↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
54/71

第四十九話 大正・昭和初期の文学

一 書棚の前の午後


昭和九年(1934)の秋。わしは七十歳になっていた。

古希の祝いから半年ほどが過ぎ、三月に生まれた末孫の葵生も、すくすくと育っていた。


ある日の午後、わしは書斎で古い本を整理していた。

明治時代に買った本、大正時代に読んだ小説、新聞の切り抜き、文学雑誌。

気がつけば、書棚には随分と多くのものが並んでいた。


「父上、随分と本が増えたね」


声をかけてきたのは光蔵だった。


「おお、光蔵。来ておったのか」


「うん。春子たちも一緒だよ」


振り返ると、春子、奈恵、日花梨、幸丞が部屋に入ってきた。


「お父様、今日は皆で昔の本を見せていただこうと思いましたの」


春子が微笑んだ。


「そうか。よいぞ」


奈恵は書棚を眺めた。


「お祖父様、随分と古い本もありますね」


「うむ。明治の頃から集めておるからのう」


日花梨は目を輝かせた。


「お祖父様、面白いお話の本もある?」


「もちろんじゃ」


幸丞は少し真面目な顔で尋ねた。


「お祖父様、医学の本もありますか?」


「医学か。専門的なものは少ないが、偉人の伝記ならあるぞ」


「本当ですか!」


わしは笑った。


「まあ、今日は皆で文学の話でもしようではないか」


こうして、神楽坂家の小さな文学談義が始まった。


二 自然主義と反自然主義


最初に話題となったのは、明治末期の文学だった。


「お祖父様、自然主義って何ですか?」


奈恵が尋ねた。


「うむ。簡単に言えば、人間の生活や感情を、できるだけありのままに描こうとする文学の流れじゃ」


わしは書棚から一冊の本を取り出した。


「明治の終わり頃、島崎藤村の『破戒』や田山花袋の『蒲団』などが大きな話題になった」


光蔵が頷いた。


「人間の弱さや欲望まで描くようになったんだね」


「そうじゃ。それまでの理想化された人物像とは違い、人間の内面を赤裸々に描く作品が増えた」


春子は少し考えた。


「人間の本当の姿を描こうとしたのですわね」


「うむ。しかし、そのような自然主義に反発する作家たちも現れた」


わしは続けた。


「それが反自然主義と呼ばれる流れじゃ」


森鷗外や夏目漱石のように、人間の精神や知性、倫理を深く考える作家たち。

また、耽美派と呼ばれる作家たちは、美や芸術そのものを重視した。


谷崎潤一郎の作品なども、その代表として語られることが多かった。


「谷崎潤一郎…」


春子が呟いた。


「私、以前に読んだことがございますわ」


「ほう」


「文章がとても美しいと思いましたけれど、人間の欲望や美への執着が強く描かれていて、少し驚きましたの」


わしは頷いた。


「文学とは、人間のさまざまな面を描くものじゃからな」


日花梨が首を傾げた。


「じゃあ、文学って、綺麗なお話だけじゃないのね」


「そうじゃ。悲しい話も、怖い話も、考えさせられる話もある」


日花梨は嬉しそうに笑った。


「私、怖い話も好き!」


光蔵が苦笑した。


「日花梨、夜に怖がって眠れなくなるのは誰だったかな?」


「もう、お父さん!」


皆が笑った。


三 芥川龍之介を読もうとしたとき


わしは次に、芥川龍之介の作品を取り出した。


「さて、次は芥川龍之介じゃ」


奈恵が頷いた。


「『羅生門』や『鼻』を書いた作家ですね」


「うむ。大正時代を代表する作家の一人じゃ」


わしは本を開いた。


「芥川は、昔の説話などを題材にしながら、人間の心理や道徳の問題を鋭く描いた」


春子も頷いた。


「私、『蜘蛛の糸』を読んだことがございますわ」


「ほう。どう思った?」


「人を助ける心と、自分だけ助かろうとする心の違いを考えさせられましたの」


わしは微笑んだ。


