第五十九話 戦地に駆り出された孫世代
――昭和十六年(1941年)〜昭和二十年(1945年)初頭――
語り手:神楽坂義蔵・鈴木奈恵・野村康弘・神楽坂大空・池田日花梨・加藤幸丞・神楽坂蔵之助
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一 神楽坂義蔵――鉄道の向こうにあった地獄
昭和十七年(1942)
俺は陸軍の鉄道部隊の一員として、大陸で働いていた。
幼い頃から、鉄道は俺にとって特別なものだった。父さんの修蔵は鉄道技師で、祖父上の蔵之助も明治時代から鉄道の発展を見てきた人だった。
父さんはよく言っていた。
「義蔵、鉄道は人と人を結ぶものなんだ」
俺も、そう信じていた。
しかし、戦争が始まってから、鉄道は別の意味を持つようになった。
俺が最初に赴いた満州では、鉄道は軍事輸送に欠かせない存在だった。兵員、食料、弾薬、燃料、車両。広大な大陸で軍隊を動かすには、線路が必要だった。
俺たち技術者は、線路を整備し、橋梁を点検し、故障した施設を修理した。
「神楽坂、ここの継ぎ目を確認してくれ!」
「分かりました!」
俺は仲間とともに作業を続けた。
日本の鉄道技術が遠い大陸で役に立っていることには、確かに誇らしさもあった。しかし、俺たちが整えた線路の向こうに何があるのかを考えると、複雑な気持ちになった。
ある日、俺は現地の人々が厳しい監督のもとで作業させられている様子を目にした。
疲れ切った表情の男たち。汚れた衣服。休むことも難しそうな労働。
俺は近くの兵士に尋ねた。
「彼らは、どれくらい働いているんですか?」
「さあな。こっちの都合に合わせてもらわないと困るからな」
兵士は何でもないことのように答えた。
俺はそれ以上、言葉を続けられなかった。
鉄道を作ることは、立派な仕事のはずだった。
しかし、そのために誰かが苦しめられているとしたら。
俺は初めて、自分が関わっている仕事の裏側を強く意識するようになった。
やがて、俺は南方の鉄道建設に関わる任務へ移された。
泰緬鉄道。
タイとビルマを結ぶ軍用鉄道だった。
密林と山岳地帯を越え、短期間で長大な線路を建設する。その工事がどれほど困難なものになるのか、技術者である俺には想像がついた。
しかし、実際の現場は、想像をはるかに超えていた。
蒸し暑い密林。
激しい雨。
ぬかるんだ地面。
病気と飢えに苦しむ人々。
工事には多くの連合軍捕虜やアジア各地から集められた労働者が動員されていた。
栄養の足りない身体で重い資材を運び、十分な休息も与えられず、病気になっても働かされる者がいた。
倒れた人間に怒声が浴びせられることもあった。
「早く立て!」
俺は思わず振り返った。
地面に倒れた若い労働者が、立ち上がれずにいた。
俺は駆け寄った。
「待ってください! この人はもう動けません!」
監督していた兵士が眉をひそめた。
「何だ、神楽坂。作業が遅れているんだぞ」
「しかし、このまま働かせたら死んでしまいます!」
「命令に口を出すな!」
俺は拳を握りしめた。
祖父上の言葉が脳裏によみがえった。
勇敢と無謀は違う。
命を大切にせい。
「……せめて、衛生兵に診せてください」
俺は声を抑えて頼んだ。
結局、その場では仲間とともに男を日陰まで運ぶことだけができた。
それでも、俺は何もできなかった自分が悔しかった。
この鉄道は、軍事輸送のために作られている。
だが、その建設のために何人もの人間が命を落としている。
そして、完成すれば、今度は戦場へ兵士や兵器を運ぶ。
俺は何のために鉄道を作っているのだろう。
ある晩、俺は仲間と小さな明かりの下で話した。
「神楽坂、お前は鉄道が好きなんだろう?」
「ああ」
「だったら、こんな仕事でも誇りを持てよ」
「鉄道を作ることには誇りを持っている。でも、人を苦しめてまで作ることを誇りたいとは思わない」
