第五十話 ニ・ニ六事件と軍人会の引退
一 雪の降る朝
昭和十一年(1936)二月二十六日。
その朝、東京には雪が降り積もっていた。
わしは七十一歳。あと半月ほどで七十二歳になる。
元治元年(1864)に生まれ、江戸幕府の終焉から明治維新、日清・日露戦争、第一次世界大戦を経て、今では軍籍を離れた老人となっていた。
それでも、在郷軍人会の東京府支部では理事を続けていた。
いつものように朝食を終えた頃、玄関が騒がしくなった。
「父上!大変なことになった!」
駆け込んできたのは修蔵だった。
「何じゃ、修蔵。朝からどうした」
「東京で軍が動いている。首相官邸や陸軍省の辺りが兵隊に占拠されたらしい!」
わしは立ち上がった。
「何じゃと!?」
修蔵は息を整えた。
「青年将校たちが兵を率いて、政府の要人を襲ったそうだ」
「まさか…」
わしの頭に、四年前の五・一五事件が浮かんだ。
犬養毅首相が海軍の青年将校らに殺害された事件である。
その後、わしは軍人会で何度も警告してきた。
政治への不満を暴力で解決してはならぬ。
軍人が独断で国家を動かしてはならぬ。
しかし、その言葉は届かなかったのか。
「修蔵、詳しいことは分かるか?」
「まだ情報が混乱している。でも、相当大きな事件らしい」
愛海が心配そうに近づいてきた。
「あなた、外へ出てはいけませんよ」
「分かっておる」
わしは窓の外を見た。
雪は静かに降り続いていた。
その白い東京のどこかで、日本の軍隊が日本の政府に銃を向けている。
わしは背筋が冷たくなるのを感じた。
二 殺された重臣たち
時間が経つにつれ、事件の全貌が少しずつ明らかになった。
陸軍の皇道派に共鳴する青年将校たちが、約千五百人の兵を率いて決起したのである。
彼らは「昭和維新」を掲げ、政治や軍の上層部を一新しようとしていた。
襲撃されたのは、首相官邸や政府の重臣たちの私邸だった。
斎藤実内大臣。
高橋是清大蔵大臣。
渡辺錠太郎陸軍教育総監。
この三人が殺害された。
鈴木貫太郎侍従長も銃撃され、重傷を負った。
岡田啓介首相については死亡したとの情報まで流れたが、後に生存が確認された。首相と間違えられて殺されたのは、義弟で秘書官の松尾伝蔵だった。
「高橋是清まで…」
わしは新聞を握り締めた。
高橋は昭和恐慌からの立て直しに力を尽くした人物だった。
最近では軍事費の膨張を抑えようとして、軍部との対立を深めていた。
その高橋が、自国の軍人に殺された。
「何ということじゃ…」
わしは椅子に腰を下ろした。
さらに、渡辺錠太郎が殺されたことも衝撃だった。
陸軍教育総監という、軍人の教育に深く関わる立場の人物である。
「軍人が…軍人を殺したのか……」
かつての戦友たちの顔が浮かんだ。
戦場で敵兵と戦うことと、自国の政治的な対立を理由に同胞を殺すことは、まったく違う。
わしは声を震わせた。
「軍の規律は、いったいどこへ行ってしまったのじゃ……」
三 戒厳令下の東京
翌二月二十七日。東京に戒厳令が施行された。
正確には、戒厳令の必要な規定を適用するという形だったが、東京の人々にとっては、軍の統制が日常に入り込む異常事態だった。
反乱部隊は永田町や三宅坂周辺などを占拠し、首相官邸、陸軍省、参謀本部の周辺では緊張が続いた。
わしの家でも、外出を最小限にすることにした。
警護を担当していた者たちには、家族の所在を確認してもらった。
「修蔵、節子、光蔵、春子。皆、無事じゃな?」
わしは電話や使いの者を通じて確認した。
修蔵からは、鉄道の運行にも混乱が生じているという話が届いた。
節子は学校や子どもたちの安全を気にかけていた。
光蔵は家族を家の中に集め、外出を控えていた。
春子は、訪問看護を必要とする患者たちを心配していた。
