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今度はあなたと共に  作者: 龍狐
第二章 ――公爵夫人と公爵令嬢
22/43

14.母の決意(アルテミス視点)

長らく更新しておらず申し訳ございませんでした

 リリアの部屋を出たアルテミスは、背後で扉が静かに閉じる音を聞きながら、もう一度だけ中へ戻るべきか迷うようにその場へ立ち尽くしていた。取っ手から離した指先は宙へと残したままだ。


 眠る娘へと掛けた謝罪が届いていないことは分かっている。むしろ聞かれていないからこそ言えたのかもしれないと考えると、自身の卑怯さを改めて突き付けられたようで、胸の奥に鈍い痛みが広がっていった。



「……こんな母親で、ごめんなさい」


 先ほど絞り出したばかりの言葉が、耳の奥で何度も繰り返される。謝罪したところで、これまで過ごしてきた年月が消えるわけではないし、幼いリリアが一人で耐えてきた寂しさを埋められるはずもない。

 それでも、何も言わないよりはましだと思いたかった。けれど結局は眠っている相手へと一方的に吐き出しただけで、正面から向き合ったことにはならない。


 しばらくして廊下を歩き始めたものの、足取りは普段よりも重く、窓から差し込む夕暮れの光にさえ意識を向ける余裕は少しもなかった。目の前で崩れ落ちたリリアの姿が頭から離れない。血の気を失った顔も、力の抜けた身体も、焦点の定まらない瞳も、何度目を閉じても鮮明に浮かび上がり、そのたびに胸の奥を掴まれるような息苦しさが込み上げてきた。


 あの時、もし近くに誰かがいなければ。もし、倒れた勢いのまま頭を打っていたなら。もし、このまま目を覚まさなかったなら。考えてはいけないと分かっていても、一度浮かんだ最悪の可能性は消えてくれず、何度振り払おうとしても形を変えながらアルテミスの心へと纏わり付いてくる。


 以前にもリリアが体調を崩したという話を聞いたことはあった。熱を出した時も、食事をあまり取らなかった時も、その報告自体は耳へと入っていたはずなのに自分から様子を見に行こうとはしなかった。


 心配していなかったわけではない。けれども部屋の前まで足を運んだところで、扉を叩く勇気が出ずに引き返したことが何度あっただろうか。


 何と声を掛ければよいのか分からないし、今さら母親らしい真似をすれば却って不自然に思われるのではないか。そう言い訳を並べては距離を置き、結局はメイドの報告だけで安心したふりをしていた。


 廊下の角を曲がったところで、アルテミスはふと足を止めた。幼い頃のリリアがよく一人で本を抱えて歩いていた場所で、小さな身体には少し大きすぎる本を何冊も抱え、覚束ない足取りで廊下を進んでいた姿を遠くから見掛けたことがある。


 あの時、何を読んでいるのかと尋ねればよかった。重そうだから持とうかと声を掛ければよかった。

 けれども実際には、リリアに気付かれる前に別の道へと逸れてしまった。自分へ向けられる期待に満ちた目を見ることが怖かったから。


 少女はいつも、母親の姿を見付けると嬉しそうに表情を明るくした。



―――お母様。


 そう呼ばれるたびに、胸の奥が締め付けられた。


 嫌だったわけではない。煩わしく思っていたわけでもない。むしろ駆け寄ってくる娘を抱き締めたいと思ったことは何度もあったし、懸命に努力する姿を褒めてやりたいと思ったことも、一度や二度ではなかった。

 それなのに実際に口から出るのは素っ気ない返事ばかりで、向けられた笑顔に応えることさえできず、やがてリリアも少しずつ距離を取るようになっていった。


 いつからだっただろう。話し掛ける前にこちらの機嫌を窺うようになったのは。褒めてほしそうに差し出していた課題を黙って机へ置くだけになったのは。食事の席でも必要なこと以外は話さずに笑わなくなっていったのは。

