8.沈黙の理由
騎士たちに支えられながら屋敷に戻ったカルロは、そのまま急いで空いている客室へと運び込まれた。
傷口には応急処置として布が強く押し当てられていたものの、出血は完全には止まっておらず、白い布には今も赤が滲み続けている。知らせを受けた使用人たちも慌ただしく動き始め、廊下には医師を呼びに走る足音や指示を飛ばす声が飛び交っていた。
「医師を呼べ!急げ!」
「はい!」
「それから皇宮へも――」
「待て……」
弱々しい声に、今まさに指示を出そうとしていた騎士が振り返ると、寝台に横たわったカルロが、苦しそうに呼吸を繰り返しながら騎士たちに目を向けていた。
「今日のことは……まだ外へ出すな」
「殿下?」
「ノーマを捕らえたことも……私が刺されたこともだ」
騎士の表情が変わる。
「それはできません。このお怪我を陛下にご報告しない訳には――」
「陛下には……知らせて構わない」
一度息を整えてから、カルロはどうにか言葉を続けた。
「治療に必要な者と……本当に必要な者だけに伝えてくれ。それ以外には、まだ何も……」
「しかし――」
「今知られれば……逃げられるかもしれない」
それだけ告げると、カルロは痛みに耐えるように目を閉じた。誰を警戒しているのかまで聞く必要はなく、リリアもすぐにラミアのことだと理解した。
今回の襲撃との繋がりはまだ分からない。それでも長く疑い続けてきた相手である以上、ノーマを捕らえたことを知られて逃げられるような事態だけは避けなければならなかった。
「殿下、もうお話しにならないでください」
騎士の一人が傷口を押さえ直しながら告げる。
「……必要な手配を済ませたうえで、情報が漏れぬよう徹底いたします」
カルロは目を開けることなく僅かに頷き、それを最後に言葉を発することはなかった。
程なくして医師が到着すると無関係な者は部屋から出るよう促され、扉が閉ざされると、中から慌ただしい声だけが僅かに聞こえてきた。
リリアは廊下で立ち止まったまま扉をじっと見つめていた。脳裏に浮かぶのはカルロの脇腹へと突き立っていた刃と、服をみるみる赤く染めていった血だった。傷を負いながらノーマを取り押さえていた姿まで思い出せば、どうしても悪い考えばかりが浮かんでしまう。
「リア」
隣にいたアルテミスが静かに名前を呼んだ。
「そんなに扉の前に張り付いていても仕方がないでしょう」
言われて初めて、リリアは治療が始まってからずっと扉の前に立ち尽くしていたことに気が付いた。
「ですが――」
「殿下なら、きっと大丈夫よ」
アルテミスがリリアを宥めるような目で見つめる。
彼女自身も先ほど地面へ倒されたばかりだというのに、自分のことなど気にしていないようで、リリアを心配しているようだった。
「お母様こそ、お身体は?」
「少し打っただけよ。私は大丈夫」
「本当に?」
「ええ」
それでもと、リリアは近くにいた使用人に後ほどアルテミスの身体も診てもらえるよう頼んでおいた。
それからもリリアは治療の行われている部屋から離れることができず、アルテミスも何も言わずに彼女の傍に立っていた。二人の間に会話は殆どなく、時折廊下を行き交う使用人や騎士の足音が聞こえる度に、リリアは扉が開いたのではないかと反射的に顔を上げていた。
アルテミスもまた、何度となく閉ざされた扉へと視線を向けていた。あの時カルロが飛び出して来なければ、今この部屋で治療を受けているのは彼女自身だったのかもしれないのだ。
そこまで考えたところで、リリアはそれ以上考えるのを止めた。今はアルテミスが無事であり、カルロは医師の治療を受けていて、自分にできることなど何一つない。無事に治療が終わるのを待つしかないのだ。
やがて、長く閉ざされていた扉が開く。部屋から出てきた医師は疲れた様子を見せていたものの、その表情に切迫したものはなかった。
「……殿下は?」
「命に別状はございません。ただ、出血がかなり多く、決して軽い傷ではありません」
続いた言葉に、安堵しかけていたリリアの表情が強張る。
「傷を負った後も動かれていたため、出血が酷くなったようです。もう少し処置が遅れていれば危険だったでしょう」