仲間は黙った。
「俺の父さんは、人を結ぶために鉄道を作ってきた。俺も、そういう鉄道を作りたかったんだ」
昭和十八年(1943)十月、泰緬鉄道が開通した。
俺はその知らせを素直に喜ぶことができなかった。
線路の向こうには、工事で亡くなった無数の人々がいた。
「大東亜共栄圏」という言葉を、俺は何度も聞かされていた。
アジアの人々がともに繁栄する。それが理想だという。
だが、俺が見た現実はどうだった。
苦しんでいる人々を犠牲にしながら、何を共に栄えるというのか。
俺は、その矛盾を忘れられなくなっていた。
やがて次の任務に向けて移動する際、俺は父さんへ手紙を書いた。
軍の検閲があるため、現場の惨状を詳しく書くことはできなかった。
それでも、最後にこう記した。
『父さん。俺は、いつか本当に人々を幸せにできる鉄道を作りたい。弘一にも、そんな鉄道を見せてやりたいと思っている』
俺は手紙を封筒に入れた。
遠い東京には、俺の帰りを待っている家族がいる。
父さん。
祖父上。
妻。
まだ幼い弘一。
俺は必ず、生きて帰りたいと思った。
この目で見たことを、いつか家族に伝えるためにも。
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二 鈴木奈恵――子どもたちのもう一人の母
昭和十九年(1944)四月三日。
私に、初めての子どもが生まれました。
名前は鈴木貫一郎。小さな男の子でした。
生まれたばかりの貫一郎は、まだ何も知らず、私の腕の中で静かに眠っていました。
その顔を見つめていると、胸がいっぱいになりました。
「貫一郎…お母さんですよ」
そっと声をかけると、小さな手が動きました。
私は思わず微笑みました。
母の節子も、私のそばにいてくれました。
「奈恵、本当によく頑張ったわね」
「ありがとう、お母様」
「この子も、元気に育ってくれるといいわね」
「ええ。私も、そう願っています」
私は小さな貫一郎を抱きしめました。
子どもを産むことが、こんなにも嬉しいことだとは思いませんでした。
しかし、世の中は戦争の真っただ中でした。
食べ物も衣類も不足し、街には防空に関する知らせが増えていました。
私は、生まれたばかりの我が子が、どのような時代を生きていくのかを考えると不安になりました。
それから四か月ほどが過ぎた、八月。
東京の国民学校では、学童集団疎開が本格的に始まろうとしていました。
私は以前から教育の仕事に携わっており、疎開児童を引率する人員について相談を受けていました。
出産から少しずつ体力を取り戻していた私は、家族や周囲の人々と相談を重ねた末、疎開先で子どもたちを支える仕事を引き受けることにしました。
もちろん、簡単に決めたわけではありません。
貫一郎は、まだ生後四か月ほどでした。
本来なら、いつもそばにいてあげたい時期です。
私自身も、完全に以前の身体に戻ったわけではありませんでした。
それでも、親元を離れる大勢の子どもたちのことが、どうしても気になったのです。
「奈恵、本当に行くつもりなの?」
母が尋ねました。
「はい、お母様」
「でも、貫一郎はまだ小さいのよ」
「分かっています」
私は息子の寝顔を見つめました。
「私も、この子と離れるのはつらいです。でも、疎開する子どもたちも、皆、お父様やお母様と離れなければならないんです」
母は静かに私を見つめました。
「奈恵……」
「だから、せめて私が、少しでも安心して過ごせるようにしてあげたいんです」
母は長い間、黙っていました。
やがて、私の手を握りました。
「あなたは、本当に私に似たのね」
私は小さく笑いました。
「そうでしょうか?」
「ええ。昔から責任感が強くて、人のお世話をすることが好きだったもの」
私は母の手を握り返しました。