 気付いていなかったわけではない、気付かないふりをしていただけだった。その方が、自分のしたことを認めずに済んだから。


 アルテミスは再び歩き出したものの、やがて自室へと辿り着くと、扉を閉めるなりそこに背を預けるようにして深く息を吐いた。誰もいない部屋は静かで、机の上に置かれた読みかけの本も冷め切った茶も部屋を出る前と何一つ変わっていなかったけれど、まるで自分だけが別人になってしまったかのように感じられた。


 目の前で娘が倒れただけで、これほどまでに動揺している。今まで何年も放置してきたくせに失うかもしれないと思った途端、急に母親のように心配するなど余りにも都合が良すぎる。椅子へ腰を下ろそうとしたものの落ち着かず、結局は窓際へと向かって歩いて、そこから机の前に戻るという意味のない動きを何度も繰り返した。

 何かをしていなければ考えたくないことまで考えてしまいそうだったけれども、いくら身体を動かしても考えてしまう。


 娘はあの客間に足を踏み入れた瞬間、血の気が引いたように顔色を変えてその場へ崩れ落ちた。

 彼女には何かが見えていたのだろうか、自分の知らない過去を、自分が知ろうとも見ようともしなかった何かを思い出してしまったのではないかと、アルテミスはそんな考えを振り払えなかったのだ。


 毎日のように同じ食卓を囲み、娘の姿を目にしていた。それなのにアルテミスが見ていたのは食事を終えるリリアの姿だけで、その表情の変化も、言葉数が減っていったことも、無理に笑おうとしていたことも、自分に都合よく見過ごしてきた。傍にいたはずなのに、娘の心だけは何一つ知ろうとしなかったのである。


 自分の娘であるにもかかわらず、他人よりも何も知らない。


 先ほど抱き付いてきたリリアも、ただ話がしたかっただけだったのかもしれない。人前で騒ぎ立てるなど、これまでの娘からは想像もできない行動だった。けれど、それほどまでしなければ母親と会話をすることすら叶わなかったのだ。

 今になって考えればあの奇行は我儘などではなく、最後の手段だったのだろう。何度普通に声を掛けても避けられたから縋り付くしかなかった。そして、彼女にそこまでさせたのはアルテミス自身だった。



「……どうして、私は」


 誰もいない部屋で呟いた声は想像していたよりも弱々しく、問い掛けたところで答えを返してくれる者などいなかった。だが答えそのものは最初から分かっていた。

 リリアを嫌っていたわけではない。けれども娘の姿を見るたびに、夫に必要とされていない自分を突き付けられているようで、その苦しさから逃げるために無意識のうちに娘とも距離を置くようになってしまっていたのだ。


 アルテミスはゆっくりと机へと近付いて、その縁に手を置きながら目を伏せた。


 アバンリッシュとの結婚は、初めから家同士の都合によって決められたものだと思っていた。

 公爵家と男爵家では身分に大きな差があり、本来ならば結ばれるはずもない二人だったために事業上の契約があったからこそ話が纏まったのだと聞かされていた。

 だから、彼が自分を望んだことなど一度もないと思っていた。結婚前からまともに話をしてくれなかったし、顔を合わせても必要な言葉だけで会話が終わり、こちらから距離を縮めようとしてもいつも僅かに避けられているように感じていた。

 初夜さえも、夫婦としての義務を果たしただけだったのだろう。少なくともアルテミスにはそうとしか思えなかった。


 だが、その一度でリリアを身籠った。妊娠を伝えた時、アバンリッシュがどのような顔をしていたのか今となってもはっきりとは思い出せない。驚いていたようにも見えたし、困っていたようにも見えたが、喜んでくれたとは思えなかった。


 それでも、自分の中に新しい命が宿ったことは素直に嬉しくて、もしかしたら子供が生まれれば夫婦の関係も少しは変わるのではないか、この子を中心に本当の家族になれるのではないかと、今より会話が増える未来へ淡い期待を抱いていた時期が確かにあった。


 けれども、その願いは叶わなかった。妊娠してからも夫との距離は縮まるどころか、以前にも増して避けられているように感じることが多くなり、夜を共にすることもなくなれば、勇気を振り絞って歩み寄ろうとしてもやんわりと断られる日々が続き、その繰り返しの末に、アルテミスは自ら誘うことすらできなくなってしまったのである。

