18.新たな謎
「――アルテミスの友人だ。私も以前から面識はある」
暫くの沈黙を挟んだ末にアバンリッシュはそれだけを告げると、何故この場でその名が出てきたのか測りかねているように僅かに眉を寄せ、答えを待つリリアの顔を静かに見つめ返した。
「……お母様の、ご友人?」
「ああ。学園にいた頃からの付き合いだったはずだが……そうだったな?」
確認するように向けられた視線を受け、アルテミスは僅かに戸惑いながらも頷く。娘がどうしてそんなことを尋ねるのか分からないのだろう、どこか不思議そうな顔のまま彼女が口を開いた。
「ええ。以前、貴女にも話したでしょう?学園で私に声を掛けてくれて、その後もずっと親しくしてくれた友人がいたと」
その一言を耳にした途端リリアの思考が止まり、掛布の上に置いていた指先が無意識のうちに布地を強く掴んでいた。
もちろん覚えている。周囲の令嬢たちから距離を置かれ、次第に嫌がらせまで受けるようになったアルテミスに唯一と言っていいほど自然に手を差し伸べ、身分など気にせず友人として接してくれた伯爵令嬢――誰にも打ち明けられなかったアバンリッシュへの恋心さえ相談することのできた大切な友人だったと、母がつい先ほど語っていたばかりだったから。
それがラミアだったという事実を前にリリアはすぐに言葉を返すことができない。
「……その方のお名前が、『ラミア』と言うのですか」
聞き間違いであってほしいという思いが僅かに混ざった問いに、アルテミスはますます訝しげに眉を寄せながらも迷うことなく頷いた。
「そうよ。ラミア・クレマチス。どうしてそんなに驚いているの?」
家名まで同じだ。一度目の人生で母が亡くなった直後、まるで以前からそこに入ることが決まっていたかのような早さでナイーゼ家へ現れ、やがてアバンリッシュの妻となり自分を長い年月にわたって苦しめ続けたあの女は、母の死後に突然現れた存在ではなかった。
ずっと以前からアルテミスのすぐ傍にいた。それも単なる知人などではなく、母が恋の悩みまで打ち明けられるほど信頼していた友人として。
別人である可能性など、もうどこにも残されていない。
「リリア?」
アルテミスの声で我に返ったものの一度生まれた動揺をすぐに隠し切れるはずもなく、リリアはどうにか表情を整えようとしながら小さく息を吸った。
「……いえ。ただ、少し意外だっただけです」
「意外?」
「お母様のご友人と、お父様も以前から面識があったことが」
苦しい言い訳だったが、それ以上は今ここで口にすることはできなかった。一度目の人生で何が起こったのかを説明するためには、自分が一度死んで幼い頃へと戻ってきたところから話さなければならないし、それを今の両親が容易に受け入れられるとも思えない。そもそも現実味がないのだ。
だからこそ、今は自分が知らなかった事実を一つずつ確かめるしかなかった。
「お父様はラミア様とはどの程度のお付き合いだったのですか」
「どの程度、と言われてもな」
アバンリッシュは一度アルテミスにと視線を向けた後、再びリリアへと顔を戻した。
「アルテミスの友人として何度も顔を合わせているし、屋敷へ訪ねてきた際に挨拶を交わしたこともある。社交の場で会えば話をすることもあったが、それ以上のものではない」
「お二人だけで会ったことは?」
その問いには、さすがのアバンリッシュも僅かに眉を上げた。
「二人だけ?」
「はい。お母様を介さず、個人的にラミア様とお話しされたことがあるのかを知りたいのです」
「全くないとは言わんが、少なくとも私の方から会おうとした覚えはない。アルテミスについて向こうから話を振られたことなら、何度かあったとは思うが」
「……お母様について?」
胸の奥が僅かにざわめいた。
「ああ。友人だから気に掛けているのだと思っていた」
「どんなことを話していたのですか」
「そこまで昔の話を一言一句覚えてはいない。アルテミスが新しい生活に慣れているか、困っていることはないか、そういったことだったはずだ」
少なくとも今の答えだけを聞けば、何も不自然ではない。親友が政略結婚によって身分の大きく異なる公爵家へ嫁いだのだから、その夫へ様子を尋ねたところで不思議ではなく、むしろアルテミスを大切に思う友人としては自然な行動にさえ見えた。
それでも、リリアにはどうしても引っ掛かることがあった。
「その際に……お母様がお父様をどのように思っているのか、何か言われたことはありませんでしたか」
アバンリッシュの表情が僅かに曇った。
「何故そんなことを聞く」
「お願いします。今は答えてください」