貫一郎については、夫や家族、世話を手伝ってくださる方と慎重に相談し、授乳と日々の養育を引き受けてもらえる体制を整えました。
ただ、四か月の赤ん坊を母親から離すことが、どれほど難しいことかは分かっていました。
何度も迷いました。
それでも、私は自分の選択に責任を持とうと決めたのです。
出発の日。私は祖父の蔵之助にも挨拶しました。
「お祖父様、行ってまいります」
祖父は私を見つめ、静かにうなずきました。
「奈恵。おぬしも母親になったばかりじゃ。どうか無理をするでないぞ」
「はい」
「疎開する子どもたちも大切じゃが、おぬし自身の命も大切なのじゃからな」
「ありがとうございます、お祖父様」
祖父は少し微笑みました。
「無事に戻ってこい。そして、貫一郎をたくさん抱いてやるんじゃぞ」
私は涙をこらえながらうなずきました。
やがて、私たちは子どもたちを連れて東京を離れました。疎開先は、山や田畑に囲まれた地方の町でした。
子どもたちは寺院や旅館を宿舎として、集団生活を送ることになりました。
朝は決められた時刻に起き、食事を取り、勉強をし、掃除や仕事を手伝う。
しかし、現実は決して楽ではありませんでした。
食料は十分ではなく、寒さや衛生状態にも気を配らなければなりません。
そして何より、子どもたちは親元を離れた寂しさに耐えていました。
ある夜、一人の女の子が布団の中で泣いていました。
私はそっと近づきました。
「どうしたの?」
女の子は涙を拭いました。
「先生……お母さんに会いたい……」
私はその子のそばに座りました。
「そうね。会いたいわよね」
「私、帰りたい……」
私は女の子の背中を優しくさすりました。
「寂しいときは、泣いてもいいのよ」
女の子は私の胸に顔をうずめました。
「先生……」
私はその子を抱きしめました。
そのとき、東京に残してきた貫一郎の姿が頭に浮かびました。
あの子も、今頃どうしているでしょう。
ちゃんと眠れているでしょうか。
元気にミルクを飲めているでしょうか。
私は母親になったばかりでした。
だからこそ、子どもと離れるつらさが、以前よりも深く分かるようになっていました。
それから私は、子どもたちの生活を少しでも明るくするために努力しました。
食べ物をできるだけ公平に分けること。
体調を崩した子どもがいないか、毎日確認すること。
寒い夜には寝具を確かめること。
そして、子どもたちが不安を口にできるようにすること。
ある日、私は子どもたちに尋ねました。
「皆さん、戦争が終わったら何をしたいですか?」
一人の男の子が答えました。
「お父さんと野球をしたい!」
別の女の子が言いました。
「お母さんのお料理を食べたい!」
「おうちのお布団で寝たい!」
「弟と遊びたい!」
子どもたちは次々と話し始めました。
私は笑顔でうなずきました。
「そうね。きっと、またそんな日が来るわ」
しかし、心の中では分かっていました。
この子たちが無事に家へ帰れる保証は、どこにもないのだと。
私は、できるだけ子どもたちを生きて東京へ帰したいと思いました。
そして、貫一郎にも、いつか必ず会いに帰りたい。
疎開先の夜空を見上げながら、私はそう願っていました。
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三 野村康弘――海の向こうの砲声
昭和十六年(1941)。
俺は航海士として海に関わる仕事に就いていた。
子どもの頃から、船と海に憧れていた。
広い海を渡り、遠い国へ行く。
まだ見たことのない港へ入り、世界を知る。
それが俺の夢だった。
祖父の蔵之助は陸軍の将官で、大伯父の寛之助は海軍の将官だった。
軍人の話を聞く機会は多かったが、俺が最初に憧れたのは、戦争ではなく航海そのものだった。
