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第六章 不穏

 昼の時間が長くなり、日中の暖かさも増した九月。汚れがつかぬようにつぎはぎの大きな布で包まれたテーブルを乗せた馬車が市場へと向かっていた。手綱を握るのはイヴである。マエルからの依頼品が、納期ギリギリになってようやく仕上がったのだ。道行く人々は物珍しい大きな荷に目を奪われ足を止める。市場にはいつも使っている入り口とは逆、隣町へ続く街道沿いに大きな荷を搬入するための裏口が準備されており、表の道と裏の道という二重螺旋のような形をしている。こちらからであればこの小さな馬車程度なら入ることができる。この裏道の存在を知ったのも後継ぎとして納品に携わるようになってからだった。今まで何度か来たことがあるが、馬車からそこまで大きくない、大きくても壺一つ分くらいの荷物を下ろす様子をあちこちで見かける。行き交う馬車に気を付けつつ慎重に馬車を進めると、馬車の先、テントの裏側に置かれた木箱に腰かける男の姿が見えた。こちらに気づくなり手を振って待ち構えている。

「やっと来たか。待ちわびたぞ」

「すみません、思いのほか手間がかかってしまって」

「別に納期に間に合ってるから問題はないよ」

「それならよかったです。これ、降ろしちゃってもいいですか?」

「おぉ、ちょっと待ってくれ」

慌てて店に消えたマエルは小脇にくるくると撒かれた絨毯のようなものを抱えて戻ってきた。馬車の脇に広げられたそれは使い込まれ端々がほつれてはいるものの、かつての美しさを残した赤く大きな絨毯であった。

「この上にのせてくれ」

「綺麗な絨毯ですね」

「ありがとよ。これはな、東の山脈を越えたところにある、内陸国家のアースティンから仕入れたもんなんだ。といってもお隣のカークバンドに集まっていたものを買っただけなんだけどな。やっぱりカークバンドは偉大だ。俺ら商人にとっちゃ天国だ。さ、降ろしてくれ」

馬を馬車から外し、マエルと二人がかりでテーブルを絨毯へ降ろす。埃除けで被せられた布をマエルが慎重に取り払う。現れたその姿に、マエルは感嘆の声を上げた。そっと天板に触れ、指の腹で滑らかに磨き上げられた天板を撫でる。丸みを帯びた角を撫で、やがてイヴの彫り上げた装飾へ。

「ほう、天女か。見たこともないのによく仕上げたな。これは大したもんだ」

「ありがとうございます。以前マエルさんから天女の話はよく聞いていたので、こんな感じかと彫ってみました」

「天女信仰は内陸国家アースティンの信仰なんだ。俺も実際に行ったことはないが、カークバンドに入ってくる商品は非常に美しくてな。前から買おう買おうと思ってはいたんだが、これがまた高いんだ。イヴ、お前の作品はそれに匹敵する美しさだ。いやぁ、大したもんだ」

 イヴをひとしきり褒めちぎったマエルはいそいそと机を店内に移動し始める。その机の為に開けられたスペースに机がきれいにはまり次々と商品が並べられる。店の装飾に並べられた机は違和感なく、しかし見る者の目を引く美しさを放っていた。机の上に並べられた商品たちの下で、イヴの彫った天女たちは今にも舞い出てきそうな存在感を放っている。見る者が見れば心浮き立たないはずがない、話に聞く博物館とはこれのことではないのかと、見たこともないものにイヴの心は旅立った。

 作業も落ち着き、マエルが入れてくれたお茶を啜る。これまた異国から仕入れたものらしい。独特の、体の中に吸い込まれるような味をしたお茶だった。不意に気になったことを問うてみた。

「そういえばカークバンドってそんなに強大な国なんですか?」

「ん?なんでそう思う?」

「それだけいろいろな国の商品が集まるってことは、それだけ他の国に対する影響力も大きいと思って」

「なるほど、良い推理だな。まず強さがどの強さの話をしているのかにもよるが、仮にわかりやすい軍事力と仮定しよう。カークバンド自体にそこまでの軍事力はない。あくまで自衛。自国を守るために必要な、十分な軍事力を持っているだけ。故にあの国は中立国を守っている。永世、とは言っていないがな」

