第四十六話 完全退役と満州事変・軍の暴走
一 最後の軍籍
昭和六年(1931)三月。わしは六十七歳の誕生日を迎えた。
元治元年(1864)、江戸幕府がまだ存在していた時代に生まれたわしも、とうとうここまで生きた。
陸軍兵を目指した少年時代。士官学校で学んだ青年時代。日清戦争、日露戦争、そして世界戦争。陸軍中将にまで昇り、現役を退いてからも予備役に籍を置いてきた。
その長い軍人人生に、いよいよ最後の区切りをつける日が訪れた。
「蔵之助殿、長年のご奉公、誠にご苦労さまでございました」
この三月をもって、わしは予備役を退き、軍籍から完全に離れることになったのである。
「こちらこそ、長い間世話になった」
胸の内には、簡単には言い表せぬ感情が渦巻いていた。
若い頃、わしは軍人として一生を捧げる覚悟を決めた。
それが今、正式に終わったのである。
家に帰ると、愛海が迎えてくれた。
「あなた、お帰りなさい」
「うむ。ただいま」
「今日で、とうとう軍籍から離れたのですね」
「そうじゃ。もう、軍の命令を受けて勤務する立場ではなくなった」
愛海は少し微笑んだ。
「長い間、本当にお疲れさまでございました」
「うむ…」
わしは椅子に腰を下ろした。
「不思議なものじゃな。現役を退いたときも寂しかったが、今日という日はまた違う」
「どのようなお気持ち?」
「肩の荷が下りたようでもあり、身体の一部を置いてきたようでもある」
愛海は静かに頷いた。
「それだけ、軍人としての年月が長かったのでしょうね」
わしは軍服を見つめた。
かつては毎日のように袖を通した服である。
今では、特別な機会を除いて着ることもなくなっていた。
「これからは、軍人ではなく、一人の老人として生きていくことになるのう」
すると愛海は、少し呆れたように笑った。
「まあ。あなたは軍人である前に、私の夫であり、修蔵たちの父親であり、孫たちのお祖父様でしょう?」
わしは思わず笑った。
「ははは。そうじゃったな」
「それに、まだまだお仕事がおありなのでしょう?」
「在郷軍人会のことか」
「ええ。完全に引退なさるわけではありませんものね」
わしは頷いた。
軍籍からは離れた。
しかし、在郷軍人会の東京府支部で理事として活動することは、これからも続けるつもりだった。
軍人としての責任は終わっても、長年の経験を次の世代へ伝える役目まで終わったわけではない。
そう思っていた。
二 軍人会に残る老将
完全退役後も、わしは在郷軍人会の会合へ足を運んだ。
かつての部下、戦友、そして自分の子どもほどの年齢の元軍人たち。さまざまな者が集まっていた。
ある日、若い会員が尋ねた。
「神楽坂閣下、軍籍を離れられた今も、こうしてお越しくださるのですね」
「うむ。軍籍を離れたからといって、昔の仲間まで忘れるわけにはいかぬからのう」
「ありがたいお言葉です」
「それに、わしはもう閣下などと呼ばれねばならぬ立場でもない。気楽に話してくれ」
もっとも、長年の習慣は簡単には変わらず、皆は相変わらずわしを閣下と呼んでいた。
会合では、退役軍人の生活支援、負傷や病気を抱える者への援助、遺族の相談、地域の行事などについて話し合った。
昭和恐慌の影響で、元軍人の家庭にも生活苦が広がっていた。
「仕事が見つからず、家族を養えない者がおります」
「農村へ帰った者も、繭や米の値下がりで困っているそうです」
そうした話を聞くたび、わしは胸が痛んだ。
「軍人であった者も、軍を離れれば一人の生活者じゃ。軍服を脱いだ後の暮らしを、軽く見てはならぬ」
わしはそう話した。
また、前年に見学した陸軍と海軍の兵士たちの生活についても語った。
「軍隊に規律は必要じゃ。じゃが、私的制裁を伝統として正当化してはならぬ。若い兵士も人間じゃ」
賛同する者もいれば、昔ながらの厳しい軍隊教育を支持する者もいた。それでも、わしは話し続けた。
かつて現役の中将だった頃とは違い、今のわしに軍を動かす権限はない。
だが、経験を語り、過ちを指摘することならできる。
それが、老将として残された役目だと思っていた。
三 忘れられぬ張作霖爆殺事件
軍籍を離れた春、わしは数年前のある事件を思い出していた。
