第四十四話 昭和恐慌
一 銀行に押し寄せる人々
昭和二年(1927)、わしは六十三歳になっていた。
わしは、現役を退いた後も、新聞を読むことを毎朝の日課としていた。
この頃の日本は、大正時代の華やかな都市文化が残る一方、経済には不安が漂っていた。
大戦景気はとうに終わり、戦後恐慌や関東大震災の傷跡も、完全には癒えていなかった。
そんなある朝、わしは新聞を広げて驚いた。
「銀行に預金者が殺到しておるじゃと…?」
昭和金融恐慌の始まりであった。
三月、片岡直温大蔵大臣が帝国議会で、東京渡辺銀行が破綻したかのような発言をしたことをきっかけに、金融不安が一気に広がった。
銀行が潰れるかもしれない。
預けていた金が戻ってこないかもしれない。
そうした不安から、人々は銀行に押し寄せ、預金を引き出そうとした。
「あなた、どうなさったの?」
妻の愛海が尋ねた。
「銀行が大変なことになっておる。預金を引き出そうとする人々で、どこも騒がしいそうじゃ」
「まあ…。私たちの預金は大丈夫なのでしょうか」
「分からぬ。じゃが、慌てて動くのも考えものじゃ」
わしは新聞を置いた。
その日の午後、町へ出ると、銀行の前には長い列ができていた。
人々は通帳を握り締め、不安そうに窓口の方を見つめていた。
「早く金を返してくれ!」
「うちの店が潰れちまう!」
「子どもに食わせる金なんだぞ!」
怒号が飛び交っていた。
わしはその光景を見つめながら、戦場とは違う恐ろしさを感じた。
戦場では敵の砲弾が人を襲う。
しかし、ここでは人々の不安そのものが、暮らしを脅かしていた。
銀行への信用が失われれば、企業は資金を借りられず、商店は仕入れができなくなる。そうなれば、働く人々の給金にも影響が及ぶ。
「金というものは、これほど人の心を動かすものなのか…」
その後、四月には台湾銀行をめぐる問題などから金融不安が再燃し、若槻礼次郎内閣は総辞職した。
田中義一内閣が成立すると、政府は銀行の一時休業措置であるモラトリアムなどを実施し、事態の収拾を図った。
やがて取り付け騒ぎは沈静化したものの、多くの人々の心には深い傷が残った。
その夜、長男の修蔵が訪ねてきた。
「父上、鉄道会社でも大騒ぎだったよ」
「そうか」
「銀行が倒れれば、鉄道会社だって資金繰りに困る。新しい路線や車両の計画も簡単には進められなくなるんだ」
「お前の仕事にも影響があるか」
「ああ。俺たちのように毎日働いている人間にとって、給金がきちんと出るかどうかは大事なことだからな」
修蔵は腕を組んだ。
「父上、俺は鉄道の仕事が好きだ。けれど、どれだけ一生懸命働いても、会社そのものが倒れたらどうにもならないんだな」
「そうじゃな。戦場でも、兵が勇敢であるだけでは勝てぬ。食糧も、弾薬も、輸送も必要じゃ。経済も同じなのかもしれぬな」
修蔵は少し笑った。
「父上らしい例えだね」
しかし、この金融恐慌をはるかに上回る経済の混乱が、世界中を襲う。
二 世界恐慌
昭和四年(1929)十月。アメリカで、株価が大暴落した。
それをきっかけに世界的な経済恐慌が広がり、各国の企業や銀行が相次いで経営難に陥った。
わしは新聞を読みながら、目を疑った。
「アメリカで、これほど大きな恐慌が起きるとは…」
世界戦争の頃から、アメリカの工業力と経済力は世界でも際立っていた。
わしも軍人として、欧米諸国の工業生産力について何度も調べたことがあった。
そのアメリカで大きな経済危機が起こったのである。
ある日、兄の寛之助が訪ねてきた。
「蔵之助、アメリカの恐慌についてどう思う?」
「兄上、これは日本にも相当な影響が出るでしょうな」
「わしもそう思う。アメリカの市場が縮めば、日本からの輸出も減るじゃろう」
「特に生糸ですな」
