第七話 祖父の江戸時代の記憶 〜将軍と江戸の政治〜
第八話から、家族の江戸時代の回想シリーズが始まります。
祖父 神楽坂金右衛門
寛政9年(1797)11.27生まれ
旗本の家系で権兵衛の父。江戸時代の政治を自分の目で見てきており、武士道精神を重んじている。60歳で隠居生活を始めた。
一 祖父上に江戸時代の記憶を尋ねた
明治九年(1876)。
弟の葵が死に、父上が刀を手放し、髷を切った。
わしの家から、短い間に二つのものが消えた。
一つは、弟。
もう一つは、父上が武士だったころの姿だった。
そのころからだった。
わしは、家族の昔話を気にするようになった。
葵は五歳で死んだ。
もう、葵自身に何かを尋ねることはできない。
「あのとき何を思っていた?」
「何が好きだった?」
「何を覚えている?」
聞きたいと思ったときには、もう遅かった。
だから、まだ生きている人間には、生きているうちに聞いておかなければならないと、十二歳のわしは考えるようになった。
その相手として、最初に思い浮かんだのが祖父上だった。
神楽坂金右衛門。
寛政九年・一七九七年生まれ。
わしから見れば、気が遠くなるほど昔から生きている人だった。
七十八歳。
徳川の世に生まれ、武士として生き、幕府が滅び、明治になってもなお髷を切らず、廃刀令が出ても、
「腰に差さなければよい」
と言って刀そのものは手放さなかった。
必要があれば刀袋に納め、腰には差さず持って出ることさえあった。
父上が新しい時代へ進もうとしているなら、祖父上は江戸を自分の中に残したまま明治を歩いているような人だった。
ある日の夕方、わしは祖父上の部屋へ行った。
「祖父上」
「なんじゃ」
「昔の話を聞かせてくれ」
祖父上がこちらを見る。
「どの昔じゃ」
わしは少し考えた。
「江戸じゃ」
祖父上が笑った。
「広すぎるわ」
確かにそうだった。祖父上にとって江戸時代は、「昔」という一言では済まない。
七十年近く生きた時代なのだから。
「では…祖父上が子どもだったころから」
「全部話せというのか」
「できるだけ」
「日が暮れるぞ」
「明日も聞く」
祖父上は呆れたように息を吐いた。だが、
「まあよい」
と言った。
わしは祖父上の前へ座った。
こうしてわしにとって初めての、家族から江戸を聞く時間が始まった。
二 祖父上が会った歴代将軍
「祖父上は寛政生まれなのじゃろう?」
「ああ」
「将軍は?」
「家斉公じゃ」
徳川家斉。十一代将軍。わしも名前だけは知っていた。
「会ったことは?」
祖父上は平然と答えた。
「ある」
「え?」
わしは固まった。
「話したのか?」
「話した」
わしは身を乗り出した。
「何を話した!?」
祖父上が眉をひそめる。
「声が大きい」
「だって将軍様じゃぞ!」
わしにとって将軍とは、幼いころに消えてしまった昔の存在だった。
その将軍と、目の前にいる祖父上が話した。
それだけで不思議だった。
「祖父上は将軍様と友達だったのか!?」
「そんなわけがあるか」
祖父上が即答した。
「旗本として役目の中で言葉を交わしただけじゃ」
「どれくらい?」
「ほんの短いやり取りじゃ。御前で尋ねられたことに答えたりな」
「なんじゃ…」
思わずがっかりすると、
「お前な」
と祖父上が睨んだ。
「将軍と茶を飲みながら世間話でもしたと思ったのか」
「少し」
「図々しいわ」
だが、それでも驚くべきことだった。
「家斉公だけ?」
わしが聞いた。
「いや」
祖父上が指を折る。
「家慶公」
「家定公」
「家茂公」
そして少し間を置いて、
「最後が慶喜公」
わしは口を開けたまま祖父上を見た。
「…全部?家斉公から最後の将軍まで」
「ああ」
「全員と話したのか?」
「短いものならな」
わしは信じられなかった。
祖父上一人の人生の中で、五人もの将軍が入れ替わった。そして最後には、将軍そのものがいなくなった。
「祖父上」
「なんじゃ」
「どの将軍が一番すごかった?」
祖父上は少し考えた。
「子どもが聞きたがる答えではないな」
「なんじゃそれ」
「将軍一人で世の中を動かしているわけではない、ということだ」
わしには少し難しかった。
三 徳川家斉
祖父上が最も長く見た将軍は、家斉公だった。
祖父上が生まれたとき、すでに家斉公は将軍だった。