「よい感想じゃ」


日花梨が身を乗り出した。


「お祖父様、読んで!」


「よし。では、少し読んでみようかのう」


わしが本を開いた、そのときだった。


玄関の方から、女性の声が聞こえた。


「ごめんくださいませ」


春子が顔を上げた。


「あら、このお声は…」


しばらくして、部屋の襖が開いた。

そこに立っていたのは、長い茶色がかった髪を持つ、上品な女性だった。


「叔父様、ご無沙汰しております」


「おお、冬子ではないか!」


兄・寛之助の末娘、神楽坂冬子である。

冬子は三十二歳になっていた。

春子とは同じ年頃で、幼い頃からよく似た容姿をしていたが、春子の髪が艶のある黒髪なのに対し、冬子の髪は光沢のある茶色寄りだった。


「冬子、よく来たのう」


「ありがとうございます、叔父様」


春子も嬉しそうに駆け寄った。


「まあ、冬子さん! お久しぶりですわ!」


「春子さん、お元気そうで何よりですわ」


二人は微笑み合った。


「ちょうど文学の話をしておったところじゃ。冬子にはぴったりの話題じゃな」


冬子は嬉しそうに目を輝かせた。


「まあ、それは素敵ですわね」


四 小説家になった冬子


冬子は子どもの頃から文学が好きだった。

大正時代には、春子とともに文学雑誌や小説を読み、作品について語り合うことも多かった。


そして今では、自ら小説を書く作家になっていた。


「冬子、作家としての仕事はどうじゃ?」


わしが尋ねると、冬子は少し照れたように微笑んだ。


「おかげさまで、少しずつ作品を発表できるようになりましたの」


「ほう。立派なことじゃ」


「まだまだ未熟ですけれど、読んでくださる方がいらっしゃることが、何より嬉しいですわ」


奈恵が興味深そうに尋ねた。


「冬子さん、小説を書くときは、どのようにお話を考えるんですか?」


冬子は少し考えた。


「そうですわね。まず、人間の心をよく見つめることかしら」


「心、ですか?」


「ええ。人は同じ出来事を経験しても、それぞれ違うことを感じますでしょう?」


奈恵は頷いた。


「その違いを、言葉で表現したいと思うんですの」


わしは感心した。


「なるほどのう」


冬子は続けた。


「文学は、歴史の記録とは少し違いますわ。出来事そのものだけでなく、そのとき人が何を思い、何を恐れ、何を願ったのかを描けるところが魅力だと思いますの」


わしは深く頷いた。


「それは、わしにもよく分かる」


冬子は微笑んだ。


「叔父様の人生も、いつか小説にしてみたいくらいですわ」


わしは大笑いした。


「ははは!わしの人生など、長すぎて何冊になるか分からぬぞ!」


春子も笑った。


「まあ、お父様。それこそ冬子さんの腕の見せどころですわ」


冬子は上品に微笑んだ。


「ふふふ。確かに、書きがいがありそうですわね」


五 芥川龍之介の文学


冬子が加わり、話題は再び芥川龍之介へ戻った。


「冬子、ちょうど芥川の作品を読もうとしておったのじゃ」


「まあ、芥川先生ですのね」


冬子は本を手に取った。


「私は『羅生門』や『鼻』も好きですけれど、『地獄変』も印象深い作品だと思いますわ」


光蔵が尋ねた。


「『地獄変』は、芸術への執着を描いた作品だったね」


「ええ。芸術のために何を犠牲にしてよいのか、考えさせられますの」


わしは頷いた。


「芥川の作品には、人間の心の暗い部分を鋭く描くものが多いのう」


奈恵が言った。


「『羅生門』も、生きるために人はどこまで許されるのか、という問題がありますね」


「そうじゃ」


わしは本を閉じた。


「芥川は、昔の物語を借りながら、現代の人間にも通じる問題を描いたのじゃ」


冬子が続けた。


「それに、文章の構成がとても巧みですわ。短い作品の中に、強い印象を残す力がありますの」


春子は微笑んだ。


「冬子さん、やはり作家の方のお話は違いますわね」