「うむ。養蚕農家には厳しいことになりそうじゃ。わしらが若い頃、日本は欧米に追いつこうと必死じゃった。今では世界の経済と深く結びついておる。それだけに、外国の不況も他人事では済まぬ」
「まったくですな」
江戸時代には、外国との貿易が限られていた。
今や、日本の農家が育てた蚕から作られた生糸が海を渡り、アメリカの景気によって農家の暮らしが左右される。
時代の進歩とは、豊かさだけをもたらすものではないのだと感じた。
三 金解禁と深まる不況
昭和五年(1930)一月。
浜口雄幸内閣は、井上準之助大蔵大臣の下で金輸出を解禁した。
世界大戦中から停止されていた金の輸出を再び認め、金本位制へ復帰する政策である。
政府は通貨の信用や為替相場の安定を図り、日本経済の立て直しを目指していた。
しかし、世界恐慌が広がる中での金解禁は、日本経済に厳しい結果をもたらした。
旧平価での復帰や緊縮政策によって、物価は下落し、企業の経営は悪化した。
輸出も振るわず、失業者が増えていった。
この深刻な不況を昭和恐慌と呼ばれた。
わしが町を歩くと、以前とは違う光景が目についた。
店の軒先には、値下げを知らせる札が掲げられていた。
それでも客は少ない。
工場の門には操業短縮を知らせる紙が貼られ、職を失った男たちが肩を落として歩いていた。
ある日、わしは道端に座り込む中年の男を見かけた。
「どうなされた?」
男は顔を上げた。
「仕事がなくなりましてね…。工場を辞めさせられたんです」
「そうか…」
「家には女房と子どもがいるんです。何とか働き口を探しているんですが、どこも人を雇ってくれなくて」
男は乾いた笑みを浮かべた。
「戦争でもないのに、こんなに食うものに困るとは思いませんでした」
戦争でもないのに。その一言が胸に刺さった。
わしは日清戦争と日露戦争を経験している。
兵糧が不足し、病気が広がり、命を落とす兵士たちを見てきた。
だが今、平和なはずの日本で、働く場所を失い、食べ物に困る人々が増えている。
「何か、わしにできることはないか」
わしは懐から金を取り出した。
男は慌てて首を振った。
「そんな、見ず知らずの方から…」
「遠慮せんでよい。子どもたちに、何か食べさせてやってくれ」
男はしばらく黙っていたが、やがて深く頭を下げた。
「ありがとうございます…」
その姿を見送りながら、わしは無力さを感じていた。
一人に金を渡すことはできる。
しかし、国中で苦しむ人々を、わし一人で救うことなどできぬ。
その現実が、重くのしかかった。
四 節子が見た欠食児童
昭和恐慌の影響は、学校にも及んでいた。
長女の野村節子は、小学校の教員として働いていた。
ある日、節子がわしの家を訪ねてきた。
いつもは背筋を伸ばし、きびきびと話す娘だったが、その日は表情が暗かった。
「父上、少しお話ししてもいいかしら」
「もちろんじゃ。どうした?」
「最近、学校でお弁当を持ってこられない子が増えているの」
「何じゃと?」
「家に食べ物がないのよ。朝ご飯も食べずに登校してくる子もいるわ」
「そんなにひどいのか」
「ええ。授業中にお腹を鳴らす子もいるし、顔色が悪くて集中できない子もいるの」
節子は膝の上で手を握った。
「昨日、ある男の子が授業中に倒れたのよ」
「倒れた?」
「ええ。病気かと思ったけれど、十分に食事を取れていなかったみたいなの。その子、私に謝ったのよ。『先生、授業を邪魔してごめんなさい』って」
わしは何も言えなかった。
「謝る必要なんてないのに…。悪いことをしたわけじゃないのに、あの子は自分が悪いと思っていたの」
節子は目を伏せた。
「父上、私は子どもたちに勉強を教えるのが仕事よ。でも、お腹を空かせた子に、ただ勉強しなさいと言うだけでいいのかしら」
節子は幼い頃から、物事の筋道を大切にする子だった。