リリアが目を逸らさずにいると彼は何かを考えるように暫く黙り込み、やがて記憶の奥を探るようにゆっくりと視線を落とした。
「……特に思い当たらない」
「何も?」
「少なくとも、あの者から『アルテミスはお前を愛していない』などと直接言われた覚えはない」
その答えに、リリアはほんの僅かに息を止めた――当然なのかもしれない、と。自分の知っているラミアなら、そんなあからさまな言葉は残さない。一度目の人生でもそうだったから。
リリアへの虐待は最初から誰の目にも分かる形で始まったわけではなく、まずリリアに味方しそうな使用人を屋敷から追い出すなりして、代わりに無関心な者や悪意を持つ者ばかりを残し、教育という名目を使って少しずつ自由を奪って、それから人目につかない場所で人目につかない身体の部位を狙わせた。
アナに対しても命令をして動かしていたわけではなく、『皇太子には貴女の方が相応しい』『あんな姉は社交界にいるべきではない』といった言葉を重ね、まるでアナ自身がそう考えたかのように仕向けていた。
ならば、アルテミスとアバンリッシュに対してだけ、露骨なやり方をする理由などないのだ。
「お父様」
「何だ」
「ラミア様とお話しした後、不自然に体調を崩したことや、記憶が曖昧になったことはありませんか」
今度こそ、アバンリッシュは怪訝そうにリリアを見た。
「……随分具体的だな」
「心当たりがあるのですか」
「いや」
即座に否定されたものの彼はそのまま話を終えようとはせず、僅かに眉間へ皺を寄せたまま何かを思い出そうとしているようだった。
「ただ……昔、一度だけ妙に記憶が曖昧な時があった」
「いつですか」
「「結婚の話が本格的に進み始める少し前だったと思う。当時は学園や家同士の付き合いで顔を合わせる機会も多かったから、どの場だったのかまではもう覚えていない。ただ、その中の一度だけ途中から妙に記憶が曖昧になったことがある」
「その場に、ラミア様は?」
「いたはずだ。だが彼女だけではない。他にも大勢いた」
それだけでは何も分からない。
「何があったのですか」
「だから、覚えていない。翌朝になって頭が酷く重かったことと、途中から記憶が断片的だったことくらいだ」
「その時、何か口にされたものは?」
「……飲み物くらいは口にしたと思う。だが、特別変わったものを飲んだ覚えはないし、具合が悪くなるようなこともその時まではなかった」
「では、急に?」
「ああ。いつからだったのかは曖昧だが気付けば頭が重くなっていて、その辺りから記憶も途切れ途切れになっている。疲れていたのだろうと当時はそれ以上深く考えもしなかった」
アルテミスが心配そうに夫を見た。
「そんなこと、初めて聞きました」
「わざわざ話すほどのことでもないと思っていた。疲れていたのだろうと、それで済ませていたからな」
今の話だけで何かを断定することはできない。ただ体調を崩していただけという可能性もあれば、本人が覚えていないだけで何か別の原因があったのかもしれない以上、記憶が曖昧になっているという一点だけを理由に誰かが意図的に何かをしたと決め付けることはできなかった。
その場にラミアがいたというだけで彼女が何かをしたと決め付けることも当然できない。
「その頃から、何か考え方が変わったことはありませんでしたか」
「考え方?」
「例えば……お母様がお父様を愛していないと、以前より強く思うようになった、とか」
アバンリッシュはすぐには答えなかった。その沈黙だけで胸がざわついたもののリリアは急かさずに待つ。
「……分からない」
暫くして返ってきた声は低かった。
「もともと私は、アルテミスが私との婚姻を望んでいるとは思っていなかった。それがいつから確信に変わったのかと聞かれても、明確な境目など覚えていない。ただ……」
彼は一度言葉を切ると、隣にいるアルテミスへ視線を向ける。
「結婚する頃には、君が家のために仕方なく私を受け入れたのだと、ほとんど疑っていなかった」
アルテミスが目を見開いた。
けれど、その言葉だけではラミアとの繋がりは何も証明できない。仮に本当にラミアが父に何かをしたのだとしても、本人に「ラミアから吹き込まれた」という記憶を残さず、自分自身が考えた結論だと思わせていたのなら今になって聞き出したところで簡単に痕跡など出てくるはずがない。
(……やっぱり、分からない)
分からないからこそ怖かった。暫くの沈黙の後、リリアはアルテミスへと視線を移した。
「お母様は、ラミア様にお父様とのことをよく相談していたのですよね」
「ええ。あの頃そんな話ができる相手は彼女くらいだったから」