「まあ、春子さん。そんなことはありませんわ」


二人は笑い合った。


そのとき、日花梨が尋ねた。


「ねえ、芥川さんって、今も小説を書いているの?」


部屋の空気が、少し静かになった。


わしは日花梨を見つめた。


「いや…芥川は、もう亡くなっておる」


「そうなの?」


「うむ。一九二七年、大正が終わって間もない昭和二年のことじゃ」


六 芥川龍之介の死


昭和二年(1927)七月二十四日。

芥川龍之介は、自ら命を絶った。

三十五歳という若さだった。


その知らせは、当時の文学界に大きな衝撃を与えた。

わしも新聞で訃報を知り、驚いたことを覚えている。


「まだ三十五歳じゃったのか…」


当時、わしは六十三歳だった。

自分より二十八歳も若い作家が、突然この世を去ったのである。

芥川は晩年、心身の不調や将来への不安を抱えていた。

その死については、さまざまな議論が起こった。


冬子は静かに言った。


「私、あの知らせを聞いたとき、本当に驚きましたの」


「そうじゃろうな」


「芥川先生ほどの才能を持った方でも、深い苦しみを抱えていらしたのだと思うと、胸が痛みましたわ」


春子も頷いた。


「心の苦しみは、外からは分からないこともありますものね」


「そうじゃな」


文学作品の中では、人間の弱さや不安を鋭く描いていた芥川。

しかし、その本人もまた、一人の人間として苦しみを抱えていた。


わしは思った。

才能があることと、幸せに生きられることは、必ずしも同じではない。


「芥川の作品は、これからも読まれ続けるじゃろう」


わしは言った。


「じゃが、作品が残ることと、本人が生きていてほしかったという思いは、別のことじゃな」


冬子は深く頷いた。


「ええ、叔父様。本当にそう思いますわ」


七 新感覚派とモダニズム文学


話題は、大正末期から昭和初期にかけての新しい文学へ移った。


冬子が一冊の雑誌を取り出した。


「叔父様、こちらもご覧になってくださいませ」


「ほう。『文藝時代』か」


大正十三(1924)に創刊された文学雑誌である。

この雑誌を中心に、川端康成や横光利一らの新感覚派が注目された。


「新感覚派とは、どのような文学なのですか?」


幸丞が尋ねた。

冬子は優しく答えた。


「それまでとは違う、新しい表現方法を試みた文学ですわ」


「新しい表現?」


「ええ。人が見たものや感じたことを、独特の言葉や文章の形で描こうとしたんですの」


光蔵が頷いた。


「映画や都市の発展とも関係がありそうだね」


「その通りですわ」


冬子は嬉しそうに答えた。


「大正末期から昭和初期には、都市の暮らしが大きく変わりましたでしょう? 電車、自動車、映画館、百貨店、カフェー…」


「うむ。わしが若い頃には考えられなかったものばかりじゃ」


「そうした新しい都市文化が、文学にも影響を与えたんですの」


川端康成の『伊豆の踊子』は、大正十五年(1926)に発表された作品だった。

旅先で出会った人々との交流や、若者の繊細な感情が描かれている。


「私、『伊豆の踊子』は好きですわ」


春子が言った。


「どこか寂しさもありますけれど、人の優しさが感じられるんですもの」


冬子も頷いた。


「ええ。川端先生の文章には、独特の美しさがありますわね」


日花梨は少し考えた。


「文学って、時代が変わると書き方も変わるのね」


「人々の暮らしが変われば、物語の形も変わるのじゃ」


八 大衆文学と新しい読者


昭和初期には、大衆文学も大きく発展していた。


新聞や雑誌に連載される小説が人気を集め、多くの人々が物語を楽しむようになった。

吉川英治や大佛次郎などの作家が活躍し、歴史小説、時代小説、冒険小説などが広く読まれていた。


「お祖父様、私はこっちの方が好きかもしれない!」


日花梨が言った。


「ほう。どうしてじゃ?」


