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第五十八話 戦時下の子どもの仕事への疑問 後編

―昭和十八年(1943年)〜昭和二十年(1945年)―


語り手:神楽坂光蔵・加藤春子


⸻


前半 神楽坂光蔵の回想


一 人を幸せにするための機械


昭和十八年(1943)僕は四十代半ばになっていた。

子どもの頃から、僕は機械が好きだった。


明治時代、東京の街には次々と新しいものが現れた。鉄道、電灯、電話、そしてさまざまな機械。それまで人間の手で行っていた仕事が、機械によって便利になっていく。僕は、そんな変化を見るのが楽しくて仕方がなかった。


兄さんの修蔵は鉄道が大好きで、僕も幼い頃には兄さんと一緒に機関車の話をしたものだ。

ただ、兄さんが鉄道そのものに強く惹かれたのに対して、僕はもっと広く、機械の仕組みや動作に興味を持っていた。


どうして歯車が回るのだろう。

どうして電気を流すと動くのだろう。

どうすれば人間の仕事をもっと楽にできるのだろう。

そんなことばかり考えていた。


父さんは、僕の好奇心をいつも温かく見守ってくれた。


「光蔵は本当に機械が好きじゃな」


「うん! 父上、僕、いつかみんなの暮らしがもっと便利になる機械を作りたいんだ!」


「ほう、それは楽しみじゃな」


父さんはそう言って笑ってくれた。


それから何十年も経った。

僕は機械に携わる仕事を選び、人々の暮らしを豊かにするための技術を考えてきた。

機械が発展すれば、人間はもっと少ない労力で働ける。

重いものを運ぶ苦労も減らせる。

生活に必要な品物を、もっと多くの人へ届けられる。

そう信じていた。


ところが、大東亜戦争が始まってから、僕の仕事は次第に別の方向へ変わっていった。

軍需生産が優先され、工場では兵器に関わる部品や設備の製作を求められるようになった。

暮らしを豊かにするために使っていた技術が、人を傷つけ、物を破壊するために使われる。

僕は、その現実に少しずつ苦しむようになっていた。


二 設計図の向こうにあるもの


ある日、僕は仕事場で一枚の設計図を見つめていた。


そこに描かれていたのは、軍需品に用いる金属部品だった。

寸法を確認し、強度を計算し、必要な加工方法を考える。

技術者としては、ごく当たり前の仕事だった。


しかし、僕の手はなかなか動かなかった。

この部品が完成すれば、軍の装備に組み込まれる。

それが戦場へ送られれば、誰かを傷つけるために使われるかもしれない。


僕は鉛筆を置いた。


「…どうして、こうなってしまったんだろう」


近くで作業していた同僚が顔を上げた。


「神楽坂、どうした?」


「いや、ちょっと考え事をしていたんだ」


「何か問題でも?」


「ううん。設計自体には問題ないよ。ただ…」


僕は少し迷ってから、言葉を選んだ。


「昔は、もっと人の生活に役立つものを作っていたなと思ってね」


同僚は苦笑した。


「今は戦争だからな。軍の注文を優先しないと、工場も仕事を続けられん」


「そうだね…」


僕は再び設計図を見つめた。


技術者は、求められたものを正確に作ることを仕事としている。

しかし、正確に作れるということと、それを作るべきかどうかは、まったく別の問題だった。


機械そのものに善悪があるわけではない。

同じ動力装置でも、工場の生産設備を動かすこともできれば、兵器を動かすこともできる。

同じ金属加工の技術でも、農具を作ることもできれば、武器を作ることもできる。

その違いを決めるのは、人間だった。


「僕は人の役に立つ機械を作りたかったんだけどな」


僕は誰にも聞こえないほど小さな声でつぶやいた。


その日も仕事を投げ出すことはなかった。

工場で働く人々には、それぞれ生活がある。

軍需の注文を断れば、仕事場そのものを失うかもしれない。

僕は葛藤を抱えたまま、再び鉛筆を手に取った。


三 供出されていく金属


戦争が長引くにつれ、金属資源の不足はますます深刻になった。

家庭では不要な金属製品の供出が求められ、町内でも鍋や金属器具などを集める動きが広がった。


工場でも同じだった。

軍需生産に直接関係しない設備は整理され、ほかの工場へ移されたり、金属資源として回収されたりしていた。

昭和十八年(1943)には、非軍需部門の設備を軍需生産へ振り向ける動きがさらに強まった。

僕の仕事場でも、かつて生活用品の製造に使われていた機械が、役目を変えられていった。


ある日、古い機械が解体されているところを見かけた。

僕は思わず足を止めた。


「これも回収するんですか?」


作業員がうなずいた。


「ええ。もう使わない設備ですから、金属を回すそうです」


「そうなんだ…」


その機械は、昔から工場で使われてきたものだった。

決して新しい機械ではなかったが、手入れをすれば、まだ十分に働けるはずだった。


