドア前にいた男が被っていたものと同じだった。グレー地に、海外ブランドの黒いロゴが模様のように散りばめられている。
もちろん、同じキャップの購入者など何人もいるだろう。だが、カオリが見ていた写真の男と同じキャップを被った男が、カオリが勤めていた店の前にいたことは、ただの偶然とは思えない。
「ぼくは灰々津さんみたいな人がタイプだなぁ」
「ノリちゃん、歳を重ねるとね、モリちゃんみたいな温厚そうな男が一番だなって思うようになるのよ」
その言葉を「ははは、ありがとう」と受け流し、保田はママに訊ねる。
「俺が初めてここに来たとき、これと同じ帽子を被ってサングラスとマスクを着けた男がドアの前に立ってたんだ。俺を見てすぐに逃げて行ったんだけど、そういう男に心当たりある?」
「ああ、たぶんお仲間さんでしょうね。入りたくても入れないでいたんじゃないかしら」
「入りたくても入れない?」
首をかしげると、ノリが「そーだよぉ」と言った。
「ぼくも、初めてここに来るときはあのドアの前で十分くらい迷ってたもん。顔も、芸能人かってくらい隠してたし。ぼく、周りにカミングアウトできなくて、ノンケだって嘘ついて暮らしてるけど、それってすごく孤独なんだよね。SNSで繋がってる仲間はいるけど、みんな都会にいて会えないから、リアルで話したかったんだよね。でも、いざそういう場に足を踏み入れるのは怖かったんだ」
ママは優しい目をノリへ向けて、彼の空いたグラスにお酒のボトルを傾けた。
「そうね。こういう場にいたことが周りにバレたら大変だものね。自分がゲイかどうかまだ迷いがある人は特に、自分がそうだって認めてしまうことにもなるし。……でも、たしかに大変ではあるけど、踏み入れた先にも道はあるし、それは今いる道よりも生きやすかったりするんだけどね」
保田は、ママたちの苦労を想像して眉根を寄せながら相づちを打つ。
「そういうものなんですね」
「カオリちゃんも、ここの常連だったんだけど、以前の職場でゲイバレして居づらくなって辞めちゃってね。それからここで働くようになったのよ」
ママは横にあるピンクのぬいぐるみを撫でて、
「都会では私たちみたいなのも受け入れられるようになってきてるけど、地方だとまだまだ肩身狭いのよ。でもね、だからこそ私、ここに店を作らなきゃって思ったの。普段は自分を隠して生きてるお仲間さんたちが、少しの間だけでも自分らしくいられる場所を作りたかったの」
そこからママの身の上話が始まり、以降はめぼしい情報はなく、保田は灰々津とともに店を後にした。
六月とは思えない日射しが照り付けている。
駐在所の横にあるガレージにバイクを駐めた保田は、流れ落ちる汗を制服の袖口で拭った。
通りがかりの小学生たちに手を振られ、振り返してから執務室に入ってスチール机に着く。
巡回連絡簿を手繰っていると、駐在所の前に軽トラが停まった。運転席から出てきたのは、麦わら帽子を被ったおじいさんだ。
「おまわりさん、うちで採れたトマトとピーマン持ってきたよ」
「いつもありがとうございます、松永さん」
「礼はいらんよ。私があげたくて持って来てるんだから」
松永はよく日焼けした肌にしわを刻んで笑い、野菜が入ったビニール袋を机の上に置いた。袋からのぞくつやつやとした赤と緑に、保田はおお、と感嘆する。
「今年はまた一段と良い出来ですね。農家さんも顔負けじゃないですか。これもう売り物になりますよ」
「そうだろう。家庭菜園二年目にしちゃ上出来だと自分でも思ってるんだよ。実家の庭に作った畑だから、土壌の質はいまいちだったけど、毎日手をかけたらこの通りさ。子育てと同じだね」
「松永さんの子育ての土壌は良質ですよ」
「またまた、お世辞言って」
「お世辞じゃないですよ」
松永は尾堂駅前にある消化器内科クリニックの院長だったが、三年前にその席を息子さんに譲り、川尾町にある彼の実家に戻ってきた。
今でも近所の子供たちのちょっとした怪我の手当てをしたり、お年寄りたちの体調について相談に乗っている。そんな人情味のある性格の彼は、きっと親としても素晴らしかっただろう。
松永は苦笑して、首に掛けているタオルでこめかみを拭いた。
「おまわりさん、このまえ香里さんのとこにいただろう。門のとこにバイクが駐まってた」
「ああ、はい」
「……あそこの息子さん、残念だったねぇ。良い子だったのに」
松永は少し沈んだ声で言う。
カオリは直葬されたが、葬儀社の車の出入りなどで近隣は察する。そして田舎ではすぐに噂話が広まる。松永もカオリの死を耳にしていたようだ。
「松永さんも面識があったんですね」
「うん、まぁ……そういうことも、あったかもしれない」
濁された言葉に、保田は小さく息を呑んだ。
「もしかして、カオ……茂さん、松永さんの病院に通ってたんですか?」
「それは言えないよ」
松永はやわらかく遮り、少し間を置いてから言葉を続けた。
「でも、これは独り言だけどね……あのときの彼氏と、ちゃんと別れられたのかなって、ずっと気になってたんだ。……まぁ、ずいぶん前の話だし、亡くなったこととは関係ないだろうけどさ」
保田は驚きを顔に出さないよう意識して、世間話のていを保ちつつその彼氏について聞き出そうとしたが、松永も詳しくは知らないようだった。