「お父様が自分を愛していないと思うようになった時も?」
「……そうね」
「ラミア様は何と仰っていたのですか」
「何と……と言われると、難しいわね。ラミアはいつも私の話を聞いてくれていたし、無理に何かを決め付けるようなことは言わなかったもの」
アルテミスは少し考えるように目を伏せてから思い出すように語った。その言葉が、何故だかリリアには却って不気味に感じられたのだ。
追及するようにリリアが続ける。
「例えば?」
「私が夫に避けられている気がすると話した時も、『きっとお忙しいだけよ』と言ってくれたわ。それでも私が何度も同じことで悩んでいると……『無理に答えを聞こうとしない方がいいのかもしれないわね』って」
アルテミスは遠い記憶を手繰り寄せるように僅かに目を細めた。
「……どうして?」
「もし本当に私が思っている通りだったら、本人の口から聞かされる方が辛いでしょう、と」
心臓が小さく跳ねる。
アルテミスは何も疑っていない。むしろ今でも、その言葉を大切な友人から受けた気遣いとして覚えているようだった。
「それから私がもう少し夫に歩み寄るべきなのか悩んでいた時には、『焦らなくてもいいのではないか』とも言っていたわ。私が傷付いてしまうのが心配だから、今の距離のまま様子を見た方がいいかもしれないって」
どの言葉も、表面だけを見れば友人を心配しているようにしか聞こえなかった。相手が自分を愛していないとは一言も断言していないし、夫に近付くなとも言っていない。ただ、答えを聞くことを躊躇わせ、歩み寄ることを止め、アルテミス自身が抱えていた不安を否定することもなく、そっとその場に考えを留め続けているだけだ。
それが何度も何年も繰り返されていたのだとしたら、アルテミスは自身で考え自身で決断したつもりのまま、少しずつアバンリッシュから遠ざかっていったのではないだろうか。
そう考えた瞬間、リリアは背中に冷たいものが走るのを感じた。
「……リリア?」
アルテミスの声に、リリアは小さく首を振った。
「何でもありません」
「そうは見えないわ」
「……まだ、分からないのです」
今度は正直に答えた。
「分からないからこそ、怖いだけです」
「ラミアのことが?」
「はい」
母の顔に困惑が浮かんだ。
「でも……ラミアは、私の友人よ」
その言葉に責める響きはなかった。ただ、本当に娘の言っていることが理解できないのだろう。
「私が学園で一人だった頃から傍にいてくれたし、お父様への気持ちを初めて話したのも彼女だった。結婚してからだって、私が辛い時には何度も話を聞いてくれたわ。貴女が何を知っているのかは分からないけれど……あの人が私に危害を加えるような理由なんて」
「分かっています」
リリアは母の言葉を遮らないよう、けれども最後まで言わせる前に静かに返した。
「私にも、まだ何も分かりません。だから、ラミア様が悪い方だと決め付けるつもりはありません」
嘘だった。一度目の人生を知るリリアにとって、ラミアが善良な人間ではないことだけは疑いようがないのだから。けれども今知りたいのは彼女が悪人かどうかではなく、アルテミスの死とどのように繋がっているのかだった。
「ただ、調べたいのです」
「何を?」
「全部です。お母様とラミア様がどのように知り合ったのか、お父様とどこで接点があったのか、そして……」
一度言葉を止める。
「お母様の身に危険が迫っていることと、何か関係がないのかを」
「待て」
アバンリッシュの低い声が響いた。それまで黙って二人の話を聞いていたのに今や僅かに身を乗り出して、鋭くなった視線をリリアへ向けている。
「今、何と言った」
「……お父様には、まだ話していなかったのですね」
「何の話だ」
リリアがアルテミスへと視線を向けると、母は少し気まずそうに目を伏せた。
「……以前、リリアから言われたの。私の命が狙われている、と」
瞬間、アバンリッシュの表情が明らかに変わった。
「何故それを黙っていた」
声音は低いままだったが先ほどまでとは異なる強さがあり、リリアにも父の動揺が容易に伝わってきた。
「リリアから突然言われたけれど、その時の私はこの子とまともに話をすることができなくて……理由も最後まで聞けないままになっていたの」
「命を狙われていると言われたのにか」
「……ええ」
「何故すぐ私に――」
途中まで言い掛けたところで、アバンリッシュは不自然に口を閉ざした。
アルテミスも何も答えない。少し前まで互いに相手から愛されていないと思い込み、まともに会話さえしてこなかった二人なのだから、今になって「何故相談しなかった」と責めることに意味がないと父自身も気付いたのかもしれない。