教師になってからも、規律を重んじ、子どもたちに厳しく接することがあった。その厳しさは、子どもたちに立派に育ってほしいという願いから生まれたものだった。
「節子、お前はどうしたいのじゃ?」
「できる限り、食事に困っている子を助けたいわ。学校でも先生方と相談しているの。家庭の事情を調べて、必要な支援につなげられないかって」
「うむ」
「でも、子どもたちに恥ずかしい思いをさせたくないのよ。お弁当を持ってこられない子を、ほかの子の前で責めるなんて絶対にしたくないわ」
「それでよい。子どもが飢えるのは、子どもの責任ではない」
「ありがとう、父上」
「お前はよい教師じゃ」
「まだまだよ。助けられない子もいるもの」
「それでも、目を背けずに向き合っておる。それが大切なのじゃ」
後日、わしは節子の学校を訪ねる機会があった。
校庭では子どもたちが遊んでいたが、中には痩せた顔の子や、元気なく座り込んでいる子もいた。
教室の片隅には、弁当箱を持たない子がいた。
わしはその姿を見ながら、胸が痛んだ。
明治時代、父は教育こそ国の未来を支えるものだと語っていた。
しかし、食べ物さえ満足にない子どもたちに、未来を語ることがどれほど難しいことか。
その現実を、わしは思い知らされた。
五 光蔵の工場と家族の不安
不況は、次男の光蔵の家庭にも影を落としていた。
光蔵は機械製造の仕事に携わっていた。
妻はかつて織物工場で働いていた女性で、二人は互いを思いやりながら家庭を築いていた。
しかし、恐慌によって機械の注文が減り、光蔵の仕事も不安定になっていた。
ある日、光蔵がわしを訪ねてきた。
「父上、少し相談があるんだ」
「どうした、光蔵」
「工場の仕事が減ってきてね。僕のところでも、機械の注文が随分と減ったんだ」
「そうか…」
「妻が働いていた織物工場も大変らしい。昔の仲間が何人も仕事を失ってしまったそうだよ。僕たちは何とか暮らしているけど、これがいつまで続くのか分からないんだ」
「家族は大丈夫か?」
「今のところはね。ただ、子どもたちもいるから、あまり無理はできないな」
「光蔵、困ったことがあれば遠慮せず言うのじゃぞ」
「ありがとう。でも、僕も一家の父親だからね。できることは自分でやりたいんだ」
「うむ。その気持ちは分かる」
「ただ、無理をして家族を困らせたら意味がないからね。本当に困ったら、父上を頼らせてもらうよ」
わしは頷いた。
しかし、光蔵の家庭を襲う苦難は、仕事の不安だけでは終わらなかった。
六 大空と日花梨が見た弟たち
昭和恐慌が深刻化する中、光蔵の家庭では、幼い子どもたちの健康が大きな問題となっていた。
収入が減り、食事を切り詰める日が増えた。
光蔵と妻は、子どもたちにできる限り食べさせようと、自分たちの食事を減らすこともあったが、栄養の不足や免疫の低下を、完全に防ぐことはできなかった。
ある冬の日、光蔵の家では、幼い息子が熱を出して寝込んでいた。
大空が心配そうに様子を見に来た。
光蔵は布団のそばに座り、息子の額に手を当てた。
「今は熱が高いけど、お医者さんにも診てもらったからね。きっとよくなるよ」
「本当?」
「ああ。だから、大空もあまり心配しすぎないでおくれ」
しかし、光蔵の声には不安が滲んでいた。
隣では日花梨が、弟の小さな手を握っていた。
「ねえ、早く元気になってね。また一緒に遊ぼう」
弟は弱々しく目を開けた。
「…うん」
その声は、あまりにも小さかった。
数日後、幼い命は尽きた。
光蔵は息子の亡骸を前に、長い間動けなかった。
妻は声を押し殺して泣いていた。
大空は、弟がなぜ起き上がらないのか理解できずにいた。
「お父さん…いつ起きるの? もう熱はないんでしょう?」
その言葉を聞いた瞬間、光蔵の目から涙がこぼれた。
「大空……」
息子を抱き寄せながら、光蔵は震える声で言った。
「もう、起きられないんだ」
大空はしばらく黙っていた。
