第四十七話 五・一五事件と神楽坂派
一 首相が殺された日
昭和七年(1932)五月十五日。
わしは六十八歳になっていた。
軍籍から完全に離れて一年余り。それでも在郷軍人会の東京府支部で理事を務め、かつての戦友や若い軍人たちと顔を合わせる日々が続いていた。
その日、わしは夕方まで軍人会の用事を済ませ、帰宅したところだった。
「あなた、大変です!」
愛海が血相を変えて駆け寄ってきた。
「どうした、愛海」
「犬養首相が撃たれたそうです!」
「何じゃと!?」
わしは耳を疑った。
犬養毅首相が、首相官邸を襲撃した海軍の青年将校らによって銃撃されたというのである。
やがて首相の死が伝えられた。
わしは椅子に腰を下ろしたまま、しばらく動けなかった。
「首相を…軍人が殺したのか……」
日清戦争も日露戦争も経験した。幾度となく兵士の死を見てきた。だが、軍人が自国の首相を襲い、殺害するという事態には、戦場とは違う恐ろしさがあった。
「政治に不満があるからといって、首相を殺してよいはずがなかろう…!」
わしは思わず机を叩いた。
愛海が心配そうに見つめていた。
「あなた…」
「わしは、軍人にそのようなことを教えた覚えはない!」
怒りに任せて言ったものの、すぐに自分の言葉が虚しく感じられた。
わし一人が教えたことなど、今の軍全体を動かす力にはならない。
翌朝、新聞には五・一五事件の詳細が報じられた。海軍の青年将校らを中心とする襲撃者たちは、政党政治や財閥への不満を抱き、国家の改造を目指していた。
犬養首相のほかにも襲撃の標的となった施設があり、事件は計画的な政治テロだった。
わしは新聞を畳み、深く息を吐いた。
「政治を変えたいのなら、なぜ言葉で争わぬ…」
軍人として長く生きてきたからこそ、わしには分かっていた。銃は、人を説得するための道具ではない。
二 憲政の常道の終わり
犬養毅首相の死後、日本の政治は大きく変わった。
大正末期から続いてきた、衆議院の有力政党が交代で内閣を組織するという「憲政の常道」は、事実上終わりを迎えた。
後継の首相となったのは、海軍出身の斎藤実だった。政党を中心とする内閣ではなく、各方面の人物を集めた挙国一致内閣が成立したのである。
ある日、長男の修蔵がわしを訪ねてきた。
「父上、とうとう政党内閣の時代が終わってしまったな」
「うむ…」
「俺は政治家が何でも正しいとは思わないよ。けど、選挙で選ばれた議員たちの力が、銃を使った事件で弱まってしまうのはおかしいだろう」
「その通りじゃ。政治家に問題があれば、議会や選挙で責任を問えばよい」
「父上、俺たちは四年前、初めて普通選挙で一緒に投票したよな」
「覚えておるとも」
昭和三年(1928)、わしと修蔵、光蔵の三人で投票に向かった日のことが蘇った。
多くの男性が納税額による制限なしに選挙へ参加できるようになり、日本の政治が新しい時代へ進むのだと感じた。
それから、わずか四年。首相が暗殺され、政党政治は大きく後退していた。
「修蔵。選挙で政治を変えることと、銃で政治を変えることは、決して同じではない」
「ああ。俺もそう思う」
修蔵は険しい顔をした。
「それなのに、犯人たちに同情する人までいるらしいな」
わしは目を伏せた。
青年将校たちの行動を支持し、処罰を軽くするよう求める声も広がっていた。
不況による生活苦、政党政治への不信、財閥への反感。
そうした不満が、暴力による政治変革への共感につながっていたのである。
「不満があることと、人を殺してよいことは別じゃ。その区別が失われたら、政治は恐怖で動くようになる」
三 国家改造を唱える者たち
五・一五事件の後、わしは軍人会の中で、以前にも増して強い意見の対立を感じるようになった。
「政党政治は腐敗している!」
「財閥と政治家が国民を苦しめている!」
「国家を根本から改造せねばならぬ!」
若い元軍人の中には、そう主張する者がいた。
国家改造運動。
それは当時、既存の政治や経済の仕組みを根本から変えようとするさまざまな思想や運動を指していた。
