14.母に隠していたこと
ラミアを無事に捕らえたとの報告が届いたのは、それから間もなくのことだった。
作戦が成功したと知り、胸を撫で下ろしたリリアはアルテミスの部屋を訪れていた。襲撃を受けたばかりの母に無理をさせるつもりはなかったものの、その無事を自分の目でも確かめておきたかったのだ。
暫く他愛のない話を交わしたあと、リリアは以前から気になっていたことを尋ねた。
「お母様は……知っていたのですね。お父様のこと」
何について尋ねているのか詳しく説明する必要はなかったらしい。アルテミスは僅かに目を細めると、すぐに察したように小さく息を吐いた。
「聞いたのね」
「はい」
「そう。あの人、とうとうリアにも話したのね」
責めるような口調ではなかったものの、その声音からは呆れに近いものが感じられる。リリアは少し迷ってから、アルテミスの顔色を窺うように気になっていたことを尋ねた。
「お母様は、まだお父様のことが好きなのですか?」
「まさか」
返事はあまりにも早かった。思わず目を瞬かせるリリアを見て、アルテミスは可笑しそうにくすりと笑う。
「恋心なんて、とっくに冷めてるわよ」
「そう、なのですか?」
「ええ。でも、あの人は腐っても公爵家当主ですもの。リリアのためにも、この立場を捨てるつもりはないわ」
そこでアルテミスは少しだけ口元を緩めた。
「使えるものは最大限使わなくては『損』でしょう?」
「お母様……少し怖いです」
「そうかしら?」
そう言いながらも、アルテミスは気を悪くした様子もなく笑っている。
以前の母を思えばリリアには今の彼女の姿が眩しく見えた。
夫に愛されていないと思い込み、気持ちさえ押し殺していた頃とは違い、今は自分がどうしたいのかを彼女自身で決めている。少々逞しくなりすぎたような気もするが、それすら嬉しく感じられたのである。
そんなことを考えていると、アルテミスがふと表情を改めた。
「それより、今度は私から聞かせてちょうだい」
「何でしょう?」
「リア。あなたはどうして、最初からラミアを疑っていたの?」
不意に向けられた言葉にリリアは言葉を失った。
いつか聞かれるかもしれないとは思っていた。以前からラミアを警戒し、母にも近付かないよう伝えていた上にノーマが捕らえられた際にも真っ先にその名前を疑っていたのだ。そして実際に通信石の相手がラミアだと判明し、遂には本人まで捕らえられたのだから、偶然で押し通せる段階ではなかった。
「最初に名前を出した時も不思議には思っていたのよ」
アルテミスは責めるでも急かすでもなく、ただリリアを見つめていた。
「でも、あなたが話したくないのなら無理に聞こうとは思わなかった。けれど、ここまで来たら私にも無関係な話ではないでしょう?」
「それは……」
「何か理由があるのよね?」
リリアはすぐには答えられなかった。
本当のことを話してしまえば、母は一度目の人生で自分が死んでいたことまで知ることになる。それだけではない。その後リリアがどのような日々を送り、その果てに何が起きたのかまで話せば、必要以上に母を傷つけてしまうかもしれなかった。
だからといって、ここまで来て何も話さない訳にもいかない。膝の上で重ねた手に僅かに力を込め、リリアは意を決して顔を上げてアルテミスと視線を合わせた。
「今から話すことを信じてくださいますか?」
「信じるわ」
あまりにも迷いのない返事にリリアの方が戸惑う。
「まだ何も話していませんよ?」
「それでもよ。リアがそんな顔をしてまで私に話そうとしていることを、最初から疑うつもりはないわ」
アルテミスの言葉に背中を押され、リリアは小さく息を吸った。
「信じられない話だと思います。でも私には、一度目の人生の記憶があります」
「一度目の……人生?」
「はい。私は一度、リリア・ナイーゼとして人生を経験しています。今とは違う人生を」
アルテミスの表情から笑みが消え、困惑が浮かんでいる。それも当然の反応で、だが話を遮ることはなく続きを待っていた。