しかし、大東亜戦争の開戦後、俺の航海技術は軍に求められるようになった。
海軍へ召集されることが決まり、俺は家族に別れを告げることになった。
出発前、母の節子は静かに俺の顔を見つめていた。
「康弘、身体に気をつけてね」
「はい、母さん」
「海の上では何が起こるか分からないでしょう。どうか無理をしないで」
「分かっています」
俺は少し笑った。
「俺は航海の仕事をしてきたんです。できる限り、自分の経験を生かします」
母はうなずいた。
しかし、その目には不安が浮かんでいた。
祖父も俺に声をかけた。
「康弘、海は陸よりも逃げ場が少ない。危険を甘く見るでないぞ」
「はい、祖父上」
「寛之助兄上からも、海軍の話は聞いておるじゃろう」
「はい。大伯父上には何度も教えていただきました」
祖父は静かにうなずいた。
「ならば、分かっておるな。任務を果たすことと、無駄に命を捨てることは違う」
俺は深く頭を下げた。
やがて、俺は軍艦に乗り込んだ。
海上での仕事は、想像以上に緊張の連続だった。
昼も夜も周囲の海域に注意を払い、現在位置や針路を確認し、艦の運航に関わる任務を続けた。
天候の変化にも気を配らなければならない。
しかし、最も恐ろしいのは敵の攻撃だった。
ある日、艦隊が敵機の接近を知らされた。
警報が鳴り響いた。
「敵機接近!」
乗組員たちが持ち場へ走る。
俺も自分の任務に集中した。
やがて遠くから、航空機のエンジン音が聞こえてきた。
直後、海面に巨大な水柱が上がった。
爆弾が海に落ちたのだ。
「面舵!」
号令が飛ぶ。
艦が傾き、身体が揺さぶられる。
俺は歯を食いしばった。
再び爆発音が響いた。今度は先ほどより近かった。
海面には黒い煙が広がっていた。
「くそっ……!」
俺は思わず声を漏らした。
航海士として海を知っているつもりだった。
しかし、砲弾と爆弾が飛び交う海は、俺の知っている海とはまったく違っていた。
そこには、自由な航海も、穏やかな港もない。
あるのは、死と隣り合わせの任務だけだった。
攻撃が収まった後、俺は甲板から海を見つめた。
遠くに黒煙が上がっていた。
別の艦が被害を受けたらしい。
「…海が、こんな場所になるなんてな」
俺はつぶやいた。
その夜、祖父と大伯父の言葉を思い出した。
軍人として何十年も海と陸を見てきた二人は、戦争の恐ろしさを知っていた。
だから、出発前にあれほど命を大切にしろと言ってくれたのだろう。
俺は、海が好きだった。
それなのに、今は海を見ることが怖くなるときがある。
それでも、俺は航海士としての知識を捨てたくなかった。
いつか戦争が終わったら、もう一度、平和な海を航海したい。
戦争のためではなく、人や物を世界へ運ぶ船に乗りたい。
その夢を胸に、俺は再び航海の任務へ戻った。
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四 神楽坂大空――空を飛ぶということ
昭和十八年(1943)十月。
僕は、小学校の教員として働き始めて、まだ間もない頃だった。
子どもたちに勉強を教えることは、思っていた以上に楽しかった。
分からなかった問題が解けるようになったときの笑顔。
休み時間に走り回る元気な姿。
将来の夢を嬉しそうに話す子どもたち。
僕は、そんな毎日が好きだった。
しかし、その生活は長く続かなかった。
戦争が激しくなる中、僕にも軍への召集がかかった。
行き先は陸軍航空隊だった。
僕は空を飛ぶことに興味があった。
幼い頃には、父さんの光蔵と一緒に飛行機の仕組みについて話したこともあった。
飛行機がどうして空を飛べるのか。
どうすればもっと速く、遠くへ飛べるのか。
機械好きの父さんと話す時間は楽しかった。
しかし、今度は違う。
僕は、戦闘のために飛行機へ乗ることになるのだ。
出発の日。
父さんは、いつものように穏やかな表情をしていた。
