番外編:精霊流し
今回は番外編です。
本編主人公・朱音(祐司)ではなく、祖父(祐司の父)誠司の視点で描いています。
そのため、いつもの一人称とは雰囲気が大幅に異なります。
夏の終わりの、少しだけ不思議で温かい三日間をお楽しみいただければ幸いです。
市街地から車でわずか二十分の、山間の集落。
ここI市A町にはまだ昭和の匂いがそこかしこに残っている。
かつては産炭地として栄えた名残の駅舎は資料として保存されるのみ、中は物置代わりだ。
線路跡地は住宅地として分譲され、国鉄廃線の引換条件だった路線バスも今は朝と夕に一本ずつ。
人口は今や三百人余。
小学校は三十年も前に統廃合で消え去り、住人は老人ばかり。
蝉時雨の中、家庭菜園にしゃがみ込んでいた八雲誠司はトマトを採る手を止めて立ち上がった。
彼ももう古希を迎え、あちこちの関節の痛みに耐える日々を過ごしている。
家の中に戻ろうとして、誠司は納屋前に放置された農具を見やった。
(やれやれ……片づけなければならんのは分かっているんだが)
ため息をつき、縁側に上がる。
以前ならこうではなかった。
大雑把な性格の彼とは違って神経質なひとり息子が、すぐに整理整頓してくれただろう。
その息子が不慮の事故で旅立って、今年は十三回忌。
「お父さん。朱音ちゃんたち、昼前に着くって」
予定より二時間も早い。携帯電話を弄っていた一つ年上の妻・千尋が嬉しそうに言った。
コーヒーとチョコレートが乗ったトレーをテーブルに置き、そこから一皿を持って仏壇の前に座る。
「何年振りかねえ」
嫁の由加利さんは一周忌のあとすぐに再婚した。
冷たい人だと思わないでもなかったが、乳飲み子を抱えて生きていくには止むを得ない選択だったろうとも思う。
(あの頃はこっちも会社が潰れて、助けるどころじゃなかったし……)
言い訳がましく回想する。
それにしても朱音ちゃん、どれほど大きくなったろう。
前回会ったのは七回忌法要の時。その時はまだ小学生にもなっていなかったはずだ。
初対面であるはずの自分たちに、物怖じも人見知りもせず「おじいちゃん、おばあちゃん。孫の朱音です」と礼儀正しく頭を下げて挨拶する女の子に驚愕したものだ。
年賀状は毎年届いているし写真も送られて来るが、あれから一度も会えていない。
コーヒーを飲み終わり、柱時計に目を向ければもう十時過ぎ。
(胡瓜と茄子ももう少し採っておくか)
誠司は再び庭に降りた。
千尋も後に続いて作業を眺めている。
玄関の方から車のエンジン音が聞こえた。三浦さんの車に違いない。
ドアの開け閉めの音がしたと思うと砂利を踏む足音が近づいてくる。
「朱音ちゃん、朱音、そっちじゃないよ!」
三浦さんの声が響いたかと思うと、快活そうな少女が姿を見せた。
夏に相応しい白いワンピースに麦わら帽子。
由加利さんによく似ているが、どことなく祐司の面影もある。
「朱音ちゃんかい? 大きくなったねえ!」
千尋が感嘆の声を上げると少女は途端に泣きそうな顔になり、脱いだ麦わら帽子を取り落とした。
「……おばあちゃん」
それだけ言って祖母の胸に飛び込んだ。
「あら。あらあら。あらあらあら」
千尋は戸惑いながら孫娘の髪を撫で、由加利も三浦も、そして誠司も、その光景を黙って見つめていた。
「さ、朱音。お父さんにお線香あげようね」
朱音が落ち着くのを待って縁側から仏間に上がり、並んで正座した。
三浦の手土産の銘菓を仏前に供え、お鈴を鳴らす。
朱音は神妙な面持ちで手を合わせていたが、やがて祐司の遺影に目を向けて、楽しそうに(或いは嬉しそうに)小さく笑った。
「おや、朱音ちゃん。どうかした?」
「んーん、なんでもない」
「この人が朱音のお父さんよ。ハンサムでしょ?」
「うん。すごく若いね」
