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第五十六話 太平洋戦争の開戦

――昭和十六年(1941年)〜昭和十七年(1942年)――


語り手:神楽坂蔵之助


一 学校から消えた「尋常」の二文字


昭和十六年(1941)春。わしは七十七歳になっていた。

江戸時代に生まれ、明治維新を見届け、日清・日露の戦争を経験し、大正の自由な空気を味わい、昭和に入ってからは軍部の暴走を目の当たりにしてきた。


これほど長く生きておれば、世の中の変化には多少なりとも慣れるものじゃ。しかし、この年ほど、身近な日常そのものが別の何かに変わっていくように感じたことはなかった。


四月一日、それまでの尋常小学校が国民学校へと改められた。

わしの孫娘、加藤葵生が通っていた学校も例外ではなかった。


ある日の午後、葵生が春子に連れられて我が家へ遊びに来た。


「おじいさま! あおいの学校、お名前が変わったんですの!」


「ほう、何という名前になったんじゃ?」


「国民学校ですの! 先生が、これからは立派な少国民になるためにお勉強するんですって!」


葵生はいつもの純真な笑顔で答えた。

その言葉を聞き、わしは少しだけ胸が苦しくなった。


国民学校令によって、教育の目的は皇国の道に従い、国家を支える国民を育てることとされた。修身や国史をはじめとする教育にも、国家への奉仕や集団生活を重んじる色彩が一段と強まっていた。