「……それで」
暫くしてアバンリッシュは再びリリアへと向き直った。
「何故アルテミスの命が狙われていると思った。脅迫でもされたのか。それとも不審な者を見たのか」
「それは……」
当然の問いだった。けれど、真実をそのまま答えることはできない。母が茶会の帰りに馬車事故で死に、その後ラミアが父と再婚することになるから、だから事故は偶然ではないかもしれないと思っている――そんな説明をすれば、今度は何故未来の出来事を知っているのかという話になってくるし、両親からしても決して良い気はしないだろう。
「……まだ、全てをお話しすることはできません」
「リリア」
「ですが、嘘ではありません」
思っていた以上に強い声が出た。
「お母様の身に危険が迫っていることだけは、本当なのです。私は、それをどうしても防がなくてはいけません」
アバンリッシュは何も言わず、暫くリリアの顔を見ていた。
「……分かった」
やがて返ってきた答えは意外なものだった。
「今は話せないというのなら、それでも構わない」
「信じてくださるのですか」
「完全に信じたと言えば嘘になる。何の根拠も聞かされていない話を、疑いもせず受け入れることはできん」
あまりにも率直な返事に、リリアは僅かに目を見開いた。
「だが、お前が冗談でこのようなことを言うとも思えない。それに万が一でもアルテミスの身に危険があるのなら何もせずに見過ごす理由にはならん」
それだけの言葉が、思った以上に胸へと残った。
父が自分の言葉を聞いている。完全に信じているわけではないと正直に言いながら、それでも切り捨てることなく考えようとしている。以前ならばそれだけのことすら想像できなかったからだ。
「リリア」
今度はアルテミスが静かに呼び掛けた。
「あの時は、貴女の話を最後まで聞けなかったから……今度はちゃんと聞かせて」
母は一度言葉を迷うように目を伏せたものの、やがて真っ直ぐにリリアへと視線を戻した。
「私は、どうすればいいの?」
その問いに、胸の奥が僅かに熱くなる。
「まず……今後のご予定を教えてください」
「予定?」
「はい。特に、屋敷の外へ出る予定を知りたいのです。茶会でも買い物でも、何でも構いません」
アルテミスは不思議そうに眉を寄せながらも、拒むことなく記憶を辿り始めた。
「今週……明後日に仕立屋が来るから外出はないわ。その翌日も特には……」
そこで言葉が止まった。
「そういえば、数日後に茶会があるわね」
心臓が大きく跳ねる。
「……茶会」
「ええ。以前から参加する予定だったの」
「どこで開かれるのですか」
「王都から少し離れたところにある伯爵家よ。何度か行ったことがあるから、特に珍しい場所ではないわ」
一度目の人生の記憶と重なる条件が少しずつ増えていく。
「誰から招待されたのですか」
「主催はミルネ伯爵夫人よ」
ラミアではなかった。ほんの一瞬だけ胸の奥へ安堵が生まれそうになったものの、アルテミスは続けた。
「もっとも、私自身は最初行くつもりはなかったのだけれど……ラミアが一緒に行かないかと誘ってくれたから」
「……ラミア様が?」
「ええ。最近あまり外へ出ていないから気分転換にもなるでしょうって。私が断ろうとしたら、無理にとは言わないけれど少しくらい外へ出た方がいいかもしれないわねって言われて……」
リリアの息が詰まる。
主催者は別人で、正式な招待状も伯爵家から届いているし、ラミアはただ落ち込んでいる友人を茶会へ誘っただけで、何も知らなければ疑う要素など一つもない。むしろ親友として当然の気遣いにしか見えないだろう。
だからこそ「ラミアらしい」と思ってしまった自分にリリアはぞっとした。もし本当にラミアが何かを企んでいるのなら、自分の主催する茶会にアルテミスを呼ぶような分かりやすい真似などは絶対にしない。
別人が主催する以前にも参加したことがあるごく普通の茶会で、ラミア本人は親友として「一緒に行こう」と声を掛けただけ。その状況で、仮に帰り道で事故が起きても誰がラミアを疑うというのか。
「……行かないでください」
「リリア?」
「その茶会には、行かないでください」
自分でも驚くほど強い声が出た。
「お願いです。少なくとも今は屋敷の外へ出ないでください」
「でも……」
「お母様」
「……分かったわ」
意外にも、アルテミスはそれ以上理由を尋ねなかった。ただ、長年の友人を疑うことへの迷いが残っているのか表情には複雑な色が浮かんでいた。