僕は近づいて、古い鉄の表面にそっと触れた。

この機械を設計した人も、組み立てた人も、きっと誰かの役に立つものを作ろうと思っていたのだろう。

それが今では、金属の塊として扱われている。


もちろん、資源を再利用すること自体は悪くない。

しかし、それが戦争を続けるためだけに行われていることが悲しかった。


「機械にも、いろんな運命があるんだね」


僕はそうつぶやいた。


そのとき、父上の家にある刀のことを思い出した。

祖父の権兵衛と、曾祖父にあたる金右衛門から受け継がれた大切な刀。

父さんは、あの二振りを人目につかない場所に保管している。

江戸時代から伝わる家族の記憶を守るためだった。


父上の気持ちが、少し分かるような気がした。

古いものには、単なる材料としての価値だけではないものがある。

それを作った人、使ってきた人、守ってきた人の思いが込められているのだから。


四 父上に打ち明けたこと


昭和十九年(1944)の春。

僕は久しぶりに父上の家を訪ねた。


父上は三月に満八十歳を迎えていた。

八十歳という年齢が、どれほど長い人生なのか。

父上のこれまでの話を聞いていると、改めて驚かされる。


僕が生まれるよりも何十年も前、父上は江戸時代に生まれ、明治維新を経験していた。

そんな父上が、今も元気に家族を見守ってくれている。

僕はそれだけでも嬉しかった。


「父上、ちょっと相談があるんだ」


「おお、光蔵。どうした?」


「僕、最近は機械を作ることが少し苦しくなってきたんだ」


父上は静かに僕を見た。


「ほう…」


「昔は、人の暮らしを便利にするための機械を作っていたんだけど、今は軍需品ばかり求められるようになってね」


「そうじゃろうな」


「もちろん、技術者として与えられた仕事をきちんとやることは大切だと思う。でも…」


僕は少しうつむいた。


「僕が作ったものが、誰かを殺すために使われるかもしれないと思うと、どうしても割り切れないんだよ」


父上はしばらく黙っていた。

そして、ゆっくりと口を開いた。


「光蔵。わしはおぬしが幼い頃、機械を作りたいと言ったことを覚えておるぞ」


「うん。僕も覚えているよ」


「おぬしは、皆の生活を便利にしたいと言っておったな」


「そうだね…」


「その気持ちは、今も変わっておらんのじゃろう?」


僕は顔を上げた。


「うん。変わっていないよ」


「ならば、それを忘れるでない。今は戦争のために技術が使われておる。しかし、戦争が終われば、その技術を別のことに使える日が来るはずじゃ」


「父上は、僕が機械を作り続けてもいいと思う?」


「もちろんじゃ」


父上は迷わず答えた。


「ただし、人を傷つけることを喜ぶような人間にはなるでないぞ」


僕は小さく笑った。


「そんなこと、僕にはできないよ」


「ははは。そうじゃろうな」


父上も笑った。

僕は胸の奥が少し軽くなった。


「ありがとう。僕、やっぱり機械を作るのが好きなんだ」


「うむ。それでよい」


「いつか、また人々の生活を豊かにする機械を作れるようになりたいな」


父上は満足そうにうなずいた。


「わしも、その日を見てみたいものじゃ」


五 それでも機械を作り続ける


昭和十九年(1944)後半になると、日本本土への空襲の危険が現実味を帯びてきた。


工場でも、防空に備えるようになった。

資材は不足し、部品を一つ作るにも以前より多くの苦労が必要になった。


それでも、僕は機械を作ることをやめなかった。

仕事のすべてを自分の希望通りに選べるわけではない。

軍需品に関係する作業を避けられないこともあった。


その中でも、できる限り生活を支える設備の修理や保守に関わるよう努めた。

水をくみ上げる装置。

食品の製造や加工に必要な機械。

傷んだ設備を修理するための工具。

そうしたものを守ることにも、技術者の知識は役立った。


ある日、古いポンプの修理を頼まれた。

部品の交換が難しかったため、使える部分を丁寧に調整し、何とか動く状態に戻した。


水が流れ始めたとき、周囲の人たちは安堵した。


「神楽坂さん、助かりました!」


僕は微笑んだ。


「よかった。これなら、もうしばらく使えると思うよ」


その言葉を聞いたとき、久しぶりに仕事をしていて嬉しいと感じた。


僕が作り、直した機械が、誰かの生活を支えている。

昔から求めていたものは、これだった。

たとえ小さな仕事でもよい。今の僕にできることを続けよう。


昭和二十年(1945)が近づいていた。

戦争はますます厳しくなっていたが、僕は心の中で静かに誓っていた。

いつか平和が戻ったら、もう一度、人の暮らしを豊かにするための機械を作ろう。


父さんにも見てもらいたい。

機械が人を殺すためではなく、人を幸せにするために働いている姿を。


⸻


後半 神楽坂春子の回想