 やはり自分は必要とされていないのだ――そう思い込んでしまえば、政略結婚の相手として迎えられ、後継となる子を宿した時点で自分の役目は終わったのだと無理やり納得することができるし、その方がこれ以上傷付かずに済むと、自分へ言い聞かせることもできた。


 それでも、リリアが生まれた日のことだけは今でも鮮明に覚えている。激しい痛みに意識が遠のきそうになりながらも、産声が耳へ届いた瞬間には安堵の涙が溢れ、何度も「抱かせてください」と頼んで腕の中へ迎えたその小さな命は、胸の奥から言葉にならないほどの愛おしさを溢れさせるほど可愛らしく、「あぁ、可愛い私の子。生まれてきてくれてありがとう」と口をついて出た言葉に一つの嘘も偽りもなかった。

 誰かへ見せるための母親らしい振る舞いではなく、その時のアルテミスは心の底から幸せで、夫に愛されなくても、この子だけは必ず大切にして生きていこうと静かに誓っていた――筈だった。


 しかし、その決意は長くは続かなかった。リリアは髪も瞳も顔立ちもアルテミスの家系の特徴を色濃く受け継いでいて、それ自体は決して珍しいことではなかったにもかかわらず、娘を見つめるアバンリッシュの瞳には喜びより戸惑いが宿っているように見えて、抱き上げることも、可愛いと笑い掛けることもなく、ただ何かを確かめるようにじっと顔立ちを眺めている姿が、アルテミスにはどうしても忘れられなかったのだ。


 それ以来、夫婦の間に残されていた僅かな会話さえも徐々に失われて、アバンリッシュは何かを探るように屋敷を空けることが増えていったものの、誰と会い、何を調べているのかをアルテミスが知ることはなく、それでも彼女の中では「自分はもう用済みなのだ」「きっと夫には他に想う相手がいて、自分との結婚から解放される方法を探しているのだ」という答えだけが膨らみ続け、やがて疑いではなく確信へと変わっていってしまった。


 そうなるとリリアの顔を見るたびに夫から必要とされなかった自分を思い出してしまって、娘が憎いわけでも、アバンリッシュへの当てつけとして冷たく接しようと思ったわけでもないのに、どのような顔で母親として接すればいいのか分からなくなってしまった。

 抱き締めればまた傷付くかもしれない、愛情を注げばいつか奪われるかもしれない、ならば最初から深く関わらなければいいと、自分でも気付かぬうちに逃げ続けてしまっていたのである。


 そうして距離を置き続けるうちに、リリアは少しずつ母親へ期待しなくなったのか自身から話しかける事が減り、アルテミスもその変化へと甘えるように更に目を逸らすようになっていった。


 何と身勝手な話なのだろうか。リリアには何一つ罪などなく、両親の間にどれほど複雑な事情があろうとも生まれたばかりの娘には何の関係もないというのに、自分は一人でいる苦しさを誰よりも知っていながら、その孤独を何の罪もない娘へ押し付け、逃げ続けることで傷付くことから目を背けてきたのだ。


 机へ置いた手が小さく震え始める。込み上げる感情を押し殺そうと指先へ力を込めたものの、それだけでは到底抑え切れず、「……最低ね」と掠れた声で零した途端、熱を帯びた目元から一筋の涙が頬を伝って静かに零れ落ちた。


 母親として失格だと思われても仕方がない。実際、これまでしてきたことといえば、公爵令嬢として恥ずかしくない教育を受けさせ、衣食住を整え、不自由なく暮らせる環境を与えることだけで、それさえ果たしていれば親としての責任は十分なのだと、どこかで自分へ言い聞かせ続けていた。

 けれども、リリアが本当に望んでいたものはそんなことではなかったはずだ。ほんの少しでいいから話を聞いてほしい、名前を呼んでほしい、頑張ったことを褒めてほしい、そして母親としてたった一度でも抱き締めてほしい――そんな当たり前の願いに応えることすらせず、今になって失うことだけを恐れている自分は、何と都合の良い人間なのだろう。