昭和三年(1928)六月四日。
満州の奉天近郊で、中国の有力軍閥指導者・張作霖が乗った列車が爆破された。
張作霖は重傷を負い、間もなく死亡した。
当初、日本国内では事件の真相が明確に知らされなかった。
しかし、関東軍の一部将校が関与した疑いが強まり、やがてわしら元軍人の間にも、その話が伝わってきた。
わしは当時、新聞を握り締めて呟いた。
「何ということを…」
張作霖は日本と複雑な協力関係にあった人物だった。
その人物を、日本軍の一部が独断で爆殺したというのである。
しかも、それによって満州の情勢を自分たちに有利な方向へ動かそうとした疑いがあった。
わしは強い衝撃を受けた。
「軍人が、政府の決定を待たずに外国の要人を殺害するとは…」
軍隊とは、国家の統制の下で動くべき組織ではないのか。
現場の将校が独断で政治を動かそうとするなら、軍の規律そのものが崩れてしまう。
その夜、兄の寛之助と話をした。
「兄上、張作霖の事件をどうお考えするか」
兄は険しい顔をしていた。
「蔵之助、わしは許し難いと思っておる。軍人が命令系統を無視して政治を動かす。それを許せば、次は何が起こるか分からぬ」
「まったくですな」
兄は続けた。
「海軍でも陸軍でも、命令系統は軍の根幹じゃ。それを自ら壊すような真似をして、何が軍人の規律じゃ」
わしは深く頷いた。
事件の後、田中義一内閣は真相の処理をめぐって苦境に立たされた。
昭和天皇との関係にも問題が生じ、昭和四年(1929)には内閣が総辞職した。
しかし、事件を主導した者たちへの処分は、わしには到底十分とは思えなかった。
「これでは、また同じことが起こるのではないか…」
当時、わしはそう恐れていた。その不安は現実となる。
四 満州事変勃発
昭和六年(1931)九月十八日。
満州の奉天郊外、柳条湖付近で南満州鉄道の線路が爆破された。
関東軍はこれを中国側の仕業とし、軍事行動を開始した。
満州事変の勃発である。
翌朝、わしは新聞を読んで驚いた。
「満州で軍事衝突…?」
愛海が尋ねた。
「あなた、何があったのですか?」
「関東軍が中国軍と戦闘を始めたそうじゃ」
「まあ…また戦争になるのでしょうか」
「分からぬ。じゃが、どうにも胸騒ぎがする」
わしは記事を読み進めた。
関東軍は奉天をはじめ、各地へ進出していた。
その行動は急速で、東京の政府が事態を十分に統制できているようには見えなかった。
わしは、三年前の張作霖爆殺事件を思い出した。
まさか、また独断で動いたのではあるまいな。
数日後、元軍人の知人から話を聞いた。
「神楽坂閣下、今回の事件も、関東軍の一部将校が計画したものだという話があります」
「何じゃと?」
「線路の爆破そのものに、関東軍が関わっていた可能性があると…」
わしは言葉を失った。
柳条湖事件は関東軍の一部将校が仕組んだ謀略だった。
中国側の攻撃を口実として軍事行動を開始し、満州の支配を拡大しようとしたのである。
「またか…」
わしは机を叩いた。
「張作霖の事件から、何も学ばなかったというのか!」
長年軍人として生きてきたわしにとって、これほど情けないことはなかった。
軍隊の力は、国家の命令に従って使われるべきものだ。
しかし、現地の将校たちは、自分たちの判断で戦端を開き、既成事実を積み重ねていた。
東京の政府が不拡大方針を掲げても、戦線は広がっていった。
「これでは、政府が軍を動かしておるのではなく、軍が政府を引きずっておるではないか…」
わしは低く呟いた。
五 軍人会に広がる熱狂
満州事変が進むにつれ、日本国内では関東軍の行動を支持する声が強まっていった。
新聞には、軍の進撃を大きく報じる記事が並んだ。
満州の権益を守るための行動だと説明され、兵士たちの勇敢さが称賛された。
昭和恐慌による不況に苦しんでいた人々の中には、満州に新しい希望を見いだす者もいた。
在郷軍人会の会合でも、満州事変が話題となった。
「関東軍はよくやっておりますな!」
「満州の権益を守るためには、強い態度が必要でしょう!」
そう語る者たちがいた。わしは黙って聞いていた。
やがて、一人の元将校が尋ねた。