六 看護婦として守りたかったもの


昭和十九年(1944)、わたくしは四十二歳になっておりました。


幼い頃から、わたくしは人のお世話をすることが好きでした。

具合の悪い方がいらっしゃれば心配になりましたし、怪我をした子どもを見かければ、何とか助けて差し上げたいと思っていました。

そんな気持ちから、わたくしは看護の道へ進みました。


大正時代、看護婦として働き始めた頃は、毎日が学ぶことばかりでした。

傷の手当て、熱のある方の看病、病気を防ぐための衛生指導。


医療の知識や技術があれば、それまで助けられなかった方を救えることもあります。

わたくしは、そのことに大きなやりがいを感じておりました。


しかし、大東亜戦争が始まってから、医療の現場は次第に厳しくなっていきました。

医薬品や包帯などの物資が不足し、十分な栄養を取れない方も増えてまいりました。

仕事や勤労動員で無理を重ね、体調を崩す方もいらっしゃいました。

わたくしは、以前ならもっと適切なお世話ができたはずの患者さんを前に、何度も悔しい思いをいたしました。


ある日、病院で一人の女性が横になっておりました。

顔色が悪く、ひどく疲れていらっしゃる様子でした。


「お加減はいかがですか?」


わたくしが尋ねると、女性は弱々しく微笑みました。


「大丈夫です。少し疲れただけですから」


「無理をなさってはいけませんわ」


「でも、家の仕事もありますし、休んでばかりいられません」


わたくしは女性の手を取りました。


「今はお身体を休めることが大切ですの。どうか、ご自身のことも大切になさってくださいませ」


女性は少し涙ぐみました。


「そんなふうに言っていただけたのは、久しぶりです……」


その言葉を聞いた瞬間、胸が痛みました。

戦争が始まってから、我慢することや無理をすることが当たり前になってしまいました。

しかし、人間の身体には限界があります。


疲れているときには休まなければなりませんし、病気になれば治療が必要です。

それは、お国のためという言葉で変えられるものではありません。


七 救えない患者さんたち


昭和十九年(1944)の後半になると、わたくしの仕事はさらに忙しくなりました。


医療に必要な物資が不足し、病人の栄養状態も悪くなっていました。

病院では医師も看護婦も懸命に働いておりましたが、十分な治療を行えないこともありました。


ある日、わたくしは重い病気の患者さんを担当しておりました。

医師の指示を受けながら看護を続けましたが、その方の容体はなかなか良くなりませんでした。


「看護婦さん…」


「はい、どうなさいました?」


患者さんは小さな声でおっしゃいました。


「私、また元気になれるでしょうか」


わたくしは一瞬、言葉に詰まりました。


無責任に大丈夫ですとは申し上げられません。

けれど、希望を失わせるようなことも言いたくありませんでした。


「わたくしたちも、できる限りのお世話をいたしますわ。どうか今は、ゆっくりお休みになってくださいませ」


患者さんは静かにうなずかれました。

しかし、その方は後日、亡くなってしまいました。


わたくしは病室を離れた後、廊下でしばらく立ち尽くしておりました。

もっと十分な薬があれば。

もっと早く治療できていれば。

もっと栄養のある食事を取っていただけていれば。

そう考えても、失われた命は戻ってきません。


看護婦として経験を積み、知識も増えてきたはずなのに、助けられない方が増えている。

それが、わたくしには何より悲しかったのです。


「……ごめんなさい」


誰もいない廊下で、小さくつぶやきました。

本当は、謝ったところで何も変わらないと分かっておりました。

それでも、そう言わずにはいられませんでした。


八 悪くなっていく国の衛生環境


戦時中の衛生問題は、病院の中だけではありませんでした。


食糧不足による栄養状態の悪化。

石鹸や清潔な衣類を確保することの難しさ。

住宅の密集や、仕事の過重負担。

十分に休息を取れない人々。


こうしたことが重なれば、病気にかかりやすくなり、回復も遅くなってしまいます。

わたくしは保健婦としての仕事にも携わりながら、家庭でできる衛生管理の大切さを伝えておりました。


ある日、町内の女性たちにお話しする機会がありました。


「皆様、食べ物が不足しているときほど、衛生には気をつけていただきたいんですの」


女性たちは真剣に耳を傾けていました。


「手を洗うこと、お水を清潔に保つこと、食べ物を適切に保存すること。どれも当たり前のことのようですけれど、病気を防ぐためには大切ですわ」


一人の女性が尋ねました。


「でも、石鹸もなかなか手に入らないんですよ」


「そうですわね。十分に手に入らないときには、水で丁寧に汚れを落とすなど、できることから続けましょう。石鹸が使えるときには、特にお食事の前や便所の後に使ってくださいませ」