「葵生、お勉強は楽しいか?」


「はい! でも、みんなでそろって動くお稽古が増えましたの。先生は、お国のために強くならなければいけないっておっしゃるんですのよ」


「そうか……」


「おじいさま?」


「いや、何でもない。葵生はまず、元気に育ってくれればよい」


葵生は不思議そうに首をかしげた。


隣で聞いていた春子が、わしの心情を察したように微笑んだ。


「お父様、わたくしも少し気になりますの。子どもたちがお勉強をするのは素晴らしいことですけれど、何もかもお国のためと言われますと…」


「うむ。学校は子どもが物事を学び、己の頭で考えるための場所じゃ。国家のために育つことばかり教えては、子ども自身の人生が見えなくなってしまう」


わしは葵生を見つめた。まだ七歳の幼い孫娘。

この子にとって学校とは、新しい知識を学び、友人と遊び、毎日を楽しむ場所であるべきじゃ。

その無邪気な笑顔に、戦争の影が差し込んでいるような気がしてならなかった。


二 米の配給と変わる食卓


その春、東京では米の割当配給制が本格的に始まった。

米は以前のように、欲しいだけ買えばよいというものではなくなった。通帳や切符によって、決められた量を受け取る仕組みが暮らしに入り込んだのである。


神楽坂家は比較的裕福な暮らしをしておったが、だからといって戦時の統制から逃れられるわけではない。


ある日、愛海が台所で米を確かめながらため息をついていた。


「あなた、昔はお米を買うだけでこんなに気を使うことはありませんでしたのにね」


「そうじゃな。わしが幼い頃は、米が不足することはあっても、国が一人一人の取り分を細かく決める暮らしではなかった」


「修蔵たちのお家も、これから大変になりますね」


「うむ。孫たちは育ち盛りじゃからな」


修蔵の家では義蔵たちが、節子の家では奈恵たちが、光蔵や春子の家でも、それぞれの家庭の食事を工夫するようになった。

特に子どもの多い家では、食べ盛りの若者と幼い子どもの分をどう配分するかが悩みになった。


ある日、四兄弟が集まった席で、節子が口を開いた。


「お父様、私、学校で子どもたちを見ていますけれど、お弁当の中身も少しずつ変わってきています。家庭によっては、もう随分と苦労しているようです」


「子どもに腹いっぱい食わせることも難しくなっていくのか…」


修蔵が低い声でつぶやいた。


光蔵も考え込んでいた。


「父上、工場でも材料の割当が厳しくなっている。生活に必要な品物より、軍需品を優先する動きがますます強くなっていくね」


春子は静かにうなずいた。


「わたくしの仕事でも、食事の大切さをお伝えしておりますの。でも、栄養を取るようにと申し上げても、肝心の食べ物が手に入らなければ…」


わしは四人の顔を見渡した。

子どもたちは皆、すでに四十歳前後から五十代に差しかかる立派な大人になっていた。


幼い頃にわしと愛海が食事を用意してやった子どもたちが、今度は自分の家族の食事を心配している。

その成長を誇らしく思うと同時に、こんな苦労を背負わせたくはなかった。


「皆、食べ物だけは粗末にするでないぞ。しかし、我慢することばかりが立派なのではない。困っている者がおったら助け合うんじゃ」


三 十一世帯の隣組と月に一度の常会


戦時体制は町内にも深く入り込んでいた。


前年に整備された隣組の制度によって、我々も近隣の世帯とまとまり、毎月一度、常会を開くようになっていた。


わしらの隣組は全部で十三世帯。


わしと愛海の本家、兄・寛之助と眞紀子の本家、わしの子ども四人がそれぞれ築いた四世帯、兄の子ども五人が築いた五世帯、合わせて神楽坂の両家に関係する九つの子世帯と、ほかの近隣二世帯を加えた、合計十三世帯である。