「……もう、一緒に遊べないの?」
「ああ……」
「どうして?」
光蔵は息子を強く抱き締めた。
「ごめんな…。お父さんにも、どうしてこんなことになったのか……」
言葉が続かなかった。
日花梨は布団のそばに座り、弟の顔を見つめていた。
「昨日まで、お話ししていたのに……」
小さな声で呟いた。
「また遊ぼうって言ってくれたのに……」
やがて、日花梨は泣き始めた。
「どうして死んじゃったの……?」
光蔵の妻が娘を抱き締めた。
悲劇は一度では終わらなかった。
不況による生活苦が続く中、光蔵の家庭では、別の幼い息子も病に倒れた。
家族は必死に看病した。
春子も看護の知識を生かし、できる限りの手助けをした。
しかし、その子もまた、幼くして命を落とした。
大空と日花梨にとって、弟たちとの別れは、あまりにも早すぎるものだった。
「お父さん…」
ある晩、大空が光蔵に尋ねた。
「僕たち、何か悪いことをしたの?」
「どうしてそんなことを言うんだい?」
「だって…弟たちが、みんないなくなっちゃったから……」
光蔵は息子の肩に手を置いた。
「大空、よく聞いておくれ。お前たちは、何も悪くないんだ。弟たちだって、何も悪くなかったんだよ」
「じゃあ、どうして…」
「お父さんにも、全部は分からない。でも、これだけは覚えておいてほしい。お前たちが悪いから、弟たちが亡くなったわけじゃないんだ」
大空は泣きながら父親に抱きついた。
日花梨も、その隣で静かに涙を流していた。
その光景を、わしは後に光蔵から聞いて、胸が張り裂けるような思いがした。
七 孫を失った祖父
光蔵の息子たちの葬儀の日。
わしは、幼い孫の遺影を見つめていた。
明治三十七年(1904)、まだ幼かった娘の美嘉を結核で失った日のことが蘇った。
あのときも、わしは何もできなかった。
父親でありながら、娘の命を救えなかった。
そして今、祖父となったわしは、再び幼い命を見送っている。
光蔵はひどく疲れていた。
「すまぬ……」
わしがそう言うと、光蔵は首を横に振った。
「父上が謝ることじゃないよ」
「じゃが、わしは…」
「父上は、ずっと助けてくれたじゃないか。僕も妻も、できることはやったつもりなんだ。でも…それでも助けられなかった」
息子の声が震えた。
「僕は、あの子たちの父親だったのに……」
わしは光蔵の肩を抱いた。
「光蔵。わしも、美嘉を失ったとき、同じことを思った。何度も考えた。もっと早く医者に診せておれば、もっとよい薬があれば、何か違ったのではないかとな。じゃが、どれほど考えても、美嘉は帰ってこなかった」
光蔵の目から涙がこぼれた。
「父上…僕は、あの子たちにもっといろいろなものを見せてやりたかったよ。機械も、電車も、これからできる新しいものも…。大きくなったら、一緒に見に行きたかったんだ」
わしは何も言えなかった。
息子の夢が、幼い孫たちの死によって断ち切られてしまった。
その悲しみを、簡単な言葉で慰めることなどできなかった。
葬儀の後、大空と日花梨がわしのところへ来た。
「お祖父様…」
「どうした、大空」
「弟たちは、もう帰ってこないんだよね」
わしは膝を折り、孫たちと目線を合わせた。
「そうじゃな…」
日花梨が小さく尋ねた。
「お祖父様も、悲しい?」
「もちろんじゃ」
「大人でも泣くの?」
「泣くとも。わしはもう六十年以上生きておるが、悲しいときは今でも涙が出る」
大空は俯いた。
「僕、弟たちのこと、忘れたくないよ」
わしは二人を抱き寄せた。
「一緒に遊んだことも、笑ったことも、全部覚えておいてよいのじゃ」
日花梨がわしの胸に顔を埋めた。
「お祖父様…」
「うむ」
「弟たち、幸せだったのかな…」
「少なくとも、お前たちに愛されておったことは確かじゃ」
二人は声を上げて泣いた。
わしも、涙をこらえることができなかった。