「ってことは、そのうち中立じゃなくなるかもしれないんですか?」

「まぁ、そういうことだ。じゃあなんでカークバンドに商品が集まるかと言えば、そりゃ立地に理由がある。このエルブライト王国も南のカークバンドも、西側はエスキャルピー山脈に阻まれ、そのさらに西の海運国家アポストリー王国には立ち入れない。ただカークバンドには唯一、エスキャルピー山脈を越える道がある。故に、陸路でやり取りするならカークバンドを頼るしかないってわけだ。じゃあ海路で行けばいいじゃないかっていう意見もあるが、アポストリー王国は対岸の島国エイラと戦争中でな、両国の間を通る海峡は今通れないんだ。そうすると海運でやり取りできるのなんてスラーヴァ帝国とカークバンドくらいだし、カークバンドは陸路があるならわざわざ金のかかる海路なんて使わない。そうすりゃ流通する商品も安くなる。それにな、エルブライト王国は隣国の内陸国家アースティンとは敵対関係にある。それにその奥にあるスラーヴァ帝国はアースティンとの同盟国。下手に手出しができなけりゃ貿易もできっこない。唯一カークバンドは中立だから、どこの国とも取引ができる。っていうわけだ。さすがにそんな国にゃ、どこにも手出しはできんよ。出した瞬間に、他の国々から袋叩き似合うのが目に見えているからな」

「嫌な話ですね」

「国なんてどこもそんなもんだよ。三百年前の戦争も同じ。結局は利権争いの領土争い。いつだって完璧に安全なんて国はどこにもないんだよ」

「なのに天女の机なんて、置いておいて大丈夫ですか?作っておいてなんですけど」

「まぁ大丈夫だろ。何か言われても行商人ですよって言えば済むし、それにこんな辺境の地までわざわざ取り締まりに来ないって。万一来ても、これ、ここ産だし」

マエルの明るい、いたずら心を感じさせる笑顔につられてイヴにも笑みがこぼれる。こんな日常がイヴにとってはたまらなく愛おしかった。


 その週末、イヴはまた貴婦人の屋敷を訪れた。今日も変わらず、イヴが来ることには紅茶が湧き立っていた。出された紅茶を髪を撫でる風と森の声を聴きながら口に含む。口から喉、のどから胸、そして腹、次第に全身に染みわたるのを感じる。

「この前仕事で机を仕上げたんですよ」

「へぇ、どんな?」

「美しい天女が三人。彼女たちの活躍を描いたものです」

「天女。この国にはない風習ね」

特に驚くでもなくエマリーが感想を述べる。

「はい、依頼主の人は行商人で、いろんな国のことを知っているんです。マエルさんって言って、僕も子供のころ、ちょうど前にここに来ていたくらいのころから仲良くしてもらっているんです」

「じゃあ随分長い間柄なのね」

「そりゃもう。エマリーさんにはいなかったんですか?そういう人」

「昔はいたわよ。さすがの私にも。もうずいぶん前だけれどね」

話す貴婦人の視線はずっと森の木々に向けられていた。

「みんないい人たちだった。暖かくて、優しくて」

儚さを孕んだ声のまま、森を見続けるまま、貴婦人は続けた。

「もう、今となっては本当に、昔の話だけれどね」

「そんなに?」

問にわずかに驚いたかのように、彼女はゆっくりとこちらを向いた。そして顔に笑みを浮かべ、答えた。

「女性に年齢なんて、聞くものではないわよ」

フフッと笑う顔に、久しぶりにエマリーの惜しみない美しさを垣間見た。

「それで、その天女っていうのはどういう発想でそうなったの?」

机に肘をついて問いかけたエマリーの視線は、じっとイヴに向けられた。

「依頼されたとかそういうわけじゃなくて、ただマエルさんの店に会いそうなものを考えたら、異国情緒あふれるそういう装飾になったんです。あの店、異国のものばかり一杯並んでいるから」

「その天女っていうのは?」

「前にマエルさんから、隣国の、といってもこの町からはだいぶ遠いですけど、アースティンって国のある町のことを聞いたんです。そこでは衣をまとった美しい天女が信仰されていて、人々に祝福という名の奇跡を授けるってエマリーさんは知ってますか?」