月に一度、各家の代表が集まり、配給の連絡、防空の心得、資源回収、貯蓄、町内の行事などを話し合った。

ある日の常会では、若い町内の役員が資料を読み上げていた。


「今後は各家庭で不要な物資をなるべく供出していただきます。また、防空訓練にも積極的に参加してください」


兄は腕を組んだまま話を聞いていた。

会が終わると、兄がわしのところへ寄ってきた。


「蔵之助、おぬしはどう思う?」


「隣組そのものは悪い仕組みではないと思います。昔から町内で助け合うことはありましたからな」


「うむ。だが、助け合いと監視は違うぞ」


兄の目は鋭かった。


「隣の家が何を食べた、何を持っておる、誰が何を言った。そのようなことまで見張るようになれば、町内は息苦しくなる」


「兄上の言う通りです」


わしは小さくうなずいた。


隣組は配給や防災を支える一方、互いの暮らしに干渉し、政府の方針に従っているかを見張り合う場にもなり得た。

わしら兄弟は、できる限り隣組を住民同士の助け合いの場として保とうと考えていた。


「わしらが生きてきた江戸の町にも、五人組のような仕組みがあった。人と人を結びつける制度は、時に人を縛る鎖にもなる」


兄はそう言い、帰り道を歩き始めた。


その背中を見ながら、わしは幼い頃の父・権兵衛の言葉を思い出していた。

人の上に立つ者は、権限を振りかざすよりも、まず人を守らねばならぬ。

父が生きておったなら、今の隣組をどう見たであろうか。


四 金属回収令と二振りの刀


昭和十六年(1941)八月、金属類回収令が公布された。

戦争に必要な金属を確保するため、国は使われていない金属製品などの回収を進めていった。

町内でも、不要な鍋や金属器具を差し出す話が増えていた。


そんなある日、修蔵が本家を訪ねてきた。


「父上、家にある古い金属製品も整理しておいた方がよさそうだな」


「そうじゃな。使っておらぬものなら、協力するのもよかろう」


「ただ…父上には、あの刀があるだろう」


わしは黙った。

あの刀。それは単なる武器ではなかった。


祖父・金右衛門と父・権兵衛から受け継がれた、神楽坂家の歴史そのものだった。

明治の廃刀令によって、父が腰から刀を外した日のことを、わしは今でも覚えている。

武士の時代が終わり、父が新しい時代へ進もうとした、あの日、刀は人を斬るための道具である以前に、わしにとっては祖父と父が生きた江戸時代を伝える形見だった。


「修蔵、あの刀は渡さん」


わしは静かに言った。


「父上……」


「軍需に金属が必要なのは分かる。しかし、あれは祖父と父が遺したものじゃ。わしが生きている限り、むやみに手放したくはない」


修蔵はしばらく考えていたが、やがてうなずいた。


「分かった。父上にとって、あれがどれだけ大切なものかは知っている」


わしは刀を丁寧に布で包み、人目につかない安全な場所へ移すことにした。


愛海は黙って手伝ってくれた。


「あなた、これでよろしいんですのね」


「うむ。いずれ戦争が終わったら、また皆に見せてやりたい」


「そのときには、葵生たちにもお父様とお祖父様のお話を聞かせてあげましょうね」


「そうじゃな」


金属回収の制度が直ちにすべての日本刀を対象としたわけではなかった。それでも、回収が拡大していく社会の空気の中で、わしは二振りを守っておきたかった。


祖父と父は、刀よりも命を大切にする人たちだった。

その二人の形見が、再び人を殺す道具として使われることだけは避けたかったのである。


五 近衛の新体制運動と東條英機


昭和十五年(1940)から進められていた近衛文麿の新体制運動は、翌十六年(1941)になっても政治や社会に大きな影響を与えていた。

大政翼賛会が成立し、従来の政党政治は大きく後退した。


国民が一体となって国家を支える。

そうした言葉が、新聞にも演説にも繰り返し現れるようになった。


しかし、その裏では政治家と軍部、陸軍と海軍、外交を重んじる者と開戦を急ぐ者の思惑が複雑に絡み合っていた。


十月、対米交渉の行き詰まりと陸軍の強硬姿勢をめぐって近衛内閣が総辞職し、東條英機が首相に就任した。

東條は陸軍大臣を兼ねたまま、新しい内閣を率いることになった。


わしは新聞を読みながら、深いため息をついた。


「兄上、とうとう東條が首相になりましたな」


兄はわしの向かいに座っていた。


「ああ。軍人が政治を動かすこと自体を悪いとは言わん。だが、軍人の理屈だけで国を動かせば危うい」


わしは長年陸軍に身を置いてきた。

軍隊に規律が必要なことも、非常時には迅速な判断が必要なことも理解している。


しかし、政治とは軍事だけではない。

国民の暮らし、外交、経済、教育、文化、そして人々の命。