そして祖父上が四十歳になるまで将軍であり続けた。
「そんなに長かったのか」
「ああ」
「では祖父上にとって、将軍といえば家斉公?」
「若いころはそういう感覚じゃった」
家斉公が将軍職を家慶公へ譲ったあとも、その力はすぐには消えなかったという。
「大御所様と呼ばれてな、将軍職を退いても、まだ大きな影響力を持っておられた」
「将軍をやめたのに?」
「ああ」
「なら将軍が二人いるみたいではないか」
祖父上が笑う。
「子どもの言い方なら、そう見えるかもしれんな」
それが、いわゆる大御所政治だった。
わしには不思議だった。
大政奉還のあと、将軍そのものがいなくなった時代しかよく知らない。
けれど祖父上の若いころには、将軍を退いた人間がなお政治に大きな力を持つほど、徳川というものが巨大だった。
「そんな幕府が、なくなったのか…」
思わず言った。
祖父上は、
「ああ」
とだけ答えた。
四 武士の生活
「祖父上が若いころの武士は、毎日何をしていたのじゃ?」
わしは聞いた。
わしの頭の中では、武士といえば刀を差して歩いている、それくらいだった。
祖父上は呆れた。
「毎日斬り合いをしていたとでも思っておるのか」
「少し」
「お前は武士を何だと思っている」
実際の武士の生活は、わしが想像するよりずっと地味だった。
朝起きる。
身なりを整える。
役目へ出る。
書類を読む。
記録を書く。
上役へ報告する。
そして暇があれば学問や武芸に励む。
「書類を書くの?」
「ああ」
「父上が警察でやっていることとあまり変わらんではないか」
祖父上が一瞬黙った。
「…そう言われると腹が立つが、似ているところはある」
わしは笑った。
武芸も欠かせなかったという。
剣術。
槍。
弓。
馬術。
祖父上は若いころ、特に剣術を好んだ。
「祖父上は強かった?」
「自分で強かったと言う老人を信用するな」
「では弱かった?」
「それも腹が立つな」
「どっちじゃ」
祖父上は答えなかった。
だが口元が少し笑っていた。
木刀を何度も振る。
足の運びを覚える。
呼吸を整える。
形を繰り返す。
派手な斬り合いより、同じ動きを何百回、何千回と繰り返す。それが武芸だったという。
「刀は抜かないために稽古することもある」
「どういうことじゃ?」
「本当に刀を抜けば、人が死ぬ」
葵を失ったばかりのわしには、その言葉が妙に重く聞こえた。
「強いというのは、斬れることだけではない。斬らずに済ませられることでもある」
わしは黙って聞いた。
五 迫り来る外国船
祖父上が若かったころから、日本の外には不穏なものが近づいていたという。
「黒船が来たときは驚いたじゃろう?」
わしが聞いた。
「もちろんじな」
「外国の船なんて、それまで見たこともなかったの?」
祖父上は首を横に振った。
「そこがお前たちの世代が勘違いしやすいところじゃ」
「違うのか?」
「黒船が最初ではない」
祖父上がまだ十一歳だった文化五年(1808)。
長崎へイギリス軍艦が侵入した。
フェートン号事件。
長崎奉行が対応に追われ、幕府にも大きな衝撃が走ったという。
さらに祖父上が二十歳を過ぎたころ、浦賀にもイギリス船が姿を見せた。
水や食料を求めて外国船が来る。
沿岸では警戒が強まる。
ロシア船。
イギリス船。
捕鯨船。
見慣れない外国人。
「では、ペリーが突然現れて、みんな初めて外国を知ったわけではないのか?」
「そんなわけがない」
祖父上は言った。
「ずっと前から、海の向こうが騒がしくなっていることは分かっていた」
やがて幕府は、異国船を見つければ打ち払え、という命令まで出した。
「本当に撃ったのか?」
「場合によってはな」
そして天保八年(1837)。
アメリカのモリソン号が浦賀へ来たときにも砲撃が行われた。
「そのころには、わしも四十じゃ。異国船の話を聞くたびに思った。海の向こうは、もう無視できぬとな」
「それでも国を開かなかったの?」
「ああ」
「なぜ?」
祖父上はしばらく黙った。
「開くのも怖い。開かぬのも怖い。そういう時代だったのじゃ」
わしは、黒船が来れば幕府が慌てた、という単純な話だと思っていた。
黒船が来る何十年も前から、海の向こうは少しずつ、江戸の武士たちの心に入り込んでいた。
六 松平定信
祖父上は、わしが教科書で名前だけ聞いたような人物にも会ったことがあった。