朱音の無邪気な感想に、大人たちは一斉に笑った。
「そうだろう、そうだろう。結婚式の時のだからなあ」
「十五年くらい前ですねえ」
「そうそう、お昼まだでしょ? 大したものはないけど、食べていきなさい」
ぞろぞろと居間の座卓へ移動し、千尋が台所へ引っ込んだ。由加利も手伝うと言って後に続く。
誠司は三浦——八雲家とは血縁のない、それでもたった一人の孫を育ててくれている恩人——と、何とも言えない気まずい時間を過ごしていた。
(参った……何を話せばいいんだ)
もともと口下手で、社交性が足りない誠司。由加利さんともまともに話せなくて息子にからかわれたものだ。
「おじいちゃん、トマト作ってるんでしょ?」
だから、孫娘の言葉に救われる思いがした。
「食べるかい? 待っといで、洗ってくるから」
「うん」
誠司が居間を出ていくと、三浦がモジモジと尻を動かした。
「ト……トイレどこかな……」
「んー? そっちの茶の間抜けて、縁側を右に行った突き当りの左奥」
「あ、ありがとう、朱音ちゃん」
朱音が一人になったところへ笊いっぱいのトマトと胡瓜を持って現れた誠司。
「おや? 三浦さんは?」
「トイレ。車の中でコーヒー飲み過ぎてたから」
「ああ、そうかい。でもトイレの場所は分かるかな?」
「教えたから分かるでしょ。いい大人なんだし」
朱音はトマトを一つ掴んで齧り付いた。
トマトを一つと胡瓜二本を食べ終えた頃、茹で上がった蕎麦を持って千尋と由加利が戻って来た。
昼餉を終え、一休みして午後二時。三浦と由加利は車に乗り込んだ。
手土産は段ボール箱いっぱいの採りたて野菜。
「すみません、朱音をよろしくお願いします」
「いいのいいの。でも残念ねえ、二人とも泊まっていければ良かったのに」
「本当にすみません。どうしても連休を取れなくて」
「道中気を付けてね」
「お父さんお母さん、ごゆっくり~」
両親が迎えに来るまでの二泊三日、朱音はここで過ごすことになる。
西瓜を食べて、茹でトウモロコシを食べて、麦茶を飲んで、風通しの良い茶の間でお昼寝して……。
小学生にとってはなんと言うことも無いであろう夏休みの一日が過ぎていく。
晩ご飯は朱音の希望で肉じゃがになった。
「てっきりカレーとかハンバーグとか言われると思っていたけど」
「でも、祐司のやつもお前の肉じゃが好きだったよなあ」
「美味しいよ、おばあちゃん」
「ありがとうね」
風呂では朱音ちゃんが背中を流してくれた。
夜はこれまた朱音ちゃんの希望で三人川の字で寝た。
誠司と千尋にとって、こんなに充実した時間は久しく無かった。
たった一人の息子を失って以来、抜け殻のような日々を過ごしてきた。
でも、今日理解した。
自分たちには朱音と言う孫がいるのだ。息子の血は間違いなく受け継がれているのだ。
(感謝しないとな。由加利さんにも、三浦さんにも)
明日は町内会の盆踊りがある。
久々に参加してみようか、朱音ちゃんを連れて。
まあ朱音ちゃんが喜ぶかどうかは分からないけれど。
翌朝。
目覚まし代わりの蝉の声。
早朝から誠司は庭に降りている。体力がいる作業は気温が上がる前に済ませておきたい。
人参の畝に水をやり、今年初挑戦の大根の区画をすき返す。
一心不乱に鍬を打ち込んでいると、朱音ちゃんが声を掛けてきた。
「おじいちゃん。手伝うよ」
「うわびっくりした」
誠司が驚いたのは、突然声を掛けられたからではなかった。
口調があまりにも祐司に似ていたからだ。
「大丈夫? 結構力要るよ?」
「貸して貸して」
朱音ちゃんが鍬を振るう。
ハラハラしながら見守っていたが、意外にも様になっている(もっとも体重と筋力が足りないせいで、鍬に振り回されている感があるが)
(今どきの小学生は農業実習でもやっているのかな?)