「だって、冒険したり、悪い人と戦ったりするお話って面白そうだもん!」


光蔵が笑った。


「日花梨らしいね」


冬子も微笑んだ。


「大衆文学には、読者を楽しませる力がありますものね」


わしは頷いた。


「昔の講談や読み物にも通じるものがあるのう」


わしが幼い頃、江戸時代の名残を持つ講談や芝居の話を聞くことがあった。

それが明治、大正を経て、新聞や雑誌の小説へと形を変えていった。


「文学は、一部の学者や知識人だけのものではなくなってきたのじゃな」


奈恵が言った。


「子どもたちにも、もっと本を読む楽しさを知ってほしいですね」


「うむ。本は、知らぬ世界を見せてくれるからのう」


日花梨は嬉しそうに笑った。


「じゃあ、私ももっと読む!」


九 プロレタリア文学と『蟹工船』


しかし、昭和初期の文学には、華やかな都市文化とは対照的な流れもあった。


プロレタリア文学である。

労働者や農民の生活、貧困、搾取、社会の不平等などを描く文学だった。


わしは書棚から一冊の本を取り出した。


「これは、小林多喜二の『蟹工船』じゃ」


奈恵が頷いた。


「昭和四年、一九二九年に発表された作品ですね」


「そうじゃ」


わしは本を開いた。


「蟹を加工する船で働く労働者たちの過酷な生活を描いた作品じゃ」


光蔵は真剣な顔になった。


「工場で働く人たちの苦労を考えると、他人事には思えないな」


光蔵の妻は、かつて織物工場で働いていた。

長時間労働や厳しい生活のことも、家族の中で話題になったことがあった。


「僕は機械を作る仕事をしているけど、機械を動かす人たちの生活も大切にしなければならないと思うよ」


「そうじゃな」


春子も静かに言った。


「私も訪問看護のお仕事で、貧しいご家庭を訪ねることがありますの。病気になっても十分な治療を受けられない方もいらっしゃいますわ」


奈恵が続けた。


「学校でも、家庭の事情で十分に食べられない子どもたちがいるって話も、母から聞いてきました」


わしは皆を見つめた。

昭和恐慌の頃、わしらの家族も社会の貧困を身近に感じていた。


『蟹工船』は、そうした時代の苦しみを文学として描いた作品だった。


「文学は、美しいものを描くだけではないのじゃな」


わしは言った。


「社会の中で苦しんでおる人々の声を、世に伝える役目もある」


冬子は深く頷いた。


「ええ、叔父様。私も、作家として忘れてはならないことだと思いますわ」


十 小林多喜二の死と思想弾圧


昭和八年(1933)二月二十日。

小林多喜二は、特別高等警察に逮捕され、激しい拷問を受けた末に死亡した。

二十九歳だった。


その知らせは、文学界に大きな衝撃を与えた。

わしも当時、新聞や知人の話を通じて事件を知り、強い憤りを覚えた。


「二十九歳の若者が… 何ということじゃ……」


小林は共産主義運動に関わっていた。

その思想に賛成する者もいれば、反対する者もいた。

しかし、思想の違いを理由に、人を拷問して死なせてよいはずがない。


冬子は静かに言った。


「叔父様、私、あの事件を聞いたとき、恐ろしくなりましたの」


「そうじゃろうな」


「作家が何を書くかによって、命まで奪われることがあるなんて…」


春子は目を伏せた。


「人の命を守る仕事をしている者として、胸が痛みますわ」


奈恵も険しい顔をした。


「考え方が違うなら、言葉で議論すればよいはずです。それなのに、暴力で黙らせるなんて…」


「その通りじゃ」


芥川龍之介の死と、小林多喜二の死。

どちらも若い作家の命が失われた悲劇だった。


しかし、その事情は大きく異なる。

芥川は心身の苦しみを抱え、自ら命を絶った。

小林は国家の取り締まりの中で、暴力によって命を奪われた。

わしは二人の死を、同じものとして語ってはならぬと思った。


「文学を読む者は、作品だけでなく、その作品が生まれた時代も知らねばならぬ」