 それでも、このまま何もせず逃げ続ければ、これまでと何一つ変わらない。今日のリリアは人前で恥を晒すことさえ厭わず自分へ抱き付き、「話をしてほしい」と必死に叫んだ。まだ母親を完全には諦め切れていなかった証なのかもしれないし、ほんの僅かでも自分へ期待を残してくれていたからこその行動だったのかもしれないと思うと、その最後の希望まで裏切ってしまえば、今度こそ取り返しのつかないところまで娘の心は離れてしまう気がしてならなかった。


 涙を拭ったアルテミスは静かに顔を上げて、夕日が沈みかけて薄暗く染まり始めた庭へ視線を向ける。普段なら何気なく眺めていた景色も、その日は時間だけが容赦なく過ぎ去っていくように感じられて、リリアが目を覚ますまであとどれほど掛かるのだろうか、目覚めた時自分は何と声を掛ければいいのだろうかと、不安ばかりが胸の内へ押し寄せてきた。


 謝罪しても信じてもらえないかもしれない。これまでの仕打ちを責められるかもしれないし、「もう顔も見たくない」と拒絶されることだって十分あり得る。

 それでも黙ったままでいることだけはもう許されず、何をどの順番で話すべきなのかも、夫婦のことをどこまで娘へ打ち明けるべきなのかも、自分が信じ続けてきたことが本当に正しかったのかさえ分からなかったのだが、それでもただ一つだけ確かなのはこれ以上リリアから目を逸らしてはいけないということだけだった。


 許してもらえなくても構わない。すぐに母親として受け入れてもらえなくても、それは当然の報いなのだろう。それでも今度こそ逃げずに向き合い、自分が知る限りの全てを娘へ話そう――そう決意した時、アルテミスの胸の奥には、これまで一度も感じたことのない静かな覚悟が、確かに芽生え始めていた。


 ふと、アルテミスは机の引き出しへと手を掛けた。普段ほとんど開けることのない一番下の引き出しをゆっくりと引くと、奥には小さな箱が置かれている。

 蓋を開けば、中には不格好に折られた紙の花や、幼い文字で母の名が書かれた手紙、それから子供の手には大きすぎる刺繍針で懸命に縫ったらしい布切れが、大切に仕舞われていた。どれもリリアが幼い頃に渡してきたもので、受け取った時には満足な返事もせず、ただ黙って持ち帰っただけだったけれど、捨てることは終ぞできなかった。


 その中でも、アルテミスの目は一枚の小さな布切れへと吸い寄せられた。白い布地の端には不揃いな糸で花らしきものが縫われていて、ところどころ糸が絡まって形を崩している上に、裏返せば結び目も揃っていない。けれど捨てることはできず、他の贈り物と同じように長い間この箱の中へ仕舞い続けていた。

 いつ渡されたものだったかまではっきりと覚えている。


 あの日も、アルテミスはこの部屋で一人本を読んでいた筈だ。まだ今よりずっと幼かったリリアが扉を叩いて恐る恐る部屋へ入ってきた時も、アルテミスは顔を上げこそしたものの、本を閉じることまではしなかった。



「……お母様、少しだけよろしいでしょうか」


 普段よりも緊張した声だった。何か用でもあるのかと尋ねると、少女は背中へ隠していた両手をゆっくりと前へ出し、そこに握られていた布をアルテミスへ差し出した。



「刺繍の先生に教えていただいて。まだあまり上手ではないけれど……お母様に差し上げようと思って」


 そう言って笑った娘の顔を、アルテミスは今でも覚えている。褒めてもらえると思っていたのだろう。あるいは、これをきっかけに少しでも話ができればと期待していたのかもしれない。

 けれども当時のアルテミスは、受け取った布へ一度視線を落としただけで満足な感想を返すこともできなかった。



「……そう。ありがとう」


 たったそれだけだった。


 頑張ったのね、と言えばよかった。綺麗にできたわね、と褒めてやればよかった。刺繍の出来などどうでもよかったのだから、少なくとも娘が自分のために時間を掛けて作ってくれたことだけは素直に喜べばよかった。