わたくしは続けました。


「お子様がいらっしゃるご家庭では、特にお気をつけくださいね。小さなお子様は体調を崩しやすいですから」


医療の技術が進歩しても、社会全体の生活環境が悪くなれば、人々の健康を守ることは難しくなります。


わたくし一人で国の状況を変えることはできません。

しかし、目の前の人に衛生の大切さをお伝えすることならできます。

それを続けることが、看護婦としてのわたくしの役目だと思っておりました。


九 戦争の中で守り続けた長い黒髪


そんな厳しい時代の中でも、わたくしには一つ、どうしても大切にしておきたいものがありました。

幼い頃から伸ばしてきた髪です。


わたくしの髪は、生まれつき艶のある黒髪でした。

子どもの頃から長く伸ばし続け、腰まで届くほどの長さになっています。


大正時代には、この髪に合わせて洋服や髪飾りを楽しむこともございました。

髪を下ろしたまま歩くと、風に揺れる感触が心地よく、鏡を見るたびに嬉しくなったものです。


しかし、昭和に入り、戦争が激しくなるにつれて、女性のお洒落にも厳しい目が向けられるようになりました。

華やかな洋服や装飾品は贅沢だと言われ、活動しやすい服装が求められました。


仕事中はもちろん、外出するときにも、安全や周囲の目を考えた身なりが必要になりました。

わたくしも、病院や外出先では長い髪をきちんと結い、できるだけ目立たないようにしておりました。


看護の仕事中に髪が乱れたり、器具に触れたりしては困りますし、空襲に備えて動きやすくしておく必要もありました。

それでも、髪そのものを短く切るつもりはありませんでした。


ある日、仕事から帰ったわたくしは、鏡の前で結っていた髪を解きました。

長い黒髪が、肩から背中へ、そして腰のあたりまで流れ落ちました。


「…やっぱり、わたくしはこの髪が好きですわ」


思わず小さく微笑みました。

外では自由にお洒落を楽しめなくなっても、家の中では、できるだけ以前と同じ自分でいたかったのです。


髪を丁寧に櫛でとかし、少ない洗髪用品を大切に使いながら、清潔に保つよう心がけました。

もちろん、戦時中ですから、以前のように何でも自由に手に入るわけではありません。

それでも、使えるものを工夫して、髪の手入れを続けました。


鏡に映る自分の姿は、大正時代と大きく変わっていないように思えました。

四十代になっても、わたくしは周囲の方から実際の年齢より若く見られることがありました。


そのことを不思議に思う方もいらっしゃいましたけれど、わたくし自身に特別な秘密があるわけではありません。

ただ、昔から大切にしてきたものを、今も大切にしているだけでした。


十 お父様と女心


ある日、わたくしは実家へ立ち寄りました。

外出中は結っていた髪を、家に入ってからいつものように下ろしました。


その姿を見たお父様が、微笑んでおっしゃいました。


「おお、春子。やはりおぬしはその髪が似合うのう」


「まあ、お父様。ありがとうございます」


わたくしは嬉しくなって、少し笑いました。


「最近は外で髪を結っていることが多いものですから、こうして下ろすと、とても落ち着きますの」


「そうじゃろうな」


お父様はしばらくわたくしの髪を眺めておられました。


「春子、おぬしは幼い頃から、その髪を大切にしておったな」


「ええ。お母様にも、何度もお手入れをしていただきましたわ」


「そうじゃったな。小さい頃から随分と綺麗な髪じゃった」


わたくしは微笑みました。


「でも、お父様。今の世の中では、こんなふうに髪を大切にしていることまで、贅沢だと言われてしまうことがあるんですの」


お父様の表情が少し曇りました。


「…そうか」


「もちろん、お仕事のときには邪魔にならないようにしておりますし、外では目立たないように気をつけていますわ。でも、家の中くらいは好きな髪型でいたいと思いまして」


お父様は静かにうなずきました。


「それでよい、春子」


「お父様?」


「髪を大切にすることと、戦争に協力せぬことは別の話じゃ。おぬしが大切にしてきたものを、無理に捨てる必要はない」


わたくしは胸が温かくなりました。


「ありがとうございます、お父様」


お父様は微笑みました。