「ラミアには申し訳ないけれど……今は、貴女の不安を無視したくないから」
その言葉に胸が締め付けられ、リリアは何とか涙を堪えながら小さく頷いた。
「ありがとうございます」
「だが、茶会を断ればそれで済む話ではない」
アバンリッシュが突然横から口を挟む。
「本当に誰かがアルテミスを狙っているのなら、今回を避けても次がある。茶会そのものだけではなく、誰が参加するのか、馬車と御者は誰が用意する予定だったのか、どの道を通る予定だったのかまで調べる必要がある」
「……はい」
「ラミアについても調べる」
「あなた……」
「疑っているわけではない」
アルテミスの呟きに、アバンリッシュは静かに返した。
「少なくとも今聞いた内容だけで、あの者がアルテミスを害そうとしていると決め付けることはできない。むしろ外から見れば心配している友人にしか見えないだろう」
その通りだった。リリアもアルテミスも小さく頷く。
「だからこそ、何も決め付けずに調べる。過去に誰と接触していたのか、最近どこへ出入りしているのか、アルテミスの予定をどこまで把握しているのか……不自然な点がなければそれで終わりだ」
リリアは一度だけ息を吐いた。
父の言う通りだった。一度目の記憶があるからといって、そのまま今の答えにしてはいけない。
疑うなら調べる。両親が何年も互いの気持ちを確認せず、自分の中だけで答えを作り上げてしまった結果を知った直後なのだからリリアまで同じ過ちを繰り返すわけにはいかなかったのだ。
「……お父様、お母様」
二人の視線が同時にリリアへと向けられる。
「お願いします。私に、力を貸してください」
母を死なせたくない。今度こそ、あの日を迎えさせたくない。その思いを込めて二人を見つめると、アルテミスは暫くリリアの顔を見つめ返した後に静かに頷いた。
「ええ」
続いてアバンリッシュも、迷うことなく頷く。
「ああ」
たったそれだけの返事だったが、リリアにとっては十分だった。
これまでならば一人で未来を変えなければならないと思っていた。誰にも言えない記憶を抱え、何が正しいのかも分からないまま情報を集め、どうにかして母の死を防ごうと動くしかないと考えていたのだ。けれど今は、自分の話を聞こうとしてくれている母がいて、根拠の分からない警告さえ無視せずに動こうとしてくれている父がいる。
それだけで家族になれたなどと思うつもりはない。母を完全に許したわけでもなく、父に対して抱いてきた思いが消えたわけでもないし、一度目の人生で起きた出来事を考えれば二人を無条件に信じられるほどリリアの心は単純ではなかった。
それでも、少なくとも昨日までとは違う。
今日、リリアは今まで知らなかったことを知った。ラミアは母が亡くなった後に突然現れた女ではなくずっと以前からアルテミスの傍にいて、誰よりも近い友人として恋の悩みを聞いて結婚後の苦しみを聞いて、夫婦の間にどれほどの距離があるのかを知っていたということに。傷付きそうな友人を心配し、無理に答えを聞かなくてもいいと慰め、外へ出なくなった友人を気遣って茶会へと誘い、アルテミスの記憶の中にいるラミアはどこまでも優しかったということに。
リリアが知っているラミアとはあまりにも違っていて、だからこそ余計に恐ろしかった。もし本当に同じ人間なのだとしたら、一度目の人生で見たあの残酷さを完璧に隠したまま母のすぐ傍で笑っていたのだとしたら、自身は今まであの女の何を知っていたというのだろうと。
リリアは強く握り締めていた手をゆっくりと開き、隣にいるアルテミスに視線を向けた。
母はまだここにいて、今ならまだ何も失っていない。恐怖に駆られて結論を急ぐのではなくラミアが何をしているのかを一つずつ確かめ、その先に母を狙う者がいるのなら今度こそ逃がさなければいいのだと、リリアは自分自身に言い聞かせるように静かに唇を引き結んだ。
それでも胸の奥には、一つだけ拭い切れない疑問が残っていた。
一度目の人生ではアルテミスが亡くなってからほとんど間を置かずにラミアがアバンリッシュの妻となっている。もし父が本当に母を愛していて、今語った通りラミアに特別な感情などを少しも抱いていなかったのだとすれば、あれほど早い再婚がどうして成立したのか。その理由だけは今まで以上に分からなくなっていたのだ。
当然のものとして受け入れていた過去の景色が、今日知った事実によって少しずつ別の形へ変わっていくのを感じながら、リリアはまだ見えぬ答えの存在を意識せずにはいられなかった。
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