「大空、身体に気をつけるんだよ」
「うん、父さん」
「飛行機は便利な機械だけど、危険も大きい。無理はしないでね」
「分かっているよ」
父さんは僕の肩に手を置いた。
「父さんは、大空が帰ってきたら、また一緒に機械の話をしたいんだ」
僕は小さく笑った。
「もちろんだよ。戦争が終わったら、父さんと新しい飛行機の仕組みも考えたいな」
父さんはうなずいた。
「そうだね。できれば、今度は人を傷つけない飛行機について考えたいよ」
僕はその言葉を忘れなかった。
航空隊での訓練は厳しかった。
飛行機の操作を覚え、飛行中の判断力を鍛え、仲間とともに任務を果たせるようになるまで、何度も訓練を繰り返した。
初めて飛行機を操縦したとき、僕は空の広さに感動した。
地面が遠ざかり、雲が近づく。
上空から見る山や川は、地上とはまったく違う姿をしていた。
「……すごいな」
思わず声が出た。
子どもの頃に憧れた空が、目の前に広がっていた。
しかし、やがて実戦に関わるようになると、その感動は恐怖と混ざり合うようになった。
昭和十九年(1944)。
僕は仲間とともに敵機へ向かう任務に就いた。
無線から緊迫した声が聞こえてくる。
敵機の姿を確認する。
僕は操縦桿を握りしめた。
相手の飛行機も動いている。
あの中にも、人間がいる。
僕と同じように、誰かの息子であり、家族がいる人間が。
そう考えた瞬間、手がわずかに震えた。
しかし、ためらっていれば自分が撃たれる。
仲間も危険にさらされる。
僕は必死に機体を操縦した。
そして、射撃を行った。
機銃の振動が身体に伝わる。
敵機が視界を横切った。
命中したのかどうか、その瞬間には分からなかった。
ただ、戦闘が終わった後も、僕の心臓は激しく鳴り続けていた。
基地へ戻ると、仲間が声をかけてきた。
「神楽坂、大丈夫か?」
「…うん」
「初めての実戦は怖かっただろう」
「そうだね…」
僕は空を見上げた。
「僕、飛行機に乗るのが好きだったんだ」
仲間は黙って聞いていた。
「でも、人を撃つために飛ぶのは……やっぱりつらいよ」
仲間は少し考えてから言った。
「俺だって、好きで人を殺しているわけじゃない。でも、今は自分たちが生き残らないとな」
僕は静かにうなずいた。
その夜、眠ろうとしても、敵機の姿が頭から離れなかった。
あの飛行機に乗っていた人は、無事だったのだろうか。
僕の弾が誰かに当たっていたのだろうか。
僕は飛行機が好きだった。
空を飛ぶことが好きだった。
それなのに、今は飛ぶたびに誰かを傷つけるかもしれない。
僕は父さんに手紙を書いた。
『父さん。僕は飛行機の操縦を覚えたよ。空から見える景色は、本当に綺麗なんだ。でも、戦闘のために飛ぶのは、やっぱりつらいね』
少し迷ってから、最後に付け加えた。
『いつか戦争が終わったら、僕はまた子どもたちに勉強を教えたい。そして、空を飛ぶことの素晴らしさも、戦争とは違う形で伝えたいと思う』
手紙を書き終えた僕は、窓の外を見つめた。
星が静かに輝いていた。
あの星空の下に、父さんや祖父上たちが暮らす東京がある。
僕はまた、あの家族のもとへ帰りたかった。
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五 池田日花梨――映画が戦争の道具になった日
昭和十八年(1943)。
私は、映画の世界に強く憧れていた。
小さい頃から活動写真が大好きだった。
特に、音の出るトーキー映画を初めて見たときの感動は、今でも忘れられない。
画面の中の人が話し、歌い、笑う。
映画は、私たちを知らない世界へ連れていってくれる。
私はいつか、自分でもそんな映画を作りたいと思っていた。
人が笑顔になれる映画。
悲しいときには、少し元気になれる映画。
見終わった後、明日も頑張ろうと思える映画。