イヴの問いかけに彼女はいいえ。と首を振る。

「随分前に名前を聞いたくらいよ。どんな国かも知らないわ」

「なんでも内陸国家で海がなく、スラーヴァ帝国と同盟関係にあるらしいですよ」

「そう。まぁ国同士なんてくっ付きあっていても良いことないわよ」

国同士の繋がりや文化の交流、夢を抱くイヴにエマリーは冷たく一言を突き刺した。

「そういうものなんですか?あ、でもそういえばうちの国って同盟を結んだりとかそういうのはないらしいですね」

「あぁ、エルブライトは高慢だから。昔からね」

「高慢?」

彼女は「やれやれ」と手にしていたティーカップをもう片方の手で持つ受け皿に重ねた。

「ほかの国を侮ったり、大体において自らが正しいとか、優れているとか、そういうことを重視するのよ。だから周辺国との関係なんて、そんなに良いものでもないはずよ」

「よくそんなこと知ってますね」

「まぁ、こんな暮らしをしていても噂程度には聞こえてくるのよ」

「誰も来ないのに?」

「失礼ね、だれも来なくても、噂くらいは聞こえてくるわよ」

この頃エマリーもようやく、以前のように笑みをこぼすようになり、ブローチを触ることも少なくなった。。エマリー自身が知ってか知らずか、イヴにはそれが心を許してくれているようで、何とも言い難い幸せを胸に抱いていた。


変わらぬ日々とは裏腹に、世間はきな臭さを増していた。市場にあるとある店からの依頼を終えた帰り道、酒場の目の前にある分岐路にはこの町では珍しい人だかりができていた。中心で木箱の上に立つ男の手には新聞が握られている。彼がニュースの読み手であることは間違いなかった。この町では、町の人々の暮らしに何か大きな影響が出るようなことがある場合に、新聞屋の誰かがここでニュースを読み上げることになっているのだ。とはいえ、ここまでの人だかりは見たことがない。群衆の中には、トマ、マクシム、ルイーズ、ナトンマトン夫妻、そして父もいた。大方人だかりを見た誰かがあちこちに触れて回ったに違いない。それだけ大事ということだ。遠巻きに群衆を観察しているうちに、とうとう演台の男が話し始めた。

「皆さん、お待たせしました。あまり良くないニュースです。どうか、最後まで落ち着いて聞いてください」

男の張り上げられた声は大きさとは裏腹にとても静かな印象を与えた。これもルイの指示だろうか。彼のことだ、こういう風にわざわざ一拍おかせるのだから、余程悪いニュースに違いない。男は群衆が静まるのを確認して、意を決したように再び口を開いた。

「我が国、エルブライト王国と、近隣諸国の関係が不安定に!長い歴史の中、数多の戦争を繰り返し領土を拡大してきたわれらがエルブライト王国に対し、周辺諸国が同盟を締結!旧ザルマ王国及び民族救出を掲げ、エルブライト王国に対し旧ザルマ領土の返還を要求、対するエルブライト王国は自らの領土の正当性を主張、同盟に対し対抗姿勢をとった!今後の同盟国の動きやいかに!」

なるほどだからか。そりゃ、あの前置きをするわけだ。とイヴは納得した。一歩違えばパニックにもなるはずだ。ルイの采配は正解であった。現に読み手は新聞を高らかと掲げ、声を張り上げた姿勢そのままで硬直している。聴衆の反応をうかがっているのだ。当のイヴは、何を言っていたのか、すぐには頭が追い付かなかった。周辺諸国が同盟?エルブライト王国が対抗姿勢?いったい急にどうしたというのだ。助けを求めるようにあたりを見回すと、結局みんな同じような表情を浮かべ、ただ一点を見つめる者、周囲を見渡すもの、目をつぶり、うつむく者、誰一人として、この状況を理解している様子はなかった。それは、父もトマも例外ではない。二人とも顔を見合わせ、次の言葉を待っている。