それらを一つの軍事目的に従わせてしまえば、国家そのものが巨大な軍隊のようになってしまう。


「蔵之助、わしらが若い頃、明治政府も随分と強引な改革を進めた」


「ええ。しかし、あの頃は新しい制度を作るための苦労もあった」


「今は違う。積み上げてきたものを、自ら狭めておるように見える」


わしは兄の言葉を聞き、黙り込んだ。

大正時代、普通選挙や民衆の政治参加を語っていた人々は、今どのような思いでこの国を見ているのだろう。


六 ハル・ノートと遠ざかる和平


十一月、日米交渉は重大な局面を迎えた。

日本とアメリカの関係は、すでに厳しい対立の中にあった。

中国での戦争、南方への進出、対日石油輸出の停止。

どれも簡単に解決できる問題ではなかった。


そして十一月二十六日、アメリカ側からいわゆるハル・ノートが提示された。

中国や仏領インドシナからの日本軍の撤退などを含む提案であり、日本政府や軍部の指導者たちは、これを従来の方針と相いれないものと受け止めた。


交渉は事実上、行き詰まっていった。

その詳しい内容が一般家庭にすべて知らされていたわけではない。しかし、新聞の論調や軍部の動きから、わしらにも事態の深刻さは伝わってきた。


ある夕方、光蔵と幸丞が本家を訪ねてきた。


「父上、アメリカとの関係はどうなるのだろう」


光蔵が静かに尋ねた。


その隣で、すっかり成長した幸丞が口を開いた。


「お祖父様、俺は、戦争になれば日本の工業生産だけでは苦しくなると思います」


わしは幸丞を見た。


「なぜそう考える?」


「アメリカは工業力が非常に大きい国です。生産設備も資源も、日本とは規模が違います。短期間の戦いで終わらなかった場合、日本にどれほど勝算があるのか…」


「よく考えておるな」


光蔵もうなずいた。


「機械を作る仕事をしていると、資源と生産力がどれほど重要か分かる」


わしは二人の言葉を聞き、胸が重くなった。


日露戦争の時代ですら、戦争を続けるには莫大な費用と物資が必要だった。

それから三十年以上が過ぎ、航空機や戦車、艦船などの性能は飛躍的に進歩した。

現代の戦争は、兵士の勇敢さだけで勝てるものではない。


「もし戦争が始まれば、簡単には終わらんじゃろう」


わしはそう答えた。


「そして長引けば、犠牲になるのは兵士だけではない。国民すべてじゃ」


幸丞は黙ってうなずいた。


その顔には、幼い頃の少年らしさがまだわずかに残っていた。

わしはこの孫が、いつの間にか国家の行く末を考える青年へ成長していたことに気づかされた。


七 昭和十六年十二月八日


昭和十六年(1941)十二月八日、月曜日。

その朝の冷たい空気を、わしは生涯忘れることができなかった。


いつものように愛海と朝食の支度をしていると、ラジオから突然、臨時ニュースを告げる声が流れた。

わしは箸を置いた。


「……何じゃ?」


愛海も手を止めた。


ほどなく、帝国陸海軍が西太平洋でアメリカ・イギリス軍との戦闘状態に入ったことが伝えられた。


「…始まってしまったか」


わしは思わずつぶやいた。


「あなた……」


愛海の声が震えた。

わしは返事ができなかった。


日清戦争も、日露戦争も、わしは軍人として経験してきた。

しかし、今度の相手は違う。

世界有数の工業力を持つアメリカ、広大な植民地と海上交通網を持つイギリス。

日本は、あまりにも大きな相手との戦いに踏み込んだ。


やがて兄・寛之助が訪ねてきた。


「蔵之助!」


玄関から聞こえた兄の声は、いつになく険しかった。


「兄上…」


「聞いたか」


「ええ」


兄はわしの顔を見るなり、深く息を吐いた。


「とうとうやってしまったな」


わしは黙ってうなずいた。

三人はラジオの前に座った。


午前中には、開戦をめぐる情報が繰り返し伝えられ、正午近くには米英両国に対する宣戦の詔書も発せられた。

ラジオが伝える言葉は厳粛であった。

しかし、わしにはそれが国家の栄光を告げる声ではなく、非常事態の到来を知らせる声に聞こえた。


「兄上、わしらはまた戦争を見ることになりましたな」


「ああ。しかし、今度はわしらが前線へ行く年ではない」


兄は低い声で答えた。


「代わりに、子や孫が行く」


その言葉が胸に突き刺さった。


愛海は膝の上で手を握りしめていた。


「あなた、どうか…みんな無事でいてほしいですわ」


わしは妻の手を取った。


「愛海。わしも同じじゃ」


その手は、いつもより冷たかった。


八 真珠湾攻撃と四兄弟の衝撃


その日、ハワイの真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊の基地を、日本海軍が奇襲攻撃したことが次第に伝えられた。