「わしには女心の細かなところまでは分からんが、大切なものを守りたい気持ちは分かるぞ」


その言葉に、思わず笑ってしまいました。


「ふふっ。お父様ったら」


お父様も笑われました。


「ははは。笑えるうちは笑っておくのがよい」


わたくしは静かにうなずきました。


戦争が続く中で、美しいものを美しいと思う心まで失いたくはありませんでした。

髪を大切にすることも、わたくしにとっては、自分らしく生きることの一つだったのです。


十一 葵生の黒と茶色の髪


わたくしが特に大切にしていたのは、自分の髪だけではありませんでした。

娘の葵生の髪も、幼い頃から丁寧に手入れしておりました。


葵生の髪は、わたくしの黒髪とは少し異なり、光の当たり方によって黒と茶色の両方の艶が見える、美しい髪でした。

室内では落ち着いた黒に見えても、窓から日が差し込むと、柔らかな茶色の光沢が浮かび上がります。


わたくしは、その髪がとても好きでした。

葵生自身も髪のお洒落が大好きで、家では二つ結びにすることを特に気に入っておりました。


ある休日。

わたくしが鏡の前で髪をとかしていると、葵生が元気よく駆け寄ってまいりました。


「お母さま!」


「まあ、葵生。どうしたの?」


「あおいも、お髪を綺麗にしていただきたいんですの!」


わたくしは微笑みました。


「もちろんよ。こちらへいらっしゃい」


「はい!」


葵生は嬉しそうにわたくしの前へ座りました。


わたくしは娘の髪を丁寧に櫛でとかし始めました。


「葵生、痛くはない?」


「大丈夫ですわ! お母さまにとかしていただくの、大好きなんですの!」


「まあ、嬉しいですわ」


毛先から少しずつ絡まりを解き、髪を整えていきました。

窓から差し込む光が、葵生の髪に柔らかく反射しておりました。


「葵生の髪は、本当に綺麗ね」


「うふふ! お母さまみたいに綺麗になれるかしら?」


「もちろんですわ。葵生の髪には、葵生だけの素敵な色があるんですもの」


葵生は鏡の中の自分を見つめました。


「あおいのお髪、黒いところと茶色いところがありますのね!」


「そうね。光の当たり方で、少し違って見えますのよ」


「不思議ですわ!」


わたくしは髪を左右に分け、娘の好きな二つ結びにしてあげました。


「さあ、できたわよ」


葵生は鏡をのぞき込みました。


「まあ! とってもかわいらしいですわ!」


「ふふっ。気に入ってくれた?」


「はい! あおい、この髪型が一番好きですの!」


その笑顔を見ていると、わたくしまで幸せな気持ちになりました。


しかし、その日の午後、葵生は外出の前に少し悲しそうな顔をしました。


「お母さま……」


「どうしたの?」


「あおい、お外でもこの髪型でいたいんですの。でも、学校ではあまり目立たないようにした方がいいって…」


わたくしは娘を抱き寄せました。


「そうね。今は、場所に合わせて髪型を変えなければならないこともありますわ」


「そうなんですのね…」


「でも、おうちでは好きな髪型でいていいのよ」


葵生は顔を上げました。


「本当ですの?」


「ええ。お母さまと一緒に、綺麗な髪を大切にしましょうね」


葵生はぱっと笑顔になりました。


「はい! あおい、お母さまと一緒にお髪を大切にしますわ!」


その姿を見て、わたくしは思いました。

この子から、女の子としてお洒落を楽しむ喜びまで奪いたくはない。


戦争のために服装を工夫することは必要でも、美しいものを好きだと思う気持ちまで否定する必要はないはずです。


十二 家族の家でだけ戻れる大正時代の春子


戦時中、わたくしは外出先では目立たない服装を心がけていました。


しかし、家族だけで過ごす日には、できるだけ以前と同じ髪型でいるようにしていました。

特に、お父様とお母様の本家を訪れるときには、家の中で髪を下ろして過ごすことが多くございました。


ある日の午後。お母様が、わたくしの髪を見ながら微笑まれました。


「春子、こうしていると、大正時代に戻ったようですね」


「まあ、お母様。わたくしも、そんな気がしますの」


お母様は昔を懐かしむようにおっしゃいました。


「大正時代には、よく綺麗な洋服を着てお出かけしておりましたものね」


「ええ。懐かしいですわ」


わたくしは微笑みました。