そんなことを思う誠司だった。
「お父さん、一休みしたら……って、あらら。朱音ちゃん、ここにいたの」
縁側に顔を出した千尋が呆れたように言った。
「朱音ちゃんも、おやつ用意したから中にお入りなさい。ちゃんと手を洗ってね」
「は~い」
座卓の上にはカルピスとかりんとう。
グラスを伝う水滴が、テーブルクロスに染みを広げる。
「これ、お父さんが好きだったやつ?」
「そう。よくわかったね」
「うん。なんとなく」
それからまた畑仕事をして、お昼ご飯を食べて、お昼寝をして……。
「ちひろ、朱音ちゃんは?」
「あら、畑じゃなかったの?」
「ああ。どこへ行ったんだか」
「外かしら」
「勝手に外出する子には見えないが」
誠司は不安に眉根を寄せる。田舎には、都会にない危険が一杯なのだ。
「探しに行こうか」
「そうだな」
だがその前にもう一度家の中を確認しておくか。
トイレにいるのかもしれないと縁側を奥へ進んだ誠司は、一番奥の間の襖が開いていることに気付いた。
そこは祐司が大学を卒業するまで使っていた部屋で、今は物置になっている。
(朱音ちゃん、いるのか?)
覗いてみるとやはり朱音だった。
ただ何をするでもなく、部屋の中に立っている。
「どうしたんだい?」
誠司が声を掛けると、朱音はゆっくりと振り向いた。
「本、あるかと思って」
「ああ……」
そこにはかつて大量の本があった。祐司が買い集めた小説やら漫画やら専門書やら……。
「全部売っちゃったんだ。もう読む人がいないから」
「……そう……」
「読みたかった? 退屈だったかい?」
「ううん、残ってるかなと思って」
答えに窮した誠司の背中に、千尋の声が降って来た。
「お父さん何してんの、行くよ! 早くしなきゃ朱音ちゃんが……って、あら?」
部屋を覗き込んだ千尋が絶句する。
「ここにいたのね朱音ちゃん(笑)」
「ああ。俺たちの早とちりだった(笑)」
顔を見合わせて微笑む二人の耳に、微かに祭囃子が聞こえてきた。
「今日ね、盆踊り大会があるんだよ」
「屋台も出るのよ。行ってみる?」
「うん!」
ふと、誠司は半世紀以上の昔——自分の子供の頃を思い出した。
まだ炭鉱が現役で、この地区の人口は五千人を超えていて、中学校もあって。
(祭りも賑やかだったなあ……)
当時はお盆の三日間かけて、屋台は沿道にあふれ、花火大会もあったものだが。
なんだか無性に寂しさが込み上げてくる。
その寂しさを追い出すように、誠司は声を上げた。
「じゃあ早速見に行こうね」
朱音を真ん中に、三人が手を繋いで歩く。
会場まで徒歩でも五分かからない、コミュニティーセンター裏側の広場。
屋台は三軒のみ。
櫓が組まれ、大太鼓が準備されているが、太鼓打ちはまだ来ていないようだ。スピーカーから流れる祭囃子だけが虚しく流れている。
(今年はどこから呼ぶんだろう。去年は商工会議所だったか?)