やがて日本側の大きな戦果が報じられると、町には歓声が広がった。

新聞は大きな見出しで戦果を伝え、人々の間では、日本軍の勇敢さをたたえる声が相次いだ。


しかし、わしらの家では違っていた。

その日の夕方、四兄弟が本家へ集まった。


最初に口を開いたのは修蔵だった。


「父上…本当に始まってしまったな」


「ああ」


「俺は鉄道の仕事をしてきたから、戦争になれば輸送がどれほど重要になるかは分かる。しかし、これからどれだけの人間と物資が動員されるのか……」


節子も不安そうだった。


「お父様、学校でも開戦の知らせが大きな話題になりました。子どもたちは勝ったと喜んでいますけれど、私は喜んでばかりいられません」


「そうじゃな」


光蔵が静かに続けた。


「アメリカの艦隊に大きな損害を与えたとしても、それで戦争が終わるわけではない。むしろ、ここからが問題だと思う」


春子は少しうつむいていた。


「わたくし、看護のお仕事をしておりますと、戦争という言葉を聞いたとき、どうしても怪我をした方や亡くなる方のことを考えてしまいますの」


わしは春子を見つめた。


「春子、それでよい」


「お父様…?」


「戦争を語るとき、兵器や勝敗ばかり考えてはならん。その向こうに一人一人の命があることを忘れてはならんのじゃ」


春子は静かにうなずいた。


修蔵は腕を組み、節子は両手を膝に重ね、光蔵は考え込み、春子は悲しげに目を伏せた。

わしの四人の子どもたちは、それぞれ違う仕事をし、違う人生を歩んできた。

しかし、このときばかりは、全員が同じ不安を抱いているように見えた。


九 孫たちと曾孫の十二月八日


開戦の知らせは、孫たちの心にも異なる形で届いていた。


義蔵は鉄道関係の仕事に携わる者として、父・修蔵と同じように戦時輸送の拡大を考えていた。


「祖父上、今後は鉄道の仕事もさらに忙しくなると思います」


「そうじゃろうな。だが、義蔵。無理をするでないぞ」


「分かっています。ただ、俺たちが止まれば、生活物資の輸送にも影響が出ますから」


義蔵の真剣な表情に、修蔵の若い頃を思い出した。


奈恵は、母・節子と同じく、子どもや家庭への影響を心配していた。


「お祖父様、戦争が長く続いたら、小さな子どもたちはどうなってしまうのでしょう…」


「奈恵、今は皆で支え合うしかない」


「はい。私もできることをしてまいりますわ」


康弘は新聞を握りしめながら、険しい顔をしていた。


「祖父上、これから日本はどうなるのでしょうか」


「それは、わしにも分からん」


「そうですか…」


康弘は深く頭を下げた。

普段から厳格な父に対して礼を尽くしてきたこの孫は、わしに対しても姿勢を崩さなかった。

しかし、その表情には年相応の動揺が見えていた。


一方、大空は父・光蔵に向かって率直に尋ねていた。


「父さん、日本は本当にアメリカに勝てるの?」


光蔵は少し考えてから答えた。


「大空、戦争の勝ち負けは、最初の戦いだけでは決まらないんだ」


「そうだよね。僕も、そんなに簡単な話じゃないと思う」


わしは大空の顔を見た。


「大空、よく覚えておけ。勇敢であることと、無謀であることは違うんじゃ」


「うん。おじいちゃん」


日花梨は、いつもの明るさを少し失っていた。


「おじいちゃん、戦争になったら、みんな今までみたいに集まれなくなっちゃうのかな?」


「分からんな」


「そんなの嫌だわ。せっかくこんなに家族がいるんだもの」


その言葉に、愛海が優しく微笑んだ。


「そうね、日花梨。だからこそ、今こうして一緒にいられる時間を大切にしましょうね」


幸丞は静かに話を聞いていた。


「お祖父様、俺は戦争が長くならないことを願っています」


「わしもじゃ」


「ただ、もし自分にできることがあるなら、家族を守るために努力したいと思います」


「その気持ちを忘れるでないぞ」


そして、最も幼い孫娘の葵生は、まだ戦争の意味を十分には理解していなかった。


「あの…おじいさま」


「どうした、葵生?」


「あおい、学校で日本が戦争を始めたって聞きましたの」


「そうじゃな」