 それなのにアルテミスは、それ以上何も言わなかった。リリアは暫くそこへ立っていて、何か続きを待っていたのかもしれないし、もう一言くらい声を掛けてもらえると思っていたのかもしれなかった。

 しかし結局、少女はそれ以上何も求めることなく、小さく頭を下げた。



「……では、失礼いたします」


 そう言って退室する直前まで、表情だけは崩さなかった。けれども扉が閉じる寸前、僅かに俯いた横顔を見た時、傷付けてしまったことくらいアルテミスにも分かっていた。


 分かっていたのに追い掛けなかった。呼び止めもしなかった。一人になった部屋で、受け取ったばかりの布を何度も眺め、その日のうちにこの箱へ仕舞っただけだった。



「……馬鹿ね」


 当時のことを思い出して、アルテミスは震える指先で布の端をそっと撫でた。


 あの時の自分は、一体何を恐れていたのだろう。娘へ優しくすれば何かを失うとでも思っていたのか、母親らしく振る舞えばより深く傷付くことになるとでも思っていたのか。

 結局、傷付いたのはリリアの方だった。それも一度ではなく、きっと同じことを何度も繰り返してきた。リリアは諦めずに、次は勉強を頑張り、次は手紙を書き、また別の日には紙で作った花を持ってきたのだから。何をすれば母が自身を見てくれるのか分からないまま、それでも方法を変えながら何度も何度も手を伸ばし続けていたのだ。


 その全てを、自分は知っていた。知らなかったのではなく、気付かなかったのでもなく、気付いていながら応えなかったのだ。その事実だけはどれほど言い訳を並べたところで覆すことなどできない。


 紙の花を一つ手に取る。すっかり色褪せ、端も少し潰れていたが、それでも形を崩さないよう箱の中へ収めていたのはアルテミス自身だった。


 どうして残していたのだろう。どうして一つも捨てることができなかったのだろうか――そう自問したところで、答えは最初から分かっていた。


 愛していたからだ。誰よりも大切に思っていた。それなのに、傷付くことを恐れるあまり娘を愛することから逃げ続け、その結果としてリリアには「愛されていない」のと何一つ変わらない思いだけを与え続けてしまったのである。



「あの子は、ずっと待っていたのに……」


 震える声と共に零れた呟きに合わせるように涙が紙の花へ落ちそうになり、アルテミスは慌ててそれを引き寄せると、壊さないよう慎重に箱の中へ戻した。


 今さら遅い――そんな思いは何度も胸を過った。それでも、その一言で全てを諦めてしまえば、これまでと何も変わらないまま終わってしまう。過去をやり直すことはできなくても、この先まで同じ過ちを繰り返さないことはできるはずだと、自分へ言い聞かせるようにアルテミスは静かに息を吐いた。


 リリアが目を覚ましたら話そう。途中で言葉に詰まっても、うまく説明できなくても、許してもらえなくても構わない。それでも今度だけは逃げずに娘と向き合い、自分の知ることも、自分の過ちも、全て正直に伝えようと、アルテミスは小さく拳を握り締めた。

 自分の弱さを知られることが怖くても、娘へ責められることが苦しくても、今度こそ最後まで目を逸らさない。紙の花が収められた箱を胸へ抱き締めながら、アルテミスは静かに息を吸い込み、まだ震えている声で自分自身へ言い聞かせた。



「……もう、逃げてはいけないわね」


 その言葉に応える者は誰もいない。けれども初めて口にした決意はこれまでの言い訳とは違い確かな重みを伴って残っていた。


 リリアが目を覚ましたら、全部話そう。許してもらうためではなく、母親として認めてもらうためでもなく、ただこれ以上、娘を何も知らないまま一人にしないために。


 そう決めたアルテミスは箱を元の場所には戻さず、机の上へとそっと置くと、今度こそ逃げ道を残さないよう引き出しを静かに閉じた。

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