13.崩れた仮面
「急じゃないわ。前から気になってたことよ」
ノーマはラミアの冷たい視線を受けても目を逸らさなかった。
「貴女はお父さんとお母さんのことを色々教えてくれた。でも考えてみれば、どうして貴女がそんなことまで知っているのか聞いたことがなかった」
「前にも話したでしょう?」
「聞いたわ。でも、どうして貴女が知っていたのかは聞いてない」
ラミアはノーマを見つめたまま、すぐには答えなかった。
「…お父さんとお母さんを迎えに来た御者が、本当にナイーゼ家の人間だったのか分からないって言われたわ」
ラミアの目が僅かに細められる。
「誰に?」
「それは今どうでもいいでしょ」
「どうでもよくないわ。貴女、誰かに何か吹き込まれたの?」
「答えて。貴女はどうして知っていたの?」
ノーマは目を逸らさなかった。重ねて尋ねると、ラミアはノーマを見つめたまま暫く黙っていた。やがて小さく息を吐くと、椅子の背へと身体を預ける。
「随分と疑うわね」
「今まで疑わなさすぎたのよ」
「そう」
返ってきたのは、それだけだった。
「私たちを迎えに来た男のことも知ってるの?」
「さあ」
「ナイーゼ家にお父さんたちが処罰されたって話は?」
「貴女がそう聞いたのでしょう?」
「貴女からも聞いたわ!」
それまで抑えていた感情が噴き出し、ノーマの声が大きくなる。
「貴女は何度も言ったじゃない。ナイーゼ家は信用できないって。お父さんとお母さんのことだって、あの家なら隠していてもおかしくないって」
「それで?」
「それでって……」
「私が何を言ったとしても、復讐すると決めたのは貴女でしょう?」
あまりにも淡々と返され、ノーマは言葉に詰まった。ナイーゼ家を憎み、アルテミスを殺そうと決めたのが自分自身であることは否定できない。それでも、これまで自分の復讐に協力してくれていると信じていたラミアの言葉には、今になって引っ掛かるものがあった。
「じゃあ、どうしてアルテミス様を殺せって言ったの?」
初めて、ラミアから返事が消えた。ノーマは追い打ちをかけるように続ける。
「それも私が勝手に決めたことにするつもり?」
「殺したかったんでしょ?」
「私が聞いてるのは、どうして貴女が殺せって言ったのかよ!」
ノーマが身を乗り出してもラミアは依然と平然とした様子だった。
「貴女の望みを叶えるためよ」
「だったら、どうしてリリア様の目の前で殺せなんて言ったの?」
その問いに、ラミアの目が僅かに動く。
「私がナイーゼ家を恨んでいるから、協力してくれているんだと思ってた。でも、さっきから貴女が気にしてるのはお父さんとお母さんのことじゃない――アルテミス様が本当に死んだのか。私がどうやって逃げたのか。それに、リリア様がどんな顔をしていたのか…それだけよ」
一度言葉を切ってラミアの様子を伺うも、彼女は何も答えなかった。ノーマは小さく息を呑み、一つの疑問を言葉に出す。
「貴女、本当は何がしたかったの?」
「今更それを聞くの?」
ようやく返ってきた声には、先ほどまでとは僅かに違う響きがあった。
「貴女は復讐したかった。私は少し手を貸した。それだけでしょう?」
「それなら答えてよ。どうして娘の目の前だったの?」
「大切な人を目の前で失えば、苦しむでしょ?」
ラミアはそこでようやく、僅かに口元を緩めた。あまりにも自然に返された言葉に、ノーマの表情が固まる。
「貴女……」
「貴女だって、あの家から大切なものを奪いたかったのでしょう。ならただ殺すより、その方がいいじゃない」
声は穏やかなままだったからこそ、その言葉に込められた悪意だけはハッキリと伝わってくる。
「じゃあ、やっぱりリリア様を苦しませたかったの?」
「だったら何?」
今度は否定しなかった。