「おい」

沈黙に聞きなれた声が投じられる。聴衆が声の方を向く。皆とイヴの視線の先にいたのは、マエルだ。

「周辺諸国ってのは、いったいどこの国々だい」

今度は読み手に視線が向けられる。

「えっと、それは……」

読み手の歯切れが悪くなる。

「知ってんなら言ってみな。べつにお前が悪いわけでも、お前が何を言ったところでどうにもなりゃしないさ」

優しい口調。けれど鋭い言葉に読み手がたじろぐ。

「……っ」

読み手は恐怖を飲み込んだ。

「隣国の、内陸国家アースティンおよび、同盟国のスラーヴァ、そして、交易国家カークバンドです。海運国家アポストリー王国と島国エイラは中立を宣言しています」

「カークバンドが同盟だと!」

群衆の中で男が叫んだ。

「あそこの国は中立国だろう。何かの間違いじゃないのか!?」

「それがそうでもねぇんだよ」

男にマエルが食い下がる。

「カークバンドは中立だがな」

「永世じゃぁない……」

マエルに合わせてイヴの口を言葉が突いた。マエルがこちらを見て重々しく頷く。

「それにカークバンドは交易国家だ。一か国の味方をするよか、複数国家が手を結ぶっていうなら、そりゃそっちにつくだろうよ」

「ただカークバンドは大した軍を持ってないって話だろ?ならこの町には被害がないんじゃないか?」

マエルの論にまた別の男が疑問を呈する。

「あめぇなお前ら……」

マエルがため息交じりに言葉を吐き出す。面倒くさそうに頭を掻きながら、もう片方の手で読み手を下ろし自らが演台に上がる。

「いいかお前ら、一つ教えてやる」

先ほどの男たち、群衆、皆がマエルに注目した。

「同盟っていうのは軍を動かすだけが同盟じゃない。そりゃもちろん、カークバンドの軍くらいなら、西方でアースティンと闘いながらも撃退できるだろうさ。この国がちゃんと動いてくれればな。ただ今回面倒くさいのは複数国間での同盟ってところだ。同盟を結べば同盟国軍はカークバンド領内を通過することができる。ってことは、奥に控えるスラーヴァ帝国、帝国っていうくらいなんだから強大な軍事力を持っているだろう、その国が主体となって軍を動かし、西はアースティンとの連合軍、東はカークバンドとの連合軍の東西両面作戦をとるとしたら、勝ち目はねぇぞ」

途端に空気が重く、ねっとりとしたものになる。誰もかれも、思いもしなかった状況を知らされ、絶望や、不安や、焦燥に駆られている。どうすることもできない地獄が待ち受けているのだと、皆が認識した。

「ましてや……」

その空気をさらに煽るように、マエルは言葉をつづける。

「このバラケの街はカークバンドとの国境付近だ。……もう言いたいことは分かるな?」

各々が各々の思考を巡らせた。演台から降りたマエルはまっすぐにイヴのもとへやってきた。そして肩に手を置き、イヴに耳打ちした。

「机、ありがとうな。あれは大事に使わせてもらうよ。俺は逃げる。お前もさっさと逃げるこった」

肩を離れた手は、立ち尽くす群衆の向こうへ消えていった。

 時刻はまだ夕刻前、群衆を飛び出し、イブは屋敷へ急いだ。森の木々はいつもと変わらぬ歓迎を、イヴに向ける。ドアまで走り、強くノックする。開かれたドアの前で、イヴは、膝に手をつき、息も絶え絶えに顔を前に押し上げた。エマリーが困惑の表情を浮かべる。

「あの、どう……」

「戦争が、やってきます!」

エマリーの言葉を遮ったイヴの言葉が木霊した。


 冷たい紅茶が体に沁みる。

「そう、カークバンドまで」

「なんでも旧ザルマ王国とその民族の救出が目的らしいです」

「ザルマなんて、随分懐かしい名前を持ち出したものね」

「三百年前の戦争を持ち出してまで、周りの国は何がしたいんでしょうか」

「理由なんてなんでもいいのよ。戦争なんて。例えば領土が欲しい。例えば安い人手が欲しい。本当の目的なんてそんなものなのよ。さしずめ、エルブライトが大きくなりすぎたのでしょう。国家間の均衡が崩れるなんて一瞬だからね」

「それで人が殺しあうなんて……。そんなの、やるせないじゃないですか」

「人間なんて、所詮そんなものよ。短い命を、燃やしたがるものなのよ」

「え?」

「戦争が始まるのはいつも突然。気づけば大勢が命を投げ出し、祖国の為、友の為と散っていく。ろくなものじゃないわ」

ブローチを撫でながら窓の向こうに視線を投げるエマリーは悲し気に、恨めし気に呟いた。

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