「先生は、日本が勝つようにみんなで頑張るんですっておっしゃったんですの。でも…」


葵生は少しだけ困った顔をした。


「戦争になったら、誰かが痛い思いをするんですの?」


その場が静まり返った。


春子が葵生の肩を優しく抱いた。


「そうね、葵生。悲しい思いをする方もいらっしゃるでしょうね」


「あおい、誰にも痛い思いをしてほしくありませんわ……」


わしは葵生の頭をそっとなでた。


「葵生。その気持ちは、決して忘れてはならんぞ」


「あおい、忘れませんわ」


そのとき、幼い曾孫の弘一が、わしの膝に近づいてきた。


「ひいじいちゃん!」


「おお、弘一。どうした?」


「おれも、みんなをまもる!」


まだ二歳の弘一には、戦争がどれほど恐ろしいものなのか分からない。

ただ、大人たちが何か大切な話をしていることだけは感じ取っていたのだろう。


わしは思わず笑みを浮かべた。


「そうか、弘一。立派じゃな」


「うん!」


その無邪気な笑顔を見た瞬間、胸の奥が痛んだ。

この子が大きくなる頃には、戦争など終わっていてほしい。ただ、それだけを願った。


十 勝利の知らせと消えない不安


昭和十六年十二月から翌十七年(1941〜42)にかけて、日本軍は南方各地で進撃を続けた。

香港が陥落し、マレー半島での作戦が進み、フィリピンや蘭印方面にも戦火が広がった。

昭和十七年(1942)二月には、イギリスの重要拠点であったシンガポールが日本軍に降伏した。


新聞は連日のように日本軍の勝利を報じた。

町では国旗が掲げられ、人々は戦果を喜び、これで戦争も早く終わるのではないかと期待していた。


ある日、近所の男性がわしに話しかけてきた。


「神楽坂さん! 日本軍はすごいですなあ! この勢いならアメリカにも勝てるんじゃありませんか!」


わしはすぐには答えなかった。


「勝っておるのは結構なことじゃ。しかし、戦争は始まったばかりですぞ」


「いやあ、元陸軍の神楽坂さんは慎重ですな!」


男性は笑いながら去っていった。


わしはその背中を見送り、深くため息をついた。

確かに、開戦当初の日本軍は各地で大きな戦果を上げていた。

しかし、勝利の知らせが増えるほど、わしの不安も大きくなっていった。


戦線が広がれば、それだけ補給が必要になる。

占領地域が増えれば、それを維持するための兵力も必要になる。

そして何より、アメリカの本格的な工業力が戦争に投入されたとき、日本はどうなるのか。


兄も同じことを考えていた。


「蔵之助、今の勝利が、かえって危ういと思わんか?」


「ええ。勝てば勝つほど、戦争を終わらせる機会を失うかもしれん」


「わしらが若い頃、日清戦争や日露戦争では、勝ったからといって何もかも望み通りになったわけではなかった」


「その通りです。勝利と和平は別の問題ですからな」


兄は窓の外を眺めた。


「今の日本には、勝つことだけでなく、どこで戦争を終わらせるかを考える者が必要じゃ」


わしは深くうなずいた。


十一 翼賛選挙と狭まる政治の自由


昭和十七年(1942)四月三十日、衆議院議員総選挙が行われた。世にいう翼賛選挙である。


戦争遂行を支える政治体制を確立するため、翼賛政治体制協議会が候補者の推薦を行い、推薦候補が大きく優勢となった。

ただし、すべての候補者が推薦を受けたわけではなく、非推薦候補にも当選者はいた。

それでも、従来の自由な政党政治とは大きく異なる選挙であった。


わしは新聞を眺めながら、明治初期の自由民権運動を思い出していた。

あの頃、国会を開け、国民の声を政治に反映させよと訴えた人々がいた。

明治二十三年(1889)には帝国議会が開設され、大正時代には普通選挙法も成立した。

何十年もかけて広がってきた政治参加の道が、戦争の名の下に狭められている。


「父上、どう思う?」


修蔵が尋ねた。


「わしはな、修蔵。明治の頃、国会ができたときのことを思い出しておった」


「父上はあの時代を知っているからな」


「うむ。わしらの若い頃には、国民が政治に参加すること自体が大きな変化だった。それが今では、国家の方針に従うことばかり求められておる」