戦争でなくとも、人は死ぬ。
貧しさによって、病気によって、幼い命が奪われる。
その現実を、わしは再び思い知らされたのである。
八 春子が見た弱った子どもたち
末娘の春子もまた、恐慌の影響を肌で感じていた。
春子は看護婦として、公衆衛生や家庭への訪問看護に携わっていた。
この頃、春子が訪ねる家庭では、栄養不足や病気に苦しむ子どもが増えていた。
ある日、春子がわしの家を訪ねてきた。
「お父様、少しお時間をいただいてもよろしいかしら」
「もちろんじゃ。どうした、春子」
春子はいつものように上品な微笑みを浮かべていたが、その表情には疲れが見えた。
「最近、看護のお仕事で、胸が痛くなることが多いのです」
「そうか…」
「食べ物が足りず、身体が弱ってしまったお子さんが増えているんですわ。あるお宅では、お母様がご自分の食事を減らして、お子さんに食べさせていらっしゃいましたの」
わしは黙って聞いていた。
「それでも十分ではなくて…。お子さんは痩せてしまい、風邪をひいてもなかなか治らないんですのよ」
春子は膝の上で手を重ねた。
「私、看護婦として衛生や栄養の大切さをお伝えしているんですけれど… 食べ物を買うお金がない方に、栄養を取ってくださいと申し上げるだけでは、何の解決にもならないんですの」
春子は幼い頃から、人の世話をすることが好きだった。
大正時代には看護の道を志し、今では多くの家庭を訪ねている。
そんな娘が、今は自分の知識だけでは救えない現実に直面していた。
「春子、お前はどうしておるのじゃ?」
「できる限り、学校や地域の方々と相談して、食べ物や医療の支援につなげるようにしていますわ。でも、すべてのお子さんを助けられるわけではありませんの」
春子は目を伏せた。
「光蔵兄様のお子さんたちのことも…私、もっと何かできたのではないかと、何度も考えてしまいますわ」
わしは娘の手を取った。
「春子」
「はい、お父様」
「お前は十分に尽くしてくれた」
「でも…」
「光蔵も、わしも、お前がどれほど力を尽くしたか知っておる」
春子の目に涙が浮かんだ。
「お父様…」
「命を救えぬことは、医者にも看護婦にもある。じゃが、救えなかった命を思うことと、自分を責め続けることは違うのじゃ」
「ありがとうございます、お父様」
春子は涙を拭い、いつもの柔らかな表情に戻った。
「私、これからも看護のお仕事を続けますわ。一人でも多くのお子さんが、元気に育ってくださるように」
「春子、お前は強いのう」
春子は少し驚いたように笑った。
「まあ、お父様。私、そんなに強くありませんわ」
「いや、強いとも。悲しみを知ってなお、人を助けようとする。それは立派な強さじゃ」
春子は静かに微笑んだ。
九 農村の困窮
恐慌の影響は、都市だけにとどまらなかった。
農村では米や繭の価格が大きく下落し、農家の収入が減っていた。
東北地方などでは、冷害や不作も重なり、生活が厳しくなる地域があった。
新聞には、農家が借金を返せず土地を手放した話や、子どもを奉公に出さざるを得なくなった話が載っていた。
娘を身売りするほど追い詰められた家庭もあった。
わしはその記事を読みながら、怒りとも悲しみともつかぬ感情を覚えた。
「何ということじゃ…」
愛海が隣に座った。
「また、つらい記事ですのね」
「うむ。農村では、子どもを手放さねばならぬ家まであるそうじゃ」
愛海は悲しそうに目を伏せた。
「親御さんも、どれほどおつらいことでしょう…」
明治時代、わしは軍人として各地を訪れた。
農村出身の兵士たちとも数多く接してきた。
彼らの多くは、家族の暮らしを支えるために懸命に働く青年だった。
その故郷が、今や深刻な貧困に苦しんでいる。