わしは静かに言った。


「そうすれば、なぜその言葉が書かれたのか、少しは理解できるじゃろう」


冬子は頷いた。


「ええ、叔父様。私もそう思いますわ」


十一 野口英世という医学者


文学の話が一段落した頃、幸丞がわしに尋ねた。


「お祖父様、さっき医学の偉人の本があるって言っていましたよね?」


「おお、そうじゃったな」


わしは書棚から伝記を取り出した。


「野口英世という医学者を知っておるか?」


幸丞の目が輝いた。


「はい!僕、野口英世先生を尊敬しています!」


春子も微笑んだ。


「私もですわ。医学の発展のために、世界で研究を続けられた方ですもの」


野口英世は、明治九年(1876)に福島県で生まれた。

幼い頃、左手に大きな火傷を負ったが、その後医学を志し、研究者として海外へ渡った。

アメリカのロックフェラー医学研究所などで研究を続け、世界的に知られる医学者となった。


「野口は、幼い頃の苦労を乗り越え、医学の道へ進んだ人物じゃ」


わしが言うと、幸丞は真剣な顔で頷いた。


「僕も、将来は医師になりたいんです」


「ほう」


「病気の人を助けられるようになりたいんです」


春子は嬉しそうに微笑んだ。


「幸丞は、昔から人の身体や病気のことに興味がありますの」


わしは孫を見つめた。


「よい夢じゃな」


しかし、野口英世の人生にも悲しい結末があった。


昭和三年(1928)。

野口は黄熱病の研究のために訪れていたアフリカの英領ゴールド・コースト(現在のガーナ)で黄熱病に感染し、亡くなった。五十一歳だった。


「野口先生は、研究の途中で亡くなったんですよね」


幸丞が尋ねた。


「そうじゃ。病気の原因を解き明かそうとする中で、自らも病に倒れたのじゃ」


春子は静かに言った。


「医療に携わる者として、研究者の努力には深く敬意を感じますわ」


幸丞も頷いた。


「僕も、野口先生みたいに人を助けられる医師になりたいです」


わしは微笑んだ。


「うむ。じゃが、幸丞。人を助けるためには、自分の命も大切にせねばならぬぞ」


「はい!」


わしは孫の頭を優しく撫でた。


十二 渋沢栄一と近代日本


続いて、話題は渋沢栄一へ移った。

渋沢栄一は、天保十一年(1840)に生まれた。

幕末から明治、大正、昭和初期まで生き、日本の近代経済の発展に大きな役割を果たした人物だった。


「渋沢栄一は、わしより二十四歳も年上じゃった」


わしが言うと、奈恵が驚いた。


「お祖父様より、そんなに年上だったんですか?」


「うむ。それでいて、昭和六年(1931)まで生きておった」


渋沢は九十一歳で亡くなった。

わしはその訃報を聞いたとき、深い感慨を覚えた。


「明治の初めから日本の経済を支えてきた人物が、とうとう亡くなったのかと思ったものじゃ」


渋沢は第一国立銀行の設立に関わり、多くの企業や社会事業の発展に貢献した。

また、経済活動と道徳の両立を重視し、利益を得ることだけでなく、社会に役立つことの重要性を説いた。


光蔵が頷いた。


「僕も、仕事をしていると考えさせられるよ。会社が利益を出すことは大切だけど、それだけではいけないんだよね」


「そうじゃな」


修蔵の鉄道、光蔵の機械製造、節子の教育、春子の看護。

仕事の内容は違っていても、人々の暮らしを支えるという点では共通している。


わしは皆を見渡した。


「渋沢の考えは、今の日本にも必要なものかもしれぬな」


冬子も微笑んだ。


「文学も同じですわね。作家として作品を発表することだけでなく、読んでくださる方々に何を届けられるかを考えたいと思いますの」


わしは頷いた。


「うむ。よい考えじゃ」


十三 冬子が語る文学の未来


夕方になり、窓の外が少しずつ暗くなってきた。

冬子は書棚を眺めながら、静かに言った。


「叔父様、今日は本当に楽しい時間でしたわ」


「わしもじゃ」