節子も静かに言った。


「お父様、私たちが大正時代に感じていた自由な空気は、随分遠くなってしまいましたね」


「そうじゃな…」


わしは新聞を折りたたんだ。


江戸時代には、そもそも国民が選挙で政治家を選ぶ制度などなかった。

明治に生まれた議会政治は、大正を経て少しずつ発展してきた。


しかし、それが永遠に続くとは限らない。

人が努力して築き上げた制度も、時代の流れによって失われることがある。

それを、わしは七十八歳になって改めて思い知らされていた。


十二 江戸生まれの老人と、昭和生まれの幼子


昭和十七年(1942)の春。

わしは庭先で、葵生と弘一が遊ぶ姿を眺めていた。


葵生は弘一の手を引きながら、楽しそうに話していた。


「弘一ちゃん、こちらのお花、とっても綺麗ですわね!」


「うん! おれ、こっちも好き!」


「まあ! こちらにも咲いておりますわ!」


二人の笑い声が、春の庭に響いていた。

その光景を見ていると、戦争など遠い世界の出来事のように感じられた。


しかし、新聞を開けば戦争の話ばかり。

ラジオをつければ勝利の報告が流れ、町では防空や供出の呼びかけが続いている。


わしはふと、祖父・金右衛門のことを思い出した。

幼い頃、祖父は江戸の武士として生きた時代のことを話してくれた。

父・権兵衛は、武士の身分を失いながらも、時代の変化を受け入れて生きようとした。

母・志帆は、明治から昭和までの長い年月を生き抜き、わしら家族の成長を見守ってくれた。


そして今、わしはその人々から受け継いだ命を、さらに先の世代へつないでいる。


「おじいさま!」


葵生が駆け寄ってきた。


「どうした?」


「あおい、これをおじいさまに差し上げますわ!」


小さな手には、庭に咲いていた一輪の花が握られていた。


「ほう、綺麗じゃな」


「おじいさま、いつも難しいお顔をなさっておりますもの。お花を見たら、きっと元気になりますわ!」


わしは思わず笑った。


「ははは。葵生にはかなわんな」


「あおい、おじいさまにはずっと笑っていてほしいんですの!」


その言葉を聞き、わしは葵生をそっと抱き寄せた。


「ありがとうな、葵生」


「うふふ!」


少し離れたところで、弘一が元気よく手を振っていた。


「ひいじいちゃん! おれも!」


「おお、弘一も来るか!」


二人の幼い子どもたちが、わしのそばへ集まってきた。


わしはその頭をなでながら、空を見上げた。

青い空。

春の暖かな風。

庭に咲く花。

それらは、わしが江戸時代に生まれた頃から何一つ変わっていないように思えた。


しかし、人間の世界は大きく変わってしまった。

わしが生まれた頃、日本はまだ徳川幕府の時代だった。

明治維新を経て近代国家となり、鉄道が走り、電灯がともり、国会が開かれ、飛行機が空を飛ぶようになった。

そして今、その飛行機が海を越え、遠い国の人々に爆弾を落としている。


技術が進歩することと、人間が幸福になることは、必ずしも同じではない。

そんなことを考えていると、愛海が縁側から声をかけてきた。


「あなた、お茶が入りましたよ」


「おお、今行く」


愛海の隣には兄・寛之助が座っていた。

わしは葵生と弘一の手を取り、ゆっくりと縁側へ向かった。


江戸時代を知るわしら兄弟。

明治に生まれた愛海。

大正を経て成長した子どもたち。

そして、昭和に成長した孫と曾孫たち。

これほど多くの時代を生きた家族が、今、同じ空の下にいる。


わしは心の中で静かに誓った。

この子たちに、わしらが経験してきた戦争の苦しみを背負わせたくはない。


軍人として生きてきたわしが、老いた今でもできることがあるとすれば、それは戦争を美化することではなく、人の命の尊さを伝えることじゃ。


たとえ世の中がどれほど戦争に熱狂しようとも。

たとえ日本軍がどれほど勝利を重ねようとも。

わしは、この家族の笑顔を守りたい。

その願いだけは、何があっても変わらなかった。


たが、大東亜戦争は、まだ始まったばかりだった。

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