13.母の後悔(アルテミス視点)
場面は、リリアが倒れた直後に遡ります。
時は少し遡り、リリアがアルテミスの目の前で倒れた直後のことだった。
突然の出来事に動揺したアルテミスは駆け寄ってきたメイドにリリアの身を預けると、胸の内に渦巻く焦燥を押し隠すように表情を一層引き締め、そのまま何も言わずに自室へと戻っていった。
目の前で娘が倒れる姿を見るなど、生まれて初めてだった。これまでも体調を崩して寝込んだことはあったと耳にしていたが、意識を失って倒れたなどという話は一度たりとも聞いたことがない。
先ほど青ざめながら崩れ落ちたリリアの姿が脳裏に焼き付いて、何度振り払おうとしても消えてはくれなかった。
落ち着こうとしても落ち着けない。部屋へ戻ってからも椅子へ腰を下ろすことさえできず、窓辺から机へ、机から暖炉の前へと意味もなく歩き回っては立ち止まり、それでも胸のざわめきは収まる気配を見せず、ようやく椅子へ腰を下ろして両手を組んでも、視線だけは宙を彷徨い続けていた。
続報を待っていた。リリアの容体はどうなのか、なぜ突然倒れたのか、その全てを知りたくて咄嗟に「何かあればすぐ知らせるように」とメイドへ命じていたものの、報告が来ない時間だけがやけに長く感じられて、その沈黙が却って不安を募らせていった。
どうしても娘のことが気になって仕方がなかった。
以前、リリアが熱を出して寝込んだと聞いた時には心配こそしても部屋を訪ねようとは思えず、「大丈夫だろう」と自分に言い聞かせて終わらせていたはずなのに、今回はどうしても同じようには割り切れなかった。
心の傷は思っていた以上に深かったのだ。
あの日から年月が流れ傷口そのものは塞がっているはずなのに、その奥底では未だ痛みが燻り続けていて、痛みから逃げるためにリリアという存在から目を逸らし続けた結果、いつしか娘が護衛も付けずに一人で外へ出歩いていることにも気付かず、寂しさを抱えていることにも気付いてやれなかった。
一人でいる苦しさなど、自分が誰より知っていたはずなのに。それなのに、その孤独を何の罪もない娘へ味わわせてしまった。
―――その結果がこれだ。
(今さら……顔向けなんて、できる訳がない。こんなにもリリアが苦しんでいたのに、自分はずっと、自分のことばかり考えて……何一つ気付いてあげられなかったのだから)
自らを責めるように眉を寄せる。それでも、せめて様子だけはこの目で確かめたかった。
だからこそ、「お嬢様がお眠りになられました」とメイドから報告を受けた途端、アルテミスは誰にも気付かれぬよう静かに立ち上がり、そのままリリアの部屋へ向かって歩き出した。
そんな彼女の背中を、使用人たちは遠巻きに見送っていた。あまりにも表情が険しかったため、誰の目にも怒りを堪えているようにしか映らなかったのだ。
「……お付きしましょうか?」
心配した一人のメイドが恐る恐る声を掛ける。
「……一人で行かせて」
短く返されたその言葉には、有無を言わせない静かな強さがあり、「誰も付いて来ないでほしい」という意思が痛いほど滲んでいた。
その姿を見送る使用人たちは皆、戸惑いを隠せなかった。これまでリリアが高熱で寝込もうと一度として様子を見に行かなかったアルテミスが、自ら足を運ぼうとしている――それだけで十分異常だったのである。
だが、その理由を正しく理解できた者は一人もいなかった。リリアの態度に怒りを覚えているのだろう、倒れるほど身体が弱いことへ呆れているのだろうと誰もが勝手に解釈し、それ以外の可能性など最初から考えもしていない。
それほどまでに、アルテミスと娘との冷え切った関係は屋敷中へ浸透していたのだ。
部屋の前へ辿り着くと小さく二度だけ扉を叩き、中から返事がないことを確かめてから、眠りを妨げぬよう慎重に扉を開いて物音一つ立てぬよう静かに閉めた。
ベッドの上ではリリアが穏やかな寝息を立てていた。先ほどより顔色も幾分良くなっていたが、念のため医師を呼ぶよう既に指示は出されていた。
部屋には二人だけ。静寂だけが流れる空間の中アルテミスはゆっくりとリリアに歩み寄り、ベッドの傍らへと腰を下ろした。
「……リリア」
その名を静かに呼びながら額へそっと手を当てる。熱を測るというより、温もりを確かめるような優しい仕草だった。
ぼんやりと娘の寝顔を見つめる瞳は、まるで遠い昔を思い返しているようでもあり、言葉にならない感情を必死に噛み締めるように唇をきゅっと結ぶと小さく息を吐いて静かに手を離した。
どれほどそうしていただろうか。寝息だけが静かに響く部屋で、娘の寝顔を最後まで見届けるように見つめ続けた。
アルテミスは名残を断ち切るようにゆっくりと立ち上がり、振り返ることなく扉へ向かって歩き始める。決して眠りを妨げぬよう、一歩一歩足音を殺しながら。
「……こんな母親で、ごめんなさい」
扉へ手を掛けたその瞬間ようやく零れ落ちた小さな謝罪は、眠るリリアへ届くこともなく静かな部屋の空気へ溶けるように消えていった。
やがて、パタン――と控えめな音だけを残して扉は静かに閉まり、再び部屋には穏やかな静寂だけが戻ってきた。
次回もアルテミス視点が続きます。