最初に出てきた名前は、松平定信だった。
「定信様にも会ったことがある」
「またか!」
わしは叫んだ。
祖父上は耳を押さえた。
「いちいち大声を出すな」
松平定信。寛政の改革を行った人物。
祖父上が生まれたころには、すでに老中を退いていたが、その後も長く生きた。
「わしが若いころには、まだご存命じゃった」
祖父上が言う。
「一度、お姿を間近に見て、短く言葉をいただいたことがある」
「どんな人だった?」
「年を取っておられたが、目の鋭い方じゃった」
わしは想像する。
寛政生まれの祖父上が、その「寛政の改革」をした本人に会っている。
時代と人間がつながる。それが面白かった。
七 伊能忠敬
「伊能忠敬は?」
わしが聞いた。
日本地図を作った人物として、わしも名前を聞いたことがあった。
祖父上は、
「会ったぞ」
と平然と言った。
「また!?」
「だから大声を出すな」
若いころ、まだ二十歳ほどだった祖父上が、江戸で測量に関わる人々の話を耳にし、伊能忠敬本人にも一度会ったのだという。
「どんな人だった?」
「老人じゃった」
「それだけ?」
「お前は何を期待しておる」
伊能忠敬は、祖父上より五十歳以上年上だった。
「年を取ってから学問を始め、日本中を歩いて測った人じゃ」
祖父上が言う。
「わしは若かったからな。正直、そのころは何がそんなにすごいのか、全部は分かっておらんかった」
「今は?」
「年を取ってから新しいことを始める難しさが、今なら分かる」
祖父上は少し笑った。
「七十を越えてしまえば、なおさらな」
わしは、刀を袋に入れてまで手放さない祖父上を見る。
新しい時代を嫌っているように見える。
だが、新しいことへ挑んだ老人を尊敬している。
人間とは不思議なものだと思った。
八 大塩平八郎
大塩平八郎。
その名前が出たとき、祖父上の顔は少し変わった。
「大坂へ用向きで赴いたころ、一度会ったことがある」
まだ大塩が町奉行所の与力だったころだったという。
「真面目な男じゃった」
祖父上は言った。
「真面目?」
「ああ。真っ直ぐすぎるほどにな」
それから年月が過ぎ、天保八年(1837)。
大飢饉の中で人々が苦しみ、大塩平八郎が兵を挙げた。
「知っている人が乱を起こしたと聞いて、どう思った?」
わしが尋ねた。
祖父上は長く黙っていた。
「信じられなかった。じゃが、まったく理解できないとも思わなかった」
と言った。
「なぜ?」
「腹を空かせている人間がいる。その横で米を抱え込む者がいる。役人が救えない。世の中がうまくいかなくなると、真面目な者ほど極端なところまで行くことがある」
大塩の乱は短い時間で鎮圧された。
しかし、大坂の町に与えた衝撃は大きかった。
「武士が幕府に逆らったのじゃろう?」
「ああ」
「怖くなかった?」
「怖かったさ。幕府というものが、昔ほど盤石ではなくなっているのではないかと、初めて強く思った出来事の一つじゃった」
九 水野忠邦
そして、水野忠邦。
「この方にも会った」
今度はわしも驚かなかった。
「祖父上、会いすぎではないか?」
「長く生きていれば人には会う」
「それにしても多すぎる」
水野忠邦が老中として進めた天保の改革。
倹約。
統制。
風俗への取締り。
さまざまな決まり。
「厳しかった?」
「厳しかった」
祖父上は即答した。
「贅沢をするな。派手なことをするな。町人の暮らしにも細かく口を出す」
「祖父上は賛成だった?」
「最初はな」
わしは意外だった。
「祖父上なら、ずっと賛成しそうじゃ」
「どういう意味じゃ」
「頑固だから」
「蔵之助」
「すまん」
祖父上は咳払いした。
「世が乱れているなら引き締める必要はある。わしもそう思った。しかし、締めれば何でも良くなるわけではない」
と言った。
暮らしには暮らしがある。
商人には商人の事情がある。
百姓には百姓の事情がある。
幕府が上から理屈を押しつけても、人間は理屈だけで生きているわけではない。
祖父上は、
水野忠邦本人を一度見たときの印象を、
「頭の切れる方だった」
と言った。
だが続けて、
「頭が切れることと、世の中を思い通りにできることは別じゃ」
とも言った。その言葉を、わしは覚えた。
十 また昔話を聞きたい
日がすっかり暮れていた。
母上が、