貧困や格差の解消を訴える者もいれば、天皇を中心とした国家の再編を主張する者もいた。その手段として、軍人による政治介入やクーデターを容認する急進派も存在した。
ある会合で、一人の若い会員が立ち上がった。
「神楽坂閣下、今の政治家に国を任せていては、日本は滅びます!」
「そうかもしれぬと、お前は考えておるのじゃな」
「はい!だからこそ、軍人が立ち上がるべきです!」
わしはその青年を見つめた。
「では、軍人が政治を担えば、必ず正しい政治ができるのか?」
青年は一瞬言葉に詰まった。
「それは…国家への忠誠心があるからです!」
「忠誠心があれば、判断を誤らぬというのか?」
「……」
「わしも軍人じゃった。だが、軍人も人間じゃ。間違えることもあれば、欲に負ける者もおる」
わしは会場を見渡した。
「軍人だから正しい、政治家だから腐敗しておる。そのような考え方は危険じゃ」
青年は唇を噛んだ。
「しかし、閣下!何もしなければ国は変わりません!」
「何もするなとは言っておらぬ。国をよくしたいという気持ちは分かる。じゃが、そのために人を殺してよいとはならぬ」
会場には、重い沈黙が流れた。
その日を境に、わしの発言を支持する者と、反発する者との違いが、以前より明確になっていった。
四 神楽坂派
昭和八年(1933)。
ある日の軍人会で、一人の元将校がわしに声をかけた。
「神楽坂閣下、最近、我々のことを神楽坂派と呼ぶ者がおります」
「神楽坂派?」
わしは思わず聞き返した。
「はい。閣下の意見に賛同する者たちを、そう呼んでいるようです」
わしは苦笑した。
「わしは派閥を作った覚えなどないぞ」
「承知しております。しかし、閣下を中心に意見を交わす者が増えたのは事実です」
実際、わしの周囲には、軍の政治介入や私的制裁を疑問視する元軍人たちが集まるようになっていた。
その中には、日露戦争を経験した老兵もいれば、世界戦争後に軍を離れた比較的若い者もいた。
皆が同じ政治思想を持っているわけではなかった。
ただ、いくつかの考えでは一致していた。
軍隊は国家の統制を受けるべきこと。
軍人が独断で政治を動かしてはならないこと。
兵士の命と尊厳を軽んじてはならないこと。
そして、暴力によって政治を変えることを認めないこと。
「なるほどのう…」
わしは腕を組んだ。
「しかし、神楽坂派などと呼ばれるのは、少々大げさじゃ」
元将校は笑った。
「閣下のお名前が、それだけ知られているということでしょう」
わしは首を横に振った。
「名前などどうでもよい。大切なのは、何を主張するかじゃ」
それでも、神楽坂派という呼び名は広まっていった。
もっとも、それは正式な組織名ではない。
わしの考えに共感する元軍人たちの非公式な集まりに、周囲がつけた呼び名だった。
わし自身も、その集まりを軍の内部に命令を出す組織にするつもりはなかった。
だが、名前がつくということは、目立つということでもある。
その危険を、わしはまだ十分に理解していなかった。
五 皇道派と統制派
昭和八年から九年(1933〜34)にかけて、陸軍内部では、皇道派と統制派の対立が目立つようになっていった。
皇道派は荒木貞夫や真崎甚三郎らに結びつく勢力で、天皇を中心とする精神的な国家改造を重視し、急進的な青年将校たちから支持を受けていた。
一方、統制派と呼ばれる勢力は、軍の組織的統制や官僚機構、経済・軍需の計画的整備を重視する傾向があった。
ただし、どちらも内部に多様な考えを含み、明確な党則を持つ政党のような集団ではなかった。
ある日、わしは軍人会で二人の元将校が言い争う場面に出くわした。
「皇道派の精神こそ、日本を立て直す道だ!」
「精神論だけでは国は動かん! 軍も国家も組織的に統制せねばならん!」
わしは二人の間に入った。
「まあ、待て。少し落ち着かぬか」
一人が振り返った。
「神楽坂閣下は、どちらのお考えに近いのですか?」
わしは即座に答えた。
「どちらでもない」
二人は驚いた顔をした。
「わしは、軍人が国家のあり方を独断で決めること自体に疑問を持っておる」
「しかし、閣下…」
「皇道派であろうと統制派であろうと、軍が政治を支配する方向へ進むなら、わしは賛成できぬ」