地元最後の打ち手だった吉田の父さんは十年も前に亡くなった。他所から呼ぶしかないのだ。
「あっ、八雲の小父さん!」
突然後ろから呼ばれ、驚いて振り返ると中年男三人組。
顔に見覚えはあるが、名前が出て来ない。
「あっ、あーあー、君たちね。えーっと……」
「マコトです」
「ケンタです」
「ども、カズキっす」
やっと思い出せた。
祐司の小学校時代の同級生たちだった。昔は毎日のように遊びに来ていたが、会うのは葬儀の時以来だ。
「そうかー、みんな帰って来たんだ。立派になったねえ」
「なんだか久しぶりに親の顔見たくなって」
「来て良かったですよ。こいつらにも会えたし」
「祐司さえ生きてりゃ、全員集合だったのにねえ」
照れたように頭を搔く元悪戯っ子たち。
全員奥さんと子供を連れている。
その子供たち、男女入り混じって合計五人は早くも朱音と打ち解けている模様だ。
「あの、そちらのお嬢さんは?」
カズキが訊くと、年下の子供らの相手をしていた朱音が輪を離れて三人の前に立った。
黙って順繰りに三人の顔を見つめ、やがてお辞儀をして言った。
「初めまして。祐司の娘の八雲朱音です」
わっと盛り上がる三人。
「えー。あいつ、子供いたんだ?」
「礼儀正しいねえ。今いくつ? なんだか初めて会った気がしないねえ」
「帰省して良かった。祐司に会えた気分だ」
朱音は微笑みながら、三人を見つめていた。
夕闇が迫るころ、隣町から呼ばれた太鼓打ちが到着して盆踊りが始まった。
誠司自身はこういう催しには興味がない。
普段なら座って外から眺めるだけの踊りの輪に、今年は——孫娘の誘いがあったからだが——思い切って加わってみた。
踊り方なんて覚えちゃいない。見よう見まねで体を動かしているだけだ。
それでも朱音が隣にいてくれるだけで心まで踊ってくる。
(朱音ちゃんに楽しんでもらおうと思っていたのに。なんだか俺の方が楽しんでしまっているなあ)
踊り疲れて火照った体を覚まそうとベンチに座り、千尋と一緒にビールを傾ける。
朱音はマコト君たちの子と遊んでいるが、大人たちからも大人気のようだ。
それはそうだ、と誠司も納得する。
朱音はこの集落では絶滅危惧種の「年頃の女の子」なのだから。
朱音の動きを目で追う。
鬼ごっこが始まったようだ。
カズキ君の子——ヒロキと言ったか——に追いかけられて、朱音は父親たちの元へ逃げ込んだ。
そのままグループの中に居座って、大人たちと会話を始めたようだ。
(あの社交性も祐司の遺伝だろうか)
誠司にとっては羨ましいことこの上ない。
「よお誠司、飲んでるか?」
声を掛けて来たのは幼馴染のノブオ。今は町内会長だ。
「良かったな、お孫さんが来てくれてよォ」
「ああ。俺も若返った気分だ」
「つくづく惜しいことしたな、祐司君は」
「よせやい。死んだ子の歳は数えねえよ」
この場に祐司と由加利さんもいてくれたら……。
そんなことを考えていた時だったので、誠司はドキリとしながらも顔に出さないように努める。
「お前ンとこは? 里帰りなしか?」
「おう。冷たいもんだぜ、近頃の若ぇ者は」
「言うほど若くねえだろ(笑)」
「来月の連休に期待しとるよ(笑)」
太鼓打ちが帰るという。
感謝を告げるアナウンスが流れ、会場内に拍手が沸き起こった。
どうやら今年の祭りもこれで終わりのようだ。
「どれ、俺たちも帰るとするか」
千尋を促して立ち上がる。
たこ焼きと焼きそば、お好み焼き。これだけ食べればもう満腹だ。
「晩ご飯いらないねえ」
「そうだねえ。でも朱音ちゃんは分からんぞ。食べ盛りだろうし」
千尋が手を叩いて笑う。
誠司はまだ大人たちとお喋りしている朱音に呼び掛けた。
「あ、もうお帰りですか?」
「お気を付けてー」
「朱音ちゃん、もう帰っちゃうの?」
「やだー、もっと朱音ちゃんと遊びたいよー!」
大人たちは立ち上がって見送るが、子どもたちは朱音にしがみ付いて離そうとしない。