「いつまで話しているの」
と様子を見に来た。
わしは、
「まだ聞きたい」
と言った。
祖父上が笑う。
「今日は終わりじゃ」
「まだあるじゃろ」
「ある」
「黒船の話も詳しく聞きたい」
「また今度じゃ」
「家茂公のことも」
「また今度じゃ」
「慶喜公は?」
「それもじゃ」
「祖父上」
「なんじゃ」
「全部聞くまで死ぬなよ」
言った瞬間、部屋が静かになった。
葵のことが頭に浮かんだ。
しまったと思った。
だが、祖父上は怒らなかった。
「無茶を言う」
と笑った。
「人間、いつ死ぬかは選べん」
「分かっておる」
「聞きたいことがあるなら、今聞いておけ」
その言葉が、葵の死のあとだったからこそ、胸に刺さった。
十一 祖父上に刻まれた年輪
わしは祖父上の顔を見た。
皺だらけだった。
髪には白いものが多い。
それでも髷を結っている。
家の奥には刀がある。
目の前にいるのは、明治の老人だった。
だが、その頭の中には、わしが生まれる何十年も前の江戸が残っている。
家斉公の時代。
大御所政治。
松平定信の晩年。
伊能忠敬。
異国船。
剣術。
槍。
旗本の仕事。
大塩平八郎。
水野忠邦。
天保の改革。
家慶公。
家定公。
家茂公。
慶喜公。
そして、幕府の終わり。
歴史の本を開いているのではない。その時代を生きた人間が、わしの目の前に座っている。
「祖父上、昔というものは、不思議じゃな」
「何が」
「終わったのに、祖父上の中にはまだある」
祖父上は少し驚いたような顔をした。わしは続けた。
「江戸はなくなった。幕府もなくなった。将軍様もいない。でも、祖父上が覚えておる。なら、わしが聞いて覚えておけば、祖父上がいなくなっても、少しは残るのか?」
祖父上は黙った。
やがて、
「ああ」
と答えた。
「そういうものかもしれんな」
十二 生きているうちに
葵は死んだ。
葵自身の声を、もう新しく聞くことはできない。
だからわしは、葵の声を忘れないようにしようと思った。
そして祖父上は生きている。ならば、聞けるうちに聞こうと思った。
誰に会ったのか。
何を見たのか。
何が怖いと思ったのか。
何を信じていたのか。
歴史というものは、大きな出来事の名前だけではない。
その出来事を見て、驚いた人間が、怒った人間が、怖がった人間が、喜んだ人間がいる。
その一人が、わしの祖父だった。
わしはその夜、布団に入ってもなかなか眠れなかった。
家斉公。
伊能忠敬。
松平定信。
大塩平八郎。
水野忠邦。
聞いた名前が頭の中を回っていた。
つい昨日まで、遠い昔の人物だった。
それが今は、祖父上の人生のどこかにいた人々になっていた。歴史が、急に近くなった。
翌朝、わしはまた祖父上のところへ行った。
「祖父上」
「なんじゃ、朝から」
「昨日の続きを聞かせてくれ」
祖父上は呆れた顔をした。
「学校へ行け」
「帰ったら聞く」
「好きにしろ」
「約束じゃぞ」
わしは家を出た。
振り返る。
祖父上がいる。
髷を結った老人が、いつもの場所に座っていた。
わしはまだ知らなかった。人間の記憶には、聞ける期限があるということを、葵の死ですでに教えられていたはずなのに。
だからこそ。わしは急ぐように、祖父上の昔話を聞き始めた。
自分が覚えていない江戸を。
自分が生まれる前の江戸を。
祖父の中にだけ残っている江戸を。
少しでも多く、自分の中へ移しておくために。
わしにとって、江戸時代はもう、教えられる昔ではなくなった。
家族から受け継ぐ記憶になり始めていた。
江戸時代の著名な出来事と神楽坂金右衛門との時系列
1798(寛政10年)・1歳 本居宣長『古事記伝』完成
1800(寛政12年)・3歳 伊能忠敬、測量開始
1808(文化5年)・11歳 長崎でフェートン号事件(イギリス船)
1815(文化12年)・18歳 杉田玄白『蘭学事始』
1821(文政4年)・24歳 伊能忠敬『大日本沿海輿地全図』完成
1825(文政8年)・28歳 異国船打払令
1833(天保4年)〜39年・36〜42歳 天保の飢饉
1837(天保8年)・40歳 大阪で大塩の乱・浦賀でモリソン号事件(アメリカ船)
1841(天保12年)・44歳 水野忠邦の天保の改革
1853(嘉永6年)・56歳 ペリー来航
1867(慶応3年)・70歳 大政奉還