「お父様、どうしても診て差し上げたい方がいらっしゃるんですの」
電話越しの春子の声は真剣だった。
「春子、気持ちは分かる。じゃが、今は危険じゃ」
「ええ。分かっておりますわ」
「お前自身が無事でなければ、患者を助けることもできぬ」
しばらく沈黙があった。
「……そうですわね。関係者の方と連絡を取り、安全を確かめてから動くことにいたします」
「うむ。それがよい」
春子は、いつも人の命を第一に考える娘だった。
しかし、今回ばかりは、その優しさが危険を招くことも恐ろしかった。
数年前、わしの政治的な発言を理由に脅迫状が届いて以来、春子には専属の護衛をつけていた。
その判断が、今ほど重く感じられたことはなかった。
四 軍人会の仲間たち
二・二六事件が起こると、軍人会の仲間たちからも連絡が相次いだ。
わしの周囲には、軍の政治介入に反対する元軍人たちがいた。
周囲から「神楽坂派」と呼ばれるようになった者たちである。
もっとも、正式な派閥ではない。
皇道派でも統制派でもなく、軍紀と政治の秩序を守るべきだと考える非公式な集まりだった。
ある元将校が、電話で言った。
「神楽坂閣下、とうとう恐れていたことが起こりました」
「うむ…」
「青年将校たちは、国家を救うための行動だと主張しているようです」
わしは低く答えた。
「国家を救うために、国家の重臣を殺すというのか」
「まったくです」
「しかも、命令に従って動いた兵士たちの中には、決起の本当の目的を十分に知らされておらぬ者もおるじゃろう」
わしは拳を握った。
「若い兵士たちを、政治的な野心のために使ってはならぬ」
相手は静かに頷いたようだった。
「閣下、我々にできることはありませんか」
わしは考えた。
今のわしに、反乱部隊へ命令を出す権限はない。
軍籍を離れた老人が勝手に現場へ乗り込めば、かえって混乱を招く。
「まずは、軍の正式な命令系統による収拾を待つことじゃ。わしらが別の武装集団を作るようなことは、決してしてはならぬ」
「承知しました」
「そして、若い兵士たちが無用に命を落とさぬことを祈ろう」
電話を置いた後、わしは深く息を吐いた。
神楽坂派と呼ばれた者たちも、今では事件を止める力を持っていない。
わしは、自分の無力さを痛感していた。
五 兄との電話
その日の午後、兄の寛之助から電話があった。
「蔵之助、無事か」
「ええ、兄上。こちらは大丈夫じゃ」
「家族もか」
「皆、無事じゃ。兄上のところは?」
「わしの家も大丈夫じゃ」
兄は七十三歳になっていた。
かつて海軍の将官として長く勤務し、今も海軍関係の退役軍人たちと交流を続けていた。
「兄上、とうとう陸軍がこのようなことを…」
わしが言うと、兄は静かに答えた。
「蔵之助、お前が責任を一人で背負う必要はない」
「しかし、わしは陸軍中将だった男です」
「それは知っておる。だが、今回の事件を起こしたのは、お前ではない」
「……」
「わしらは長い間、軍人として国に仕えてきた。だからこそ、軍の誤りを見過ごしてはならぬ」
わしは頷いた。
「そうですな」
兄は少し声を落とした。
「海軍も、この事件を重大なものとして受け止めておる。陸海軍が対立して、さらに大きな流血になることだけは避けねばならぬ」
「ええ」
「蔵之助、今は家族を守れ」
その言葉に、わしは目を閉じた。
「…分かった、兄上」
江戸時代から共に生きてきた兄弟が、昭和の東京で自国の軍隊による反乱を案じている。
わしは、その現実が信じられなかった。
六 天皇の怒りと鎮圧への道
事件の発生後、陸軍内部では対応をめぐって混乱が続いた。
青年将校たちの主張に一定の理解を示す者もおり、当初から全員が一致して厳しい態度を取ったわけではなかった。
しかし、昭和天皇は重臣の殺害に強い怒りを示し、反乱の速やかな鎮圧を求めた。