「銀座へお出かけしたり、活動写真を見たり、新しいお洋服を選んだり…本当に楽しかったですもの」


お母様はうなずかれました。


「春子は昔から、お洒落が大好きでしたものね」


「ふふっ。今も大好きですわ」


そのとき、お父様が会話に加わりました。


「春子、おぬしは大正時代からあまり変わらんのう」


「まあ、お父様ったら」


「いや、本当じゃ。わしが随分と年を取ったというのに、おぬしはまだ若々しい」


わたくしは思わず笑いました。


「そんなことありませんわ。わたくしも、もう四十代ですもの」


「ははは。それでも、わしから見ればまだまだ若いぞ」


お父様のお言葉に、わたくしもお母様も笑ってしまいました。


その頃のわたくしは、実際の年齢より随分若く見られることがありました。

大正時代と同じように腰まで伸ばした黒髪も、若々しい印象を与えていたのかもしれません。


しかし、わたくしにとって何より嬉しかったのは、こうして家族の前で自然に笑えることでした。

戦争が始まってから、人々は笑うことさえ遠慮するようになったように感じられました。

だからこそ、家族と過ごす時間には、できるだけ明るくしていたかったのです。


十三 家の衛生を守る母親として


わたくしは、看護婦としての仕事だけでなく、家庭の衛生にも気を配っていました。


戦時中は石鹸や衣類、燃料などが不足しておりましたが、だからといって清潔を諦めるわけにはまいりません。

特に葵生のような幼い子どもがいる家庭では、病気を予防することが重要です。

わたくしは、家族に手洗いや食事の衛生を繰り返し伝えておりました。


ある日、葵生が外から帰ってまいりました。


「ただいま!」


「お帰りなさい、葵生」


「お母さま、あおい、今日はお友達とたくさん遊びましたの!」


「まあ、よかったわね」


わたくしは微笑みました。


「それでは、お食事の前にお手々を洗いましょうね」


「はい!」


葵生は元気よく返事をしました。


わたくしは娘と一緒に手を洗いながら、丁寧に汚れを落とすことを教えました。


「葵生、お指の間も忘れないでね」


「はい! あおい、ちゃんと洗いますわ!」


「そうそう。上手ですわ」


手洗いを終えると、葵生は得意そうに両手を見せました。


「お母さま、綺麗になりましたの!」


「ええ、とっても綺麗ですわ」


わたくしは娘の頭を優しくなでました。


こうした小さな習慣を続けることが、病気を防ぐために役立つのです。


家の中でも、できる範囲で掃除を行い、食器や調理器具を清潔に保つようにしておりました。

食べ物は大切に保存し、傷んでいないかを確認しました。


また、家族が疲れているときには、無理をしないよう声をかけました。

戦争が長引く中で、健康を守ることは簡単ではありませんでした。


それでも、わたくしには守りたい日常がありました。

葵生が元気に笑っていること。

幸丞たち家族が健康で過ごせること。

そして、皆が安心して家へ帰ってこられること。

それが何より大切でした。


十四 お父様が守った命、わたくしが守りたい命


昭和十九年(1944)の暮れ。東京の空には、アメリカ軍の爆撃機が現れるようになりました。


空襲警報が鳴るたびに、人々は不安を抱えながら避難や防空の準備をするようになりました。

わたくしも、救急用品をまとめ、家族が危険なときにすぐ動けるようにしておりました。


ある日、実家でお父様とお話ししていたときのことです。


「春子、最近は仕事がますます大変じゃろう」


「ええ、お父様。患者さんも増えておりますし、医薬品も十分ではありませんの」


「そうか……」


お父様は悲しそうなお顔をなさいました。


わたくしは少し迷ってから、胸の内を打ち明けました。


「お父様。わたくし、最近は看護婦になったことを悲しく思う日もございますの」


「ほう……」


「昔は、看護の知識を身につければ、もっとたくさんの方を助けられると思っていました。でも、今は物が足りなくて、助けられない患者さんが増えているんですの」


わたくしはうつむきました。


「わたくし、何のために看護婦になったのか、分からなくなることがありますわ」


お父様はしばらく黙っておられました。

そして、静かにおっしゃいました。