わしは続けた。
「軍の中で思想が違う者同士が争い、国の政治まで巻き込む。それでは、何のための軍紀なのじゃ?」
二人は黙り込んだ。
やがて一人が、小さく言った。
「神楽坂派は、やはり独自の立場なのですな」
「わしは派閥の頭領になりたいわけではない。ただ、軍人として守るべき一線を忘れたくないだけじゃ」
しかし、その発言は、皇道派に共感する者からも、統制派寄りの者からも、反感を買うことになった。
六 陸軍パンフレット事件
昭和九年(1934)。
陸軍省新聞班が『国防の本義と其強化の提唱』というパンフレットを発表した。
そこでは国防を単なる軍事力の問題にとどめず、政治、経済、思想、国民生活にまで広げて考える必要性が説かれていた。
わしはその内容を読み、眉をひそめた。
「国防が国民生活と関わることは、確かにその通りじゃ。じゃが…」
問題は、軍が国防の名の下に、政治や経済のあり方まで積極的に論じていることだった。
議会や政府が担うべき領域へ、軍が踏み込もうとしているように感じられた。
わしは軍人会の会合で、そのことを話した。
「国防は軍人だけの問題ではない。だからこそ、軍人だけで決めてはならぬ」
ある会員が尋ねた。
「閣下、軍が国民生活を考えること自体が悪いのでしょうか?」
「悪いことではない。兵士も国民じゃ。食糧も産業も国防に関わる」
わしは頷いた。
「しかし、軍が国防という言葉を使えば、政治や経済のすべてに口を出せるというのなら、政府や議会は何のためにある?」
会員たちは黙って聞いていた。
「軍の意見は必要じゃ。じゃが、軍の意見だけが国家の意思になってはならぬ」
このパンフレットをめぐっては、政党や財界などからも軍の政治介入を警戒する声が上がった。
わしは、その議論が続いていることにわずかな希望を感じた。
まだ、異議を唱える人々はいる。
しかし、その声がいつまで許されるのかという不安も、同時に強まっていた。
七 思想の弾圧と転向
軍部の政治的影響力が増す一方で、思想に対する取り締まりも厳しさを増していた。
治安維持法は大正十四年(1925)に成立し、昭和三年(1928)には最高刑が死刑に引き上げられていた。
共産主義運動や労働運動に関わる人々への取り締まりが進み、検挙や取り調べを受ける者が相次いだ。
昭和八年(1933)には、日本共産党の幹部だった佐野学や鍋山貞親が獄中で転向を表明し、大きな話題となった。
転向とは、それまで持っていた思想や政治的立場を改めることである。
しかし、その背景には、厳しい取り調べや拘禁、家族への影響など、さまざまな圧力があった。
ある日、教員である節子がわしを訪ねてきた。
「父上、最近、学校でも政治や思想の話題には随分と気を遣うようになったわ」
「そうか」
「教師が何を話したか、どんな本を読んだか。そうしたことまで問題になる場合があるのよ」
節子は険しい顔をした。
「私は、子どもたちに物事を自分で考えられる人間になってほしいの。でも、考えることそのものが危険だと思われるような世の中では、教育が難しくなるわ」
わしは頷いた。
「節子、お前の言う通りじゃ」
「もちろん、学校で特定の政治思想を押しつけるつもりはないわ。でも、異なる意見を聞くことさえ許されないなら、それは学ぶこととは違うでしょう?」
「うむ」
わしは娘を見つめた。
幼い頃から筋道を重んじた節子は、今も変わらず、自分の考えを持っていた。
しかし、その誠実さが、時代によっては危険なものと見なされるかもしれない。
そのことが、わしには恐ろしかった。
「節子。お前も、どうか気をつけるのじゃぞ」
節子は少し笑った。
「分かっているわ、父上。でも、子どもたちを守るために必要なことまで黙るつもりはないの」
わしは静かに頷いた。
その言葉には、わし自身とよく似た頑固さがあった。
八 届いた脅迫状
昭和九年(1934)の秋。
わしの家に、一通の封書が届いた。
差出人の名前はなかった。
中を開くと、乱暴な文字が並んでいた。
『軍を侮辱する老いぼれは黙れ』
わしは眉をひそめた。