その意思が伝わるにつれ、軍の対応も変わっていった。
二月二十八日には、決起部隊を反乱軍として扱う方針が明確になった。
わしは報道を追いながら、静かに呟いた。
「ようやく、鎮圧へ向かうのか…」
しかし、安心はできなかった。
反乱部隊には多くの兵士がいた。
鎮圧する側にも兵士がいる。
もし市街地で本格的な戦闘になれば、日本の兵士同士が殺し合うことになる。
「どうか、銃撃戦にならないでくれ…」
わしは祈るような気持ちだった。
翌二月二十九日。
反乱部隊に対して、帰順を呼びかける動きが強まった。
兵士たちへ、元の部隊へ戻るよう伝えられた。
軍は反乱部隊を包囲し、投降を促した。
そして、兵士たちは次第に帰隊し、事件は収束へ向かった。
わしは、その知らせを聞いて長く息を吐いた。
「終わったか……」
愛海が隣に座った。
「あなた、よかったですね」
「うむ。大規模な戦闘にならずに済んだことは、せめてもの救いじゃ」
しかし、喜ぶことはできなかった。
すでに何人もの人が殺されていた。
そして、国家の中心で軍人による反乱が起こったという事実は、消えることがなかった。
七 雪の東京に残されたもの
事件が収束した後も、東京には重苦しい空気が残っていた。
人々は新聞を読み、事件について語り合った。
「軍隊が首相官邸を占拠したらしい」
「大臣が何人も殺されたそうだ」
「また同じことが起こるのではないか」
不安は簡単には消えなかった。
わしも、軍人会の関係者から事件の後始末について話を聞いた。
反乱に加わった将校たちは拘束され、厳しい責任追及が進められることになった。
しかし、わしの心には別の疑問が残っていた。
「なぜ、ここまで来る前に止められなかったのか…」
張作霖爆殺事件。
満州事変。
五・一五事件。
そして、二・二六事件。
軍の独断と政治的な暴力は、何度も問題になっていた。
そのたびに、わしは警告してきた。
しかし、ついに東京の中心で大規模な反乱が起こってしまった。
わしは書斎に座り、昔の軍服を見つめた。
「わしが信じてきた軍紀とは、何だったのじゃろうな……」
軍隊には命令系統がある。
規律がある。
責任がある。
そのはずだった。
だが、国家を救うという名目で命令に背き、政府の要人を殺害する者たちが現れた。
「軍人の誇りを、取り違えてはならぬのに……」
わしは静かに呟いた。
八 七十二歳の誕生日
三月十四日。わしは七十二歳になった。
前年までなら、誕生日には家族が集まり、賑やかに祝ってくれた。
しかし、今年は少し違った。
二・二六事件の衝撃が、まだ家族の心に残っていたからである。
それでも、修蔵、節子、光蔵、春子は顔を揃えてくれた。
「父上、誕生日おめでとう」
修蔵が言った。
「おめでとう、父上」
節子も微笑んだ。
「父上、これからも元気でいてほしいな」
光蔵が続けた。
「お父様、お誕生日おめでとうございますわ」
春子は丁寧に頭を下げた。
わしは四人を見つめた。
「ありがとう。お前たちに祝ってもらえて、嬉しいぞ」
しかし、修蔵は真剣な顔をしていた。
「父上、今日は一つ、話しておきたいことがある」
「何じゃ?」
「軍人会のことだよ」
わしは黙った。
修蔵は続けた。
「父上はもう七十二歳だ。軍籍を離れてからも、ずっと軍人会の仕事を続けてきただろう」
「うむ」
「でも、もう十分じゃないか?」
節子も頷いた。
「父上、私もそう思うわ。父上の意見は立派だと思うけれど、今の時代では命の危険もあるもの」
光蔵は静かに言った。
「僕も心配なんだ。父上だけじゃなく、母上や僕たちの家族まで巻き込まれるかもしれないからね」
春子は目を潤ませていた。
「お父様…どうか、これからはご自分のためにも生きてくださいませ」
わしは四人を見つめた。
そして、静かに頷いた。