そんな作品に関わりたかった。
しかし、戦争が始まってから、映画界も大きく変わってしまった。
製作できる映画には制限があり、戦争への協力や国民の士気を高める内容が強く求められるようになった。
私は製作の現場に関わるようになったものの、自分の好きな作品を自由に作ることはできなかった。
ある日、私は映画の企画について話し合う場にいた。
「次の作品は、国民の戦意を高める内容にしなければならない」
責任者がそう言った。
私は資料を見つめた。
そこには、勇ましく戦う兵士や、国家のために尽くす人々の姿が描かれていた。
もちろん、戦争の中で苦労している人々を励ましたいという気持ちは分かる。
しかし、私は別の映画も作りたかった。
普通の家庭の物語。
子どもたちの笑顔。
恋人同士の会話。
家族で過ごす日常。
そんな映画を見て、人々が心から笑える時間を作りたかった。
「……もっと、楽しい映画も作りたいな」
私は小さくつぶやいた。
隣にいた同僚が苦笑した。
「日花梨さん、今はそういう時代じゃないんだよ」
「分かっているわ。でも、映画って本来、もっといろんなものを描けるはずでしょう?」
「そうだけど、今は国の方針があるからな」
私は黙った。
戦争が終われば、また自由に映画を作れるようになるのだろうか。
それとも、こんな時代がずっと続いてしまうのだろうか。
そんな不安を抱えながら、私は仕事を続けた。
やがて、昭和十九年(1944)。
私は女子挺身隊に加わることになり、映画の現場を離れることになった。
工場では、軍需品の製造に関わる作業が続いていた。
周囲には、私と同じような若い女性たちがいた。
それぞれが、以前の生活や仕事から離れ、慣れない作業に追われていた。
ある日、作業の合間に一人の女性が尋ねた。
「日花梨さん、あなたは戦争が終わったら何をしたい?」
私は迷わず答えた。
「映画を作りたい!」
女性は驚いたように笑った。
「映画?」
「そう! 私、映画が大好きなの!」
「どんな映画を作りたいの?」
「うーん……やっぱり、見た人が笑顔になれる映画かな。家族の話とか、恋愛の話とか、子どもたちの楽しい話とか。そういう映画を作りたいの」
女性は微笑んだ。
「素敵ね」
「でしょう?」
私は笑った。
そして、小さな声で付け加えた。
「私、もう戦争の勝ち負けを聞くのも疲れちゃった」
女性は静かに私を見た。
「勝ったって言われても、暮らしは楽にならないし、映画も自由に作れないんだもの」
私はため息をついた。
「だから、早く戦争が終わってほしい。もう一度、映画を作りたいのよ」
その言葉を口にしたとき、胸の奥に少しだけ希望が戻ってきた。
私は、映画を嫌いになったわけではない。
ただ、戦争が私から映画を作る自由を奪っているだけだった。
その夜、私は祖父上のことを思い出した。
祖父上は、私が映画の話をすると、いつも楽しそうに聞いてくれた。
「日花梨、おぬしは本当に活動写真が好きじゃな」
「もちろんよ、おじいちゃん!」
「ははは。いつか、おぬしの作った映画を見てみたいものじゃ」
「任せて! 絶対に面白い映画を作ってみせるわ!」
私は、あの約束をかなえたかった。
戦争が終わったら、祖父上を映画館に連れていきたい。
そして、自分が関わった映画を見てもらいたい。
それが私の夢だった。
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六 加藤幸丞――命を救うために海軍へ
昭和十八年(1943)。
俺は、医師になることを目指して勉強していた。
母さんの春子は、長年看護婦として働いていた。
幼い頃から、俺は母さんが患者のために一生懸命働く姿を見てきた。
病気で苦しんでいる人に声をかけ、傷の手当てをし、家族の健康にも気を配る。
そんな母さんを、俺は尊敬していた。