「明日な。明日また遊ぼう」
「ほんとぉ? 約束だよ?」
「ああ、約束するよ。じゃあな」
一番年下の女の子は寂しがって泣き出してしまい、母親が宥めるのに苦労していた。
三人が会場を離れた後も、祭囃子は夜空に溶けるように続いていた。
三日目、日曜日。
今日は三浦さんたちが朱音ちゃんを迎えに来る日だ。
(三日なんてあっという間だな。盆前の三日間はあんなに長かったのに)
朝ご飯を食べ終えると、朱音ちゃんはヒロキたちと遊ぶと言って出て行った。
「昼ご飯までに帰りなさいよー。お母さんたち来るからねー!」
「はーい」
「山に入っちゃだめだよー! 落とし穴あるからねー!」
「知ってるー!」
「川もだめだよー!」
「はーい!」
やれやれ、騒がしいことよ。
なお『落とし穴』とは閉山した炭鉱の坑道跡のことだ。祐司が生まれて間もない頃にも、中学生だか高校生だかが一人落ちて亡くなっている。
(立入防止柵があるから大丈夫とは思うが……)
朱音の背中を見送り、誠司は庭に降りた。
今日の昼は五人で食べることになっている。
千尋も朝から(正確には昨日の夜から)気合十分、おはぎやらいなり寿司やらけんちん汁やら、準備に余念がない。
人参の畝に水をまいた後は、誠司は縁側に腰掛けてぼんやり空を眺めていた。
(今日はやる気が起きん)
ゆっくりと、雲が横切って行く。
(三日間なんてあっという間だ……)
誠司が呟くのは、さっきからこればかり。
「お父さん、お茶にしましょ」
千尋に呼ばれて茶の間に入る。
コーヒーとクッキーを頂きながらため息を吐く。
「楽しかったねえ」
千尋がぽつりとつぶやいた。
「そうだな」
外から子供たちの歓声が微かに聞こえて来る。たぶん旧駅舎の横、鉄道公園で遊んでいるのだろう。
大した遊具は無いが、小さな子供たちの想像力にかかればあんな公園でも遊園地並みに楽しめるものだ。
「羨ましいねえ」
「え? 何が?」
「いや、こっちの話」
「教えてよ、気になるじゃない(笑)」
「いやいや、子供たちの元気が羨ましいって(笑)」
二人揃って弾けるように笑う。
こんな風に夫婦で笑うのも久しぶりだ。
一服を終え、誠司は庭に向かおうとして……立ち止まった。
お土産の野菜を収穫しようと思ったが、それは一昨日持たせたばかりだ。これ以上は持て余すだろう。
「それじゃあアレがいいわ」
誠司から相談を受けた千尋の結論は一冊のアルバムだった。
祐司の幼少期の写真……生い立ちの記録だった。
「こんなもん、却って迷惑だろ」
「朱音ちゃんに、祐司のことを知って欲しいもの」
誠司は顔を顰めたが、千尋は譲らなかった。
「まあ……朱音ちゃんが要るって言ったらな。無理に押し付けるなよ」
「はいはい、解ってますって」
それから誠司は庭に降り、今日はもう使わないであろう農具を片付けようとして……三分で断念した。
(整理整頓なんて、俺の性に合わんのだ)
ぶつくさ言いながらまた茶の間に戻る。
そこへ三浦さんの到着を告げるエンジン音。
(ああ、いよいよお別れか……)
千尋が玄関で出迎え、居間に通し、誠司も立ち上がって挨拶する。
「お世話になりました。大変じゃありませんでした?」
「なんのなんの。楽しかったですよ」
「そうそう。寿命が延びましたわ」
お礼だと言って三浦さんがまた菓子折りを差し出した。
「朱音は外ですか?」
「友達と遊んでいるよ。昼までには帰るように言ってあるから」
朱音が戻って来たのはそれから十五分後。
見事に泥まみれだ。ワンピースじゃなくてジャージだからまだ良かったけど。
「朱音……。どうしたの、その格好」
「ヒロキのやつ、今度会ったらただじゃおかねー」
「ぶふっ」
誠司と三浦が同時に噴き出した。
賑やかな昼食を済ませ、一休み。
大人四人の会話に入れなかった朱音は、庭で遊ぶと言って居間を出た。
柱時計の鐘の音が午後二時を告げると、本当に最後。