「愛海、わしは若い頃、国が強くなることばかり考えておった。軍備を整え、産業を育て、欧米に追いつく。それが日本を豊かにすると信じておった。じゃが、国が強くなったとしても、民が飢えておっては何のための国力なのじゃろうな」
愛海は静かに答えた。
「あなた。国というものは、そこに暮らす人々がいてこそ成り立つのでしょう?」
「そうじゃな…」
「私たちの子どもも、孫も、みんなこの国で暮らしています。どんなに立派な建物や工場ができても、人々が幸せに暮らせなければ、寂しいことです」
その言葉は、長年軍人として生きてきたわしの胸に、重く響いた。
十 高橋財政と景気回復への道
昭和六年(1931)十二月。
犬養毅内閣が成立し、高橋是清が大蔵大臣に就任した。
高橋は、金輸出を再び禁止し、金本位制から離脱する政策を進めた。
緊縮財政から方針を転換し、財政支出を拡大して景気の立て直しを図ったのである。
赤字国債の発行や公共事業などを通じて需要を生み出し、経済活動を回復させようとした。
わしは、久しぶりに明るい兆しを感じた。
「ようやく、政策が変わり始めたか…」
修蔵が訪ねてきたとき、わしはその話をした。
「修蔵、鉄道の仕事はどうじゃ?」
「少しずつだけど、明るい話も出てきたよ。まだ安心はできないけど、仕事の計画が動き始めたところもあるんだ」
「そうか」
「公共事業が増えれば、資材を運ぶ鉄道にも仕事が回ってくるからな。俺たちも、何とか踏ん張らないと」
光蔵も顔を見せた。
「父上、僕の工場でも少しずつ注文が戻ってきたんだ」
「それはよかったのう」
「まだ以前ほどではないけどね。機械を必要とする会社が増えてくれれば、僕たちの仕事も戻ってくると思う」
光蔵は穏やかに微笑んだ。
その笑顔には、以前にはなかった寂しさが残っていた。
「光蔵… 少しずつでよい。無理をせず、暮らしを立て直していくのじゃぞ」
「ありがとう。僕もそうするつもりだよ」
その後、昭和七年から八年(1932〜33)にかけて、日本経済は次第に回復へ向かっていった。
円安によって輸出が伸び、財政支出の拡大も景気を支えた。
しかし、回復はすべての人々に同じように訪れたわけではなかった。
農村の困窮はなお深く、失業や生活苦から抜け出せない家庭も多かった。
財政支出の拡大には軍事費の増加も含まれていた。
経済が回復へ向かう一方で、軍部の影響力が強まりつつあることを、わしは気にかけていた。
「景気が戻ることは喜ばしい。じゃが、その先に何が待っておるのか…」
不況からの脱出が、必ずしも平和な時代の到来を意味するわけではなかった。
十一 戻らぬ命と新しい暮らし
ある日の午後、わしは光蔵の家を訪ねた。
家の中には、以前よりも穏やかな空気が戻りつつあった。
大空と日花梨は、庭で遊んでいた。
「お祖父様!」
日花梨がわしに気づいて駆け寄ってきた。
「おお、日花梨。元気にしておったか」
「うん!」
大空もやってきた。
「お祖父様、今日は何のお話をしてくれるの?」
「そうじゃな。昔の鉄道の話でもするかのう」
「聞きたい!」
二人は嬉しそうに笑った。
その姿を見て、わしは少し安心した。
幼い弟たちを失った悲しみが消えたわけではない。
それでも、残された子どもたちは成長している。
家の中へ入ると、光蔵が迎えてくれた。
「父上、いらっしゃい」
「うむ。二人とも元気そうじゃな」
「最近はよく外で遊ぶようになったよ。弟たちのことを思い出して、泣く日もあるけどね」
「そうか…」
「でも、それでいいと思うんだ。無理に忘れなくてもいい、悲しいときは悲しいって言えばいいし、楽しいときは笑えばいい。僕たちも、少しずつそうやって暮らしていこうと思っているんだ」
わしは静かに頷いた。
「父上も、美嘉のことを今で忘れていないだろう?」
「もちろんじゃ」
「僕も、あの子たちのことを一生忘れないよ」
その言葉を聞き、わしは胸が熱くなった。