「全てを覚えているわけではありません。今も断片的にしか思い出せないことがあります。それでも、今とは違う人生を一度経験したことだけは覚えています」
そこから先は話せることだけを選んだ。一度目の人生ではアルテミスが亡くなり、それが事故として片付けられていたこと。その後ラミアがアバンリッシュの後妻としてナイーゼ家へやって来たこと。そして、今の人生で過去と同じことを起こさせないため、アルテミスが参加するはずだった茶会を必死に止めようとしていたこと。
それ以上のことには触れなかった。ラミアが屋敷へ来てから自分に何があったのかも、その先に待っていた出来事も、今はまだ話すことができなかったのである。
一通り聞き終えるまでアルテミスは口を挟まなかった。信じられないと否定されることも覚悟していたリリアだったが、やがて母の口から出たのは意外な言葉だった。
「一先ず、事情は分かったわ」
「信じてくださるのですか?」
「むしろ、そう考えた方が納得できるもの」
「納得、ですか?」
「突然お茶会を止めようとしたり、面識もないラミアを疑ったりしていたでしょう?あの頃は何を言っているのか分からなかったけれど、結局あなたが警戒していたことにはちゃんと理由があった」
アルテミスはそこまで言うと、何かを思い出したようにリリアを見つめる。
「それに、時々とても子供とは思えない顔をするもの」
「そんな顔をしていましたか?」
「していたわよ。もっとも――」
アルテミスはそこで自嘲するように笑った。
「以前までのあなたをろくに見てこなかった私が言えることではないわね」
リリアは何も返せなかった。母が自分を責めていることは分かったが、今になってその過去を責めたいとは思わない。少なくとも、こうして互いに顔を見ながら話せる今があるだけで十分だったのだ。
重くなりかけた空気を変えるように、アルテミスが話を戻す。
「でも、そうなると殿下との縁談を先延ばしにしていたことにも理由があるのかしら?」
「それは……」
今度こそ、リリアは答えに詰まった。話してしまおうかという考えが一瞬だけ浮かんだものの、一度目の人生で起きたことを全て説明するには余りにも多くのことを思い出さなければならない。
何より、今のカルロは一度目の彼とは違っていたのだ。
リリアの脳裏に浮かんだのは、アルテミスを庇って傷を負ったカルロの姿だった。
一度目の人生で何があったのかを話せば、アルテミスはきっとカルロを見る目を変えるだろう。けれど今の彼はまだ何もしていない。それどころか、自ら傷を負ってアルテミスを守ってくれたのだ。
ならば今は過去のカルロではなく、目の前にいる彼を少しでも見ようと思えたのである。黙り込んでしまったリリアから何かを察したのか、アルテミスはそれ以上答えを求めなかった。
「言えないのなら、無理に思い出さなくてもいいのよ」
「お母様……」
「話したくなった時に話してくれれば、その時に聞くわ。私だって、娘に話したくないことくらいあるもの」
そこでアルテミスは少し考える素振りを見せたあと、何でもないことのように続けた。
「そうね。アバンリッシュのしたことを聞いた時、いっそ食い千切られてしまえばいいのに、とは思ったわ。どこがとは言わないけれど」
「お母様!?」
あまりにも生々しい言葉に、リリアは先ほどまでの悩みも忘れて母を見た。娘の反応がおかしかったのかアルテミスは口元を押さえて笑っている。
「冗談よ」
本当に冗談なのだろうか。少なくともリリアにはそう思えなかったが、先ほどまで胸の内を占めていた重苦しさはいつの間にか薄れていた。
「いつか……その時が来たら、聞いてくださいますか?」
「勿論よ」
アルテミスが迷わず頷く。彼女の顔を見ながら、リリアはもう一度カルロのことを思考えた。
一度目の人生を忘れたわけではないし、簡単に忘れられるものでもない。それでも、過去に知っているカルロと、今ここにいるカルロまで同じだと決め付けたくはなかった。
いつか自分から話せる日が来たなら、その時に聞いてもらえばいい。そう心に決めたリリアは、今はもう少しだけ今のカルロを信じてみようと思ったのである。