「……実は、わしも同じことを考えておった」
四人が顔を上げた。
「二・二六事件を見て、決心したのじゃ」
わしは続けた。
「今月末をもって、在郷軍人会の理事を退こうと思う」
部屋が静かになった。
やがて、愛海が微笑んだ。
「あなた…」
「軍人として、できることはしてきたつもりじゃ。じゃが、これ以上、家族を危険にさらすわけにはいかぬ」
わしは四人を見渡した。
「これからは、夫として、父として、祖父として生きる時間を大切にしたい」
修蔵は深く頷いた。
「父上、それでいいと思う」
節子も微笑んだ。
「私も賛成だわ」
光蔵は安心したように息を吐いた。
「よかったよ、父上」
春子は涙を拭いながら笑った。
「ありがとうございます、お父様」
わしは静かに微笑んだ。
九 兄もまた引退を決める
数日後、わしは兄の寛之助を訪ねた。
「兄上、少しお話がある」
「何じゃ、蔵之助」
わしは、三月末で軍人会の役職を退くことにしたと伝えた。
兄は驚かなかった。
ただ、静かに頷いた。
「そうか…」
「二・二六事件が、最後の決め手になりました」
「うむ」
「わしは、もう七十二歳、家族のことも考えねばならぬ」
兄はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「蔵之助。実は、わしも同じことを考えておった」
「兄上も?」
「うむ。わしも七十三歳じゃ。海軍関係の退役軍人たちとの活動を、そろそろ終えようと思っておった」
わしは驚いた。
「では…」
「お前と同じ三月末で、役職から退こうと思う」
わしは兄を見つめた。
「兄上…」
兄は少し笑った。
「わしらは、随分と長く軍人として生きてきたものじゃな」
「ええ」
「お前が陸軍、わしが海軍。若い頃は、互いに競い合うように軍の道を進んだ」
わしは頷いた。
「懐かしいですな」
「そして今、二人揃って軍人会からも退くことになる」
兄は遠くを見つめた。
「これも、人生の区切りというものじゃろう」
わしは静かに答えた。
「そうですな、兄上」
十 軍人になった日の記憶
兄との話の後、わしは昔のことを思い出していた。
幼い頃、わしは父の権兵衛から武士の話を聞いて育った。
祖父の金右衛門は、江戸時代の武士としての誇りを強く持っていた。
しかし、明治維新によって武士の時代は終わった。
廃刀令が出され、父は刀を差して歩くこともなくなった。
それでも、わしは軍人の道を選んだ。
陸軍幼年学校を目指し、士官学校で学び、やがて陸軍少尉となった。
兄は海軍兵学校へ進み、わしより先に海軍少尉となっていた。
「兄上、覚えておられるか。わしらが将来のことを話した日のことを」
わしが尋ねると、兄は笑った。
「もちろんじゃ。お前は陸軍へ、わしは海軍へ進むと言ったな。まさか、二人とも将官になるとは思わなかった」
「わしもです」
わしらは笑った。
若い頃のわしは、軍人として国を守ることを誇りに思っていた。
日清戦争では、初めて本格的な戦場を経験した。
日露戦争では、近代戦の恐ろしさを知った。
世界戦争では、機関銃、砲兵、航空機、毒ガスなど、戦争の姿が大きく変わっていくのを見た。
そして、陸軍中将にまで昇った。
「長い道のりでしたな…」
わしが呟くと、兄は頷いた。
「うむ。わしらの軍人人生は、明治という時代そのものと重なっておった」
「そうですな」
しかし、その軍人としての誇りは、今の軍の暴走を正当化するものではなかった。
むしろ、長く軍人として生きたからこそ、今の軍の姿を悲しく思うのだった。
十一 軍人会での最後の挨拶
三月末。わしは在郷軍人会の会合に出席した。
この日が、理事として最後の会合だった。
長年の仲間たちが集まっていた。
わしはゆっくりと立ち上がった。
「諸君。本日をもって、わしは理事の職を退くことにした」