さらに読み進めると、家族にも危害を加えることをほのめかす言葉があった。
「…何じゃと」
背筋が冷たくなった。
自分が脅されることは、ある程度覚悟していた。
軍人会で発言を続ければ、反感を買うこともある。
しかし、家族にまで危険が及ぶとは考えたくなかった。
わしは手紙を机に置いた。
愛海が部屋に入ってきた。
「あなた、どうなさったの?」
「…少し、厄介なものが届いた」
わしは手紙を見せた。
愛海は読み終えると、顔色を変えた。
「これは…」
「わしへの脅迫じゃ」
「家族にまで…?」
「うむ」
愛海はしばらく黙っていた。
やがて、静かに言った。
「あなた。これは、放っておいてはいけません」
「分かっておる」
「ご自分だけの問題ではないのですよ」
わしは頷いた。
その日のうちに、わしは信頼できる知人に相談し、警察にも事情を伝えた。
脅迫状は保管し、今後の警戒について話し合うことになった。
しかし、わしの不安は消えなかった。
犯人が誰なのか分からない。
単なる嫌がらせなのか、本当に危害を加えるつもりなのかも分からない。
そして、最も恐ろしいのは、わしの家族が狙われる可能性だった。
九 四兄弟に迫る危険
わしは修蔵、節子、光蔵、春子の四人を家に呼んだ。
愛海も同席した。
「父上、何かあったのか?」
修蔵が尋ねた。
わしは脅迫状のことを話した。
四人の表情が変わった。
「父上、それは危険だろう」
修蔵が険しい声で言った。
「俺は父上が信念を曲げる必要はないと思う。でも、家族まで狙われるとなったら話は別だ。警備を考えた方がいい」
節子も頷いた。
「兄上の言う通りだわ。父上、学校にも家族にも影響が出る可能性がある以上、慎重に対応する必要があるわね」
光蔵は手紙を見つめていた。
「父上、僕も心配だよ。子どもたちだっているんだ。何か起こってからでは遅いからね」
わしは頷いた。
「分かっておる。わしも対策を考えておる」
そのとき、春子が静かに口を開いた。
「お父様…私にも、少し気になることがございますの」
わしは顔を上げた。
「どうした、春子」
「最近、お仕事の帰りに、同じような方を何度かお見かけしたんですの」
「何じゃと?」
春子は落ち着いた口調で続けた。
「私が訪問看護を終えて帰ると、少し離れた場所に男性が立っていらっしゃることがありましたの。偶然かもしれませんけれど…」
修蔵が身を乗り出した。
「春子、それはいつからだ?」
「数日前からですわ」
「どうしてもっと早く言わなかったんだ?」
「確かなことではありませんでしたから…」
春子は少し困ったように微笑んだ。
「でも、皆様にご心配をおかけすることになってしまいましたわね」
わしは首を横に振った。
「春子、お前が悪いのではない。気づいたことを話してくれてよかった」
春子は頷いた。
四兄弟の中でも、春子は特に警戒が必要だと感じられた。
修蔵は鉄道会社で働き、節子は学校、光蔵は工場と、主な勤務先が比較的定まっている。
一方、春子は訪問看護の仕事で、日によって異なる家庭や地域を訪ねていた。
その移動経路を第三者に知られたり、人目の少ない場所で一人になったりする可能性があった。
しかも、春子は人から相談を持ちかけられれば、できる限り話を聞こうとする性格だった。
その優しさにつけ込まれることが、わしには心配だった。
「春子。これからは、知らぬ者に声をかけられても、無理に応じる必要はないぞ」
「はい、お父様」
「困っておる者を助けたい気持ちは分かる。じゃが、お前自身の安全も大切じゃ」
春子は真剣な表情で頷いた。
「承知いたしましたわ。私も、皆様にご心配をおかけしないよう気をつけます」
十 家族を守るための警護
わしは、信頼できる警護経験者や元軍人の知人に相談し、家族の警備を整えることにした。
自宅には常時警戒に当たる者を置き、わしが軍人会の会合へ出席するときには護衛が同行する。
修蔵、節子、光蔵の家庭についても、それぞれの勤務先や生活に合わせ、警護担当者を雇うことにした。
そして春子には、訪問看護の移動に同行できる専属の護衛をつけた。
「お父様、そこまでしていただかなくても…」