「明治から大正、昭和へと、文学が変わってきたことを改めて感じましたの」


わしは頷いた。


「わしが若い頃には、文学といえば漢詩や和歌、昔の物語の印象が強かった」


「そうですわね」


「それが今では、人間の心理を描き、都市の生活を描き、社会の苦しみまで描くようになった」


冬子は微笑んだ。


「文学は、時代とともに変わり続けるものなのでしょうね」


「うむ」


わしは少し考えた。


「冬子、お前はこれから、どんな小説を書きたいのじゃ?」


冬子はしばらく黙っていた。

やがて、ゆっくりと答えた。


「私は、人が時代の中でどう生きるのかを書いてみたいですわ」


「ほう」


「歴史の大きな出来事は、新聞や記録に残りますでしょう? でも、その時代を生きた普通の人々の喜びや悲しみは、忘れられてしまうこともありますもの」


わしは深く頷いた。


「そうじゃな」


「ですから、そうした人々の心を、小説の中に残したいと思いますの」


春子が微笑んだ。


「冬子さんらしいですわね」


冬子も笑った。


「ありがとうございます、春子さん」


わしは二人を見つめた。

春子は人の身体と暮らしを守る仕事をしている。

冬子は人の心を言葉に残す仕事をしている。

どちらも、人間を大切にするという点では同じなのかもしれなかった。


十四 七十年を生きた読者


夜になり、皆が帰った後。わしは再び書斎に戻った。


机の上には、今日読んだ本が並んでいた。

明治末の自然主義と反自然主義。

大正の芥川龍之介。

新感覚派とモダニズム文学。

大衆文学。

そして、昭和初期のプロレタリア文学。


わしは一冊ずつ手に取った。

文学とは、不思議なものじゃ。

わしが若い頃には存在しなかった作品が、今では多くの人々に読まれている。


そして、その作品を通じて、わしは自分とは違う人生を知ることができる。

貧しい労働者の苦しみ。

若者の不安。

美しいものへの憧れ。

社会の矛盾。

人間の弱さ。


わしは長い軍人人生の中で、多くの人々と出会ってきた。

しかし、文学はそれとはまた違う形で、人間の心を教えてくれる。


「七十歳になっても、まだ知らぬ世界があるのじゃな…」


わしは小さく呟いた。


ふと、冬子の言葉を思い出した。


『時代を生きた普通の人々の心を、小説の中に残したい』


わしは窓の外を眺めた。

江戸時代に生まれたわしの人生も、いつかは終わる。

そのとき、わしが見てきた時代の記憶は、どこへ行くのだろうか。


父や祖父から聞いた江戸の話。

明治維新の混乱。

軍人として見た戦争。

愛海と築いた家庭。

子どもたちの成長。

孫たちの誕生。

そして、昭和の日本。

それらを、何らかの形で残せたらよいのかもしれぬ。


わしは机の上の紙を一枚取り出した。

しかし、すぐに筆を置いた。


「まあ、まだ急ぐこともあるまい」


わしは笑った。

人生は、まだ続いている。

そして、これから何が起こるのか、わし自身にも分からない。


ただ一つ、確かなことがあった。

人間の命は有限である。

しかし、その人が残した言葉や作品は、時代を越えて生き続けることがある。


芥川龍之介も、小林多喜二も、野口英世も、渋沢栄一も、すでにこの世にはいない。

それでも、彼らが残したものは、今も人々に影響を与えている。


「わしも、何かを残せるじゃろうか…」


わしは静かに呟いた。


そのとき、廊下の向こうから愛海の声が聞こえた。


「あなた、まだ起きていらっしゃるのですか?」


「おお、愛海。今行くぞ」


わしは本を閉じた。書斎の灯りを消し、廊下へ出た。


昭和九年(1934)。七十歳になったわしは、まだ新しいことを学び続けていた。

そして、文学というものが、人の命よりも長く生きることがあるのだと、改めて感じた一日だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。