会場が静かになった。
「神楽坂閣下、本当にお辞めになるのですか?」
一人が尋ねた。
「うむ。七十二歳になった。そろそろ若い者に任せる時期じゃ」
別の会員が言った。
「閣下がいなくなれば、我々はどうすればよいのでしょうか」
わしは静かに答えた。
「わしがいなくなっても、自分で考えることをやめてはならぬ」
会場は静まり返った。
「軍人会は、軍人としての経験を社会に生かすための場所でもある。じゃが、軍の行動を何でも正しいとする場所になってはならぬ」
わしは続けた。
「軍人としての誇りとは、命令に従うことだけではない。命令を出す者が、自らの責任を忘れぬことでもある」
何人かが深く頷いた。
「わしは、戦場で多くの兵士を見てきた。勇敢な者も、臆病な者も、家族を思って涙を流す者もおった」
わしはゆっくりと会場を見渡した。
「皆、人間じゃった」
しばらく沈黙が続いた。
「どうか、そのことを忘れないでほしい」
わしは深く頭を下げた。
「長い間、世話になった。ありがとう」
会場から拍手が起こった。
わしは静かに席へ戻った。
これが、軍人会の理事としての最後の挨拶だった。
十二 兄弟の最後の軍人会
同じ頃、兄の寛之助も海軍関係の退役軍人たちの活動から退いた。
兄は長年の仲間たちに別れを告げ、静かに役職を後進へ譲ったという。
数日後、わしらは再び顔を合わせた。
「兄上、お疲れさまでした」
「お前もな、蔵之助」
わしらは笑った。
「これで、わしらは本当に軍人会からも離れましたな」
「そうじゃな」
兄は少し寂しそうだった。
「長い人生じゃった」
「ええ」
わしらは、しばらく昔の話をした。
幼い頃の江戸の町。
明治初期の学校。
軍人を志した少年時代。
それぞれの軍で経験した戦争。
将官となった日のこと。
そして、軍を離れた後の生活。
「兄上、わしらは随分と遠くまで来ましたな」
わしが言うと、兄は頷いた。
「うむ。江戸時代に生まれた兄弟が、昭和十一年(1936)まで生きておるのじゃからな」
わしは笑った。
「しかも、二人とも軍人会を引退するまで生きました」
「ははは。そうじゃな」
兄は静かに続けた。
「蔵之助、これからは家族との時間を大切にしようではないか」
「ええ、兄上」
わしは深く頷いた。
「わしも、そうするつもりじゃ」
十三 軍人ではない自分
四月になった。
わしは、久しぶりに軍人会の予定がない朝を迎えた。
目を覚ましても、会合へ出かける支度をする必要がない。
誰かに意見を求められることもない。
ただ、静かな朝があるだけだった。
「あなた、おはようございます」
愛海が微笑んだ。
「うむ。おはよう」
「今日は何をなさるのですか?」
わしは少し考えた。
「……何も決めておらぬ」
愛海は笑った。
「まあ。それもよろしいのではありませんか?」
わしは苦笑した。
「軍人として長く生きてきたせいか、予定がないと落ち着かぬのう」
「ふふふ。これからは、少しずつ慣れてくださいませ」
わしは庭へ出た。
春の花が咲いていた。
遠くから、子どもたちの声が聞こえる。
わしは静かに空を見上げた。
軍人としての人生は、終わった。
軍人会での活動も、終わった。
しかし、わしの人生そのものが終わったわけではない。
わしには愛海がいる。
修蔵、節子、光蔵、春子がいる。
孫たちがいる。
そして、九十歳を超えた母の志帆と、七十三歳の兄の寛之助もいる。
わしは、まだまだ家族とともに生きていくことができる。
「これからは、何をして過ごそうかのう…」
わしは小さく呟いた。
そのとき、春子が訪ねてきた。
「お父様、おはようございますわ」
「おお、春子」
「今日はお時間がおありでしょう?」
「うむ。何も予定はないぞ」
春子は嬉しそうに微笑んだ。