そして、いつか自分も医療の道へ進みたいと思うようになった。
しかし、戦争は学生の生活も変えていった。
昭和十八年(1943)、学徒出陣によって多くの学生が軍に向かうことになった。
俺の周囲でも、学校を離れる者が増えていった。
俺は、自分が何をすべきなのか悩んだ。
医師になるために勉強を続けたい。
しかし、戦争で負傷し、苦しんでいる人々がいる。
俺は、その人たちのために何かできないだろうかと思った。
そして、海軍の衛生要員として働く道を志願した。
もちろん、まだ一人前の医師ではない。
しかし、医療の知識を身につけ、負傷者の救護に関わることならできるかもしれない。そう考えたのだ。
母さんにそのことを伝えたとき、母さんは驚いた顔をした。
「幸丞…あなた、海軍へ?」
「はい、母さん」
「どうして……」
俺は静かに答えた。
「俺、医師になりたいと思っています。でも、今は勉強を続けるだけではなく、負傷した人たちを助けたいんです」
母さんは少しうつむいた。
「そう……」
俺は続けた。
「母さんが、いつも患者さんを助けようとしているのを見てきました。俺も、少しでも役に立ちたいんです」
母さんの目が潤んだ。
「幸丞……」
しばらくして、母さんは俺の手を握った。
「あなたの気持ちは、とても嬉しいですわ。でも、海の戦場は危険ですのよ」
「分かっています」
「どうか、無理だけはしないでくださいね」
「はい。必ず帰ってきます」
母さんは静かにうなずいた。
出征の日、母さんが俺に小さな櫛を差し出した。
「幸丞、これを持っていってちょうだい。男の子だって、髪のお手入れは大切ですのよ。戦地でも、できるだけ清潔にしていてくださいね」
母さんは、腰まである艶やかな黒髪を優しく揺らしながら微笑んだ。俺は櫛を受け取り、少し照れくさそうに笑った。
「ありがとう、母さん。大切に使うよ」
祖父上も見送りに来てくれた。
「幸丞、おぬしは医療の道へ進みたいのじゃったな」
「はい、祖父上」
「ならば、命を助けることを忘れるでないぞ」
「はい」
「敵も味方も、傷つけば同じ人間じゃ。できることには限りがあるじゃろうが、命を軽く扱うでない」
俺は深く頭を下げた。
「分かりました、祖父上」
やがて、俺は海軍の衛生要員として任務に就いた。
そこで目にしたのは、想像以上に凄惨な光景だった。
負傷した兵士。
火傷を負った者。
激しい痛みに苦しむ者。
そして、治療を受けることもできないまま命を落とす者。
戦闘が起これば、次々と負傷者が運び込まれてきた。
限られた医療器具と薬品の中で、できる限りの救護を続けなければならなかった。
ある日、戦闘の後に若い兵士が運び込まれてきた。
まだ俺とそれほど年齢の変わらない青年だった。
「痛い……助けてくれ……」
俺は必死に声をかけた。
「大丈夫です。今、手当てをします!」
しかし、青年の傷は深かった。
俺たちはできる限りの処置を続けた。
それでも、青年の容体は悪くなっていった。
「母さん……」
青年は小さな声でつぶやいた。
俺はその手を握った。
「家に、帰りたい……」
俺は何も答えられなかった。
青年の手から、少しずつ力が抜けていった。
俺はしばらく動けなかった。
医療の道を目指してきた。
人を助けたいと思っていた。
それなのに、目の前の命を救えなかった。
「……すみません」
俺は小さくつぶやいた。
その夜、母さんのことを思い出した。
母さんも、病院で同じような経験をしているのだろうか。
助けたいと思っても、助けられない命がある。
それでも、看護を続けている。
俺は母さんの強さを、初めて本当の意味で理解した気がした。
それからも、俺は負傷者の救護を続けた。
戦場では、敵か味方かにかかわらず、人が傷ついていた。
命は、軍服の色によって重さが変わるものではない。