庭でノーマを押さえ込んでいたカルロの姿が脳裏に蘇り、リリアは思わず唇を結んだ。
「しばらくは安静が必要です。今は眠っておられますから、目を覚まされても無理はさせないようにしてください」
「……分かりました」
無事だった。その事実をようやく実感できて、リリアはゆっくりと息を吐き、隣にいたアルテミスも胸元へと手を添えた。
「本当に……よかった」
アルテミスが小さく呟いた声には、安堵と同じくらい申し訳なさが滲んでいる。
「お母様…」
「私を庇ったのでしょう?」
リリアは何も答えられなかった。黙り込んでいると、アルテミスが続ける。
「私の代わりにあんな怪我を……」
「お母様のせいではありません」
「分かっているわ。それでも、そう簡単に割り切れるものではないでしょう?」
アルテミスは閉ざされた扉へと目を向けた。
「目を覚ましたら、きちんとお礼を言わないとね」
「はい」
リリアも同じように扉を見つめていると、廊下の向こうから足早に近付いてくる人物がいた――アバンリッシュだ。
「アルテミス!」
普段なら屋敷の中で声を荒らげることなど滅多にない父が、二人の姿を見つけるなり足を速める。
「怪我は?」
「私は大丈夫です。少し転んだだけですから」
「本当に?」
「ええ」
アルテミスの身体を確かめるように見たあと、アバンリッシュはようやく息を吐いて治療の行われていた部屋へと視線を向ける。
「殿下は?」
「命に別状はないそうです。ただ、かなり出血していたので、しばらく安静にする必要があると」
「そうか……」
安堵したのも束の間、アバンリッシュの表情が険しくなった。
「それで、ノーマは?」
「騎士の方々が別室で拘束しています」
「話は?」
「まだ何も」
「分かった」
アバンリッシュが短く頷く。その後、現場にいた騎士から改めて事情を聞き、意識を失う前にカルロが指示していた方針に従って庭で一部始終を目撃した庭師や、騒ぎを知った使用人たちにも今日のことを外で話さないよう厳しく命じた。
皇太子が公爵家の屋敷で重傷を負ったのだ。どれほど人を限ったところで時間が経てばどこかから話が漏れる可能性はあり、いつまでも隠し続けられるとは限らない。
だからこそ、知られる前に確かめなければならなかったのである。
◆
ノーマから事情を聞くことになったのは、カルロの容態が落ち着いたことを確認してからだった。
両手を拘束されたノーマが騎士に連れられて部屋へと入ってくる。庭で見せた暴れっぷりが嘘だったかのように大人しく、正面に座るアバンリッシュや騎士たちを前にしても怯えた様子はなかった。
リリアは父の隣に座り、ノーマの様子をじっと見つめていた。
アルテミスは、自身を殺そうとした相手と無理に顔を合わせる必要はないとアバンリッシュが判断したため、同席していなかった。ノーマの姉妹であるアリーも今ここには居ない。
「……なぜアルテミスを殺そうとした?」
アバンリッシュが低い声で尋ねると、ノーマがゆっくりと顔を上げた。
「私が奥様を憎んでいたからです」
「何故だ」
「個人的な恨みです」
「その理由を聞いている」
ノーマは口を閉ざした。
「答えろ」
「お話しするつもりはございません」
アバンリッシュの表情が険しくなる。
「人の命を奪おうとし、殿下にこれほどの傷まで負わせておきながら、理由すら話さないと言うのか」
「殿下を傷付けるつもりはありませんでした」
「アルテミスについては?」
「殺すつもりでした」
迷いのない返答だった。庭で見た殺意も、今の言葉も、衝動的に刃を向けただけの人間のものとは思えない。アルテミスを殺すという目的だけは最初から明確だったのだろう。
「誰かに命じられたのですか?」
リリアがノーマから目を逸らさず尋ねる。
「いいえ」
ノーマは即座に否定した。
「私が自分で決めたことです」
「貴女の他に、この件に関わっている者はいないのですか?」
「いません」
「では、どうして今日?」
今度は僅かな間があった。
「何年もこの屋敷で働いていたのでしょう。それほどお母様を憎んでいたのであれば、今までにも機会はあったはずです」