「春子。わしは昔、軍人として多くの兵士を見てきた。戦場では、どれほど努力しても助けられぬ命がある。わしも、それを何度も経験した」


お父様のお声には、長い人生の重みが感じられました。


「じゃが、助けられなかった者がおるからといって、助けようとしたことまで無意味になるわけではない」


わたくしは顔を上げました。


「お父様…」


「おぬしが患者のそばにおったこと、苦しむ者に優しく声をかけたこと。それだけでも、救われた気持ちになった者はおるはずじゃ」


わたくしは目を潤ませました。


「…ありがとうございます」


お父様は微笑まれました。


「春子。わしはおぬしが看護婦になったことを、誇りに思っておるぞ」


その言葉を聞いた瞬間、涙がこぼれそうになりました。


「お父様……わたくし、これからも頑張りますわ」


「うむ。ただし、無理をするでないぞ」


十五 葵生との小さな約束


昭和二十年(1945)の初め。戦争は、ますます厳しくなっておりました。

それでも、わたくしは家の中で葵生の髪を結ってあげる時間を大切にしておりました。


ある日の夕方。わたくしが鏡の前に座ると、葵生が嬉しそうに駆け寄ってまいりました。


「お母さま! 今日もあおいのお髪を結ってくださる?」


「もちろんよ」


わたくしは娘を前に座らせました。

長い髪を丁寧にとかし、左右に分けていきました。


「葵生、今日はどんな髪型にしたい?」


「あおい、いつもの二つ結びがいいですわ!」


「ふふっ。やっぱりそうなのね」


「あおい、この髪型が大好きなんですの!」


わたくしは微笑みながら、髪を結ってあげました。


「さあ、できたわよ」


葵生は鏡を見つめました。


「まあ! とっても綺麗ですわ!」


「よかったわね」


そのとき、葵生が少し真面目なお顔になりました。


「お母さま…」


「どうしたの?」


「あおい、大きくなっても、この髪を大切にしていたいんですの」


わたくしは優しく微笑みました。


「もちろんですわ」


「戦争が終わったら、もっとかわいらしいお洋服も着てみたいですわ!」


「きっと素敵でしょうね」


「お母さまと一緒に、お洒落をしたいんですの!」


その言葉を聞いた瞬間、胸が温かくなりました。

わたくしは葵生を抱きしめました。


「ええ。戦争が終わったら、一緒にお洒落をしましょうね」


「あおい、とっても楽しみですわ!」


娘は無邪気に笑いました。

しかし、わたくしはその笑顔を見ながら、心の中で強く願っておりました。


どうか、この子が大きくなるまで、無事でいてくれますように。

この子が自分の好きなものを好きだと言える時代が、再び訪れますように。

そして、二人で交わした小さな約束を、いつか本当にかなえられますように。


⸻


終章 四兄弟が守りたかった未来


昭和二十年(1945)二月。


ある日、わたくしと光蔵兄様は、お父様の本家で顔を合わせました。

お父様とお母様は、いつものように縁側でお茶を飲んでいらっしゃいました。


「光蔵、春子。よく来たな」


「父上、今日は少し時間ができたから寄ってみたんだ」


光蔵兄様が穏やかに答えました。


「わたくしも、今日はお仕事が少し早く終わりましたの」


お母様が微笑まれました。


「まあ、よかったわね。二人とも、少しお休みなさい」


わたくしたちは縁側に腰を下ろしました。


しばらく世間話をした後、光蔵兄様が口を開きました。


「春子、最近は仕事の方はどう?」


「相変わらず忙しいですわ。兄様はいかがですの?」


「僕も忙しいよ。でも、最近は少し考え方が変わったんだ」


「まあ、どんなふうに?」


兄様は微笑みました。


「今の僕には、作りたいものを自由に作れないことも多い。でも、だからこそ、いつか本当に作りたいものを作れる日が来るまで、技術を大切にしようと思ってね」


わたくしは静かにうなずきました。


「素敵なお考えですわ」


「春子は?」


「わたくしは、助けられない患者さんが増えていることが悲しいんですの。でも、だからといって看護をやめるわけにはまいりませんわ」


「うん。春子らしいね」


わたくしは微笑みました。


「兄様も、昔から変わりませんわね」


「そうかな?」