「母親を目の前で失うなんて、そう何度も経験できることではないもの。あの子がどんな顔をするのか、少しくらい気になってもおかしくないでしょう?」
その瞬間、ノーマの中に残っていた何かが崩れた。
「私を利用したのね」
「人聞きが悪いわね」
「だってそうでしょう!私がお父さんとお母さんのことでこの家を恨んでるって知って、それを利用してアルテミス様を殺させようとした!」
ラミアの口元から笑みが消えた。
「何を今更」
「何ですって?」
「自分で決めたんでしょ?」
静かな声だった。
「私が何を言ったところで、本当に殺す気がなければ刃物なんて持たなかった。アルテミスを憎んで、殺そうとしたのは貴女よ」
「だからって――」
「自分だけ被害者みたいな顔をしないでちょうだい」
ノーマが息を呑む。ラミアはそこで初めて、隠していた苛立ちを覗かせた。
「私は少し背中を押しただけ。貴女がずっと抱えていた憎しみに使い道を与えてあげたのよ」
「使い道……?」
「そうでしょう?何年もあの家を恨みながら、何一つできずにいたじゃない」
ノーマの顔から血の気が引いていってもラミアは止めなかった。
「だから教えてあげたのよ。奪われたのなら、奪い返せばいいって」
ノーマは目の前の女を見つめたまま、何も言い返せなかった。
これまでラミアから聞かされてきた言葉が次々と頭に浮かぶ。ナイーゼ家は信用できないことも、両親のことを隠しているかもしれないという話も、ノーマは疑うことなく信じてきたのだ。
「私が……復讐するように?」
「望んでいたのは貴女でしょ?」
ノーマの表情が強張った。
「それって……どういう意味?」
「そのままの意味よ。貴女は両親のことを知りたがっていた。私は知っていることを教えた。それを聞いて、貴女自身が復讐を望むようになっただけ」
そこで初めてノーマの中に別の疑念が生まれた。これまでラミアから聞かされてきた両親の話も、ただ自分を助けるために教えてくれていたわけではなかったのではないか。
「じゃあ……お父さんとお母さんのことを私に教えていたのも、復讐させるためだったの?」
「どう受け取るかは貴女の勝手でしょう」
「答えてよ。貴女が教えてくれたことは本当に全部事実だったの?」
ラミアは答えなかった。
「答えて!」
「もういいでしょう、その話は」
「よくない!」
ノーマが机を叩いた。
「私はずっと信じてたのよ!貴女だけは私たちのことを分かってくれてるって、お父さんとお母さんに何があったのか知るために力を貸してくれてるって!」
「勝手にそう思っていただけでしょ?」
その一言で、ノーマの動きが止まった。ラミアは面倒そうに息を吐く。
「私は一度でも、貴女の両親を見つけてあげると約束した?」
「ラミア……」
「貴女が知りたがったから、私は話した。それを信じて何をするかまで、私の責任ではないでしょう」
「じゃあ……私は……」
ノーマの声が震える。
「私は、何のために……」
「知らないわよ」
ラミアは冷たく言い放ち、その言葉を最後にノーマは俯いた。やがてラミアは何かに気付いたように目を細める。
「ところで、ノーマ」
声が変わった。
「何?」
「貴女、本当に逃げてきたの?」
ノーマの肩が強張る。ラミアは返事を待たず、ゆっくりと周囲を見渡した。
「さっきからおかしいと思っていたのよ。何日も連絡がなかったくせに、突然会いたいと言い出して、来てみれば聞いてくるのは昔のことばかり」
ラミアが立ち上がり、椅子が小さく鳴った。
「誰かいるのね」
「待って!」
ノーマが手を伸ばすより早く、ラミアは踵を返したものの、店の出口へと向かおうとしたところで一人の男が進路を塞ぐ。
「退いてくださる?」
男は何も答えなかったが、それを合図にしたかのように少し離れた席にいた男たちも次々と立ち上がった。先ほどまで客にしか見えなかった彼らがさりげなく逃げ道を塞いでいくのを見て、ラミアもようやく自分が囲まれていることに気付いたらしい。