「神楽坂閣下は、今回の関東軍の行動をどうお考えですか?」
わしは静かに答えた。
「満州に日本の権益があることは承知しておる。現地の日本人の安全を守る必要もあるじゃろう」
会場は静かになった。
「しかし、それと軍が独断で戦争を始めてよいかどうかは、別の問題じゃ」
一人の会員が反論した。
「ですが閣下、現地の軍人には現地の事情があります。東京で議論している間に、危険が迫ることもあるでしょう」
「それは分かる。緊急の自衛行動が必要な場合もあろう。じゃが、最初から事件を仕組み、軍事行動の口実とすることまで認めるのか?」
会場に沈黙が流れた。
「軍人は国家のために働く。だからこそ、自ら国家の方針を決めるような真似をしてはならぬ。軍が勝手に戦争を始め、政府が後からそれを認めるようになれば、いずれ誰も軍を止められなくなるぞ」
その言葉に頷く者もいた。
しかし、険しい顔をする者も少なくなかった。
「閣下は、現地の将兵の苦労を理解しておられないのではありませんか」
そう言われたとき、わしは胸が痛んだ。
「わしも戦場を経験してきた。兵士の苦労を軽んじるつもりはない。だからこそ、必要のない戦いに若者を送り込んではならぬと言っておるのじゃ」
会合が終わっても、意見の隔たりは埋まらなかった。
かつて軍人として同じ規律を学んだ者たちが、今では軍の独断を当然のように擁護している。
わしは、その変化に深い不安を覚えた。
六 兄弟が見た軍の変質
その秋、わしは兄の寛之助を訪ねた。
兄も満州事変の報道を注意深く追っていた。
「兄上、関東軍の動きが止まらん」
「うむ。わしも見ておる」
兄は新聞を畳んだ。
「張作霖の事件のときに、厳しく責任を問うておれば、少しは違ったかもしれぬな」
「そうですな…」
わしは深く息を吐いた。
「わしらが若い頃、軍隊では命令違反を厳しく戒められました。それが今では、独断で戦果を挙げれば英雄扱いされることさえある。危ういことじゃ」
兄は険しい顔をした。
「蔵之助、お前は今の陸軍をどう思う?」
答えるまでに時間がかかった。
「…わしの知っておる陸軍とは、違うものになりつつあるように感じる。兵士たちは今も真面目に訓練し、命令に従っている。じゃが、その上に立つ者たちの中には、自分たちの考えを国家の方針より優先する者がいる」
「うむ」
「わしは、そんな軍隊を育てたつもりはなかった」
兄はゆっくりと頷いた。
「わしらにも責任がないとは言えぬな」
その言葉に、わしは顔を上げた。
「責任、か」
「そうじゃ。わしらは長年、軍人としての誇りを教えてきた。しかし、軍人の力には限界があるということを、十分に伝えられたじゃろうか」
兄は続けた。
「軍人は国を守る。しかし、国の進む道を軍人だけで決めてよいわけではない。その区別を忘れれば、軍は自分自身を正義だと思い込む」
わしは静かに頷いた。
「兄上のおっしゃる通りじゃ」
港や兵営で若い兵士たちを見た日のことが思い出された。
彼らは命令に従い、毎日厳しい訓練に励んでいた。
しかし、その命令を出す者が誤った方向へ進んだとき、兵士たちはどうなるのだろうか。
七 満州国の建国
昭和七年(1932)三月。
満州の地に、満州国の建国が宣言された。
清朝最後の皇帝だった溥儀が執政に迎えられ、新しい国家が成立したと発表されたのである。
日本国内では、満州国の建国を歓迎する声が広がった。
新聞や宣伝では、「王道楽土」「五族協和」という言葉が繰り返された。
王道楽土。
徳によって治められ、人々が安らかに暮らせる理想の国。
五族協和。
日本人、漢人、満洲人、蒙古人、朝鮮人などが協力して暮らすという理念。
その言葉だけを聞けば、立派な理想に思えた。
しかし、わしには疑問があった。
「本当に、そこに暮らす人々の意思によって作られた国なのか…?」
満州国は独立国家を名乗っていたが、その成立には関東軍の軍事力が深く関わっていた。
政治や軍事の重要な部分でも、日本側の影響力は極めて強かった。
わしは新聞を読みながら、首を傾げた。
「王道楽土というならば、まずそこに暮らす人々が安心して暮らせねばならぬはずじゃ」
ある日、春子が訪ねてきた。