「今日、殺そうと思っただけです」
「突然?」
「はい」
あまりにもシンプルな答えだったが、リリアには到底そうは思えなかった。
「では、昨日までは殺すつもりがなかったのですか?」
ノーマは答えなかった。その沈黙だけでも先ほどの言葉が真実ではないことは十分に伝わってくる。アバンリッシュも同じことを感じたのか、僅かに眉を寄せていた。
「誰かを庇っているのか?」
「誰も庇ってなどおりません」
「ならば全て話せるはずだ」
「私が一人でやったことです。それ以上お話しすることはございません」
頑なだった。犯行そのものは認める一方で、動機については何一つ明かそうとしない。リリアは暫くノーマの顔を見つめていたが、やがてポツリと呟いた。
「――ラミア・クレマチス」
その瞬間、ノーマの瞳が僅かに揺れた。ほんの一瞬のことだったし、すぐに何事もなかったかのような表情へ戻ったものの、正面から見ていたリリアは見逃さなかった。
「ご存じですよね?」
「クレマチス家のご令嬢であることは存じております」
「それだけですか?」
「はい」
「個人的に話したことは?」
「ございません」
「手紙を交わしたことも?」
「ありません」
答えは早かった。けれど、名前を出した瞬間の反応を見たあとでは、その言葉をそのまま信じることはできない。
「今回のことに、ラミアは関係していますか?」
「いいえ」
「本当に?」
「関係ありません」
ノーマははっきりと言い切った。
「奥様を殺そうとしたのは私です。ラミア様は何も関係ありません」
そこまで言い切ったノーマを、リリアは黙って見つめた。先ほどまでラミアとは個人的に話したことすらないと答えていたというのに、今回の件との関係だけは迷いなく否定したことが引っ掛かった。
けれど、それだけでは証拠にはならない。
その後もアバンリッシュが問いを変えながら話を聞いたものの、ノーマの答えが変わることはなかった。
自分一人でやった。誰にも命じられていない。協力者はいない。アルテミスを殺そうとした理由については、個人的な恨みだと繰り返すだけだ。
「今日はここまでだ」
やがてアバンリッシュが告げると、控えていた騎士たちがノーマの両脇へ立ち、椅子から立ち上がらせる。
「ノーマ」
リリアが呼び止めると、ノーマが顔だけをこちらへと向けた。
「本当に、貴女一人でやったのですね?」
「何度聞かれても同じです」
その表情に迷いはなかった。
「私一人でやりました」
それだけ言い残し、ノーマは騎士たちに連れられて部屋を出ていった。
扉が閉じ、アバンリッシュは暫くそこを見つめたあと低く息を吐いた。
「どう思う?」
「嘘を吐いていると思います」
「私もだ」
「特に、ラミアの名前を出した時だけ反応しました」
「ああ」
アバンリッシュも気付いていたらしい。
「だが、あれだけではどうにもならない。本人が否定している以上、他から繋がりを探すしかないな」
「はい」
アバンリッシュは部屋に控えていた騎士へと顔を向けた。
「ノーマが使っていた部屋と所持品を調べてくれ。手紙や書類だけではなく、用途の分からない物も含めて全てだ」
「承知しました」
「それから、屋敷の者にも改めて話を聞いてくれ。ノーマが普段どこへ行き、誰と話していたのか、些細なことでも構わない」
騎士が一礼して部屋を出ていく。リリアはその姿を見送ったあと、先ほどまでノーマが座っていた椅子へと視線を戻した。
二度調べても見つけられなかったものが、本当に何も存在しなかったからなのか。それとも、自分たちがこれまで探す場所を間違えていただけなのか。
もし本当に二人が繋がっているのなら、これまで自分たちが探していた方法とは全く違う手段で連絡を取っていた可能性がある。だからこそ、今回は手紙や記録だけに絞らず、ノーマの持ち物そのものを調べることにした訳である。
何か一つでも見つかってほしい。そう願いながら、リリアは静かに拳を握った。
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