俺はそのことを忘れないようにした。
そして、いつか戦争が終わったら、もう一度医療を学びたいと思う。
戦争で傷ついた人だけではなく、病気に苦しむ人や、普通の暮らしの中で助けを必要としている人々を治療できる医師になりたい。
母さんが守ってきたものを、俺も受け継ぎたい。
そう願いながら、俺は海の戦場で働き続けた。
母上から貰った櫛。
厳しい任務の合間にも、その櫛で髪を整えることを忘れなかった。鏡も満足に使えない日々だったが、櫛を手にするたび、故郷で微笑む母さんの姿が浮かんできた。
「……母さん、俺、必ず帰るからな」
俺は櫛をそっとしまい、心の中で誓った。いつか無事に帰り、母さんにもう一度「おかえりなさい」と微笑んでもらうために。
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七 それぞれの場所から届く手紙
昭和二十年の初め。
東京の神楽坂家には、各地に散らばった孫たちから手紙が届いていた。
義蔵は遠い土地で鉄道の仕事を続けていた。
奈恵は疎開先で子どもたちの生活を守っていた。
康弘は海軍で航海に携わっていた。
大空は陸軍航空隊で任務を続けていた。
日花梨は工場で働きながら、映画の夢を忘れずにいた。
幸丞は海軍の衛生要員として、負傷者の救護を続けていた。
わしは、そんな孫たちの手紙を、一通ずつ大切に読んでいた。
ある日、わしは家族の前で静かに言った。
「わしの孫たちは、皆それぞれの道を歩んでおるのう」
愛海がうなずいた。
「ええ。皆、無事でいてくれるとよいのですけれど」
「修蔵も節子も光蔵も春子も、皆、子どもたちを心配しておる」
その声には、寂しさがにじんでいた。
わしは軍人として戦地へ赴いたことがあった。
日清戦争。
日露戦争。
第一次世界大戦。
そして今、孫たちが大東亜戦争に巻き込まれている。
わしは長い間、軍人として日本の歴史を見てきた。
しかし、今度ばかりは自分が戦場へ行くのではない。
大切な孫たちが、遠く離れた場所で命の危険にさらされている。
「……どうか、生きて帰ってきてくれ」
かつて、わしは息子や娘たちの誕生を喜び、成長を見守ってきた。
そして今、その子どもたちの子どもが、それぞれの夢を抱いて大人になっている。
鉄道技師。
教師。
航海士。
航空兵。
映画製作者。
医療を志す学生。
皆、本来は自分の好きな道を選んだ若者たちだった。
しかし、戦争はその道を大きく変えてしまった。
義蔵は、人を結ぶはずの鉄道が多くの人々を苦しめる現実を見た。
奈恵は、自分の赤ん坊と離れて、他人の子どもたちを守ることになった。
康弘は、自由に航海することを夢見た海で、死の恐怖に向き合った。
大空は、憧れていた空で人を撃たなければならなくなった。
日花梨は、人を楽しませる映画を作る夢を中断させられた。
幸丞は、人を救うために医療を志したのに、助けられない命の多さを知った。
それでも、六人は夢を捨てていなかった。
いつか平和が戻ったら。もう一度、自分の好きな仕事をしたい。
家族のもとへ帰りたい。大切な人と笑い合いたい。
その願いは、皆同じだった。
わしは窓の外を見つめた。
東京の冬空は、冷たく澄んでいた。
「わしは、孫たちが立派に育ってくれたことを誇りに思う。じゃが、立派に死んでほしいなどとは、一度も思ったことはない」
愛海はそっと手を握った。
「あなた……」
「わしは、皆に生きて帰ってきてほしい。それだけじゃ」
その頃、東京への空襲は次第に激しくなっていた。
軍需工場が狙われ、民家にも被害が及び始めていた。
各地の戦場でも、日本軍は厳しい状況に追い込まれていた。
遠く離れた六人は、それぞれの場所で生き続けていた。
いつかまた、家に帰るために。
そして、戦争に奪われた未来を、もう一度自分の手で取り戻すために。