わしが美嘉を失ったのは、明治三十七年(1904)。それから三十年近い歳月が流れようとしていた。
それでも、娘の顔も、声も、抱き上げたときの小さな身体の感触も、忘れたことはなかった。
「光蔵」
「何だい?」
「お前は、立派な父親じゃ」
光蔵は少し驚いた顔をした。
「急にどうしたんだい、父上」
「いや、そう思っただけじゃ」
光蔵は照れたように笑った。
「ありがとう」
庭では、大空と日花梨が笑い声を上げていた。
十二 恐慌が残したもの
昭和八年(1933)。昭和恐慌の最も厳しい時期は過ぎ、日本経済は回復へ向かっていた。
町には再び活気が戻り始め、工場の煙突から煙が上がり、鉄道も多くの人々や物資を運んでいた。
しかし、わしの心には、恐慌の記憶が深く刻まれていた。
銀行の前に並んだ人々。
仕事を失い、道端に座り込んでいた男。
弁当を持たずに学校へ通う子どもたち。
栄養不足で弱った幼い身体。
光蔵の家で失われた小さな命。
それらは、新聞の数字や経済政策の説明だけでは決して語り尽くせないものだった。
ある夕方、わしは愛海と縁側に座っていた。
「あなた、随分と考え込んでいますね」
「うむ。この数年間のことを思い出しておった」
「恐慌のことですか?」
「そうじゃ。わしは長い間、戦争というものが人の命を奪うことを見てきた。じゃが、恐慌もまた、人々の暮らしを壊し、命を奪うことがあるのじゃな」
愛海は静かに頷いた。
「光蔵の子どもたちも、もっと豊かな時代であれば、違う人生があったのかもしれぬ。そう考えると、どうにもやりきれぬ」
愛海はそっとわしの手を握った。
「あなた…」
「わしは、孫たちに何を残してやれるのじゃろうな」
愛海はしばらく考えてから答えた。
「生きている子どもたちを、大切にしてあげることではありませんか?失った命を忘れないことも大切です。でも、今ここにいる子どもたちの笑顔を守ることも、同じくらい大切だと思います」
わしは深く頷いた。
「そうじゃな…」
「大空も日花梨も、これから大きくなります。修蔵たちの子どもも、節子や春子の子どもも、みんなそれぞれの人生を歩んでいくのですもの」
「うむ」
「私たちは、その成長を見守ってあげましょう」
わしは妻の手を握り返した。
長い人生の中で、わしは何度も時代の変化を見てきた。
明治維新によって武士の世が終わり、産業革命によって町が変わり、大正時代には都市文化が花開いた。
そして昭和恐慌は、豊かになったはずの日本にも、深い貧しさが存在することを教えた。
国が強くなることと、人々が幸せになることは、必ずしも同じではない。
そのことを、わしはこの年になって改めて思い知らされた。
しかし、わしにはまだ希望があった。
修蔵は鉄道を動かし、節子は子どもたちを教え、光蔵は機械を作り、春子は人々の健康を守っている。
四人の子どもたちは、それぞれの場所で、誰かの暮らしを支えていた。
「父上…」
ふと、亡き父の声が聞こえたような気がした。
いや、違う。それは、わし自身が父から受け継いだ思いだった。
人は時代を選んで生まれることはできないが、その時代をどう生きるかは、自分で考えることができる。
わしは静かに空を見上げた。
昭和の空は、まだ明るかった。
しかし、その向こうには、これまでとは違う不穏な雲が広がり始めていた。
恐慌によって苦しんだ人々の不満は、政治への不信を強め、軍部の一部には、武力によって国の行き詰まりを打開しようとする動きも現れていた。
わしは、その動きを決して軽く見ていなかった。
「国を救うという言葉が、人の命を軽んじる口実になってはならぬ…」
恐慌からの回復が進む一方で、日本は新たな時代の分岐点に立っていた。
そして、長年軍人として生きてきたわし自身も、やがて軍と国家のあり方について、さらに厳しい現実と向き合うことになる。