「騎士……」
店内を見回した彼女の顔から、それまで浮かんでいた余裕が消えた。
「ラミア・クレマチス様ですね」
正面に立った騎士が静かに告げる。
「アルテミス・ナイーゼ様襲撃について、事情をお聞かせいただきます」
「何のことでしょう。私は何も――」
「もう止めて」
ノーマの声が遮り、ラミアがゆっくりと振り返った。
「私、全部話したわ。通信石のことも、貴女にアルテミス様を殺すよう言われたことも」
その瞬間、ラミアの表情が明らかに変わった。
「貴女……私を売ったの?」
「そうじゃない。私はただ、もう貴女を信じられない」
それまで抑えられていた声が僅かに震え始める。
「誰のおかげでここまで来られたと思っているのよ。何年も何もできずにいた貴女に復讐する機会を与えてあげたのは誰?」
「だから、それがおかしかったのよ!」
ノーマも負けじと言い返した。
「私はずっと、貴女が私の復讐に協力してくれているんだと思ってた。でも違った!貴女は最初から、自分のために私を使ってただけでしょう!」
「だったら何よ!」
ついにラミアの怒声が店内へ響いた。それまで保たれていた冷静さは完全に失われ、椅子を乱暴に押し退けながらノーマを睨み付ける。
「貴女だってあの家が憎かったんでしょう!?両親を奪われたと思って、何年も恨み続けていたじゃない!それを今になって、自分だけ騙されたみたいな顔をしないでちょうだい!」
「そんなこと言ってない!私がしたことは私の罪よ!」
「なら最後までやり遂げなさいよ!」
ラミアはノーマを睨み付けた。
「アルテミスは!?本当に殺したんでしょうね!」
ノーマは何も答えずにラミアをじっと見返すだけだった。
「答えなさいよ!殺したって言ったでしょう!?」
その沈黙だけで察したのか、ラミアの表情が大きく歪む。
「まさか……生きてるの?」
それでもノーマは答えなかった。
「ふざけないで!!」
ラミアが再び机を叩いた。先ほどまで自分を取り囲む騎士へ向けられていた意識が完全にノーマへと戻っている。
「何のためにここまで手を貸したと思ってるのよ!」
ラミアが再び机を叩いた。
「私はあの女を殺せって言ったの!それも、娘の目の前で!なのに――」
そこまで言って、ラミアの声が止まる。怒りに歪んでいた表情が僅かに強張り、自身が今何を口にしたのかに気付いたようだった。
「……私としたことが、随分と油断したものね」
自嘲するように呟いて振り返った時には、既に騎士がすぐ傍まで迫っていた。
「今の言葉、確かに聞きました」
腕を掴まれたラミアは一瞬だけ顔を歪めたものの、すぐに薄い笑みを浮かべる。
「それで?今の会話だけで私を捕らえるつもり?」
「詳しい話は、然るべき場所で伺います」
「随分と強引なのね」
「ラミア様」
「触らないで!」
もう一人の騎士に反対側の腕を押さえられても、ラミアは尚も抵抗した。それでも二人の騎士を振りほどけるはずもなく、やがて完全に身動きを封じられる。
「ノーマ!」
突然名前を呼ばれ、ノーマの肩が揺れた。
「貴女、自分が何をしたか分かっているの!?」
「分かってる。だから、もう終わりにするのよ」
「ふざけないで!!あと少しだったのに!あと少しで――!」
なおも叫ぼうとするラミアだったが、騎士に腕を引かれ、そのまま店の外へと連れ出されていく。最後まで抵抗を続けていたものの、二人の騎士に両腕を押さえられた状態ではどうすることもできず、その声も次第に遠ざかっていった。
やがてラミアの怒声も聞こえなくなり、騒がしかった店内には再び静けさが戻っていた。ノーマは席を立つこともできず、ラミアが連れ出された扉を見つめていた。