もっとゆっくりしていって欲しいが……。
「お父さん、あんまり引き止めちゃダメよ。三浦さんだって忙しいんだから」
「いや解ってるよ。解ってるけどさ」
「本当にすみません。明日も早いもので」
高速道路も通っていないI市からでは片道五時間もかかるのだ。
これ以上出発を遅らせるわけには行かない。
「朱音ー、朱音ちゃーん。帰るわよー!」
由加利が声を張り上げると、朱音が縁側から姿を見せた。
「朱音ちゃん、いいもの上げる」
帰り支度が住んだ朱音に、千尋が例のアルバムを手渡した。
表紙を見た朱音が一瞬息を吞んで表情を強張らせ、大きく息を吐いて微笑んだ。
誠司はその笑顔の中に一抹の寂しさを見た気がした。
「これねえ、朱音ちゃんのお父さんの子供の頃の写真。朱音ちゃんに持っていて欲しいの」
「うん。ありがとう……宝物にする」
アルバムを小脇に抱え、玄関を出る朱音。車に乗り込む直前、くるりと振り返ってこう言った。
「冬休みにも来たいんだけど、いい?」
その一言に、誠司と千尋は天にも昇る気持ちだった。
今どきの小学生を退屈させてしまったんじゃないか——そんな懸念を吹き飛ばしてくれた。
「いいともいいとも! 三浦さんたちも構わんよね?」
「はい。ご迷惑でなければ是非」
後部座席から手を振る朱音。手を振り返す誠司と千尋。
車が走り出し、カーブの向こうに消えるまで、老夫婦は見送り続けた。
どんなに楽しい祭りも、必ず終わる。
祭りが終われば元の日常が帰ってくる。
——いや、帰らなければならないのだ。
(そんなことは分かっているさ)
誠司はつぶやき、千尋に続いて玄関に向かい……。
「ちょっと、庭片づけて来るわ」
中には入らず、そのまま庭へ向かった。
今日こそ農具を片付けるのだ。
だが菜園に回って納屋を見た誠司は、目を疑った。
納屋前に散らばっていたはずの鍬やらレーキやらがきれいさっぱり無くなっている。
「なんだ? どこへ行った?」
きょろきょろと辺りを見回すが、どこにも見当たらない。
「ちひろ! ちひろ!」
大声を張り上げると、千尋が縁側に姿を見せた。
「なんなの、そんな大声で」
「いや、ここにあった道具知らんか?」
「知りませんよ、いつも放ったらかしにしてるじゃない」
夕食の支度があるからと言って、千尋はさっさと中に戻った。
「どこへ行ったんだよ全く」
まさかとは思うが、納屋の中を覗いてみる。
そして二度目の驚愕。
すべてが、あるべきところに収納されている。
壁に掛けて置けるようにと祐司が学生時代に作ってくれたラックに、全てがきちんと掛けられている。
「ちひろ! ちひろ!」
忙しいと渋る千尋を、無理やり引きずるようにして納屋へ連れてきた。
「見てくれ」
「あら、普段からこれくらいきれいにしておけばいいのに」
「違うよ、違うんだ。俺は何もしていない。いつの間にかこうなっていたんだ」
訝しげに誠司を見つめる千尋。
やがて誠司はさめざめと泣き出した。
「祐司が来たときはいつもこうだったんだ……」
「祐司が来たときは……」
「いつも……」
強めの風がヤマザクラの枝を揺らし、軒下の風鈴を鳴らした。
「祐司が……来てくれたのかもね」
誠司は何も言わず、黙って頷いた。
また風が吹き抜け、ひぐらしが鳴き始めた。
(了)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この番外編は「もし祐司がお盆に実家へ帰って来たら」というイメージから生まれました。
ただし、帰って来たことを誰も知りません。
祖父母は最後まで朱音を「可愛い孫」として迎え、送り出します。
それでも、お盆という特別な時間だからこそ、「今年は祐司も帰って来てくれたのかもしれない」と思える。
そんな日本のお盆の空気を書いてみたかった作品です。
本編とは少し違う、静かな一編になりましたが、楽しんでいただけたなら嬉しいです。