春子は最初、遠慮した。
「春子、これは必要なことじゃ」
わしは静かに答えた。
「お前の仕事をやめさせたいわけではない。安心して続けられるようにしたいのじゃ」
春子は少し考えた。
「…そうですわね」
「うむ」
「でしたら、私も協力いたしますわ。ただ、患者さんたちを驚かせないようにしていただきたいんですの」
わしは微笑んだ。
「もちろんじゃ」
春子は安心したように笑った。
「ありがとうございます、お父様」
しかし、警護をつけたからといって、危険が完全になくなるわけではなかった。
わしは護衛たちにも、相手をむやみに威圧したり、暴力を振るったりしないよう求めた。
「守るために雇った者が、かえって争いを起こしてはならぬ」
わしはそう伝えた。
修蔵も警備の相談に積極的に加わった。
「父上、俺の家のことは俺も責任を持って考えるよ。父上だけに負担をかけるわけにはいかないからな」
節子も言った。
「私も学校と相談するわ。子どもたちを巻き込むことだけは避けたいもの」
光蔵は静かに頷いた。
「僕も工場の仲間に事情を伝えておくよ。家族を守るためなら、できることは何でもするつもりだ」
わしは四人を見つめた。
いつの間にか、子どもたちは皆、自分の家庭を守る立場になっていた。
その姿が頼もしくもあり、同時に申し訳なくもあった。
十一 父親としての後悔
その夜、わしは一人で縁側に座っていた。
愛海が隣に来た。
「あなた、まだお休みにならないのですか?」
「うむ。少し考え事をしておった」
愛海はわしの隣に腰を下ろした。
「家族のことですのね」
「そうじゃ」
わしは静かに頷いた。
「わしが軍人会で意見を述べ続けたことで、お前たちを危険にさらしてしまった」
愛海は黙って聞いていた。
「修蔵も節子も光蔵も春子も、皆それぞれの暮らしがある。それなのに、わしのことで警護まで必要になってしまった」
わしは拳を握った。
「父親として、情けないことじゃ」
すると愛海は、わしの手にそっと触れた。
「あなた。それは違います」
わしは顔を上げた。
「あなたが悪いことをなさったわけではないでしょう?」
「しかし…」
「政治について意見を述べた人の家族を脅す方がおかしいのです」
愛海の声は、いつもより強かった。
「あなたが黙れば、すべて解決するのでしょうか?」
わしは答えられなかった。
「私は、あなたに無理をしてほしくありません。でも、脅されたからといって、正しいと思うことを何も言えなくなるのも悲しいことです」
わしは妻を見つめた。
愛海は続けた。
「大切なのは、意地を張ることでも、怖がって何もかも諦めることでもありません。家族と相談しながら、できることを考えることではありませんか?」
わしは深く息を吐いた。
「…そうじゃな」
愛海は微笑んだ。
「あなたは昔から、一人で何でも背負い込もうとなさるのですから」
わしは苦笑した。
「また、お前に教えられてしまったのう」
愛海は笑った。
わしも、ようやく少し笑うことができた。
十二 春子の覚悟
数日後、春子が一人でわしを訪ねてきた。
もっとも、家の外には護衛が待機していた。
「お父様、少しお話ししてもよろしいかしら」
「もちろんじゃ」
春子はわしの向かいに座った。
「私、お父様にお伝えしたいことがありますの」
「何じゃ?」
春子は真剣な表情で言った。
「私、お父様が軍人会でお話しなさっていることを、間違っているとは思いませんわ」
わしは黙って聞いていた。
「人を傷つけることを正当化してはいけない。軍人の方々も、国民の皆様も、命を大切にしなければならない。私も、そう思いますの」
「うむ」
「でも、お父様が殺されてしまうのは嫌ですわ」
春子の声がわずかに震えた。
「お父様には、まだまだ長生きしていただきたいんですの」
わしは胸が熱くなった。
「春子……」
「私たちの子どもたちの成長も、もっと見ていただきたいですし、お母様とも、これからもずっと一緒にいていただきたいんですの」
春子は目を潤ませた。
「ですから、どうかご自分のお命も大切になさってくださいませ」
わしは娘の手を取った。
「分かった。約束しよう」