「ええ。子どもの頃から、機械のことになると夢中になっていらっしゃいましたもの」


光蔵兄様は少し照れくさそうに笑いました。


「ははは。春子だって、昔から人のお世話をするのが好きだったじゃないか」


「ふふっ。そうですわね」


その会話を聞いていたお父様が、嬉しそうにおっしゃいました。


「おぬしらは、皆それぞれ違う道を選んだな。修蔵は鉄道、節子は教育、光蔵は機械、春子は看護。四人とも立派に自分の仕事を続けておる」


光蔵兄様が静かに答えました。


「でも父上、今はどの仕事も戦争に大きく影響されているよ」


「そうじゃな……」


「兄上の鉄道も、姉上の教育も、僕の機械も、春子の看護も、本当はもっと違う形で人の役に立てるはずなんだ」


「わたくしも、そう思いますわ」


お父様がゆっくりとおっしゃいました。


「おぬしらの仕事は、どれも人が生きていくために必要なものじゃ。鉄道は人と人を結び、教育は子どもを育て、機械は暮らしを便利にし、看護は命と健康を守る」


お父様は一人一人の顔をご覧になりました。


「戦争は、それらの仕事を本来とは違う方向へ向けてしまうことがある。しかし、仕事そのものの価値まで失われたわけではない」


光蔵兄様は深くうなずきました。


「だから、今は苦しくとも、自分が何のためにその道を選んだのかを忘れるでないぞ」


わたくしは微笑みました。


「はい、お父様」


そのとき、お母様が静かにおっしゃいました。


「あなた、わたくしは四人とも、本当に立派に育ったと思いますわ」


お父様は少し照れくさそうに笑われました。


「ははは。愛海、それはおぬしのおかげでもあるぞ」


「まあ、あなたったら」


お母様も笑いました。

わたくしと光蔵兄様も、思わず顔を見合わせて微笑みました。

その光景を見ていると、子どもの頃に戻ったような気がいたしました。


明治時代。わたくしたち四兄弟は、まだ小さな子どもでした。

お父様とお母様に守られ、将来の夢を語り合い、毎日を過ごしておりました。


修蔵兄様は鉄道が好きで、節子姉様は勉強と人に教えることが好きで、光蔵兄様は機械が好きで、わたくしは人のお世話をすることが好きでした。

あの頃の夢は、確かにかなっていたのです。


しかし、今は戦争のために、それぞれの仕事が苦しいものになっている。

それでも、わたくしたちは夢を捨てたわけではありませんでした。


やがて光蔵兄様が、お父様に尋ねました。


「父上、戦争が終わったら、またみんなで集まれるかな」


お父様は微笑まれました。


「もちろんじゃ。わしはその日を楽しみにしておる」


「僕もだよ」


わたくしも続けました。


「わたくしもですわ。戦争が終わったら、また家族みんなで楽しく過ごしたいですもの」


お母様が優しくうなずかれました。


「ええ。きっと、またそんな日が来ますわ」


窓の外には、冬の終わりを告げるような柔らかな日差しが差し込んでおりました。

その光を見つめながら、わたくしは心の中で祈りました。


どうか、戦争が終わりますように。

どうか、家族の誰も失わずに済みますように。

どうか、子どもたちが自由に夢を語れる時代が戻りますように。

そして、わたくし自身も、看護婦として再び多くの方を助けられるようになりますように。


しかし、その願いがどれほど切実なものであっても、戦争は容赦なく続いておりました。

東京への空襲は増え、町の人々は少しずつ危険を身近に感じるようになっていました。

わたくしたちが大切にしてきた家族の暮らしも、決して安全ではありませんでした。


それでも、わたくしたちは生きておりました。

修蔵兄様は鉄道を守り、節子姉様は子どもたちの未来を守り、光蔵兄様は人を幸せにする技術を守り、わたくしは人々の命と健康を守ろうとしておりました。


そして、お父様とお母様は、そんなわたくしたちのことを、いつも温かく見守ってくださっていました。


戦争が奪おうとしていたものは、わたくしたちが人生をかけて築いてきたものだったのです。

けれど、まだ失われてはいませんでした。

だからこそ、守り続けたい。

わたくしはそう思いながら、窓の外に広がる東京の空を見つめておりました。

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