「お父様、満州国という新しい国ができたそうですわね」
「うむ」
「新聞には、とても立派な理想が書かれておりますけれど… そこに住んでいらっしゃる方々は、本当に喜んでいるのでしょうか?」
わしは娘を見た。
「それが、わしにも気になっておる」
「そうですのね」
「満州には、もともと多くの人々が暮らしておる。そこへ外国の軍隊が入り、新しい国を作るというのじゃ。すべての者が喜んでおるとは思えぬ」
春子は静かに頷いた。
「私、看護のお仕事をしていて思うんですの。どれほど立派な理想を掲げても、目の前の人が苦しんでいたら、それだけでは足りませんわ」
「そうじゃな」
「王道楽土というのなら、子どもたちが飢えず、病気の人が治療を受けられて、誰もが安心して暮らせる場所であってほしいですわ」
わしは微笑んだ。
「春子らしい考えじゃ」
「まあ、お父様。私は当たり前のことを申し上げただけですわ」
わしは笑った。
娘の言葉は、わしの胸に深く残った。
国家の理想とは、旗や標語だけで完成するものではない。
そこに暮らす一人一人の生活によって、初めて確かめられるものなのだ。
八 兄弟たちが見た満州の夢
満州国の建国後、日本国内では満州への移住や開発に期待する声も聞かれるようになった。
広大な土地、鉄道、鉱山、農業、工業。
満州は、日本の経済的な行き詰まりを打開する可能性を持つ土地として語られた。
ある日、修蔵と光蔵がわしの家を訪ねてきた。
「父上、満州の鉄道について、最近いろいろな話を聞くんだ」
修蔵が言った。
「南満州鉄道は、単に列車を走らせるだけじゃない。沿線の開発や産業にも深く関わっている。鉄道に携わる者としては、興味深いことも多いよ」
光蔵も頷いた。
「僕の仕事でも、満州の工業開発の話が出ることがあるんだ。機械や設備が必要になるからね」
わしは二人の顔を見た。
「お前たちは、満州国の建国をどう思う?」
修蔵は少し考えた。
「俺は、鉄道や産業が発展すること自体は悪いことじゃないと思う。でも、それが誰のための発展なのかは大事だろうな」
光蔵も続けた。
「僕もそう思うよ。機械を作る仕事が増えるのはありがたいけど、現地の人たちが苦しむような開発なら、喜んでばかりはいられないね」
「うむ。お前たちは、よく考えておる」
修蔵は少し笑った。
「父上に昔から言われてきたことだからね」
「何をじゃ?」
「仕事は人の暮らしを支えるためにある、ってことだよ」
わしは思わず笑った。
「そんなことを言ったかのう」
「言ったよ。何度もね」
光蔵も笑った。
「僕も覚えているよ、父上」
わしは二人を見つめた。
子どもたちは、すでにそれぞれの仕事を持ち、家庭を築いている。
そして、わしが若い頃に学んだことを、自分たちなりに受け継いでくれていた。
そのことが、何より嬉しかった。
九 国際連盟と日本の孤立
満州事変と満州国の建国は、国際社会でも大きな問題となった。
中国側は国際連盟に訴え、国際連盟は調査団を派遣した。
イギリスのリットンを団長とする調査団は、満州の情勢を調べ、報告書をまとめた。
昭和七年(1932)、リットン報告書が公表された。
報告書は、日本が満州に持つ権益や安全保障上の事情にも一定の理解を示しながら、関東軍の軍事行動を正当な自衛措置とは認めず、満州国を住民の自発的な独立によって成立した国家とも認めなかった。
わしは新聞を読み、深く考え込んだ。
「世界は、やはり満州国をそのまま認めるわけにはいかぬのじゃな…」
翌年、昭和八年(1933)二月。
国際連盟総会では、満州問題についての報告書と勧告が採択された。
日本はこれに反対したが、賛成四十二、反対一という結果となった。
日本代表団の松岡洋右は、採択後に議場を退席した。
新聞には、その様子が大きく報じられた。
わしは記事を読みながら、長い間黙っていた。
「四十二対一…」
愛海が尋ねた。
「あなた、どうなさったの?」
「日本が、国際連盟で孤立してしまった」
「まあ…」
「これほどまでに、世界との考えが食い違っておるとは…」
わしは新聞を置いた。
大正時代、日本は国際連盟の常任理事国となり、国際協調の一員として活動してきた。