「でしたら、久しぶりに葵生に会いにいらっしゃいませんか?」
わしは笑った。
「それはよいのう」
「葵生も、もう二歳になりましたのよ」
「そうじゃったな」
わしは微笑んだ。
「では、今日は孫に会いに行くとしよう」
春子は嬉しそうに笑った。
「ええ、お父様」
わしは帽子を手に取った。
軍人会へ向かうためではない。
孫に会うために、家を出るのだった。
十四 現役武官制の復活
しかし、軍人会を引退した後も、日本の政治は軍部の影響を強く受け続けていた。
昭和十一年(1936)五月。
広田弘毅内閣の下で、軍部大臣現役武官制が復活した。
陸軍大臣と海軍大臣には、現役の大将または中将が就任するという制度である。
この制度は明治三十三年(1900)に導入され、大正二年(1913)に現役限定が緩和されていた。
それが、二・二六事件の後に復活したのである。
わしは新聞を読み、深く考え込んだ。
「また、軍の政治への影響力が強まるのか…」
愛海が尋ねた。
「あなた、どういうことなのですか?」
「陸軍大臣や海軍大臣になれる者を、現役の将官に限るということじゃ」
「それが、なぜ問題なのですか?」
わしは説明した。
「軍が大臣となる人物を出さなければ、内閣を作ることが難しくなる。場合によっては、内閣そのものを行き詰まらせる力にもなり得るのじゃ」
愛海は険しい顔をした。
「それでは、軍が政治を左右することになりませんか?」
「そうじゃ。そこが恐ろしい」
制度の復活には、二・二六事件後に予備役へ移された将官たちを軍部大臣から遠ざけるという事情もあった。
しかし、現役の将官に資格を限ることは、軍の人事権と内閣の成立を強く結びつけることにもなる。
わしは新聞を畳んだ。
「軍人会を退いたばかりじゃというのに、また心配事が増えたのう……」
愛海は静かに言った。
「あなた、もう無理はなさらないでください」
「分かっておる」
しかし、心の中では思っていた。
わしが軍人会を引退したからといって、軍の問題が消えるわけではない。
むしろ、これからさらに大きな問題が起こるのではないか。そんな不安が、胸の奥に残っていた。
十五 軍人の誇りを胸に
その夜、わしは書斎で昔の軍服を眺めていた。
陸軍中将として着ていた軍服。
数十年にわたる軍人人生の記憶が、その一着に詰まっていた。
わしは静かに手を伸ばした。
「長い間、世話になったのう……」
軍服は何も答えなかった。
しかし、わしには、そこに若い頃の自分がいるように思えた。
陸軍幼年学校を目指した少年。
士官学校で学んだ青年。
初めて戦場へ向かった将校。
家族のもとへ帰った父親。
陸軍中将となった老兵。
そして、軍の暴走を止められずに苦しんだ老人。
そのすべてが、わし自身だった。
わしは軍人としての人生を後悔しているわけではない。
多くの仲間と出会い、学び、働いてきた。
しかし、軍人としての誇りがあるからこそ、軍の過ちを忘れてはならないと思っていた。
「わしは、軍人であったことを恥じぬ」
わしは静かに呟いた。
「じゃが、軍人であったからこそ、軍の誤りを見過ごすこともできぬ」
窓の外には、春の夜空が広がっていた。
昭和十一年(1936)。
七十二歳になったわしは、軍人会からも引退した。
兄の寛之助も、同じ時期に退いた。
江戸時代に生まれ、明治の軍隊で育ち、大正を経て昭和まで生きた兄弟。
その長い軍人としての歩みは、ここで一つの終わりを迎えた。
しかし、日本の軍部は、さらに強い力を持ち始めていた。
わしは軍服を丁寧にしまった。
そして、机の上に置かれた家族の写真を手に取った。
「これからは、お前たちを守るために生きよう」
わしは静かに微笑んだ。
軍人としての人生は終わった。
だが、父として、祖父として、そして一人の人間としての人生は、まだ続いていた。