春子は少し安心したように微笑んだ。
「ありがとうございます、お父様」
わしは娘を見つめた。
美嘉を失った日から、わしは子どもたちの命がどれほど尊いものか、何度も思い知らされてきた。
今、目の前にいる春子も、わしにとってかけがえのない娘だった。
その娘を危険にさらすことだけは、何としても避けたかった。
「春子。お前も、どうか無理をせぬようにな」
「はい。お父様も、ですわ」
わしらは顔を見合わせ、静かに笑った。
十三 神楽坂派の重み
昭和九年(1934)の終わりが近づいていた。
わしは七十歳になっていた。
在郷軍人会で活動を続ける一方、神楽坂派と呼ばれる集まりの存在は、以前よりも知られるようになっていた。
しかし、その名が広まるほど、わしは慎重になった。
自分の意見に賛同する者が増えることは嬉しい。
だが、わしの名前を掲げて、誰かが過激な行動に走ることは望んでいなかった。
ある日の会合で、わしは仲間たちに告げた。
「諸君、わしらは暴力に反対するために集まっておる」
会場は静かになった。
「ならば、わしら自身が暴力に頼るようなことがあってはならぬ」
一人の元軍人が頷いた。
「その通りです、神楽坂閣下」
「皇道派であろうと統制派であろうと、意見の違う者を敵として殺すような考えには、わしは賛成できぬ」
わしは続けた。
「軍人としての誇りを守りたいのなら、まず人としての道を守ることじゃ」
仲間たちは静かに聞いていた。
「わしらが目指すのは、誰かを倒して権力を握ることではない。軍が本来の役割を忘れぬよう、声を上げ続けることじゃ」
その言葉に、何人かが深く頷いた。
しかし、会合が終わると、わしはふと不安になった。
今の日本で、こうした言葉をいつまで自由に語れるのだろうか。
五・一五事件から二年余り。
政治への不信は消えず、軍内部の対立も深まっていた。
そして、軍人たちの中には、さらに急進的な行動を考える者がいるという噂も聞こえていた。
わしは帰り道、護衛とともに歩きながら、静かに空を見上げた。
「何とも、息苦しい時代になったものじゃ…」
十四 嵐の前の静けさ
その夜、わしは家族の写真を眺めていた。
修蔵、節子、光蔵、春子。
それぞれの家族と、成長していく孫たち。
わしは、彼らの笑顔を守りたかった。
しかし、今の日本では、ただ平穏に暮らすことさえ難しくなりつつあった。
軍人が首相を殺し、政治家が軍を恐れ、思想を理由に人々が取り締まられる。
そして、軍の内部では派閥が争い、国家の進む道をめぐって対立している。
わしは長い人生の中で、さまざまな政治の変化を見てきた。
江戸幕府の終焉。
明治維新。
自由民権運動。
帝国憲法の制定。
大正デモクラシー。
そして、普通選挙の実現。
人々が少しずつ政治に参加できるようになったはずの日本で、今度は銃による政治が力を持ち始めていた。
「父上……」
わしは亡き父・権兵衛を思い出した。
父は幕末、武士として激動の時代を生きた。
その父から、わしは何度も教えられた。
力を持つ者ほど、その使い方を慎まねばならぬ。
わしは静かに呟いた。
「父上。わしは、まだその教えを守っておりますぞ」
窓の外には、冷たい風が吹いていた。
遠くで、夜の町を走る自動車の音が聞こえた。
明治の頃には想像もできなかった近代的な都市が、今では当たり前のように広がっている。
しかし、人の心まで進歩したとは限らない。
軍服を着た者が、自分の正義を疑わなくなったとき。
政治に不満を抱く者が、言葉ではなく銃を選ぶようになったとき。
そして、国民がその暴力を英雄的な行為として受け入れるようになったとき。
国家は、どこへ向かうのだろうか。
わしは写真を机に戻した。
「わしは、まだ死ぬわけにはいかぬ」
小さく、そう呟いた。
守りたい家族がいる。
伝えたい言葉がある。
そして、見届けねばならぬ時代がある。
だが、軍内部の対立は、この後さらに激しさを増し、やがて東京の街を震撼させる大事件へとつながっていく。
昭和九年(1934)。
神楽坂派と呼ばれるようになった老将と、その家族は、静かに迫る嵐の中に立っていた。