世界戦争後、わしも新しい国際秩序に期待を抱いたことがあった。
もちろん、国際連盟が完全な組織だったわけではない。
列強の利害が絡み、すべての国が平等に扱われていたわけでもなかった。
しかし、戦争を避けるために国々が話し合う仕組みには、大きな意味があった。
その国際連盟から、日本が離れようとしている。それが非常に危険なことに思えた。
昭和八年(1933)三月、日本政府は国際連盟に脱退を通告した。
日本が国際協調の道から大きく離れたことは明らかだった。
明治の日本は、世界に認められようと必死だった。
不平等条約の改正に長い年月を費やし、国際社会で対等に扱われることを目指してきた。
その日本が、今度は自ら国際的な孤立を深めようとしている。
「父上……」
亡き父・権兵衛の顔が浮かんだ。
父は幕末、外国の軍事力を目の当たりにし、日本が変わらねばならぬと感じた世代だった。
もし父が今の日本を見たら、何と言うだろうか。
十 軍人会での最後の警告
国際連盟脱退の通告後、在郷軍人会の会合でも、この問題が議論された。
「国際連盟など、脱退して当然です!」
「日本の立場を理解しない国々に、従う必要はありません!」
強い口調で語る者がいた。
わしは、その声を聞きながら立ち上がった。
「諸君、少し聞いてもらいたい」
会場が静かになった。
「わしは、国際連盟が完全な組織だとは思っておらぬ。列強の利害が絡み、不公平なことも多いじゃろう」
何人かが頷いた。
「しかし、だからといって、世界との話し合いを捨ててよいのか? 日本が自分たちの正しさを主張することは必要じゃ。じゃが、相手の言葉を聞かず、自分たちだけが正しいと思い込めば、やがて周囲には誰もいなくなる」
一人の元将校が立ち上がった。
「神楽坂閣下、それでは日本は満州を諦めるべきだとおっしゃるのですか?」
「そうは言っておらぬ。権益を守ることと、軍が独断で外国の土地を占領することは同じではないと言っておる」
「しかし、現地の軍人たちは命を懸けております!」
「だからこそじゃ!」
思わず声が大きくなった。
会場が静まり返った。
わしは一度息を整えた。
「命を懸けておる兵士たちがいるからこそ、その命を何のために使うのか、慎重に考えねばならぬ」
わしは会場を見渡した。
「わしは日清戦争も日露戦争も経験した。戦場で倒れた兵士たちを、何人も見てきた」
誰も口を挟まなかった。
「戦争を始めるのは、時として簡単じゃ。じゃが、終わらせることは難しい。勝った後にも、恨みや対立が残ることがある。軍人は、戦えるからこそ、戦わずに済む道を軽んじてはならぬ」
会場には重い沈黙が流れた。
やがて、年配の元軍人が小さく頷いた。
「閣下のおっしゃることも、分かります…」
しかし、若い会員の中には、納得していない者もいた。
わしは、その表情を見ながら思った。
もはや、わしの言葉だけでこの流れを止めることはできぬのかもしれぬ。
それでも、黙っているわけにはいかなかった。
十一 老将の無力さ
ある日の夕方、わしは兄の寛之助と再び会った。
兄は七十歳を過ぎていた。
わしらは縁側に座り、静かに茶を飲んだ。
「兄上、日本は国際連盟からの脱退を通告しましたな」
「うむ」
「わしらが若い頃、これほど国際社会と対立する日が来るとは思わなかった」
兄は静かに頷いた。
「わしもじゃ」
しばらく沈黙が続いた。
やがて兄が言った。
「蔵之助、また軍人会で意見を述べておるそうじゃな」
「ええ」
「立派なことじゃ」
「しかし、何も変えられぬ。軍籍を離れ、現役の指揮権もなく、今では軍人会で話をすることしかできぬ」
兄はわしを見た。
「蔵之助。わしらは、もう軍を動かす立場にはおらぬ。じゃが、だからといって、考えることまでやめてよいわけではあるまい」
わしは顔を上げた。
「軍の進む道を決める力はなくとも、間違っておると思うことを間違っておると言うことはできる。わしらが生きてきた時代を、無駄にしてはならぬ」
兄は遠くを見つめた。
「江戸が終わり、明治が始まり、大正を経て昭和になった。わしらは、国が変わっていく姿を見てきた。その経験を、次の世代に残すのじゃ」
わしは深く頷いた。
「兄上、ありがとう」
兄は少し笑った。
「何じゃ、改まって」
「いえ…兄上がいてくれて、よかったと思いましてな」
兄は照れたように笑った。
「ははは。わしも同じじゃ、蔵之助」
わしらは、しばらく黙って茶を飲んだ。
幼い頃、江戸の町で遊んだ兄弟が、今では老いた元将官として日本の行く末を案じている。
何とも不思議な人生だった。
十二 父として、祖父として
その夜、わしは家族の写真を眺めていた。
修蔵、節子、光蔵、春子。
そして、孫たち。
明治時代に生まれた子どもたちは、今ではそれぞれの家庭を持っている。
大正時代に生まれた孫たちも、少しずつ成長していた。
わしは写真の中の大空と日花梨を見つめた。
昭和恐慌の中で、幼い弟たちを失った二人である。
あの子たちは、これからどんな時代を生きるのだろうか。
もし再び大きな戦争が起これば、孫たちの世代も巻き込まれるかもしれない。
そのことが、わしには何より恐ろしかった。
愛海が部屋に入ってきた。
「あなた、またお写真をご覧になっているのですね」
「うむ」
「何を考えていらっしゃるのですか?」
「わしは、軍人として長く生きてきた。じゃが、今では軍の力が恐ろしく感じることがある」
愛海は静かに隣に座った。
「そうなのですね」
「若い頃は、軍が強くなれば国を守れると思っておった」
「ええ」
「じゃが、軍が強くなりすぎて、誰も止められなくなったらどうなるのじゃろうな」
愛海はわしの手を取った。
「あなたは、ずっと家族を守ろうとしてくれたでしょう?」
「うむ」
「でしたら、これからもそのお気持ちを大切になさればよいのではありませんか」
わしは妻を見た。
「家族を守る…」
「ええ。修蔵たちも、孫たちも、みんな平和に暮らしてほしいですもの」
「そうじゃな」
愛海は微笑んだ。
「あなたが軍人として生きてこられたことを、私は否定しません。でも、これからは家族のために生きる時間も、もっと大切にしてくださいませ」
わしは妻の手を握り返した。
「うむ。そうしよう」
十三 軍人の時代の終わり
昭和八年(1933)、わしは六十九歳になっていた。
軍籍を離れてから二年が過ぎた。
在郷軍人会での活動は続けていたが、わしの心には、以前とは違う思いが芽生えていた。
軍人としての誇りは、今も失っていない。
しかし、軍人であることだけが、わしの人生ではなかった。
わしには妻がいる。
子どもたちがいる。
孫たちがいる。
そして、江戸時代から明治、大正、昭和へと続いてきた家族の歴史がある。
その歴史を、これからも見守っていきたい。
ある日、わしは軍人会の帰り道、若い兵士たちが行進する姿を見かけた。
軍靴の音が響く。
若者たちは背筋を伸ばし、整然と歩いていた。
その姿は、かつてのわし自身と重なった。
わしも若い頃、同じように軍服を着て、国家のために働くことを誇りに思っていた。
「若い者たちよ…」
わしは小さく呟いた。
「どうか、生きて帰ってきてくれ」
兵士たちは、その声に気づかず通り過ぎていった。
わしは、しばらくその後ろ姿を見送っていた。
軍人としてのわしの人生は、終わった。
しかし、軍人として生きた記憶は、これからも消えることはない。
その記憶があるからこそ、わしは今の軍の姿を見過ごすことができなかった。
昭和の日本は、満州事変を経て、新たな道へ進み始めていた。
それがどこへ続く道なのか、まだ誰にも分からなかった。
ただ、わしには一つの不安があった。
軍が国家の命令に従うのではなく、国家が軍の行動を追認するようになったとき、いずれ取り返しのつかないことが起こるのではないか。
その不安は、日を追うごとに大きくなっていた。
わしは空を見上げた。
明治の青空も、大正の青空も、昭和の青空も、同じように広がっている。
しかし、その下に暮らす人々の運命は、時代とともに大きく変わっていく。
「父上、祖父上……」
わしは亡き父と祖父を思い出した。
「わしは、これからも人としての道を忘れずに生きていきますぞ」
軍籍を離れた老将の目に映る日本は、もはや、かつて自分が守ろうとした国と同じ姿ではなかった。
その変化はまだ始まったばかりだった。




